三十五食目 再会のオハウ
「――ウチの子は、頭も良くって礼儀正しいんですよ。」
「――朝のランニングが日課でして、私も付き合わされているんですよ。」
「――勇敢でしてねぇ。この間も、近場で窃盗事件があったんですが、その犯人に立ち向かって行ったんですよ。」
「……そ、そうですかぁ……。」
智里の頭は、もうパンク寸前だった。ほぼ毎日の様に、「自分の子」の自慢話を聞かされて、それに笑顔で応えなければならない。表情筋も痙攣を起こしている。漸く一息吐けれる時間まで頑張った智里は、頭から煙を出しながら机に突っ伏した。そこへ、これまた疲れた様子の智樹がやって来て、同じ様に机に突っ伏した。
「おぁー……、ち、ですよー……。あははははっ。」
「……兄さん、日本語喋って……。」
疲れ果てていて上手く喋れない智樹の頭を力無く叩く。それで治ったら良いのだが、完全に頭が回ってしまっている様で、今度は自分で頭を叩きだした。疲れで壊れてしまった智樹を助けたいが、自身も身体が上手く動かせず、ただ見ているしかなかった。だがそこへ、救世主が現れた。
「お疲れ様。自家製苺のアイスフロート作ったんだけど、いるかな?」
「「いるっ!!」」
「はーい。アイスフロート二つ、ありがとうございまーす。」
ここの宿屋のオーナーである
「「いただきますっ。」」
「はい、どうぞ。」
「召し上がれーっ。」
見ているだけでも清涼感が伝わってくる。智里はストローに口を付け、智樹はスプーンを手に取りアイスを一掬いした。そして、ほぼ同じタイミングでソーダとアイスを口にした。智里の口の中では、パチパチ弾ける炭酸と甘酸っぱい苺、そして少し溶けたアイスが混じり合い、口の中をさっぱりさせてくれた。智樹の口の中では、甘さを抑えた濃厚なバニラアイスが一瞬で蕩け、乾いていた口を潤した。
「んんーっ、このアイス、バニラビーンズの香りが良いっ。卵の味を邪魔してないなっ。」
「はーっ、苺の甘さと炭酸水のパチパチ感……。身体の中からスッキリするーっ。」
「ははっ、試作品だけど、気に入ってくれて良かった。」
「私が発案者だけどねー。」
アイスとソーダを交互に食したり混ぜ合わせたりして、二人とも早々にグラスを空にした。
「そう言えば、今日で最後なんだっけ?」
「え?」
「そうなんだよ。本当、やっとだよ……。」
「??」
アイスフロートのお陰で少しは頭が働く様にはなったが、智樹と翔平の会話に着いて行けない智里は、疑問符を浮かべた。すると、それを見ていた真琴が駆け寄って、智里の背中に飛び付いた。智里と二つしか歳は離れていないが、一四〇センチ代で細身の真琴はとても軽く、勢いよく急に飛び付かれても智里はびくともしなかった。
「「お見合い」の件だよー。おばさん、言ってたんじゃないの?」
「え? あー……、忘れてたや……。」
「えーっ!? スケジュール管理は重要だよ?」
指先で頬を突かれながら、そう言われればそんな事を言っていたなぁと母の言葉を思い出した。そして同時に、この苦労が報われる時が来るんだと悟った。樹が居る東京に帰れる。そう思うと、胸が熱くなった。それを間近で見ていた真琴は、少し考えた後ニマリと笑った。
「そうそうっ!! 今日来る人の中にね、なんと東京からわざわざ来てくれる人が居るんだよーっ。」
「っ!!」
「東京」と言う単語に、肩が飛び跳ねた。もしかしたら……と、期待した。だが、場所などの情報は知らせていないので、ここへ来る可能性はゼロに近いという現実。智里は「もしかしたら」と「いや、あり得ない」の二つの思想の間で葛藤した。
「おーい、次の人が来られたぞっ。来てくれーっ。」
宿屋の外から父に呼ばれ、智里は現実に引き戻された。グラスに残っていた小さくなった氷を口にふくみ、ガリッゴリッと音を発てて噛み砕いた。そして、それを喉の奥へと押し込むと、智樹と共にお出迎えに向かった。残された翔平と真琴は、出て行く二人の背中を手を振りながら無言で見送った。二人が扉の向こう側に消えた頃合いに、二人同時に息を吐いた。
「……はーっ、よくまぁ一ヶ月も続いたよな。」
「まっ、しょうがないんじゃない? 世の中婚活パーティーブームだし。この宿屋を発見してくれたの、ちいちゃん達のおばさんとおじさんだし。」
「お陰様で、来てくれた人がネットに上げて認知度も出て来月からの泊まりの予約も結構入ってきたから僕等的には有難い事なんだけど……。結果、二人がその犠牲になっちゃってるからね……。」
先程まで机に突っ伏していた二人を思い出す。本当に疲れ切っていて、初めて会った時と比べたら痩せていた様な気もした。本来ならここまでいく筈は無かったのだが、予想外の多さに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「……早く終わっちゃえ。」
「本当にな。さぁ、食事の準備をしようか。」
グラスを片付けながら、キッチンの奥へ向かった二人は、次のお見合いに出す食事の準備にかかった――。
「――では、お庭の方へ行ってみましょう。ここのお宿は、北海道ならではの高原地帯に構えていますので、お庭は広いし綺麗なんですよ。」
「それはそれは……。是非、行きましょう。」
一通り話を座敷でした後、いつもの様に宿屋自慢の庭へと案内する智里。チラッと相手の方を見上げた。お互いの素を知る為にラフな格好を許可していたので、相手の男性は紺色ポロシャツの上にグレーの五分丈ジャケットにデニムのカーゴパンツ。今時の大人男性のカジュアルコーデだった。更に上の方を見ると、髪型に目が行った。耳上と襟足にツーブロックを軽く入れ、全体にワンカールパーマをかけてある。ビジネス社会受けの良さそうな、爽やかかつ若々しい印象を受けた。太陽の光で時折輝く小ぶりなピアスがお洒落だ。そう言えば樹も学園祭の時、普段と違う服や髪型をしてお洒落をしたら一気に印象が変わっていたなと思い出に浸っていると、相手の男性と目が合った。
「……あの、何か?」
「あ、あぁっ、いいえっ、すみません。ちょっと、知人を思い出して……。」
「はぁ、そうですか。」
素気ない返事を返され、智里は気不味くなり下を向いた。今までも、なかなか話が続かない人と出会った事があるが、何故だかこの男性は苦手な感じがしてならない。どこかで会った事があるなら、何かしらの理由で苦手意識を持ってしまっていると思うが、なにぶん、会った記憶すら無い。兎に角、何か話題を作らないとと思い、考えを巡らせていると、今度は男性の方から視線を合わせられた。
「あの……、前田 智里さん……。」
「え? は、はい、何でしょう……?」
いきなり名前を言われて身構えた。引き受けたからには、名前等の情報は相手側に知られているのは承知だが、突然言われるとビックリする。一歩後退りながら、男性を見上げた。
「あ、そっか……。小学校以来だもん。覚えてる訳ないか……。」
「小学校……?」
「そう、帯広市立第一小。俺の名前は、
通っていた小学校と名前を言われ、頭を巡らせた。そして、一人の男子生徒の顔が蘇った。目の前の男性と比べると、髪型や骨格等成長して変わった部分も有るが、面影がしっかりと残っていた。
「はじめ、ちゃん……?」
「うん、そうだよ。ちいちゃん。」
突然の小学生時代の同級生に、この様な形で再会した事に驚きを隠せなかった。あの時と同じ様に優しい笑顔を向けてくれる彼に、懐かしさを感じ、勢いよく両手を握った。
「わぁっ、懐かしいっ。元気にしてた!? 中学から別々だったし、お互い忙しくてなかなか連絡出来なかったもんねっ。わぁ、逞しくなってぇ。今何してるの?」
「今は札幌市内の農機具の製造会社に勤めてる。高校の柔道部の外部顧問もしてるから、まだまだ体力は衰えてないよ。」
「外部顧問!? 凄いっ!!」
十数年振りに再会した事も相俟って、さっきまでどうしようと悩んでいたのが嘘の様に話題が尽きる事が無かった。
「――ちいちゃんは、実家の手伝い?」
「ううん。獣医の勉強する為に、東京の大学に通ってるの。一応は免許持ってるんだけどね。」
「昔っから勉強熱心だなぁ。」
「そんな事ないよ。知識を付けるのは無駄じゃないからね。」
話をしながら広い庭を一周した頃には、二人とも汗をしっかりとかいていた。汗をハンカチで拭きながら宿屋の中へ戻って涼しい座敷へと入り、座布団に座った。すると、見計らった様に菅原兄妹がお盆を持って座敷に入ってきた。
「お疲れ様です。宜しかったら、軽食はいかがですか?」
「ウチの庭、広いですから疲れたっしょ? 身体も火照ったでしょうから、冷たいホッケのオハウをどうぞ。」
コトコトと目の前に置かれる、渋い色合いの陶器のお碗と木製のスプーン。中を覗いてみると、こんがりと焼いた上に食べ易い大きさに解されたホッケと小口切りされたキュウリ、半月切りの茄子と白胡麻がお出汁に浮いていた。冷たいので香りは少ないが、氷も浮いていて見た目からして涼しげだ。
「オハウはアイヌ民族の言葉で汁を意味しています。山菜、野菜、鳥獣肉、魚肉などを煮て、脂や塩で味付けした汁物です。 一般に実の多い汁もので、具材が魚ならチェプオハウ、肉だとカムオハウとなります。」
「今回は干物のホッケを焼いてから煮て出汁を取って、味噌で味付けしたっしょ。」
オハウの説明を一通りした後、菅原兄妹は「どうぞ、ごゆっくり。」と声を合わせて言って出て行った。残された智里と環は、互いに顔を見てから、スプーンに手を伸ばした。
「氷が溶けない内に……。」
「うん。いただきます。」
「いただきます。」
一掬いしてみると、汁の中に崩した豆腐も入っていた。フルフル震える豆腐と、しっかりと焼き色が付きながらも煮込んで柔らかくなったホッケを口にふくむ。味噌の風味と出汁、ホッケの香ばしさと喉をツルンッと通る豆腐がマッチし、火照った身体を冷やしてくれる。一口、また一口と、どんどん手が進む。
「んんーっ、おいしぃーっ。」
「……うん、美味しい。」
ガツガツ食べる智里に対し、環は時折智里を見ながら黙々と食べていた。あっという間にお碗を空にした智里は、最後の一滴を啜り終わった所でハッと気が付いた。目の前に居るのは、樹ではなく小学生時代の仲の良かった同級生。それなのにも関わらず、いつもの様にがっついて食べてしまった。一気に現実に戻された智里は、体中が熱くなった。未だ静かに食べている環を他所に、智里は勢いよく頭を下げた。
「ご、ゴメンっ……なさい……!!」
「? 何が?」
「そ、その……、美味しくて、つい……がっついて……。はしたない……。」
「……。」
チラッと環を見てみると、顎に手を当て何か考えている様だった。もしかしたら、どうフォローをして良いか悩んでいるのかもしれない。それとも、只々、がっつく女性、しかも昔の同級生に幻滅しているのかもしれない。智里の頭の中では、兎に角、智里に対してのイメージダウンな事を環が考えているのではないかという事が渦巻いていた。
「はしたない、だなんて事ないよ。寧ろ、美味しい物を美味しそうに食べてるのって素直で素敵だと思うよ。」
だが、智里の考えとは裏腹に、環は絶賛してくれた。意外な返答にポカンとしていると、さっきまで上品に食べていた環がお碗を持ってズズズッと大きな音を発ててオハウを飲み干した。
「はぁ……、美味しかった。これで、おあいこだね。」
ドンッと音を発ててお碗を机に置くと、ニコッと笑った。屈託ない笑顔に智里の胸が少し高鳴った。それに、先程言われた事に、樹と居る時と同じ様な感覚を覚える。「美味しい物を美味しそうに食べるのは素敵。」樹は、それを身を持って教えてくれた。智里も、元々食べるのは好きだが、樹と一緒に食べる様になってから益々食べる事が好きになった。それを思い出すと、無性に樹に会いたくなってしまった。
「……。」
「……。」
目の前に居る環を他所に智里が樹の事を想っていると、突然、環の大きな手が智里の頬を撫でた。完全に上の空状態だったので、ビックリして盛大に肩を揺らしてしまった。だが、環の手は智里の頬から動かない。寧ろ、労わる様に優しく撫でている。流石に恥ずかしくなってきた智里は、環の手を取り、離そうとした。
「あ、あの……。はじめちゃ……。」
「好きだ。」
「……え?」
何を言ったのか分からず、机から身を乗り出していた環の顔を見詰めた。その顔は、最初にここで会った時と変わらず硬い。だが、愛おしい物を愛でる目をしていた。自然と、環の手を握っていた手の力が抜けていく。その手を空かさず環は握り返した。
「好きなんだ、ちいちゃん。小学生の頃から、ずっと……。」
熱い眼差しと、力強く握られる手に智里の思考が停止した――。
――本日のメニュー――
・苺のアイスフロート
・ホッケのオハウ
END
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