四十四食目 写真家と向日葵とひつまぶし(前)

 ――次の日、ホテルのビュッフェで朝食を終えた二人はチェックアウトを済ませ、ハクを連れて名古屋駅へ向かった。


「ふふっ、楽しみです。」

「そうですね。私も楽しみです。」


 当初から予定していたヒマワリ畑を拝めるので、智里は朝からとてもテンションが上がっている。そんな智里を見ている樹もまた、テンションが跳ね上がっていた。駅のコインロッカーに大きな荷物を預け、また大通りに戻ってきた。


「先ずは、あの大名古屋ビルヂングの五階へ行きましょうか。」

「ショッピングモールですか?」

「はい。行ってみたら分かりますよ。」


 疑問符を浮かべながら、智里は樹の後を追ってビルに入った。そこは商業施設で、カフェやレストラン、アパレルショップも充実していた。初めて入るので、見える店全部が目新しく、ついつい入りたい衝動に駆られたが、時間が限られているので泣く泣くエレベーターに乗った。


「初めて入る場所って、やっぱり新鮮で良いですね。」

「そうですね。あ、着きますよ。」


 偶然にも誰も乗って来なかったので、あっという間に五階に着いた。エレベーターの扉が開くと、眩しい位の黄色が目の前に飛び込んできた。五階のホールは全面ガラス張りになっており、中庭が直ぐに見える様になっていた。そして、その中庭には満開のヒマワリが咲き誇っていたのだ。智里が呆気に取られて立ち尽くしていると、樹が背中を優しく押して出る様に促してくれた。エレベーターから降り、一歩、また一歩と中庭に近付くに連れて、胸の高鳴りが激しくなっていく。


「す、ごい、ですね……。」

「素晴らしいですね……。」


 北海道のヒマワリ畑も、広大な敷地を埋め尽くす程凄いが、都会の、しかもビルの一角に、ここまで立派なヒマワリが咲き誇っているのは圧巻で、二人とも言葉に詰まってしまった。ガラスにへばり付き、二人して呆然と眺めていると、後ろの方でカシャッと音がした。振り返ると、キャップを被った長身の男がカメラを構えていた。


「あ、あの……?」

「あぁ、すみません。あまりに絵になっていたので、つい……。あ、見ます?」


 意外にも気さくな感じの男は、持っていたカメラのモニターを樹達に見せてくれた。逆光から、二人の姿は影になっていてハッキリと見えないが、逆にそれが本当に一枚の絵の様な雰囲気を醸し出していた。


「素敵……。」

「ははっ、ありがとうございます。一応、駆け出しですがフォトグラファーしてます。あ、これ名刺です。」


 差し出された名刺受け取って見てみると、写真館のオーナー兼フォトグラファーと書かれていた。聞いた事がない写真館なので、名古屋を拠点に活動しているのだろうと推理した。


「どんな写真を撮られるんですか?」

「そうですねぇ……。基本的には、お子さんの行事毎の写真が多いですが、最近ではブライダル関連の写真も撮りますね。」


 そう言って、スマホの画面を見せてくれた。そこには、可愛らしい赤ちゃんの寝顔や、七五三のお祝いの写真、結婚式での花嫁と親の涙姿があった。他にも色々と見せてくれたが、どれも駆け出しとは思えない程、引き込まれていく写真ばかりだった。


「ーー……どれも素敵ですね。表情が柔らかく、自然体という感じで。」

「へへ……、ありがとうございます。」


 自身が撮った物を褒められて余程嬉しかったのか、男は照れながらカメラを一撫でした。その手つきに、本当にカメラを愛しているのが分かる。


「あ、そういえば、ここのヒマワリを見に来られたんですよね。すみません、私事わたくしごとに巻き込んでしまって……。」

「いえいえ、素敵な物も見せて頂きましたし、寧ろ良かったです。ね、樹さん。」

「はい、とても癒されました。」

「それはそれは……。な、なんだか照れますね。」


 頬を掻きながら照れ笑いすると、「それでは……。」と言って樹達に背を向けた。男がエレベーターに乗り込んだのを見届け、お互いに頭を下げて別れた。扉が閉まる音がしたので頭を上げると、不意に智里が「ふふっ……。」と笑った。


「? どうされましたか?」

「いえ、樹さんと居ると、素敵な出会いが沢山あるなぁと思いまして。」

「? そ、そうですか?」


 智里が言った事に、そんなに出会いがあったかなと疑問符を浮かべる。だが、智里が嬉しそうにしているのを見ると、「普通」だったり「偶然の出会い」だったものが、なんだか「特別な出会いだった」と思えてきた。


「じゃあ、そろそろ中庭へ行きましょうか。」

「ええ、そうですね。フォトスポットが沢山あるらしいので、あの方の写真に負けない位、良い写真を撮りましょう。」


 ーーこうして、やっと目的であるヒマワリ畑がある中庭に行った樹達は、周る場所周る場所で写真を撮った。ハクも出してあげたかったが、施設内というのもあり、写真を撮る際のみ抱っこという形で出してあげた。時折り、他の客にも撮ってもらい、周り切った時には、携帯のフォルダがヒマワリとそれに負けない二人と一匹の笑顔の写真で埋め尽くされた。


「沢山撮れましたねっ。」

「はい。親切な方にも撮って頂けたので、良かったです。」


 館内にある椅子に座りながらフォルダを見返していると、智里の方からグゥーと音がした。顔を真っ赤に染めながらお腹に手を当てる智里を見てクスッと笑うと、樹は携帯をポケットにしまった。


「おや、結構時間が経っていましたね。昨日の女性から教えて頂いたお店まで少し距離があるので、今から行きましょうか。智里さんのお腹も空いているようですし。」

「っ!! ……もう、意地悪ですっ。」

「ふふっ、さぁ行きましょう。」


 そう言って、手を差し出す樹。それに対して一瞬ポカンとした智里だったが、顔を真っ赤にさせ恥ずかしそうに、だがニヤけるのを我慢する様に頬を膨らませながら、その手を握ったーー。


「ーー……さて、着きました、が……。」

「ほ、本当に、ここですか……?」


 電車を乗り継いで来た店の前で、困惑し立ち止まる二人。ハクに至っては、キャリーの中で爆睡している。何故、店前で立ち止まっているのかというと、その店自体にあった。貰った店の名刺を今一度見てから、看板を確認する。


「やっぱり、ここで間違いないみたいです。」

「で、でもっ、どう見ても老舗旅館ですよね!?」


 古い外観ではあるが、とても大きく、更には旅行鞄を持って出入りしている人が多い。とてもじゃないが、今日東京に帰る樹達が入る場所ではない。どうしようかと名古屋の観光ガイドブックを開いていると、不意に肩を叩かれた。


「あれー? やっぱり、さっきのビルで会った方だ。」

「あ、先程のカメラマンの……。」

澤村さわむらです。こんな所で、奇遇ですね。」


 振り返ると、大名古屋ビルヂングで出会ったカメラマンが、ニコニコしながら立っていた。


「どうしたんです? 立ち止まっちゃって。」

「あ、じ、実は……。」

「あー、もしかして、隠れ写真スポット狙いですか?」

「隠れ写真スポット?」


 二人して疑問符を浮かべていると、澤村は携帯を取り出して二人に見せた。彼のSNSに投稿された物の様で、室内から撮られた大輪のヒマワリが映し出されていた。その写真は、大名古屋ビルヂングでも見せてもらった写真と同様、木造の壁がフレームの様に見え、一枚の絵画の様だった。


「今はSNSの時代ですからね。私が撮ったのをちょっと載せたら、あっという間に拡散されまして。」

「……いや、これは拡散されて当然と言いますか……。」


 その投稿だけを見ると、いいねの数やコメントの数が万単位で付いていた。鈴井が同じSNSをしているのを見せてもらった事があるが、ここまで沢山のいいねやコメントが付いているのは、見た事がなかった。


「ーー……と、言う事は、この往来はこういった写真を撮る前提と言う事ですか。」


 旅館側からすれば、客入りが良いのは喜ばしい事なのだが、写真目当てだと一時的な集客にしかならない。新規からのリピーターが増えれば良いが、その時満足してしまったら結局は平行線になってしまう。現役広告会社勤めの樹は、別に仕事の事ではないにも関わらず頭を悩ませた。だが、そんな樹とは裏腹に、澤村はニカッと白い歯を見せた。


「あぁ、多分それだけじゃないですよ。」

「え?」

「この旅館、飲食だけでも入れるんですけど、結構評判良いんですよ。食べログや、ブロガーさんからの評価も高い!!」


 今にも踊りだしそうな澤村は、流石に周りの人の注目を集めた。刺さる様な視線に居た堪れなくなった樹と智里は、今だに自身の世界に入っている澤村の口を塞いだ。


「もがもがが? (どうされたんですか?)」

「す、すみませんっ。でも、周りの視線が、その……。」

「もががが。(なるほど。)」


 周りを見て、ようやく状況を察した澤村は、樹達に親指を立てて見せた。塞いでいた手を離すと、落ち着きを取り戻した澤村が一つ咳払いをした。


「いやはや、すみませんでした……。香澄かすみさんが関わっているのでつい……。」

「香澄さん?」


 知らない人の名前を言われ疑問符を浮かべていると、その様子を見て首を傾げていた澤村が小さな声で「しまった。」と言った。バツが悪そうに頭を掻きながら、チラチラと樹達を見る。


「あー……、えっとねぇ……、香澄さんってのは、いつも大型犬を連れた、絵の如く淑女な女性でー……。」

「はぁ。」

「で、その方と、よくメールでやり取りしているんですが、「真っ白な犬を連れたカップルが行くと思うから、宜しく。」と言われまして……。」


 そこまで言われて、昨日カフェで出会った女性だと感づいた。だが、そうだとしても、何故フォトグラファーの澤村に「宜しく。」なのかが疑問だ。首を傾げていると、澤村は照れくさそうにはにかんだ。


「実はここ、私の実家なんですよ。」

「! そうだったんですね。」

「はい。じゃあ、話も纏まった所で、中に入りましょうか。良い席取ってありますので。」

「あ、ありがとうございます。」


 澤村に促されるまま、旅館の中に入る。中も暖かい暖色系のライトと、木の温もりを感じられる、雰囲気の良い内装だった。靴を脱いでいると、奥の方からパタパタと着物を着た女性が小走りでやってきた。


「あ、母さん。」

「お帰りなさい、みのるさん。この間撮ってもらった写真、お客様から好評なのよ。」

「えぇ、本当? なら良かった。」

「だから、引き伸ばしてエントランスに飾ってあるのよ。」

「もう、恥ずかしいなぁ。」

「ふふっ、フォトグラファーが何言ってるのかしら。」


 忙しくしていながらも、親子で和気あいあいと話しているのを見ていると、なんだかほっこりしてきた。だがハクが一声鳴くと、漸く気付いたのか女性が「あっ。」と小さく声を洩らした。


「し、失礼致しました。息子が帰ってくる事がなかなか無いので、嬉しくてつい……。ゴホンッ、いらっしゃいませ。ご宿泊でしょうか? それとも、お食事でしょうか?」

「あ、えっと、食事なんですが……。」

「昨日言った人達だよ。」

「あぁ、香澄さんの……。では、こちらへどうぞ。ワンちゃんも一緒で大丈夫ですよ。」


 そう言われ、女性の後ろをついて行った。周りを見ていると、所々にパネルにされた写真が飾っており、女性が「ここに飾ってある写真は、全て稔が撮った物なんです。」と説明してくれた。その都度、「止めてよ。」と澤村は言ったが、その表情はどこか嬉しそうだった。


「ーーこちらのお部屋でございます。今はお盆明けもあって少々空いておりますので、ごゆっくりお過ごし下さい。」

「っーー……。」


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