第三章 一緒に使うお皿達

三十七食目 お久し振りのミートソースパイ(巨大)

「――……お、おぉー……。ここが、新居になるマンション……。」


 北海道から東京に帰り、樹に渡されたメモに書かれている住所へ直行した。古民家が並ぶ路地裏を通り、喫茶店の角を曲がった先にそのマンションはあった。外観は、周りに合わせる様に和モダンな木造建築だった。恐る恐る玄関を入るとキーパッドが設置されており、メモに記された番号を震える指先で押していく。そして、最後の数字を押し終えると、チャイムが鳴った。


「……はい。」

「あ、あのっ、智里ですっ。」

「お疲れ様です。入って正面にエレベーターがあるので、三階に上がって下さい。」

「わ、分かりましたっ。」


 話終えると、自動ドアが開いた。今までこんなにハイテクな建物に入った事が無かったので、一つ一つの事に肩が揺れる。智里は一つ深呼吸をすると、マンションの中へ入った。


「――あ、智里さん。こっちですよ。」


 エレベーターで三階に着くと、樹が踊り場で待っていてくれた。その屈託ない笑顔に、さっきまでの緊張が一気に緩んだ。


「お迎えに行けたら良かったんですが、荷物の受け取りがあって……。」

「い、いえっ、大丈夫でしたよ。路地裏なんて滅多に歩かないから、新鮮でした。」

「それなら良かった。では、行きましょう。」


 そう言って、樹は自然な流れで智里の手を握った。今までも手を繋いだりしたのに、智里の胸は高鳴り、顔が熱くなった。そんな智里の心境を知らない樹は、話をしながら歩いていく。握ってくれている大きな手にドキドキしつつも一歩後ろを着いて行き、適当に相槌を打っていると急に樹が立ち止まり、その背中に頭をぶつけた。


「あ、済みません。大丈夫ですか?」

「あ、あははっ。だだだ、大丈夫です……。」

「……。」


 苦笑いしながら打った所を手で押さえていると、樹が難しそうな顔をした。どうしたのかと首を傾げていると、樹の手が智里の前髪を掻き分けた。


「失礼しますね。」

「え……。」


 顔を覗き込んだと思ったら、そのまま額と額をくっつけた。あまりに大胆な行動に、頭が一瞬で沸騰した。


「(なっ、なななっ、なぁぁぁっ!?)」

「んー……、熱は無さそうですね。もしかして、疲れちゃいました?」

「はっ、はひっ、はっ……。」


 心臓が飛び出るんじゃないかと言う位、バクバクしている。上手く呼吸が出来ているかも分からない。兎に角、この近過ぎる距離間をどうにかしたく、智里は樹の胸を押した。すると、意外とすんなり離れてくれた。どうしたのかと思い見上げてみると、樹の顔こそは見えなかったが、横髪から覗く両耳が真っ赤に染まっていた。


「だ、大丈夫そうですし、部屋に入りましょうか……。」

「は、はい……。」


 しどろもどろになりながら、樹は鍵を差し込んだ。ドアノブを捻った瞬間、中からバタバタとけたたましい足音が聞こえてきた。智里は何の音なのか分からず首を傾げ、樹は苦笑いしながらドアを開けた。すると、玄関口で白い塊がちょこんと座って出迎えてくれた。


「ワンッワンッ。」

「ただいま、ハク。」

「わぁ、久しぶりだね。」

「ワォンッ。」


 嬉しそうに鳴きながら尻尾をブンブン振るハクに、二人して癒された。それから、ハクを先頭に部屋の中へと入った。柔らかい暖色系の灯りに、観葉植物。ゆったり出来そうなソファーと大きな一枚板で出来たテーブル等々。どれも、気持ちが落ち着く感じがした。


「――それにしても、大きい部屋ですね。」

「同棲すると伝えたら、二LDKの部屋を紹介してくれたんです。ハクもストレス無く過ごせるでしょうし、部屋が二つあれば、お互いの部屋を持てますから。」

「お互いの部屋?」

「はい。だって、ね、寝起きまで一緒の部屋というのは、その、休まるものも休まらないのではと……。」

「え? そんな事ないですよ? 樹さんと一緒なら、とても安心出来ます。」


 何気なく言ったつもりだった。だが、樹の顔がどんどん真っ赤に染まっていき、何か言いたげに口をパクパクさせている。どうしたのだろうと首を傾げ、自身が言った事を今一度思い返してみる。暫く考えていると、漸く自身が言った重大な事に気が付き、智里も顔を真っ赤に染め上げた。


「ごごご、ごめんなさいっ!! 私ったら、何て事を……。」

「い、いえっ、だだだ、大丈夫でしゅよっ!?」


 上ずった声に、完全に動揺しきっているのが分かる。やってしまったと頭を抱えていると、手に持っていた鞄がガサッと音を発てた。それで引き戻された智里は、樹に鞄を差し出した。


「あっ、あのっ。コレ良かったら……。」

「……え?」

「実家の祖父母からなんです。お世話になるからって……。」


 差し出された鞄を受け取り、中を見る。すると、樹の目が一気に輝き出した。直ぐにでも使いたそうにウズウズしているのが、目に見えて分かる。


「ほ、本当に良いんですか……?」

「はいっ。祖父母も樹さんの事、気に入ったって言っていましたし。」


 そう言うと、また顔を真っ赤に染めてしまった。またやってしまったと思うと同時に、何だか可笑しくなってきて、遂には吹き出してしまった。智里が笑っているのをポカンと見ていた樹だったが、つられる様に樹も笑い出した。その様子をハクが二人の足元で首を傾げながら見上げていた。


「――では、早速使わせて頂きます。」


 一頻り笑った後、樹はキッチンに立った。そして、鞄に入っていた物を取り出した。それは、大きな楕円形のパイ皿だった。意気揚々と冷蔵庫に向かうと、冷凍室を開けて既成のパイ生地シートを取り出した。


「こんな大きなのを一度は作ってみたかったんだよねぇ。」


 小さい頃に、アニメーション映画で大きなパイを石窯で焼いているのを見て、機会があれば作りたいと思っていた。だが、大きなパイ皿はなかなか手に入らないし、それを焼ける石窯やオーブンは当時家にも無かった。


「ふっふっふっ。この流しにはガスオーブンが搭載されているから、この大きさでも余裕で入るんだよなぁ。」


 値は張ったが、念願のビルトインガスオーブンを設置してもらった。オール電化の時代、電気オーブンも捨てがたかったが、後々の光熱費等を考えるとガスの方が少しでもお得になるので、ガスオーブンにしてもらった。その分、火力が強いので焼成時間は短く済むし、なにより火が通りにくい分厚い肉等でもしっかりと火が通り、ふんわりと焼き上げれる。


「先ずは、冷凍パイシートを解凍している間に、容器の準備をしよう。念の為に洗って、しっかり拭いてからバターを塗る。その次に、マッシュルーム、玉ねぎ、にんじん、セロリ、ニンニクを微塵切りにして、トマトも粗微塵切りにする。」


 トントントントンと、まな板を包丁が叩く音が響く。待っていてと言われ、ダイニングのソファで座っていた智里だったが、久しぶりに聞く心地良い音に心が踊った。


「フライパンにオリーブオイルとニンニクを入れて炒めて、オイルに香りを付けたら、玉ねぎ、にんじん、セロリを入れてよく炒める。」


 ジューッという音と共に、焼けたニンニクの香りが鼻を突いた。智里は常々思っていた。生のままだとキツく感じるニンニクだが、焼いたり揚げたりすると、どうしてお腹の虫を擽る良い香りに変身するのだろうと。音と香りを楽しみながらそんな事を考えていると、盛大にお腹が鳴った。恥ずかしくなってお腹を押さえると、お腹の音が聞こえていた様で、キッチンに居た樹がクスッと笑った。


「もう少しかかるので、良かったら部屋を散策されてみてはどうですか?」

「そ、そうしますっ。……です。」


 これ以上ここに居座っていたら、お腹が空き過ぎてどうにかなってしまいそうだったので、樹の言葉に甘える事にした。そそくさとダイニングを後にする智里の背中を見送った樹は、調理を進めた。


「智里さんの為にも、早く作ろう。野菜がしんなりしたら、ひき肉を入れ色が付くまで炒める。……そして、トマト、赤ワイン、塩、ブラックペッパー、ナツメグを加え、全体をよく混ぜたら蓋をして中火で10分煮詰めるっと。あ、パイ生地解凍出来たかな?」


 煮詰めている間に、パイ生地を確認する。袋を破って生地に触れると柔らかくなっていたので、まな板に打粉を振って、その上でパイ生地を伸ばしてパイ皿に乗せた。


「うんうん。良い感じ……だけど、結構大きいな。生地が少し足りないや。」


 未だ上に被せる分の生地も必要なので、底だけに沢山使う事が出来ない。だが、よくよく考えてみたらアップルパイとかと違って、どちらかと言うとポットパイの様な感じなので、型になる物から取り外す必要が無い。なら、このままでも大丈夫な筈。樹はそう結論付け、被せる生地を三センチ幅の長方形に切っていった。


「時間まで、少し時間があるな……。あ、そうだっ。最後に付けるアレを取って来よう。」


 火加減を少し調節し、キッチンから離れた。と、その時、入れ違いになる様に智里が帰ってきた。


「ひ、広かった……。軽く迷子になりそうだったよ……。って、あれ? 樹さん……居ない?」


 散々歩き回った智里は、何とか元居たダイニングに戻って来れた。だが、その先のキッチンに立っていた樹は居らず、代わりにダイニングに充満しているトマトの存在感溢れる香りに、足が自然とキッチンに向かった。


「あ、早速お皿使ってくれてる。……これはミートソース、かな? と言う事は、ミートパイかな。ふぁ……、美味しそうな香り……。」


 クンクンと鼻を鳴らしていると、お腹がまたグーッと鳴った。恥ずかしくなって、お腹を押さえたが鳴り止まない。どうしようと右往左往していたら、何かを取りに行っていた樹が戻ってきた。


「おや、探索は終わりましたか?」

「は、はいっ。広くて、どのお部屋も素敵でした。あれ? それって……。」

「あぁ、鉢植えで育ててたバジルです。アパートでもやった事あったんですが、ちょっと日当たりとかの関係か上手く育たなくて。リベンジで育ててみたら、しっかり根付いてくれました。」


 見せてもらったのは、瑞々しいバジルの葉だった。ピザやパスタの上に飾りとして置かれているのはちょくちょく見ているが、摘みたての新鮮さがあるバジルを見たのは初めてだった。樹の手の平にちょこんと乗っているバジルを食い入る様に見ていると、樹が智里の手を取って、そこにバジルを乗せた。


「あ、あの……。」

「焼きあがってから乗せるので、それまで持っていて下さい。そうして下さると、私も有難いですし……。」


 そう言って、樹はキッチンの方へと行ってしまった。食い入る様に見てたから、鬱陶しかったのだろうかと思いながら、バジルを見詰める。だが、実際には違っていた。当の樹はというと、オーブンを二〇〇度に予熱する様に設定した後、一心不乱にミートソースをかき混ぜていた。生き生きとした瞳でバジルを見詰める智里が可愛らし過ぎて、頭の中では爆発寸前だった。


「よ、よしっ。ソースは完成したから、これを皿に移して……。」


 煮詰まり、トロトロになったミートソースをパイ皿に移す。フライパンで煮込んでいる時はそこそこ量があったので溢れるかと思っていたが、しっかりと煮詰まったお陰で水分量が減り、パイ生地の高さ位でミートソースが終わった。


「この上にとろけるチーズを乗せて、切っておいたパイ生地を格子状に編み込みながら並べて、端をフォークで押さえる。そして、こんがりとした焼き目を付ける為に、溶き卵を刷毛(はけ)でまんべんなく塗っていく。」


 塗り終わった時、オーブンから予熱完了の音楽が流れた。パイ皿を持ち上げ、オーブンへと投入した。


「普通のオーブンなら三〇分は焼かないといけないんだけど……。うーん、焼き時間の目安が載ってないな……。」


 説明書を見ながら時間を合わせるが、パイだと何分の焼成なのかが載っていなかった。取り敢えず、ガスオーブンの強みは火力なので、三〇分はいらないと予想する。


「……と、すると、半分の十五分ってところかな。まあ、様子を見ながら焼いていこう。」


 憶測で半分の時間である十五分で設定し、スタートボタンを押した。これで後は待つだけになった。よっこらしょと足を伸ばすと、足元にハクがすり寄りお座りをしてきた。そして、「おやつを頂戴っ!!」と言わんばかりに尻尾を振り、その口から涎を垂らしていた。樹は手を洗い、オイル等を置いている棚に一緒に置いている密閉容器から無添加クッキーを取り出し、ハクの目の前に差し出した。近付こうとするハクの前に空いている手を出し、待てをさせる。


「……。」

「……。」

「よしっ、どうぞ。」


 その言葉を聞いた瞬間、ハクは勢いよくクッキーに飛びついた。ボリボリ食べるハクの頭を撫でていると、スッと影が差した。見上げてみると、智里がキラキラした目で樹をハクを見下ろしていた。


「ど、どうしました……?」

「いえっ、アパートに居た時からですけど、順位付けが上手ですね。」

「順位……あぁ、躾の事ですか? 実は母方の祖父母が犬を飼ってた時期があって、その時の犬に私、凄くナメられちゃって……。で、祖父にその事を話したら「自分が犬より上の立場なのを教えないと、一生ナメられるぞ。」て言われまして。なので、ハクにはガッツリ躾をしました。」

「なる程。お祖父様は、犬の事ちゃんと分かっていたんですね。」

「……と言いますか、祖父のいかつさに犬の方が畏縮いしゅくしてしまって、そのまま……て感じですね。」


 苦笑いをする樹に、未だ見ぬ樹の祖父を世紀末覇者的な感じの人だと想像した智里だった。洗い物を二人でしていると、オーブンから良い香りが漂ってきた。濡れた手を拭き、扉越しに中を覗いてみる。暖色系のライトに照らされているので、焼き目はハッキリと分からないが上手く焼けているのは分かる。そして、チンッと鳴り、二人で顔を見合わせた。


「では、オープンッ!!」


 扉を開けると同時に、ブワッと熱気と共にミートソースの香りが広がった。ミトンをはめた手が、大きなパイ皿を取り出す。


「はわわわわっ……。綺麗な焼き目っ……。」

「うん、良い感じに焼けましたね。では、カウンターで食べましょうか。」

「はいっ。」

「……あ、忘れる所だった。智里さん、先程渡したバジルを。」


 そう言われ、智里は上着のポケットを探りバジルを取り出して樹に渡した。受け取った樹は、そのバジルをパイの上に置いた。ただ置いただけなのに、茶色に緑が入る事でどこか鮮やかさを感じる。ワクワクしながらカウンターに鍋敷きを敷いている智里に、樹は微笑みながらそこにパイ皿を置いた。


「んんーっ、良い香り……。」

「では、頂きましょうか。」


 深皿とスプーンをカウンターの引き出しから取り出し、並べていく。そして、キッチンから包丁を持ってくると、パイに刺し込んだ。包丁を動かす度にパイのザクッザクッと押し潰される音が、耳を擽る。切り終えた所に大きいスプーンを入れ、まるでスコップで掘り起こす様に持ち上げた。切り口から伸びる溶けたチーズが、なんとも魅惑的だ。ジッと見詰める智里の口端から、涎が少し垂れている。そして、二人分の深皿にパイが乗り、それぞれの前に置かれた。


「では……。」

「「いただきますっ。」」


 手を合わせ、パイ生地をスプーンで崩しながらミートソースとチーズと絡めていく。そして一口分を掬うと、息を何度か吹きかけて冷まし、思いっきり頬張った。


「んっ、あっふ……。」

「うん、サクサクのパイ生地に、トロトロのチーズと濃厚ミートソース……。はぁーっ、美味いっ。」

「ワンッワンワンッ!!」


 舌鼓を打っていると、足元をチョロチョロしていたハクが「僕にも頂戴っ!!」と言わんばかりに鳴いてきた。だが、このミートソースは濃いめの味付けな上に玉ねぎが入っている。どうしようかと悩んでいると、智里が思い出した様に席を立った。そして、ソファーに置いていた鞄の所まで行き、なにやらゴソゴソと探している。暫くして帰って来た智里の手の中には、大きめのタッパーが握られていた。


「すみません、ハクちゃんのお皿ってどこでしょう?」

「え? ハクのお皿でしたら、キッチン横の収納スペースに置いていますが……。」

「キッチン横ですね。分かりましたっ。」


 小走りでキッチンの方へと行く智里の背中を樹とハクは首を傾げながら見送る。暫くして、智里がハクのお皿を持って帰って来た。


「はい、どうぞ。」


 ハクの目の前に置かれたお皿の中身を見て、樹は目を見開いた。そこにはウェットフードが入っていたのだが、たまに買うペットショップのウェットフードとはまた違う感じだった。


「智里さん、このフードは?」

「あ、これはですね、私が研修生時代にお世話になった動物病院が出しているウェットフードなんです。完全無添加、獣医師監修の下作られた物で、この間帰った時に寄ったらくれたんです。」

「へぇ、凄いですね。ハク、食べてごらん。」


 樹がそう言うと、ハクは待ってましたと言わんばかりにお皿にガッついた。余程美味しかったのか、食べ終わるまでずっとお皿に顔を突っ込んだままで居た。更に、食べ終わったかと思ったら、お皿をペロペロと舐め出した。


「そんなに美味しかった?」

「アウンッ!!」

「ふふっ、良かった。」


 智里の問い掛けに元気良く応えたハク。そんな一人と一匹を樹は、微笑ましく見ていた。


「――さぁ、冷めきってしまう前に食べましょう。」

「あっ、そうですねっ。」


 少し冷めたミートパイを二人で分けながら完食した。


「「ご馳走様でした。」」

「ワンッワンッ。」


―本日のメニュー―

・ミートパイ






END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る