四十一食目 Aの予感

※いつも、「冴えないサラリーマンの、冴える手料理」を読んで頂き、ありがとうございます。九十九です。

いつもは「のほほ〜ん」「まったり」たまに「シリアス」な展開なのですが、今回は短いですが「エロス」表現が有りますので、注意喚起させて頂きます。

ご理解頂けましたら、どうぞそのままスクロールお願い致します。



――――――――――――――


「――ねぇさぁ、智里はどこまで行ったの?」

「…………はい?」


 昼休み。教室で弁当を広げながら、唐突に門崎が問い掛けてきた。質問の意味がよく理解出来ず首を傾げていると、飲んでいたジュースのペットボトルをドンッと置いた。


「だーかーらーっ、ABCのどこまで行ったかって聞いてるのっ。」

「え、エービーシー?」


 益々言っている意味が分からず、疑問符ばかりが頭を飛び交う。ABCとは何なのか。店名? しかし、どこまでと言う事は、それぞれに意味がある筈。色々と思考を凝らしたが、一向に答えが出てこない。悶々としていると、門崎が大きな溜め息を漏らした。


「……まさか、ここまで恋愛に疎いとは……。」

「え? 恋愛に関する事なの?」

「この様子じゃあ、Aにさえ到達出来てなさそうね。」

「あ、あのさぁ、そのAって何? 何かの略称?」


 そう言うと、門崎はニヤッと口角を上げてきた。何だか嫌な予感がした智里は、おにぎりを持つと一気に口へと押し込み、口元を両手で塞いだ。しかし、門崎には関係ない様で、唇がある所ら辺を人差し指で小突いた。


「Aはねぇ、キスの意味よ。」

「む、むごっ……!?」


 口に含んでいたおにぎりを吹き出しかけた。急いで手元に置いていた魔法瓶のお茶を飲み、おにぎりを流し込む。ゼーハーと肩で息をしながら目の前にいる門崎を見上げると、何故か呆れた顔をされた。


「んー、同棲までしてるんだし、その位行ってても良いと思うんだけどなぁ。」

「べ、別に、一緒の部屋に居るからって、そんな……。」


 自身で言って思い返してみた。勢いで頬にキスしたりはした事はあるが、それも数える程度。家でキスはした事がない。ソファーでくっついてテレビを見たりもするが、それ以上は発展しないのが現状だ。二人して鈍感なのもあるかもしれないが、これでは友達以上、恋人未満レベルだ。黙り込んでしまった智里をジュースを飲みながら見ていた門崎は、この二人の恋路はハードルが高いなと思った。すると、今まで黙っていた智里が呟いた。


「……じゃ、じゃあさ、どんな雰囲気なら、その……、き、キスする感じになる、かな……?」


 絞り出す様に呟く智里の目には涙が溜まっていた。頬や耳も赤く染まっている。初過ぎる反応に、門崎の胸がときめいた。それと同時に、早く関係を進めて欲しいという欲求も生まれた。


「ふふっ、この乙女ゲー覇者の静さんがアドバイスしてあげるわっ。覚悟しときなさいよ。」

「う、うんっ……。て、覚悟……?」

「脳内爆発するかもね。」


 こうして、放課後から特別レッスンを開始する事が決まってしまった智里であった――。そして場所は変わり、樹が勤めている会社でも同じ様な質問責めがあった。


「――なぁ片岡ぁ。」

「……なんですか?」

「お前さぁ、前田さんと同棲してんだろ?」

「…………でしたら、何か?」


 藪から棒に言い出す鈴井に、怪訝そうな表情を露骨にしてしまう。色恋沙汰には敏感な鈴井の事なので、また変な事を言い出すんじゃないかと直感で察したからだ。嫌な予感がした樹は一瞬だけ鈴井を見た後、直ぐに目の前の書類に目を移した。


「どの位進んだの?」

「はい?」


 進んだとは一体何の事なのか、さっぱり分からなかった。書類から目を離し鈴井を見ると、あからさまにニヤニヤしていた。見るんじゃなかったと後悔したが、時既に遅し。椅子を素早く動かし間合いを詰めた鈴井に首元に腕を回され、耳元で囁かれた。


「お前、年頃の男女が一つ屋根の下で一緒の部屋に住んでんだぞ?」

「……はぁ。」

「そんなの、AもBも行くだろ?」

「エー? ビー?」


 言っている意味が分からず、首を捻る。すると、それを見た鈴井は残念そうに眉を顰め、大きな溜め息を吐いた。


「あのなぁ、お前、前田さんの事どう思ってんの?」

「えっ!? そ、それは、大事な人……だと……。」


 そう、智里の家族の前でも宣言し、婚約指輪も渡した。それに、今までプレゼントしあった物も、二人してずっと付けている。


「そんなに大事に思ってるなら、チューしたいとか思うだろ。」

「ち、ちちち、チューっ!?」


 耳元でいきなりキスの話をされ、思わず大きな声を出してしまった。鈴井が口を塞いでくれたが、周りに居た人には聞こえていた様で、ジロジロと二人を見ている。幸いにも昼休みの時間でもあるので、人が疎【まば】らだったのが救いだ。二人でペコペコ謝り、今一度、向かい合った。


「で? どうなのよ。」

「そ、それは、確かに、き、きき、キスしたいとか、思いますけど……。」

「何か枷でもあんの?」


 枷。そう言われて胸がドクンッと波打った。智里はとても良い子だが、それを付け込まれて昔よくない事があったと、兄である智樹から聞かされている。それに、アパートで暮らしていた時には二人で撃退したがストーカー被害にもあっている。そんな辛い過去がある智里に、安易と手を出せれるはずが無い。鈴井と向かい合っていた樹の視線が泳ぎだし、終いには持っていた書類に戻ってしまった。


「……。」

「……うーん、これは難攻不落だな。」

「……。」

「まぁ、ゆっくり解していくしかねぇな。」


 黙り込んだままの樹の心情を悟ったのか、鈴井はグイグイ攻め込む事もなく席を戻して足早に昼休憩に行ってしまった。残された樹は、モヤモヤした気持ちを吐き出せず、持っていた書類の束に皺が入る程握り締めていた――。


「――…………ただいま帰りました……。」


 定時で上がれた樹は、モヤモヤしたままなんとかマンションの自室へと帰った。鍵を開けると電気が点いていなかったので、智里は今日はアルバイトなんだと思い、上着とネクタイ、鞄をソファーへ投げ出し、そのまま寝室へと向かいベッドに身を任せた。


「……。」


 昼頃から色々と考え過ぎて疲れた樹は、左薬指に嵌っている婚約指輪を眺めながらゆっくりと目を閉じた。そして、次に目を開けると、そこはいつもの部屋ではなく、一面ヒマワリの黄色に染まった

花畑だった。


「……ここ……。」


 見覚えがあった。智里と旅行雑誌を見て「いつか行けたら良いですね。」と言った愛知県にあるヒマワリ畑。撮影スポットが幾つもあり、長い期間ヒマワリが楽しめるらしい。


「……――いっ。おーいっ。樹さーんっ。」

「?」


 ボンヤリとヒマワリ畑を見ていると、遠くの方から樹を呼ぶ声がした。振り返ってみると、白の半袖ブラウスに白のロングスカートを履いた智里が大きく手を振っていた。日差しに負けない位、眩しい笑顔を向ける智里に樹も手を振り返し、智里の方へと歩み寄った。


「樹さんっ。」

「……っ。」


 側まで行くと、智里が思いっきり抱き付いてきた。突然の事に驚いた樹だったが、もつれそうになった足でなんとか踏ん張り、体勢を立て直してから抱き締め返した。柔らかく、華奢な智里の身体を身体全体で感じる。髪を撫でてみると、パーマのかかった髪がサラサラと指の間で流れていく。こうしているだけで、幸せな気持ちになった。すると、智里が徐【おもむろ】に顔を上げた。


「……樹さん。」

「あっ、な、何でしょう?」


 妙に熱っぽい表情で見上げてくる智里に、胸が熱くなった。ドキドキしながら智里の言葉を待っていると、智里の両手が頭に周り、思いっきり引かれた。そして、唇に温かい感触が伝わった。いきなりの事で思考が停止してしまったが、間違いなくキスされている。しかも唇同士で。逃れようと智里の肩を掴んだが、智里の方が圧倒的に力強く、寧ろ更に力を込めて押さえ付けられた。


「んっ、んんっ、んむっ。」

「んっ、ふっう……。」


 初めての唇同士のキスに呼吸の仕方が分からず、息苦しくなってきた。だが、この熱い愛情表現に身体中が昂ったのも事実。しかし、樹は理性を保ちつつ智里の背中を軽く叩き、息苦しいのを伝えた。すると、名残惜しそうに離れてくれた。一歩下がって見詰めると、お互い顔を真っ赤にさせながら肩で息をした。


「はぁ……はぁ……、ち、智里、さん……?」

「……。」


 上がっていた息が整いだした頃合いに、黙り込んでいた智里がまた胸へと飛び込んできた。しかし、今度は上手く踏み止まれず、そのまま二人して花畑へともつれ込んでしまった。その弾みで頭を軽く打ってしまった様で、後頭部に痛みが走った。


「いって……。智里さん、大丈――……。」


 頭を摩りながら、胸の上に居るであろう智里に声を掛けた。だが、見た瞬間に声が詰まった。何故なら、今さっきまで日差しが照り付けていたのに、一瞬にして夜になり満月が浮かんでいたのだ。しかも、樹の上に居る智里はブラウスが何故か肌蹴ており、先程よりも更に熱っぽい視線を樹に送っていた。


「あっ、ああっ、ちさっと、さっ……!? ななな、何して……!?」

「樹さん……。私……。」

「ちょっ!?」


 近付いてくる智里に慌てふためく。肌蹴た所から、綺麗なデコルテや胸元が見える。見ない様にと顔全体を両手で覆ったが、スルスルと蛇の様に樹の上半身に手を滑らされ、全身の血が沸騰する。男の性【さが】が、「智里を触れ。」と騒ぎ出し、手が自然と顔から離れ智里に向かった。――だが、同時に「こんな事、智里がする訳がない。」と頭の片隅で理性が過った。樹は唇を噛み締めると、智里に触れようとしていた手を止め、その手を固く握り締めて自身の右頬に勢いよくめり込ませた。


「ぐふっ……!!」


 結構な力で殴ったので、目がチカチカした。何度か瞬きしていると、視界が晴れてきた。するとそこは、行きたかったヒマワリ畑でななく、いつものマンションの寝室だった。


「ゆ、め……?」


 未だ痛む頬を触りながら辺りを見渡す。カーテンを開けてみると、真っ暗な中に路地裏にある店の灯りがポツポツ見える。寝室からリビングに行くと、智里は未だ帰ってきていない様で、脱ぎっぱなしの上着がソファーで寝転んでいる。さっきまでの淫らな時間が夢だったと悟り、心底ホッとした。そしてそれと同時に、会社で恋愛の事を言ってきた鈴井に対して頭を抱えた。


「……鈴井さんめ、覚えてろよ……。」


 ポツリと呟きながらソファーへと腰を下ろす。ふと時計を見ると、短針が十を指していた。さっきまで夢見心地だった頭が一瞬で冴えた。智里がバイトで遅くなる時はいつも迎えに行っていたので、樹は急いで上着を羽織り玄関へと向かった。革靴を履く手間が惜しかった樹は、サンダルを履いて出ようとした。するとその時、玄関がガチャっと開いた。


「ただいま帰りましたー……て、あれ? 樹さん、どうされたんですか?」

「あっ……。」


 ひょっこり顔を出したのは、智里だった。「お帰りなさい。」と言いたかったが、先程まで見ていた夢の所為で一気に身体中が沸騰してしまった。腰が抜けてしまった樹は玄関で座り込むと、真っ赤になっているであろう顔を見られない様に手で覆いながら俯き、煩悩と戦った。しかし、そんな樹の心情を知らない智里は、いきなり座り込んだ樹が体調を崩したんだと思い、手に持った紙袋を置いて膝を着いた。


「大丈夫ですか?」

「だ、だいじょ……っ!!」


 心配してくれているのは有り難いが、樹の視線の先には、片膝を着いた状態なのでフレアスカートの裾から健康的に程良く筋肉が付いた智里の足が見え隠れしている。完全に頭がショートしてしまった樹は、そのまま目を回し、鼻血を垂れ流しながら後ろに倒れてしまった。


「えっ!? ど、どうしたんですか!?」

「う、うぅ……。」

「鼻血まで……。熱中症? それとも逆上せた? と、取り敢えず、寝室に運ばないと……!!」


 急いで靴を脱ぎ、樹の背中と膝裏に腕を伸ばして抱き抱えた智里は、自身の服が鼻血で汚れるのも厭【いと】わず樹の顔を胸元に寄せた。そして、大股で寝室まで運ぶと、気を失っている樹をベッドにゆっくりと寝かせ、サイドテーブルに置いてあるティッシュを取り、未だ流れている鼻血を拭いた。


「……。」


 ある程度拭いた所で手を止め、荒かった息が落ち着きだしている樹を見下げた。癖っ毛の前髪を後ろに撫で付け、額を撫でる。そして、頬に手を滑らせる。毎朝剃っているのを見かけているが、もう伸びているのか少しザラザラしている。少し腫れているのが気になったが、そこを避けて一頻り堪能すると、指先で唇を触った。女性の様にリップクリームをして手入れをしていないのか、カサついていた。だが、それもまた愛おしく感じている。何度か唇を弄っていると、樹が身動いた。起きたのかと思い直様離れたが、また直ぐに寝息を発てていたのでホッと一息吐いた。


「……樹さん。」


 もう一度、ベッドに座り直し、樹の頬を撫でる。ドッドッと心臓の音が、煩く鳴り響いている。こんな事をしたら、明日からどんな顔をして会えば良いのか分からない。だが、ここで一歩踏み出さなければ、門崎がみっちり教えてくれた恋愛のABCが進まない。それに、家族の前で婚約発表までしたのだ。将来的には今しようとしている事以上の事が待っている。智里は固唾【かたず】を飲み込み、顔を近付けた。


「……ん。」


 カーテンを開けたままの窓から差し込む月明かりに照らされた、重なり合った二つの影。進捗を知るのは、行動を起こした本人だけ――。


―本日のメニュー―

・なし






END

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