間食 丸々太った瑞々しい夏の風物詩
「暑い……。」
未だ梅雨明けも発表されていない七月。雨上がりだからなのか、日差しも照り付けて蒸し暑い。樹は、そんな日に限って外回り。うだる様な暑さに、汗をダラダラとかきながら、なるべく日陰の方を歩いて取引先へと向かっていた。
「はぁ……、帰ったら、夕飯は冷やし中華でもしようかな……。」
きっと、智里もこの暑さに参っているだろうと思った樹は、未だ昼前だと言うのに夕飯の事を考えていた。ボンヤリと考え事をしていたその時、近くのスーパーから、年配の夫婦が出てきた。
「お父さん、大丈夫? 重たいわよ。」
「お前さんだっていっぱい持ってるのに、このぐらい平気だって。孫が明日来るんだから、大玉を買っとかないと。」
少しヨロヨロしてはいたが、二人とも大きな買い物袋をしっかりと持って歩いていた。だが、そんな仲睦まじい夫婦の様子より、その袋の中身に樹の目は完全に奪われていた。ーーその晩、暑さで顔を真っ赤にさせた智里が帰ってきた。
「はぁ、ただいま帰りましたぁ……。」
「お帰りなさい、智里さん。お風呂沸かしてますから、先に汗を流して下さい。」
「ふぁい……、ありがとうございます……。」
フラフラしながら風呂場に行く智里を見送った樹は、夕飯の支度を進めた。きゅうりと薄焼き卵を千切りに、湯がいたオクラは小口切りに、トマトはくし切りにして水で締めた中華麺の上に乗せていく。
「後は、ちょっと奮発して買ったコレを乗せて、と。」
夕飯が完成し、テーブルに運んだ時、丁度良いタイミングで智里が風呂場から出てきた。汗を流せた事で、だいぶスッキリした様子の智里は、テーブルに並べられた夕飯を見て、更に目を輝かせた。
「わぁっ、冷やし中華っ!! しかも、ウナギが乗ってるっ!!」
「夏バテ防止の為、ちょっと奮発しました。さぁ、食べましょう。」
「はいっ。」
二人でテーブルを囲み、手を合わせる。一口、野菜と一緒に麺を啜ると、酢を効かせた醤油ダレが絡んで口の中をさっぱりさせた。
「んん、薬味も効いてて美味しいっ。」
「うん、オクラのネバネバとウナギも良く合いますね。これだと、とろろやモロヘイヤも合いそう……。」
二人で談笑しながら啜っていると、あっという間に皿の中身は空っぽになった。満足そうにお腹をさする智里に、樹は嬉しくなって微笑んだ。
「よしっ、では片付けますね。」
「はい、お願いします。私は、ちょっとベランダに行っていますね。」
「分かりました。」
洗濯物でも取り入れるのかと思いながら、智里は食器を持って流しの方へ向かった。そして樹はと言うと、ベランダへ行くと、片隅で準備しておいた物を撫でた。
「ーー……あれ? 未だ戻られてない……。」
片付け終わった智里はリビングに行ったが、樹の姿が見えない。辺りを見渡したが、人影すら無い。不思議に思った智里は、未だベランダに居るのかと思い、そっちの方へ向かった。すると案の定、ベランダの片隅で樹が何かしているのが見えた。
「樹さん? 何して……。」
ガラス戸を開けると、少し涼しくなった風が吹き抜け、チリンッと鳴った。見上げてみると、物干し竿をかける所に風鈴がかかっていた。今朝までは無かった物に、智里は目を輝かせて樹の下へ歩いた。
「可愛いですねっ。実家の軒下にも、祖母がよく吊ってました。」
「今日の取引先の方が趣味で陶芸をされていて、試作品を頂いたんです。女性の方でしたので、どことなく作品も可愛らしい感じですね。」
また風が吹き、チリンチリンと風鈴が鳴った。少し遠くの方から賑やかな声が聞こえるが、それを踏まえて都会の夏を感じた。
「……樹さん。」
「はい?」
「も、もし……。」
何かを伝えようとしているのだが、言いにくそうに口をモゴモゴさせる智里に、樹は首を傾げた。智里は「あの、えっと……。」を繰り返し言いながら、ひっきりなしに両の手を組み直したり、視線を彷徨わせる。どうしたのだろうと、智里の肩に触れようとした。その瞬間ーー。
「ワンッワンワンッ。」
「えっ、あっ、ハク!?」
寝ていた筈のハクが、二人の間を割って入ってきたのだ。そして、ベランダの隅の方へ行くと、そこに置いてある物を前足で蹴り出した。それを見て、樹は忘れかけていた事を思い出し、ハクの下へと走った。
「ハッハッハッ。」
「こーら、駄目だよ。」
ハクを抱き上げ、少し撫でてやると大人しくなった。そこへ智里がやって来て、樹の背中からひょっこり覗いてみると、その先にある物を見て目を輝かせた。
「わぁっ、スイカだっ。」
水と氷が入っているタライに入った大きなスイカ。叩けば、良い音がするかもしれない。完全に釘付けになっている智里を見てクスリと笑うと、ハクを離してスイカを持ち上げた。引き上げる際、水が滴る音とカラカラと氷どうしがぶつかる音が、なんとも心地良い。
「うん、よく冷えてますね。切って食べましょうか。」
「はいっ。」
「ワンッワンッ。」
スイカの水気を拭き、キッチンへと運ぶ。まな板に乗せると、手際良く切っていった。
「ヘタを上にして縦に半分に切って、更にもう半分に切ったら、半玉と四分の一はラップをして冷蔵庫に入れておきましょう。」
「はい。」
「スイカは中心部分が一番甘いので、そこを中心に斜めに切り、更に尖った部分を中心にして切っていけば、均等な甘さで切れます。」
トントンと切られていくスイカ。シャクッシャクッと音がする度に、甘い香りが鼻腔を擽る。ハクも、待ちきれないと言った様に、尻尾をブンブン振った。
「はい、出来ました。では、ベランダで涼みながら食べましょうか。」
「はいっ。ハクちゃんも一緒に行こうね。」
「ワンッ。」
大皿と犬用の深皿にそれぞれスイカを乗せ、ベランダへと向かった。テーブルに乗せ、椅子に座ると手を合わせた。
「では、頂きます。」
「頂きますっ。」
「アオーンッ。」
一つ手に取って齧ってみると、冷たい果肉と甘い汁が口の中を満たしていく。次から次へと口に運ぶと、あっという間に一切れが無くなってしまった。次の一切れに手を伸ばしていたら、樹が塩を一振りしているのが見えた。
「お塩をかけると美味しいんですか?」
「ん? ええ、スイカの甘味をより強く感じるんです。良かったらどうぞ。」
そう言われて、皿に盛られた塩を一摘み振ってみた。実家では、祖父母がよく塩を振って食べていたのを見ていたが、自身では初めてなので少し緊張する。未知の体験に、恐る恐る一口齧った。
「んっ!?」
するとどうだろう。普通に食べても甘かったのに、塩を振った所は、更に甘さを感じた。どうしてだろうと不思議に思っていると、樹がクスリと笑った。
「これは、対比効果という物です。」
「対比効果?」
「はい。対比効果には二種類あって、同時に味わうと感じる「同時対比」と、続けて食べることで感じる「経時対比」があるんですが、スイカの場合は、甘味のあるスイカと食塩を同時に味わうことで「同時対比」が起こっています。そのため甘味が強調されて、スイカのおいしさが引き立っているんです。」
「へぇ、そうなんですね。」
樹の雑学を聞きながら、また塩を振って食べる。美味しい食べ方を知った智里の手と口は止まらなかった。
「ーーふぅ、ご馳走様でした。」
「ふふっ、結局、残していた四分の一も食べてしまいましたね。」
「甘くて美味しかったので、食べ過ぎちゃいました。お塩を振っても美味しかったですし。」
冷やし中華を食べた後だったので、そんなに食べれないだろうと思っていたら、意外にも沢山食べれた。ハクの口周りについた果汁を拭いていると、お皿を乗せたお盆を持った樹がクスリと笑った。
「それは良かった。妹は、ワインビネガーをかけて食べたりしていましたよ。」
「オシャレですねっ。スイカって、結構合う調味料あるんですね。」
「また食べる時は、違う物をかけてみるのも良いですね。新しい発見が出来そうだ。」
「そうですね。」
都会の喧騒の中、二人が笑うと、また風鈴がチリンと軽い音を奏でたーー。
「(あれ? そう言えば、智里さんはあの時何を言おうとしていたんだろう?)」
今更ながら疑問に思ったが、智里がハクと戯れているのを見ていたら、聞く気が薄れてしまった樹であった。
ー本日のメニューー
・冷やし中華
・スイカ
END
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