三十六食目 告白のバーベキュー(前)

※いつも、「冴えないサラリーマンの、冴える手料理」を読んで頂き、ありがとうございます。九十九です。

いつもは「のほほ〜ん」「まったり」たまに「シリアス」な展開なのですが、今回は短めですが「暴力」表現が有りますので、注意喚起させて頂きます。

ご理解頂けましたら、どうぞそのままスクロールお願い致します。



――――――――――――――


「好きだ、ちいちゃん。小学生の頃から、ずっと……。」


 智里の頭の中で、その言葉がゲシュタルト崩壊するのではと思う位、繰り返されていた。頬に添えられた手から伝わる熱が、妙に熱い。偶々、この席に環が来ていただけなのに。偶々、智里が接待しただけなのに。どうしてこうなったのか、全く頭の整理が出来なかった。只々、環の顔を見上げるしか出来ない。取り敢えず、どういう心境でそう言ったのかを知る為に、智里は口を開いた。


「あの、ね……。はじめちゃん、どうして――……。」

「……。」


 聞こうとした時、不意に環の親指が唇に当たった。ゆっくりと唇の感触を味わうかの様に撫でる指先が擽ったい。だが、これでは話が出来ない。そう思った智里は、顔を仰け反らせた。すると、割合すんなりと手が離れた。激しくなる動悸に、冷や汗が流れた。


「……どうしたの? 昔は、手を繋ぐのだって躊躇ってたのに。」


 小学生の頃の環は臆病な性格で、とても大人しかった。智里と仲良くなっても、手を繋いで帰ったりしたのは両手で数えれる程だった。なのに、今目の前に居る成長した環は、大胆な事ばかりしてくる。これには流石に、肝を冷やした。自身が冷静な態度を取らないと、あっという間に飲まれてしまう。


「「とうしたの?」だって? ……俺は、いつだってこうしたかった。」

「……? どういう意味?」

「……つまり――……。」


 ――環の言葉を待っていたのに、気付いたら遠くの方でお碗が転げ回っていた。何が起こったのか分からず、目を何度も開いたり閉じたりした。だけど、頭の整理が出来ない。目の前には、いつの間に移動して来たのか机に腰掛けて自身を見下げている環が居て、自身は畳の上に寝転がっている。顔の両横には環の足があった。汗をかいて濡れていた髪が乾いたのに、ドバっと吹き出てきた冷や汗でまた顔や首筋にへばりついた。


「……俺は、君と「そういう関係」になりたいって事。」

「……何、言っているの……?」


 怖い。さっきまで優しい笑顔を向けてくれていた環の、今の笑顔が悪魔の様に歪んで見える。精一杯感情を殺して気丈に向き合うが、恐怖で心臓が警告しているかの様に早鐘を打ち、身体も小刻みに震えだした。その様子を見たからか、環が舌舐めずりした。


「その目、大好きだなぁ。ねぇ知ってる? 小学校高学年になった時から、ちいちゃん色んな物、盗まれたよね。消しゴム、蛍光マーカー、ハンカチ……。」

「っ!!」


 環の一言一言が、心の奥底にしまっていたトラウマを蘇させてくる。五年生になってから、二ヶ月位に一、二度位の頻度で所持品が無くなっていた。最初は消しゴム。それから、鉛筆やペン、更には体操服まで無くなっていた時もあった。クラス内で紛失があったのは智里だけで、いつも何かを盗られるんじゃないかと怯えていた。集会で呼び掛けもあったが一向に良くならず、クラスの人全員が敵に見えてしまう位に、深く傷ついた。だが、今の環の言葉で確信した。盗まれた物を細かく知っていると言う事は、つまり――……。


「はじめちゃんが、盗ってたのね……?」

「ふふ、正解。だって、好きな子の物って気になっちゃうじゃないか。それに、今もそうだけど、怯えている目がたまらなく可愛かった……!!」


 顔を赤らめ、興奮した様に息を荒げて智里を見下げている。数分前まで、あんなに優しい笑顔を見せてくれていたのに。今の環は、完全に狂気染みていた。


「……泣いてるの?」

「……え?」


 不意に、環の無骨な指が目尻を撫でた。その指先には水滴が付いている。呆然と指先を見ていると、環が見せ付けるかの様に指に付いた水滴を舐めた。それを見て更に悪寒が走り、溜まっていた涙がこめかみに流れた。


「ふっ……、うぅ……。」

「あぁ、ごめんね。とっても綺麗だったから、つい……。ねぇ、許して?」


 許しを乞うにしては、明らかに喜んでいる声色と表情をしていた。それが怖くて、これ以上見たくなくて、智里は両手で目を隠した。だが、それが逆効果だった。指の隙間から見えた環の顔が近付いて来ていた。逃げ出したかったが、身体が思う様に動いてくれない。遂には、互いの鼻先が少し触れ、吐息が顔を撫でた。ゾワッとした感覚に、涙が止まらなくなった。


「いや……。助けて……。」

「うん。俺がその涙、止めてあげるよ。」

「たす、助け、て……、ひっ、うぅ……樹さん……。」


 咄嗟に出た樹の名前。東京に居るのだから、助けに来てくれる訳がないのは承知の上だった。だが、今の智里には樹だけが救いの手だった。すると、環の顔が遠のいた気配がした。どうしたのかと思い、目元を覆っていた手を退けると、その瞬間、左頬に衝撃が走った。


「……え?」


 訳が分からず、左頬を触ると熱と共に痛みが走った。口の中も鉄の味がする。恐る恐る見上げると、さっきまで嬉々とした表情を浮かべていた環が、冷たい視線を智里に送っていた。その氷の様に冷たい視線に、身の毛がよ立ち、全身から嫌な汗が吹き出た。


「あ……あ……っ。は、はじ、め、ちゃ……?」

「……俺以外の男の名前を口にするなんて、イケナイ子だなぁ。」

「んぅっ!!」


 顎を力任せに掴まれ、そのまま馬乗りにされた。あらがおうと環の手を掴んだが、体制が悪い為に上手く力が入らない。


「あぁ、ほら。ちいちゃんが男の名前を言うから、血が出ちゃってる……。」

「う、うぅ……。」

「俺が傷口、消毒してあげるからね。」


 また、近付いてくる環の顔。諦めたくない一心で身体を捩ったり、足をバタつかせたりしたが、鍛え上げられた環の身体はビクともしない。学校や職場で培った体力も限界が来てしまい、手の力も上手く出せなくなった智里は、もうダメだと思い環を掴んでいた手を離した。心の中で樹に「ごめんなさい、ごめんなさい……。」と謝りながら目を閉じた。その目尻から一筋の涙が流れ、畳に落ちた――。

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