四十五食目 私と社長と仕事、ときどき屋台飯

 ーー八月も終わり、少し朝晩が肌寒くなってきた九月。樹は、いつもの様に業務に勤しんでいた。智里も十一月に催される学祭に向けて、遅くまで学校に篭っている。また、いつもの日常に戻ったと実感していると、岡本がやって来た。


「樹ちゃん、この企画なんだけどさぁ……。」

「あ、はい。何でしょう?」


 書類を二人で眺めていると、部屋の外から何やらバタバタと慌ただしい足音が近付いてきた。そして、勢いよく扉が開くと、大層焦った様子の田嶋が飛び込んできた。中に居た全員が、いつもの可憐な佇まいの田嶋からは想像がつかない程の慌てぶりに吃驚している。そんな中、御木本がハンカチを持って田嶋に近づいた。


「どうしたんですか、そんな息を切らして……。」

「はぁ、はぁ……、あ、す、すみません……。あ、あの、片岡さん……。」

「片岡さん?」

「か、かか、片岡さん、いらっしゃいますか……?」


 御木本が差し出したハンカチで汗を拭いながら、息絶え絶えになりながらも話す田嶋。御木本はいつの間にか出来ていた野次馬を見渡すと、そこには居ないのを確認し、直様立ち上がって樹のデスクに向かった。案の定、自身のデスクに居た樹に、御木本は早足で詰め寄った。


「あ、御木本さん。どうしたんで……。」

「田嶋さん、片岡さんの事を探してるみたいですよ。行ってあげて下さい。」

「わ、分かりましたっ。」


 御木本の気迫に押された樹は、直様椅子から立つと、走って田嶋の所へ向かった。そんな樹の後ろ姿を見送っていると、岡元が耳打ちしてきた。


「……どうしたのよ? あんな田嶋ちゃん、見た事ないよ?」

「分かりません……。でも、何か大変な事が起きる気がします。」

「大変な事って……。」


 二人は、野次馬に揉まれている樹を見送りながら、眉をひそめた。そして、樹はというと、揉みくちゃにされながらも、なんとか田嶋の所に辿り着いた。


「え、えっと、田嶋さん? 一体どうされたんですか?」

「片岡さん……。」


 息が整いつつある田嶋と視線がぶつかったと思った矢先、田嶋はフラフラとした足取りで樹に近付くと、ネクタイを思いっきり掴んで引き寄せた。いきなりの事で体勢が崩れた樹は、田嶋と鼻先が当たりそうな位の所で踏み止まった。周りを囲んでいた野次馬からは、特に男性社員から悲鳴に近い声が上がったが、二人は全く耳に入っていないのか、動じず声を潜めて話をしていた。


「ーー……え、社長室に?」

「はい、業界内ではトップクラスに値するブランドの社長がお越しになられている様で……。」

「それ、人違いじゃ……。」

「いえ、その方直々に片岡さんをご指名されています。間違いありません。」

「うーん……、営業かけた覚えも、依頼された覚えも無いんですが……。」

「兎に角、社長室へっ。急いで下さいっ。」

「は、はいぃっ!!」


 またもや気迫に押され、樹は駆け足で退室し、エレベーターに乗り込んで社長室へと向かったーー。そして、社長室内では、二人の男女が視線をぶつけていた。


「……何故、ウチの片岡を?」

「ふふっ、旅先で運命の出会いをしたから……とでも言っておきましょうか。」


 妖艶に微笑む女性に、社長は椅子の背もたれに深く背中を預けながら溜め息を吐いた。その様子に、女性は眉をひそめる事もなく、寧ろ堂々としている。


「やれやれ、貴女はいつもそうですね。学生時代から全く変わらない。神狩かがり 香澄さん。」

「あら、それは貴方もじゃなくて? 佐伯 とおる 君。」

「……はぁ、よく学校を休んでは、次に来た時の言い訳が「インスピレーションが浮かんだから休みました!!」が口癖になってましたものね。」

「だって、本当の事ですもの。お陰様で、あの時高校生社長になれましたから。」

「最初に噂で聞いた時は、ただの妄言だと思いましたよ。」

「佐伯君だって、高三の時にいきなり中退したかと思ったら、パリの一流ショコラティエの所へ単身で修行に行ってたじゃない。それこそ、妄言だと思ったわ。」

「……あの時は、私も若かったですから。」

「なら、おあいこね。」


 お互いの昔話をしながら笑っていると、ドアをノックする音が響いた。「どうぞ。」と言うと、樹がおずおずとドアを開け、顔を覗かせた。


「私にご用だとお伺いーー……。」

「あぁ、片岡君。済まないね。」

「あら、お久し振りね。ひつまぶしは美味しかったかしら?」

「あ、貴女は、カフェのっ……。」


 名古屋のカフェで偶然出会った女性と、また偶然にも再会した樹は口が塞がらなかった。先ずは礼を言わねばならないと思ってはいるが、口が金魚の様にパクパクとしか動かない。ドアの所で棒立ちしていると、神狩が動いた。流れる様に樹に近付くと、しっかりと腕を絡め取られた。いきなりの事に気が動転してしまい、距離を置こうとするが、女性のわりに力強い手が離さまいとがっちり掴んできた。


「えっ、あっ、あのっ……!?」

「ふふっ、捕まえたわー。優良物件さん。」

「ゆ、優良物件!? あ、あのっ、社長!! 一体……。」

「彼女は言い出したら止まらないからね。まぁ、痛い事はしないと思うから、応接室に行っておいで。」


 完全に社長に放ったらかし状態にされた樹は、ズルズルと神狩に引き摺られながら応接室の方へ行かされた。そんな樹達を眉をひそめながら社長は見送った。


「ーーさて、邪魔者は居なくなったわね。」

「じゃ、邪魔者……。」

「ふふっ、優良物件君。君の事はしっかり調べさせてもらったわ。」


 広い机に対面する形で座っているが、神狩からは威圧感を感じていた。終始ニコニコしてはいるが、腹の内を探る様な視線を感じる。恐縮してしまい、肩を強張らせていると、机の上に一冊の冊子が置かれた。そこには、マル秘企画と書かれていた。


「……こちらは?」

「……実はね、とある会社のPRを頼まれているんだけど、どうも私が提案したモデルでの広告じゃ納得してくれなくてね。で、負けじとやってたら、向こう側が海外のモデルと広告会社を使ってきたの。」

「は、はぁ……。」

「それに腹が立った私は、勝負するって言う事で貴方にその会社の広告を作ってもらおうと、ここに来たのよっ。片岡 樹君っ。」

「えっ……、えぇっ!?」


 いきなりの事に頭が着いて来れず、ただただ冷や汗だけが流れた。ふと置かれていた企画書の方を見ると、会社名に「ディア・グロリアス」と書かれているのが見え、それを見た瞬間、サッと血の気が引くのを感じた。何故なら、「ディア・グロリアス」は世界を股にかけている、日本屈指の大手ブライダル会社だったのだ。そんな大企業の大型プロジェクトを何故中小企業の一社員である樹にやってほしいと頼んだのかが疑問でしかない。ゴクリと生唾を飲み込み、気持ちを落ち着かせる為に深呼吸した樹は、恐る恐る口を開いた。


「あ、あの……、お言葉ですが、この様な大型プロジェクトは、私の実力では力不足かと……。」

「………。」

「ですので、この案件は、大変申し訳ございませんが、無かった事に……。」


 深々と頭を下げる。こんなにも大きな仕事を任せると言ってくれたのに、自身の実力不足を盾にして断ったので、きっと神狩は怒っているだろうと思った。下げた頭を上げる勇気が出て来ない。お叱りを受ける覚悟を決めたその時、押し殺した笑い声が聞こえた。だが、堪えきれなかったのか、神狩は吹き出す様に高笑いしだしたのだ。


「あっはははははっ!!」

「……!?」

「ひーっ、ひーっ!! そ、そんな、謝る必要なんて無いのよっ!! はーっ、可笑しいっ。」


 先程までの上品な雰囲気とは裏腹にゲラゲラと大笑いする神狩に、疑問符しか浮かばなかった。ポカンとしていたら、漸く笑いが収まってきたのか、笑い過ぎて出て来た涙を拭いだしたので、思い切って聞いてみる事にした。


「で、ですが、この様な大きな仕事を断……。」

「はふふっ、これは貴方と言う人間を見る為の試験みたいな物よ。この案件は、私が用意したフェイクよ。」


 見てごらんと、企画書の角を指差されたので見てみると、目を凝らさないと見えないくらい小さな文字で「試験用」と書かれていた。それを見て、ホッと胸を撫で下ろしたが、益々疑問が浮かんだ。


「では、何故……?」

「試験をしたかって? それは、貴方に仕事の依頼をする為よ。正確には、貴方と貴方の彼女ちゃんに、よ。」

「ち……、ま、前田さんに……?」


 どうして智里が出て来るのか疑問に思った。どう聞こうか思案していると、それを読み取ったかの様に神狩が口を開いた。


「言ったでしょ、優良物件だって。私は、貴方達にモデルとして仕事の依頼をしに来たのよ。」

「も、モデル……!?」


 何を言っているのか、樹のこんがらがった頭では整理出来なかった。否、出来る訳がなかった。自身は平々凡々なサラリーマンで、特段、顔がイケている訳でも、スタイルが良い訳でもない。智里も可愛らしいが、いきなり「モデルをしろ。」と言われた所で軽々しく承諾する筈がない。それなのに、何故そんなにも自信満々なのかが分からなかった。


「あ、あのっ、大変失礼かと思いますが、ここはーー……。」

「「ここは広告会社」でしょ? そんな事、百も承知だわ。」


 勢いよく椅子に座り、優雅に足を組んだ神狩は、企画書の表紙を破ると、なんと折り紙をしだした。いきなりの事に困惑していると、折る手を休める事なく口を開いた。


「あの時、カフェでお茶をしていた時、他社合同のブライダルフェアの宣伝案件を考えていたの。」

「……っ。」

「でもね、今回のフェアでの課題が、ウチのお抱えモデル達じゃあ出せない「初々しさ」だったのよ。で、煮詰まっていた所に現れたのが、貴方達。」


 出来上がった紙飛行機をポイッと投げると、フラフラしながらも飛んで行き、しまいには樹の胸に当たって落ちた。樹の表情を見て、神狩はニヤリと不敵に笑った。


「ふふっ、期限は未だあるけど、色々と仕上げたいから、返事は一週間以内に出してもらおうかしら。……でも、貴方達の返事は「イエス」だと思っているけどね。」

「……。」


 神狩は立ち上がると、鞄に忍ばせていたもう一冊の企画書をすれ違い様に樹の胸に叩きつけた。咄嗟に出た手に落ちる企画書には、ブライダルフェア企画と書かれていた。


「それを読んで、もし気持ちが動いたら連絡してちょうだい。……楽しみに待っているわ。」


 バタンッと閉まった扉。一人残された樹は、企画書を片手に呆然と立ちすくんでいたーー。


「ーーはぁ……。」


 結局、考えが纏まらなかった樹は、残業をしてからトボトボと家に向かって歩いていた。夜の九時を回ろうとしているので、灯が点いているのは居酒屋などなど。肉やタレの焼ける香ばしい香りが漂い、腹の虫が鳴き出すが、今日の出来事が頭から離れずモヤモヤしていて、食欲が失せている。立ち止まってネクタイを緩め、空を見上げると、都会ながらも満天の星空が見えた。ボンヤリと見上げていると、遠くの方からドーンッと大きな音が聞こえた。そして、その後から何発も同じ音が聞こえて来た。


「……あ、今日は納涼祭か。」


 河川敷の方でやっている花火大会。上京して二年目に岡元達と一緒に行ったきりだ。ビルの隙間や屋上から、ほんの少し覗く花火。智里が一緒なら行こうかと思ったが、智里に連絡した時、家に居ると言われたので祭の方には行く気になれない。それよりも、早く帰ろうと、樹は夜空に上がっているであろう花火に背を向け家路を急いだ。


「ーー……ただいま帰りました。」


 なんとか帰って来れた樹は、雪崩れ込む様に家の中に入り、玄関マットの上に座り込んだ。深く息を吐くと、パタパタと足音が聞こえた。


「あ、智里さん、ただいーー……。」

「おかえりっ、いつきちゃーんっ。」

「うわっ!? えっ!? 清君!?」


 思いっきり背中に抱き着いてきたのは、甥っ子の清一郎だった。いきなりの事にパニックになっていると、奥の方から複数の足音が聞こえてきた。


「あ、お帰りなさい、樹さん。」

「お帰り、お兄。お邪魔してるよ。」

「すみません、お義兄さん。」


 衝撃でズレた眼鏡を直していると、智里を先頭に、双葉と双葉の夫である湊人みなとが居た。どういう事なのかと頭をフル回転させて整理していると、「河川敷で納涼祭やってて、お土産買ってきた。」と双葉がナイロン袋と保温バックを掲げて言った。


「……わざわざありがとう。」

「どういたしまして。まぁ、お土産は口実で、新居に引っ越したって聞いてたから、一度は行こうと思ってたんだ。」

「そっか。じゃあ、ゆっくりしていって。」

「そうしたいのは山々なんだけど、明日みな君が朝一で大阪の方に出張だから、これから新幹線が通る駅近くのビジネスホテルに行くんだ。」

「そうなんだ……。」


 久し振りに会った妹夫婦だが、朝一に行かなければならないなら無理に引き止める訳にもいかない。樹は少し残念な気持ちになりながらも、双葉達を玄関先で見送った。


「……八時頃から来られていたんですが、妹さん夫婦は仲良しさんですね。それに、清一郎君可愛かったです。」

「えっ、あぁ、そうですね。」


 エレベーターに乗り込んだのを見送った後、2人きりになった途端、智里がはにかみながら言った言葉に、ドキッとした。ニコニコしている智里を見ていると、神狩に言われた事を思い出す。「初々しさ」をコンセプトにしたブライダルフェアの宣伝モデルを自身と智里がする。何度も企画書を読み返し、脳内シュミレートもしてみた。中には、清一郎くらいの子役の子も参加しての撮影も入っていた。だが、やはりこんな仕事を請け負うには、荷が重い。学祭が近い智里にも苦労をかけてしまう。ここは矢張り、断るべきであろう。しかし、結婚を前提に付き合っているのだから、挙式や披露宴だってする。ならば、予行演習だと思って宣伝モデルをしても、良い勉強になるかもしれない。二つの意思の間で悶々と考えていた時、ワイシャツの袖を軽く引っ張られた。


「……樹さん?」


 不安気な声に我に返った樹は、頭を振って考え事を振り払った。そして、「なんでもないですよ。」と呟くと、部屋に戻る様、智里の背中を押して促した。何か言いた気ではあったが、素直に入ってくれた智里に内心ホッとした。


「せっかく双葉達が持って来てくれたんで、屋台飯を頂きましょうか。」

「そうですね。色々買って来て下さったみたいですよ。たこ焼き、イカ焼き、唐揚げに、りんご飴やチョコバナナっ。」

「あ、スーパーボールまで。これは、清君チョイスかな。」


 買って来てくれた物を広げながら、二人して笑い合う。そして、テーブルに並べ終え、二人で手を合わせた。


「頂きます。」

「頂きます。」

「屋台飯なんて、久し振りです。どれから食べようかな……。」

「夏とか、イベントがある時位ですもんね。私は夕食を先に頂きましたので、デザート系を頂きますね。」


 それぞれ、樹はたこ焼きを智里はりんご飴を持ち、一口食べる。保温バックに入っていたたこ焼きは未だ焼きたての様に温かく、中はトロトロ、外はカリッとしており、噛み締めると出汁とタコの旨味が口に広がった。


「あっふっ、はっはっ……。ふぅ、このソース、甘辛くて美味しい……。」

「んーっ、このりんご飴、飴の甘さとりんごの酸味が凄くマッチしてるっ。学祭でも、どこかやらないかなぁ。」

「んっ、ほぅひへば、んっ。……はぁ、学祭では何をするのか、もう決めたんですか?」

「昨年は喫茶店をしたので、今年は料理系ではなく、アトラクション系になりました。」

「そうですか。それは楽しみですね。」


 色々と話しをしながら食べていると、あっという間に空になった容器が重なっていった。もうお腹がいっぱいと言った所で、智里がお茶を淹れてくると席を立った。その後ろ姿を見届けながら、樹はある決断をした。


「ーーお待たせしました。水出し緑茶です。」

「あ、ありがとうございます。」


 グラスに淹れられた、綺麗で淡い色合いの緑茶と透明な氷。グラスに触れると、しっかりと冷やされていて冷たい。樹は、それを一気に流し込むと、ダンッと力任せにグラスをテーブルに置いた。反対側に座っていた智里は、いつもと違う雰囲気の樹に目を見開いた。


「い、樹さん……? どうされました? 美味しくなかったですか?」

「……智里さん。」


 不安気な智里を他所に、樹は立ち上がると、智里の側まで行き、跪いた。その突然の行動にも驚いた智里は、どうしたものかと慌てふためいた。すると、今までこうべを垂れていた樹が真っ直ぐ智里の方を向き、智里の手を取った。いきなりの事と、その真剣な眼差しに、顔が熱くなる。


「は、はぇっ、い、樹さん!? な、何……。」

「……智里さん。」

「ひゃっ、ひゃい……!?」

「忙しいのは、百も承知です。ですが、どうか私と……。」

「っ……。」

「私とっ、モデルの仕事をしてくれませんかっ!?」

「…………は、……い?」


 チリンッと涼やかな風鈴の音が、二人の間を抜けて行ったーー。


ー本日のメニューー

・屋台飯(たこ焼き、イカ焼き、唐揚げ、フライドポテト、焼き鳥、りんご飴、綿飴、チョコバナナ)






END

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