四十三食目 残暑の思い出デセール(前)

 ――ついにやってきた、智里との一泊二日の旅行当日。樹と智里、そしてハクは新幹線のホームに居た。一週間以上前から仕事終わりに何度も旅行雑誌やサイトを読み返し、予習していた樹の目は充血し、目の下は濃い隈が出来上がっていた。一方の智里は、樹との旅行が楽しみで仕方がない様子で、何度も髪の毛を弄ったり服装のチェックをしている。ハクはと言うと、キャリーの中で仰向けになって寝息を発てていた。


「――間も無く、ホームに新幹線のぞみが参ります。黄色い線の内側でお待ち下さい。」

「あっ、来ましたね。」

「ひゃっ、ひゃいっ。」


 頭がフワフワ状態の樹は、智里が話しかけただけで身体を大きく震わせた。その拍子に着替え等を入れたバッグを肩から落としてしまい、周りの視線を集めてしまった。恥ずかしさに顔を真っ赤に染めながら急いで荷物を掛け直すと、丁度新幹線がやって来た。


「さぁ、乗りましょう。」

「……ふぁい。」


 前の人に習い、樹達も中に入った。お盆明けなので乗客は多かったが、ラッシュになりそうな時間帯を避けたのもあり、なんとか予約席を取れただけ有り難かった。荷物を棚に置いて座席に座ると、漸く緊張が少しだけだが解れた気がした。


「ふぅ……。」

「ふふっ、お疲れの様ですし、着くまで寝てはどうですか?」

「そ、そうですね。そうさせていただきます……。」


 本当なら、この新幹線の旅から智里と共に楽しみたかったのだが、緊張が解けた途端に眠気が一気に襲いかかってきた。もう、目の前がボヤけてきており、瞼が重い。このままでは絶対に楽しめないと思った樹は、智里の申し出に甘える事にした。


「すみません、着く前に起こして下さいね……。」

「分かりました。ゆっくり寝て下さい。」


 少し言葉を交わした後、樹は眠りに就いた。コックリコックリと船を漕ぐ頭を抱き寄せると、智里は自身の肩に乗せた。起こさない様にゆっくりと眼鏡を外し、樹の癖っ毛を撫でた。


「おやすみなさい……。」


 前髪をそっと上げ、隠れていた額に唇を寄せた。樹のあどけない寝顔に頬を緩ませていると、通路を挟んだ反対側の席の若い女性客と目が合ってしまった。その人も、なんだか気まずそうに頬を染めながら目を泳がせていたので、自身が如何に大胆な行動をしていたのかを知らしめていた。それを自覚した智里は、咄嗟に旅行雑誌を取り出し適当なページを捲って覗き込む形で顔を隠したが、余計に恥ずかしくなり、発車してから暫くの間、耳まで真っ赤になっていた――。


「――……間も無く、名古屋、名古屋でございます。お降りのお客様は――。」

「――……んっ? えっ? 名古屋!?」


 いつの間にか一緒になって眠ってしまっていた智里は、車内アナウンスで目が覚めた。電光掲示板を見ると、「次の停車駅は名古屋」と流れていた。しまったと思い、今度は隣を見ると、膝の上に乗せていたハクが入ったキャリーを樹が抱えて座っていた。その目はパッチリと開いており、口元を手で覆いながら笑いを堪えていた。


「あっ、えっと……。」

「お、おはようございます……。ふふっ。」

「おは、おはよう、ございます……。」


 まさか先に起きているだなんて知らずに、慌てふためている様を静かに傍観されているとは思いもよらなかった。意地悪だと思いながら席に座り直した智里は、顔を真っ赤に染めながらチラッと樹を見上げた。しっかりと寝れた様で、目の下の隈はまだあるが上機嫌の様だった。


「さて、荷物を持って降りる準備をしましょうか。」

「はいっ。」


 棚からバッグを下ろし、昇降口へと向かったら、もう既に何人か立って待っていたので、通路で待つ事にした。寝息を発てながらまだ寝ているハクを見て二人で笑っていると、新幹線の速度が落ちてきた。


「着きましたね。」

「はいっ。着きましたっ、名古屋っ。」


 車内アナウンスと共に昇降口の扉が開き、次々に流れる様に降りていく。樹達もはぐれない様に、その波に乗りながら降りる。そして、他の人の邪魔にならない所まで行って、空を見上げた。だいぶ日が昇り、残暑の暑さが身に染みる。だが、そよそよと流れてくる風が気持ち良い。日の暑さと風の気持ち良さを身体いっぱいに感じながら、座っていて凝り固まった身体を伸ばした。


「では、行きましょうか。」

「はいっ。」

「ワンッワンッ。」


 いつの間にか起きていたハクが、元気良く鳴いた。まるで、旅行を楽しみにしている子供の様な反応に、二人はついつい笑ってしまった。


「先ずは、ホテルに行ってチェックインを済ませましょう。」

「そうですね。」


 早く歩きたいとキャリーの扉を引っ掻くハクを宥めながら、樹達はホテルへと向かった。駅を出ると、高いビル等が立ち並び、初めて名古屋に来た智里は目を見開いた。胸を高鳴らせているのが一目で分かる程、あっちこっちを見渡している。そんな様子に、樹はクスリと微笑んだ。


「ふふっ、また夜になったらここに来ましょうか。夜景も綺麗なんですよ。」

「えっ、あっ、は、はいっ。」


 落ち着くまで見ていたかったが、ハクがまた興奮した様に扉を引っ掻いてきたので、智里にまた行く事を約束し、今度こそホテルへ向かった。予約したホテルは、歩いて数分で着くペット同伴可の有名なホテルで、樹達がフロントで受付をしている時も、色々な種類の犬や猫を連れた客とすれ違った。


「では、こちらが部屋の鍵となっております。ごゆっくりお過ごし下さい。」

「ありがとうございます。じゃあ、行きましょう。」

「はいっ。」

「アオーンッ。」


 荷物を置く為、一度部屋へと向かった。入ってみると、とても広々としており、中庭に続くガラス戸を開けると、一面人口芝で覆われていた。


「わぁ、凄いですっ。」

「部屋ごとに壁で仕切られている様で、人同士のプライバシーを侵さない工夫をしているそうです。」


 平屋建てのホテルで、そこまで組数が取れないホテルではあるが、ペットにも人にもしっかりと配慮されているのが見て分かった。荷物をクローゼットの中に入れ、早速ハクを中庭に離してやると、待ってましたと言わんばかりに中庭を走り回り、置いてある遊具で遊び始めた。


「元気いっぱいですね。」

「そうですね。あっ、ハクが遊んでいるうちに、お昼ご飯を食べておきましょうか。」

「じゃあ、私はお茶を淹れますね。」


 樹は、保冷バッグから紙の箱を二つ取り出し机に置いた。それぞれ開くと、卵サンドとカツサンド、フルーツサンドが詰まっていた。お茶を淹れていた智里が机に来ると、目を輝かせた。


「わぁ、美味しそうですね。」

「フルーツサンドは初めて作ったんですが、なんとか形にはなりました。流行りの物は、なかなか難しいですね。」

「でも断面も綺麗ですし、形崩れしてないですし、初めてでこの完成度でしたら上々ですよ。」

「あ、ありがとうございます。で、では、食べましょうかっ。」

「はいっ。」


 それぞれ椅子に座り、手を合わせ「いただきます。」を言った。そして、元気に走り回るハクを眺めながら、サンドイッチを一口齧った。


「んっ、この卵サンド、辛子マヨネーズがピリッと効いてて美味しいですっ。」

「それは良かった。こっちのカツサンドも、ソースでしっとりしていますが、肉の甘みとソースの塩っ気がパンによく合いますよ。」


 空っぽだったお腹に、次から次へとサンドイッチが詰め込まれていく。お茶を啜り、喉を潤してからフルーツサンドへと手を伸ばした。一口齧ると、柔らかいパンに挟まれた甘さ控えめのしっかりとしたクリームに、果物の甘酸っぱさが口の中で広がった。


「んんっ、美味しいっ。」

「クリームに蜂蜜を使ったのは正解でした。くどくない甘さで、食べやすい。」


 フルーツサンドも早々に食べ終わり、一息吐いた頃合いに、遊び倒したハクがヘッヘッヘッと息を切らしながら帰ってきた。お椀に水を淹れ、オヤツと一緒に目の前に置くと一目散に水を舐めだした。頭を撫でてやると、嬉しそうに一声鳴いた。


「――さて、そろそろ行きましょうか。」

「はいっ。」


 息切れしていたハクも落ち着いた頃、樹はショルダーバッグを掛け、智里はミニトートバッグを持った。そして、ハクをキャリーに入れて部屋を出た。


「先ずは、名古屋城へ行きましょう。城内にはハクを連れて行けれませんが、外なら歩かせれます。」

「了解です。」


 一同は名古屋駅へ向かい、電車を乗り継いで名古屋城へと向かった。名古屋城に着くと、まだまだ夏休みなので子供連れの人達で賑わっていた。結構な人の多さに引き腰気味のハクであったが、ゆっくりと散歩をしていると段々慣れてきたのか、堂々と先頭を歩く様になった。しかし、少し歩いた所で立ち止まり、一声鳴いた。


「おや、見て下さい。武将の格好をした方が居ますよ。」

「えっ、あっ、本当!! テレビで見たのと一緒です。」


 離れた所からでも分かる位、その人だかりと中心に居る人達は目立っていた。チラッと智里の方を見ると、初めて生で見る武将隊に目を輝かせている。そこで樹は、先ず他の人に飛び付くといけないのでキャリーにハクを入れ、わずかに空いてる所に智里を引き連れ滑り込ませた。


「おうおう、おみゃーらっ。儂が誰か分かっちょーか?」

「よっ!! 天下御免の傾奇者、前田慶次っ!!」

「かっかっかっ!! よぅ分かっちょるっ!! よしっ、酒を持てぃっ!!」


 客との距離感が近く、名古屋城の案内と共に客との掛け合いが繰り広げられる。訛っていて聞き取れない部分もあったが、それなりに楽しめた。武将隊が去ると、囲っていた人達も散り散りになったので、樹はハクをキャリーから出し、また二人と一匹で城の周りを歩いた。

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