第3話 引き継ぎなき後任

「そう……例えば、フレーム問題と呼ばれるAI研究の〝宿題〟があります」

「フレーム問題? どういったお話で?」


 工場施設のような場所で、技術職っぽいエンジニアコート姿の男女と、スーツ姿の男たちが巨大な構造物を見上げていた。ビルの内部三階ほどの高さの吹き抜け部分を貫いて、直径五メートルほどの円筒状構造物がつり下がっている。その下部が五つの鱗茎をもったニンニクのような形になっており、開放メンテナンスの際には五弁の大きな花そっくりの形状にもなるので「ラフレシア」とのあだ名で呼ばれているユニットだった。人の背丈の倍ほどもある「花弁」の節々に金属パイプが通っており、全体に真っ白な霜がついている。極低温のガスか液体によって冷却されているのが察せられた。

 三十台ほどの長身の男が、スーツ姿の中心で車いすに収まる初老の男に説明口調で話している。双方、東洋人の顔立ちだが、辺りを囲むエンジニアコートとスーツ姿の集団の人種特徴は、雑多で統一性がなかった。二人の話に割りこまず聞き役に徹している。


「自律型AIを搭載したロボットを想像して下さい。様々な状況に独立して対応することを目標に作られた汎用AIです。そのロボットにある課題を与え、解決法は彼にまかせる。そういう状況を仮定しましょう。そこで問題になってくるのが、彼……AIにとって、『課題解決に必要でない要素を端的に無視するのが難しい』という事です」

「おっしゃる事がよくわからんのですが……」

「例えば私がそのロボットだったとしましょう。近所の商店にお使いに行く課題を与えられた。そして私は考え出します。この部屋から出て、商店まで向かって買い物をして、再びこの部屋に戻ってくる。その課題において……目の前のドアノブの状態は、この課題に関係するだろうか? 向かいの家の飼い犬ジョンは、この問題に関係するだろうか? 街路樹に巣を作っているカラスは、この問題に関係するだろうか?……」


 長身の男は、延々とお使いの道筋に現れる細々とした事例を列挙していく。車いすの男は呆れた調子でさえぎった。


「ちょっとちょっと、待って下さいカトー博士。何だって話を際限なく広げるんですか。課題は単に、お使いに行って帰ってくる事だけでしょう?」

「おっしゃるとおりです、ウォン会長。私たち人間は、その『課題に必要な要素だけを選び取る』事を容易にやってのけます。しかし……行動規則を明示的に表さなければならないAIにとって、それは非常な難事なんですよ。人間は〝常識〟という無意識の判断基準を持っていて、その働きで問題解決に必要と思われる『枠組みフレーム』をほぼ瞬時に設定し、それ以外の諸要素を無視できてしまう。……実の所、いつも成功するわけではなく、その直観的枠組み設定が失敗の原因になる場合もあるんですけどね。

 まあAIに話を戻します。限られた要素だけしかない狭い環境下でなら、枠組みを広く設定して要素判定を一々行っても、力任せの高速処理で何とかならないものでもない。しかし様々な要素が偶発的にからみ合う広大な世界で、そのやり方を採ることは不可能です。人工知能が直観的枠組み設定を行い、スムースな意思決定をする。それには〝無意識の常識〟暗黙知が必要なわけです」

「無意識の常識……あーなるほど、それがこのラフレシア、もとい『潜在意識演算ユニット』に繋がるわけですな?」


 車いすから身を乗り出すようにして、会長と呼ばれた男が目の前の巨大な「花弁」を指さす。全員の視線が集中した。


「その通り、ご明察です。前任の誰かから、説明されていたわけですか?」

「レノックス博士から概要だけは。……一方的にまくし立てられたと言うのが実情ですが」


 その返事に、目を伏せて苦笑を浮かべるカトー博士。旧知の名前に対してどこかよそよそしさを感じさせる笑顔だった。


「『フレーム問題』を解決し、人間と遜色ないレベルで行動・判断ができる人工知能を実現するためには、潜在意識と顕在意識の二層構造を持たせる必要があるというのが私たちの結論でした。さらに複数のAIを同一の世界環境内で活動させる場合──はっきり言えばゲーム内でAI制御のNPCノン・プレイヤー・キャラクターを複数活動させる場合ですね──それぞれ個別のAIに潜在意識を持たせると計算負荷と育成時間がかかりすぎるので、一つの巨大ニューラル・ネットワークを専用の潜在意識部分とし、共用させる事でリソースを節約する。……ラフレシアとは上手い表現ですね。あそこが専用の『潜在意識演算ユニット』です。全体の演算リソース節約のために採った方法とは言え、演算密度は相当なものになりますから、液体窒素で冷却しながら、という力わざに頼らざるを得ないわけです」

「なるほどなるほど、あそこがFSOフィフスエレメンタル・サーガ・オンラインの目玉、『新世代AI』のキモというわけですな。よくわかりました」


 男は上機嫌で何度もうなずいた後、車いすをターンさせ施設出口に向けた。あたりのスタッフ一同が、ぞろぞろと彼につき従う。


「説明はもうよろしいので? ウォン会長」

「いや、一番の懸念というか、疑問な部分がわかりましたからな。正直私には技術的に細かい事までは理解できませんし、する必要があるとも思っていないのですが、あの、『潜在意識演算ユニット』の冷却装置、今時の演算デバイスに必要な物なのか疑っておったのですよ。サーバー稼働コストの二割にも達しているものでして」


 長身の男はノブヤ・カトーという。AI研究の分野ではちょっと知られた名前である。十数年前、某国ステファナ大学在籍中に同じ研究室の天才たちと共同開発したAI理論は、半世紀に一度のブレイクスルーと讃えられ、彼らは「ビッグファイブ」と科学ジャーナリストにもてはやされた。

 車いすの男はデービス・ウォン。FSOの運営母体、パンフィリア社の先代社長であり、六十歳を過ぎた現在は顧問的な会長職の座におさまって第一線から身をひいている。無類のゲーム好きでも知られ、「もう一つの現実を作り出す」というキャッチフレーズの元に始められたFSOの製作は、隠居の壮大な道楽とも呼ばれていた。がしかし、コスト意識は未だしっかりと持っており、製作現場にも無駄遣いは許さないと度々口を差し挟んでいる。現場からは煙たがられているが、彼の現実感覚が放漫になりがちな開発方針を引き締め、FSOをリリースまでこぎ着けたという面も否定できない。


「……計画当初の設計に関わった身ではありませんが、冷却機構にかかるコストが余分なものとは思いません。潜在意識演算を集約しなければ、つまり個別のNPC一人ひとりに独自潜在意識を与えれば、計算リソースと、特に育成時間が膨大なものになるでしょう。大まかに予想して、現状のサーバーの、五~七倍の能力が必要と思います」

「ふむ、これでまだ安上がりな方式というわけですか。何というかまあ、今だから言ってしまいますが、レノックス博士の説明は正直わかりづらいもので、何かだまされて高価な買い物をさせられているような気になってくるんですわ。あなたの説明、わかりやすくてありがたい、うん」


 上機嫌で出口に向かうウォン。取り巻きの黒スーツ連も珍しく弛緩した雰囲気だった。


「しかしまあ、あなたに来てもらえてよかった。現状、三博士が約束していた機能は実装されていると言っていいのですが、なにしろブラックボックス化している部分が多すぎまして。我々としては継続的にFSOを運営していかなければならないし、アップデートも自分たちの管理下で行いたい。原理的な部分から理解できるスタッフが、どうしても必要なのです。」

「……ええ、微力を尽くすつもりです」」


 通路の突きあたりにあるエレベーターに、ウォンとその取り巻き連は乗り込んでカトーと別れた。肩の力を抜いた彼の背に、エンジニアコート姿の開発スタッフが声をかける。


「お疲れー、ノブ。どう? 直接話してみて」

「……意外に話がわかる印象だね。融通が利くという意味だけじゃなく、理屈の方でも」

「あはは、あの人あれでプリンストンの金融工学で学位とってるし。まあ学歴ぬきにしても、遠慮はないけど無茶ぶりはしない人なんで、現場ではわりと人気あるんだよ」


 カトーと並んで開発棟に歩を向ける女性研究員。丸顔に縁の太いメガネをかけており、クセの強いブルネットを強引にまとめている。アイラ・パルミラといい、カトーの前職場──某研究所での同僚だった。


「会長もノブを気に入ったみたいだし、一安心だね。ま、ビッグファイブの三人が作ったシステムなんだから、ノブに声がかかるのは当然っちゃ当然なんだけど、なにか私が紹介したみたいな事になってるもんで」

「ビッグファイブはよしてくれって。……まあ誘ってもらって感謝しているよ。気がかりな話ばかり漏れ聞こえて来てイライラしていたんだが、一度オファーを断った身では、ね」

「ああ……そうなるか、やっぱり」


 うーんとうめきながら、アイラは髪の毛をかき上げた。クセ毛がさらに逆立っていく。


「やっぱり気になってるんだ。三博士の事」


 率直な指摘に、カトーの顔から笑みが消えた。


「……三人の行方はいまだに不明なまま?」

「残念ながら、ね。パンフィリア社としても手痛い損害だったから、トップの方から警察をせっついているはずなんだけど」


 そのまま二人、しばらく無言で歩を進める。物思わしげな口調で、アイラはカトーに語りかけた。


「ノブ、敢えて言わせてもらうけど……あなたが三人の失踪を気に掛けるのは、それは仕方ないと思うよ。大学時代の研究仲間で友人どうしだものね。でも、一人きりで警察の組織捜査以上の働きができるなんて、ノブだって思わないだろ? 冷静になって、仕事の方に集中してくれないかな? ノブのシステム解析の進みぐあいが、あたしが産休とれるかどうかの分かれ道だから。いや、マジな話」


 最後は身ぶりを交え、おどけた口調だった。カトーの顔に笑みが戻る。


「そうだったか、おめでとう。予定はいつ?」

「順調にいけばクリスマス前には。その一月前くらいには休暇に入るから、ゲーム業界のデスマーチ期に、あたしは優雅に前線を抜け出す算段なわけよ」


 顔を見合わせ笑う二人。


「引き受けた以上は、仕事に手は抜かないつもりだよ」

「おうっ、頼りにしてるわよ。じゃ、あたしはこれで」


 手を振って二人は別れた。

 振り返るカトーの目に、専用サーバーと「ラフレシア」ユニットが、旧時代の原子炉のように映った。大学時代には理論でしかなかった物が、これだけの規模で実現している事に不思議な感慨がわく。だが……それと同時に彼の胸には、別の思いがぬぐい去れぬまま燻っていた。


(ハンナ……今、どこにいるんだ……。無事でいてくれ……)

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