第5話 ネストボックス(巣箱)

「ぷっ、くっくっくっ、それで落ち込んでいたの?」

「笑わないでくださいよぉ、グ……デリラさん。僕、結構感激してたのに……」


 場所は変わって通りを挟んだギルドの向かい。昼は軽食とお茶を、夜は酒を出す店の中。ユーリは女性の魔導士と向き合っていた。初日にユーリの介添えに付いていたプレーヤーである。PNプレーヤーネームはデリラ。


「ごめん、ごめん。いやしかし、その称号は不意打ちだったわ。初取得っていうスキルもレアだけど、称号のインパクトに全部持っていかれた感じ」


 涙をにじませ笑いを抑えるデリラを前に、ユーリもふくれ面ながら目は笑っている。


「ふう……と、ちょっと確認するくらいの時間はあるかな。待ってね、掲示板検索してみるから……」


 デリラは中空に目を据えて時々指を動かしている。他者には非表示のディスプレイボードを操作しているしぐさだ。


「ああ、サービス開始から間もなく、初心者演習フルコンプしている人がいたわ。PNは……ギルバート。解析クランのメンバーね。納得」

「へえ、そうだったんですか。それならもっと、演習のメリットが知られていると思ったんですけど」


 開始直後というと、ゲーム内時間では約二年前にあたるのか。そんな事を考えてハルトマンの発言を納得するユーリ。


「……ん~、彼のイベントへの評価は『微妙』ね。『初回コンプの称号を抜きで考えると、時間とメリットの相関から、コスパはよくない』だって」

「そう……そうかなあ。演習自体が結構楽しかったんですけどね」


 鍛錬と名がつく事は何でもツライものだし、RPGのレベル上げ作業が嫌いというプレーヤーは多い。だがユーリのセリフは彼なりの実感だった。与える課題は山盛りだが、陽気で嫌みのないブランド。見た目がかなりの強面で、学び手にも真剣な集中を求めるレオン。からかっているように見えて、巧みに自身の先入観に気づかせてくれるアドリア。彼らが次々と新しい扉を開いてくれるかのようで、気づいたらあっという間に三週間が過ぎていた。

 彼らが全く人間にしか思えなかった事も「あっという間」の理由である。想像してみてほしい。底の知れたボットの命じるままにルーチンワークを繰り返すのと、熟達した教師が生徒の個性・コンディションに応じて自在に課題を変化させる授業とを。プレーヤー・アバターの背後に個々のゲーマーが存在するように、このゲームのNPCにも専任の担当役者がいるんじゃないか。そんな事さえ考えてしまうほどだった。思い返せば他のゲーム内住人たちと思考レベルが違っていたような節もある。「この世界の中で、グラフィックとプログラムは二にして一の物」といったようなメタ視点ぽい言い方が何度かあった。他のNPCには、ゲーム外視点からの発言は理解できないか聞こえないのが常である。


 掲示板情報に目を通していたデリラが首を傾げた。


「あれ、これは……。ユーリくん、体力トレーニングの成果は全パラメータ5%上昇だったかしら?」

「はい、それと時間制限つきのステータスアップスキルが一つ……」

「おかしいわね。ギルバートの例だと、STR(筋力)、VIT(生命力)、AGL(素早さ)、LUC(幸運)に3%のボーナスがついて、初回クリア特典として、それがINI(知力)、MIN(精神力)、DEX(器用さ)にも及ぼされた……ってあるわ。微妙な差だけど、ユーリくんの5%と合わないわね」

「え……」

「ふむふむ、ついで、『リミッターカット』に『ex』はつかない、と……。無印の『リミッターカット』は別方面でも習得できるから、それも『微妙』の理由なわけね。ユーリくん、単なる私の好奇心なんだけど、リストアップして比較してみたいんだけど……」


 基本的にプレーヤーのスキル・ステータスに関連することを聞くのはマナー違反である。たとえリアルで親しい間柄であっても、それこそ「親しき中にも礼儀あり」だ。


「いいですよ。僕も知りたいですし」

「ありがと。じゃ、私にスキル画面のキャプチャを送ってちょうだい。あ、パラメータまでは不要よ」

「全部でかまいませんよ。まだレベル5なんだから、低いままですし」


 送られた画像を外部の掲示板と比較するデリラ。ユーリも臨時にパーティー申請して、画面を共有した。


「ずいぶん違いますね……」

「ええ、違ってはいるんだけど……ばらつきというか……ああ、これ。ここは変わっていない。これがむしろ重要ね」


 初回取得者として称号を与えられた「ハルトマン防御術」は、無論、ギルバートの報告にない。そしてブランド、アドニア教官から与えられた形のスキルとボーナスはユーリの場合の方が上回っていたが、レオン教官から与えられた部分は同じ値だった。


「? どういう事……でしょう」


 一律にすべて上がっているのであれば、何らかの理由でゲーム上のボーナスが、このイベント全体に及んだと考えられるのだが、教官によっては前回と同じとは?


「……これはやっぱり、あの噂が正しいのかな。NPCには、対するプレーヤーごとに好感度が設定されていて、それによって見返りが違うっていう」

「好感度……ですか?」


デリラの仮説は、FSO開始からプレーヤー間で言われていたことであった。各キャラクターに、プレーヤーごとに持つ好感度が設定されており、それによって与えられるアイテムやサービス、情報に差が出る、と。


「ゲーム内のキャラクターに好感度が設定されているゲームは決して珍しくはないわ」

「そうですね。他のゲームでも見たことはあります。でも、僕が知っているのはクローズドのゲームで……」

「そう、MMOでやろうとすれば、各キャラクターとプレーヤーの間に『好感度』を設定して管理しなければならない。そこはデータベースでクリアできるとして、問題は、FSOの場合、それがどういう行動で評価されているのかわからない点なのよ」

「そうなんですか?」

「うん、単純に顔を合わせた回数で決まるのかと考えて、あるNPCを何度も訪ねたら『しつこい!』ってへそを曲げられたって話が山ほどある」

「はー……」


 ありそうな話ではあった、FSOに使われているAIの完成度からすれば。ゲームメディアの紹介記事だと、かなり高名なAI研究者が複数人、開発に関わったという。「ビッグファイブ」というよくわからないフレーズが、ひどくセンセーショナルに使われていたのが記憶に残っている。


「仮にそうだったと仮定すると、ユーリくんはハルトマン、ブランド、アドニアの三人にはボーナスつけられるほど気に入られたけど、レオンにはそうでもなかったってことね。特にアドニアのボーナスポイント+30は、エコヒイキって言えるレベルね」


 デリラのからかいに赤面しながらも、ユーリはレオン教官のレッスンを思い出す。課題を一つ一つ提示して、それらを動作の最小単位までさかのぼって矯正していく。理詰めで根気強い反復を求める指導方法だった。確かに彼は、あまり感情に左右されるタイプではないように思える。


「……驚きました。そこまで個性があるって、まるで本当の人間みたいですね」

「うん……人間に近い挙動をするって点では、NPCに好悪の感情を持たせるべきなんだろうけど。私は、善し悪しだと思うわね。この方向性が行き過ぎると……いや、何でもない。考えすぎよね」

「?」


 そこそこの数のゲームをやってきたデリラには、一つの経験則があった。リアル志向が行き過ぎると、むしろゲームとしてプレイしづらくなるというものだ。特にゲーム内のNPCが本当に人間レベルの「心」を持ったとしたら……彼女はむしろ、その先に暗い予感を覚えてしまう。人間の感情は、他者にとって快いものとは限らない。そんな現実に疲れて、人はゲームの世界で解放されようと思うのではないのか。


「おまたせー、デリラ。ゴメンねえ、遅れちゃって」


 二人に掛けられた、ふわふわした感じの声。顔を上げると、声の印象どおり丸顔でほんわかした雰囲気の女性が二人の席に近づいてきた。


「お久しぶり、リズベル。この子が話していた子」

「はい、ユーリです。よろしくお願いします」


 立ち上がって女性プレイヤーと握手を交わすユーリ。


「初心者支援クラン『巣箱ネストボックス』のリーダーを務めてますリズベルです。よろしくね、ユーリ」


 ◇


 店を出て、ユーリはネストボックスの他メンバーと挨拶を交わしていた。


「よう、君が新しいゲストか。オレはレンドル。見ての通り格闘僧モンク職業クラスで、ネストボックスの副リーダーだ」

「ユーリです。よろしくお願いします」

「ん、で、こっちが今ウチで訓練しているゲスト達」

「ジブリールです。クラスは神官。ネストボックスには一週間くらい前からお世話になってるゲストです」

「オレはヤヌス。クラスは魔術師。ジブリールと同じ頃からネストボックスで訓練つけてもらってる」

「私はオボロ。シーフに転職クラスチェンジできたばっかです……」


 ネストボックスはいくつかある初心者サポートクランのひとつだが、集団戦闘の仕方を教えるのを主目的としている。「MMOをソロでプレイなんて、もったいない」というのがクランリーダー、リズベルの信条だ。

 少し離れた所でその様子を見ながら、立ち話をするリズベルとデリラ。


「いい子じゃない。人づきあいに不慣れって聞いてたけど、みんなとも上手くやれそうな感じ」

「そうね……」


 同年代らしいプレーヤーたちと挨拶を交わし、ゲームの職種やスキル構成を話し合うユーリを見て、デリラは内心安堵の吐息をつく。

 リアルでのユーリとの付きあいはそれほど長いものではないが、彼が、初対面の相手に壁を築いてしまうタイプではないとはわかっていた。ただ、心の奥に他者には決して開かない部分を抱えていて、そこが気がかりだった。リズベルほど積極的に「人づきあい」を肯定する方ではないが、オープンワールドのゲームをプレイする以上、そこは避けて通れないと思っている。


「でも珍しいわね、あなたが他人の事をそんなに気にかけるなんて。詮索するつもりはないけど、リアルでの知り合いかしら?」

「まあね……そこは触れないでくれると助かるわ。あの子に対しても、ね」


 実際、少々お節介が過ぎたかもと思う。ゲーム内で特定のクランに属していない事が示すとおり、デリラは基本的に他者に干渉しない事を信条としている。しかし自分が彼をこのゲームに引き込んだ形になったのは事実だし、しばらくログインできなくなる事情もある。「これが最後のお節介」と自分に言い聞かせ、ユーリをネストボックスに紹介するという「干渉」を、あえてやったデリラだった。

 クランリーダーのリズベルとは、別ゲーム時代からの知り合いである。ゲーマーとしての技倆より人柄に信頼を置いている、数少ない相手だった。


「じゃ、後はよろしく。私は落ちるわ」

「あら、一声かけてったら?」

「ん……後で直に話すから。あ、あと、一週間くらい仕事でログインできなくなるわ」

「そう、大変ね」


 リズベルに後を任せ、新人プレイヤー同士で談笑するユーリを横目に、デリラはログアウトした。


 ◇―――――◇


 地球の赤道上空を「アルカディア」は航行している。通常の人工衛星と異なって、船内のGを1/2ほどのレベルに保つため、地球の重力と遠心力が釣り合う速度では航行していない。結果、そのままでは地球へ落下してしまうために、プラズマエンジンを稼働させ続けて高度を維持している。決められたコースを周回してはいるが、自らのエンジンを持ち稼働させていることが一般的宇宙ステーションとの違いであり、医療用「宇宙船」と呼ばれる理由でもあった。

 アルカディアの前方に、黒く細い塔が見えてきた。地球に突き刺さった細い槍のようにも見える。軌道エレベーター「オリンポス」人類が作り上げた二基目の軌道エレベータだった。その脇をかすめるようにアルカディアは航行していく。オリンポス本体を囲む同心円状のモジュールから、一機のシャトルが放たれた。そのままアルカディアに並走し、ゆっくりとドッキングを果たした。


 船内のエアロックに通じる扉が開き、二十代後半から三十代ほどの女性が入ってきた。「デリラ」とよく似ている。


「はい、ドクター」

「やあ」


 出迎えたメニエル医師と声を交わす。そのまま、シャトルの物資受け取り手続きと、患者の引継ぎが行われた。女性の名はグェン・オースチン。アルカディアの看護師を務めている。低重力環境で生活することは職員の筋力にダイレクトで影響するので、定期的な交代が欠かせない。数日おきに交代シフトが組まれており、地球に降りている間は体力維持メニューをこなす。アルカディアの諸機能はほとんどAIにより自動化されているが、医療施設という性格上、人間の職員が最低一人常駐することが定められていた。


「……ユーリはFSOに夢中だよ。自分の家族だったら、ちょっとブレーキをかけてやりたいほどだ」

「ええ。でも、自分の提案だったから言うわけじゃないですが、以前よりずっと明るくなったと思います、あの子」

「うむ、その点は否定できないが……」


 眉を寄せるメニエルの表情は、迷いに満ちていた。彼はゲームに熱中してリアルを軽んじる事に道徳的な罪悪感を持っている。今の時代に於いては古風と言えるかもしれないが、現実に軸足を置く限り間違ってはいない。


「……地上に降りている間に、なんとかして理事長に会って治験開始を訴えてみる。正規の手続きでないのは承知だが、今はスピードが一番だ。たとえ拙速であっても」

「はい……」


 二人の間に一時沈黙が流れた。

 エアロック上部のランプが灯り、合成音のアナウンスが流れだした。


「オリンポス、行きシャトルは、十分後、に出発します。マリオ・メニエル、さまは、速やかに登場してください」


 メニエルは吐息を一つつき、椅子から立ち上がった。アタッシュケースを手にとり搭乗口へ向かう。


「では頼むよ」

「はい。……ドクター?」

「ん?」

「あまり、患者に感情移入し過ぎない方がよろしいかと。僭越ですが」

「……ああ、わかっているつもりだ。……君もな」


 その言葉を残してメニエルはエアロックをくぐっていった。

 残されたグェンは中央管制室に向かい、ユーリの部屋のカメラを起動した。ベッドの上に入院着のまま、VRギアを装着したユーリが横たわっている。……今ごろは、リズベルたちから基本の役割分担を講義されつつレベル上げだろうか。

 ディスプレイを見ながら笑みを向けていた自分に気づき、口元をなで下ろして表情を引き締める。


(私は……患者に感情移入などしない。与えられた仕事をこなすだけ……)

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