四十ニ食目 決意のフローズンパスタ
「おはようございます。」
「……お、おはようございます。」
昨夜、樹が玄関で倒れたまま寝てしまったのもあるが、自身からした事に戸惑いを隠せない智里。朝起きてキッチンへ向かうと、既に起きていた樹がワイシャツの上にエプロンを着けて朝食を作っていた。背を向けていたが、智里が来た事に気付いた樹は、普段通りに笑って挨拶をしてくれた。ぎこちない挨拶を返すと、樹は少し首を傾げたがまた調理に戻った。待っていても気持ちが落ち着かないので、洗面所へ行って顔を洗う事にした。
「――……はぁ、私の意気地なし。」
鏡を見ると、目の下に薄っすらではあるが
「あ、丁度朝ごはんが出来ましたよ。」
「ありがとうございますっ。わぁ、今日は和食なんですね。」
コトコトと置かれる皿を見る。綺麗な焼き目の鮭、茄子とオクラが入った味噌汁、トマトときゅうりと玉ねぎのサラダ。先程まで気落ちしていたのに、見た目的にも色鮮やかな朝食に思わず目を奪われ、生唾を飲み込んだ。そんな様子を樹がハクのゴハンを準備しながら見ていて、しかもクスリと微笑んだ事を智里は知らなかった――。
「では、頂きましょうか。」
「はいっ。頂きます。」
「頂きます。」
二人並んで食べ始める。ふっくらと柔らかい鮭を頬張る。パサつきも無く、塩辛さも無く食べやすい。自然とご飯に手が伸び、一口、また一口と箸が進んだ。その様子を傍らで見ていた樹は、またクスリと微笑みながら自身も味噌汁に口を付けた。
「――今日は納期が近い案件があるので、帰りはいつもより遅くなると思います。」
「分かりました。今日の夕飯は任せて下さい。」
「すみませんが、宜しくお願いします。では、行ってきます。」
朝食を食べ終えた後、玄関で樹を見送った。今日は、午後からの授業な上、バイトも休みなので、午前中はハクと一緒に過ごす。やってしまう事を頭の中で整理し、一つ息を吐くと先ず溜まった洗濯物を洗濯機に入れてスイッチを押した。部屋の窓を開けて行き換気をする。夏の朝の少し涼しい風が頬を撫でた。
「さて、洗濯が終わるまでに食器を片付けよう。」
爽やかな風を堪能していたかったが、未だやる事があるのでキッチンへと向かった。流しにある桶に浸け置きしていた食器類を洗っていく。たっぷりの泡を付けながら洗うのが、智里は好きだった。勿論、付け過ぎは
「――よしっ、片付け完了っ。」
食器を全て棚に戻し終えた所で、洗濯機のアラームが鳴った。籠に移し、ベランダに干していく。全部干し終えた時には、額に軽く汗をかいていた。腕で拭った後、続いて掃除機をかけていく。ハクはあまり毛が抜けない体質の様で、ウェットシートや粘着テープで先に掃除しなくても大丈夫なので、いつも助かっている。テキパキとリビングから各部屋に掃除機をかけていく。
「後は樹さんの部屋……。」
最後の最後まで避けていた樹の部屋。何度も掃除や用事で入った事があるにも関わらず、今になって緊張してしまう。恐る恐るドアノブを握り、ゆっくりと開けた。すると、共有スペースでは感じられない、樹の香りがフワッと香った。
「……うん、やっぱり整理整頓されてるや。」
アパートで暮らしていた時にも思ったが、智里が樹の部屋へ行く時は、とても綺麗にしていた。目の前に広がる部屋も同様に綺麗で、掃除機をかけるだけで済みそうだ。直ぐに掃除機のスイッチを入れ、カーペットを掃除する。先程まで雑念を持っていた自身が恥ずかしいと思いながらかけていると、物が少ないのも相まって、残すは机の下だけになった。すると掃除機が、異様な音を発てだした。まさかと思い直様スイッチを切って確認すると、雑誌の様な物を吸い込んでいた。
「ま、まさか……。」
嫌な予感が過ぎってしまい、冷や汗が流れる。だがしかし、樹もいい歳した男性。そういった類の雑誌の一つや二つ、持っていても可笑しな事はない。だが、智里の中ではそんな物を隠し持っていてほしくはない。悶々としながら、智里は目を固く瞑りながら思い切って雑誌を引き抜いた。
「……っ。」
恐る恐る片目を開けてみると、大きく「デートプラン」と書かれた旅行雑誌が眼前に広がった。いかがわしい雑誌じゃなくて良かったとホッと胸を撫で下ろした智里は、逆にどんな内容なのかと気になり出し、少しだけと思いながら雑誌を捲ってみた。
「あ、この旅館とか素敵。」
随分と読み漁ったのか、だいぶヨレヨレではあったが最新の情報が沢山載っていた。所々マーカーで線を引いていたり、付箋を貼ったりしている。それを見るだけで幸せな気持ちになった。
「ふふっ、樹さんったら……。」
全部読んで観たかったが、そこを我慢して掃除の続きをし、終わってから同じ場所に雑誌を戻して部屋を後にした。
「さて、掃除機も終わったし、ハクちゃんのお散歩に行こうかな。」
掃除道具をしまい、ハクのお散歩バッグを準備する。中身を確認し、足りない物を入れ、二本の魔法瓶に水と氷を入れた。自身の分には更に砂糖と塩、レモン汁を入れて経口補水液を作った。玄関の方へ行くと、待ってましたと言わんばかりに扉にへばりついて尻尾を振っているハクと目が合った。
「じゃあ、行こっか。」
「ワンッワンッ。」
リードを繋ぎ、外へ出る。日が高くなりだしたので、朝と言えど暑い。少し水を飲んでから帽子を被り、しっかりと鍵を掛けて出発した。
「――わぁ、芝生が綺麗。」
「ワンッワンッ。」
木陰を選びながら散歩していると、一面芝生が綺麗な所に出てきた。いつもの公園も良かったが、どうせなら新しく開拓してみようと携帯で予め調べておいたのだ。休憩がてらベンチに座り、ハクに水を飲ませながら目を閉じ、夏の香りを胸いっぱいに吸い込んでみる。耳には時折り吹く風に乗って、サワサワと芝生が鳴る。遠くの方で車が走る音や、子供達が遊んでいる声が聞こえた。
「ふふっ、良い穴場見つけちゃったね。」
「アオンッ。」
ゆっくりと瞼を開け、夏の空を見上げた。青空の中に真っ白な雲が所々に浮かんで流れている。ふと、家を出る前に見つけた旅行雑誌が頭に浮かんだ。そこにも、綺麗な青空と一面のヒマワリ畑が写し出されていた。以前、樹に行ってみたい所はあるか聞かれた時、ヒマワリ畑が見たいと言った。すると、あの旅行雑誌の付箋が貼られていたページには、ヒマワリ畑が見れる場所をテーマにした所が並んでいた。
「……樹さん、私が言ってた事、覚えてくれてたんだ。」
樹の心遣いに、胸が熱くなった。そして、ある決意を胸に立ち上がった――。
「――ただいま帰りました……。」
「あ、お帰りなさいっ。」
「ワンッワンッ。」
夜九時頃、ヘトヘトになった樹が帰宅した。汗をビッショリとかき、ワイシャツが汗で濡れていた。智里は樹の鞄を持ち、樹を風呂へと促し、入っている間に作っておいた夕食の準備をした。
「――……ふぅ、さっぱりした……。」
風呂で汗を流した樹は、智里が用意した無地のTシャツに膝下丈のパンツを履き、濡れた髪をタオルで拭きながらリビングにやって来た。それと同時位に、智里も出来上がった夕食を持ってきた。
「お仕事お疲れ様でした。夕食、どうぞ。」
「ありがとうございます。わぁ、トマトスパだ。」
智里が用意したのは、トマトを丸ごと冷凍して作ったフローズンパスタだ。暑い日が続いている中、汗水流して夜遅くまで仕事をした樹を思って食べやすい冷製パスタにしたのだ。樹はいそいそと椅子に座ると、手を合わせた。
「では、頂きますっ。」
「はいっ。」
フォークとスプーンを手に取り、パスタを掬い上げる。直前まで凍らせていたトマトが、キラキラと輝く。大きな口を開けた樹は、溢す事なく一口頬張った。シャリシャリした摺り下ろしトマトの食感と、パスタのツルッとした喉越しが、樹の熱った身体を冷やしてくれる。
「美味しいですっ。煮込んだトマトソースはよく食べますが、冷凍したトマトの摺り下ろしをかけたのも、さっぱりしていて美味しいです。」
「ふふっ、私の母がよく作ってくれていたんです。夏はどうしても食が落ちがちなので、トマトを冷凍して皮を剥いて料理に使っていました。なんでも、冷凍すると旨味成分がアップするとか。」
「なるほど。確かに、ただ冷やすだけよりも美味しく感じます。」
そう言うやいなや、次から次へとフォークを進める樹。山盛りに盛っていたパスタは、あっという間に空っぽになってしまった。満足そうに頬を緩める樹に、智里は微笑んだ。暫く眺めていたが、大事な事を思い出した智里は、背中に挟んでいた物を取り出した。
「……あの、樹さん。」
「んっ、何でしょう?」
智里は取り出した一枚の用紙を机に置き、樹の前に滑らせた。ズレた眼鏡を掛け直した樹は、用紙に目を落とすと内容に目を見開いた。
「ち、智里さん、コレ……。」
「……。」
ワナワナと震える樹に、智里は無言で頷いた。その顔は、ほんのり赤く色付いている。震える両手で用紙を持ち上げ凝視した。
「私……お盆明けに三日間、バイトお休み頂けたので、一緒に旅行に行きませんか!?」
翌日、樹は幸せオーラを纏わせながら出社し、お盆明けの有給休暇申請を提出。そして見事受理された。だが、その浮き足だった様子に、同僚達からは「絶対に彼女さんとの旅行だ。」と勘づかれていたとか――。
―本日のメニュー―
【朝】
・ご飯
・焼き鮭
・茄子とオクラの味噌汁
・トマトときゅうりと玉ねぎのサラダ
【夜】
・丸ごとトマトのフローズンパスタ
END
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