昔話

間食 小食家の昼ご飯事情

 ――これは、樹が智里と出会うより、十数年程前のお話である。


「お、っま、ちっとは野菜と肉魚も食えよ。」

「……は?」


 昼休みで賑わう教室内。樹の目の前に居座る友人の一人である、御子柴みこしば 柚葵ゆずきが、自前の弁当に箸を付けながら言った。思わず、眉をひそめた。ちゃんと飯を食べてるのにも関わらず、「ちゃんと食え。」とは失礼だと思った。樹は、持っていたコンビニで売ってるサンドイッチを頬張り、紙パックのジュースを一口飲んだ。


「ちゃーんと、食ってんじゃんか。」

「いんや、お前のは完璧偏食だよ。コンビニのは、万人受けされる様に味付けされてっからな。ってか、入学してから毎日の様に昼飯がサンドイッチ一パックとジュースって……。おばさんに、弁当作ってもらえよ。お前ん家、食事処だろうが。」

「いやぁ、母さんは父さんと一緒に夜遅くまで店に出てるから、無理は言えないよ。」

「そういうところ、変に気遣きづかうな。」


 そう言いながら、弁当の蓋に自身のおかずを一品ずつ乗せ、樹の前に差し出した。その中の卵焼きだけを摘まむと、蓋を返した。


「お前も、ちゃんと食えよ。俺に気ぃ遣わずに。」

「……俺は、お前の将来が心配だよ。一人暮らしでもしてみろ。真っ先に、成人病とかでぶっ倒れちまうぞ。」

「そうならない様に、善処するさ。」


 また、サンドイッチを一口齧った。栄養、量。ちゃんと自身の胃袋の容量を考え、自身の好きな味付けの物を選び、野菜とかもちゃんと入っている物を買ってきているつもりではある。だが、他の人から見ると、食べ盛りである男子高校生にしては、物足りないのではないのかと思われる分量であるかもしれない。しかし、元々小食な樹からしてみれば、大きい弁当箱や小さいタッパーを沢山使って、色んなおかずを持ってきている人のを見ているだけで、お腹がいっぱいになってしまう。


「お前の彼女とか、苦労しそうだよな。こんなちょびっとしか食わないんだから、作り甲斐がねぇよ。」

「……俺に彼女が出来ると思ってんの?」

「ま、いつかは。」

「なんだよ、その根拠のない返事は。」


 事実、樹自身、自分に彼女なんて出来やしないと思っている。普通、幼稚園や小学生の時位に、子供ながらに淡い恋位するものなのだが、樹には、そんな気持ちなど全くなかった。中学生の時にバレンタインにチョコを貰った記憶はあるが、特に特別な事はなかった。そんな彼も、もう高校生。だが、共生の学校に進学したのにも関わらず、クラスの女子は「女友達」程度にしか感じない。大人っぽい年上の先輩を見て鼻の下を伸ばしてる同級生も居るが、それもない。本当に、女子に興味が湧かなかった。しみじみと思い老けっていると、既に弁当を食べ終わった御子柴が、怪訝そうな表情(かお)をして樹を見ていた。慌てて残りのサンドイッチを頬張り、ジュースで流し込む。


「――さて、昼飯も食ったし、ゲームでもするかな。」

「じゃあ俺は、図書室に行ってくるわ。」

「あー、勉強熱心ですこと。」

「もう、中間試験近いしな。お前も、勉強しろよな。」


 食べ終わったサンドイッチとジュースの空をナイロン袋に詰め、机の中からノートと買ったばかりのテキストを持って、樹は席を立った。教室を出る際に、ゴミ箱に袋を押し込んだ。


「……確かに、毎日だとコストが高いんだよなぁ。」


 顎に手を添えながら、廊下を歩く。無論、バイトをしているので、食費に関しては自分でなんとかしている。だが、やはり流行り物や遊びに使いたい年頃な樹にとっては、例え一番安くて二〇四円(税別)のサンドイッチと一一〇円(税別)のジュースを毎日買っていたら、直ぐに閑古鳥が鳴いてしまう。だからと言って、親に頼み込んで朝早くから弁当を作ってもらうのも忍びない。どうしたものかと頭を悩ませていると、いつの間にか図書室に着いていた。今考えてもしょうがないと諦めた樹は、図書室の扉を開け、空いている席に着いた。


「さてと、今日は数学……。」


 そこまで言って、言葉が詰まった。手に持っていたテキストを見ると、数学ではなく、何故か関係のない料理雑誌だったのだ。こんな本は買った覚えもないし、借りた覚えもない。何故、こんな物を持ってきているのか頭を悩ませていると、向かい側に座っていた女子生徒と目が合った。思わず、持っていた料理雑誌を背中に隠した。


「(あぁ、恥ずかしい!! まさか、女子に見られるなんて……!! ってか、なんでこんな雑誌が俺の鞄の中に入ってたんだよっ。まだ新品っぽかったし、母さんか双葉が買ったヤツか……? なんにせよ、帰ったら問い詰めてやる……!!)」


 赤面しながら、色々な考えを頭の中で巡らす。一通り考えを纏めると、樹は一つ深呼吸をし、図書室にある参考書コーナーに行こうと、机にノートを雑誌の上に置いて席を立った。暫く参考書を眺め、自分に合った物を二、三冊手に取り、机の方へ戻った。すると、自分が座っていた席の所に、先ほどまで向かい側に座っていた女子生徒が立っていた。まさか、机に置いていたノートを忘れ物だと勘違いされたのだろうか。ポリポリと頭を掻くと、思い切って女子生徒に声を掛けた。


「あー、すんません。そこ、俺が使ってた所で、別にノートを忘れてた訳じゃ……。」


 そこまで言って、また言葉が詰まった。その女子生徒が樹の声に反応して振り返ったその手に持っていたのは、樹が誤って持ってきてしまった料理雑誌だったのだ。勝手に人の物を持つだなんて気が知れないと思ったのと、もしかしたら言いふらされるのではないかと思ったのと半々だった。また、悶々としていたら、その女子生徒が雑誌をギュッと抱き締めた。その行為に、ギョッとした樹は、どうすれば良いのか分からなくなった。


「あ、あああ、あの……、そそそ、それ……!!」

「あ、ご、ごめんなさいっ!! 母の出した本だったので、つい……。」

「へ……?お、母さん……?」


 キョトンとしていると、女子生徒は抱き締めていた雑誌を樹の目の前に差し出した。そして、著者の所を指さす。そこには、「安西あんざい 満里奈まりな」と書かれていた。だが、料理に疎い樹には、この著者が誰なのか、さっぱり分からなかった。


「あ、私、安西 瑠香(るか)って言います。一年三組です。」

「俺は、片岡 樹。一年二組だから、隣のクラスでタメだね。」


 お互い自己紹介をした所で、この料理雑誌の事の話題に入った。安西の母親が料理研究家で、教育テレビの料理特集等に出ていたり、初心者でも作れる簡単な料理の本を数冊出していたりと、結構メディアに引っ張りだこだという事を話してくれた。だからと言って、料理に興味を持ったり、安西の事が気になったりしたりは、全くなかった。話の区切りがついた所で、予鈴のチャイムが室内に響いた。


「あ、私、午後一の授業、移動教室だった。」

「俺も、そろそろ戻らないと、ダチが喚きそうだ。」

「ふふっ、それじゃあまたね。お話出来て、楽しかった。」

「あー……、うん。また……?」


 「またね。」の言葉に、違和感を感じながら、図書室の前で別れた。どういう意味で言った事なのか。よく図書室に来るから、また会ったら話をしようという意味なのか。それとも、クラスが隣だから、もしかしたら会えるね、という意味なのか。安西の言葉に、樹は首を傾げながら、階段を下った。


「――おーい、樹。帰ろうぜー。」


 悶々としながら授業を受けていたら、もう放課後になっていた。離れた席に居た御子柴が、自分の荷物を持って樹の方へ来る。その声にハッと我に返った樹は、急いで荷物を纏めた。勿論、あの料理雑誌を他の教科書類の間に挟んでおく。チャックを閉め、席を立った。


「お待たせ。」

「おう。今日も寄るんだろ? マック。」

「あー……んー……。」


 廊下を歩きながら、樹は言い淀んだ。本当なら、めちゃくちゃ食べたい。昼を少しだけにしているのは、それも理由だった。放課後に、気の良い友達と一緒に寄り道して食べるジャンクフードが楽しみなのだ。だが、小食だから、昼を少な目にして胃袋に余裕を持たせ、バーガーとMサイズジュースを飲みながら喋り、ダラダラと食べる。これで、夕飯に支障が出ない作戦なのだ。だが、今日の樹は少し違った。


「……悪い、今日はパスっ!!」

「お、珍しー。なになに、遂に彼女が出来ちゃった系?」

「違ぇよっ。今日は、見たい番組が五時からなんだよ。」

「……その時間帯にしてるのなんて、ニュースばっかじゃね?」

「び、BSとかだよ。」

「ふーん。ま、良いけどね。じゃ、また今度行こうなー。そん時は、奢りで宜しく。」

「へいへい。」


 なんとか御子柴を説き伏せ、途中まで一緒に帰った。スクランブル交差点の所で別れ、見えなくなるまで見送った後、樹は家へ走った。本当は、見たいテレビ番組はない。それならば、何故急ぐのか。それは、あの料理雑誌だった。母は夕方から忙しく、なかなか聞き出す事が出来ない。双葉は塾に行くので、夕方早めに帰ってきてご飯を食べ、夜八時位まで帰って来ない。なので、急いで帰る必要があるのだ。息を切らしながら家路を急ぐ。そして、店側の玄関に着くと、息を整える間もなく引き戸を開けた。


「――はぁー……、はぁー……っ。た、ただいま……。」


 ガラガラと音を発てながら開いた戸を潜ると、温かい照明に照らされた店内のカウンターに、たった今ご飯を食べ終わった双葉と、下ごしらえをしている父と母が居た。全員が全員、樹が息を切らしている事に吃驚している。


「おかえりなさい、樹。まぁ、汗だくじゃない。」

「どうしたんだ、そんなに息を切らして……。」

「お兄が、こっちから入ってくるなんて珍しいね。」

「はぁー……、別に、良い、だろ……。」


 ヨロヨロと足元が覚束無い状態でカウンターまで行くと、椅子を引いてドカッと座った。普段から運動をあまりしていない樹にとっては、スクランブル交差点と家までの距離だけで息切れしてしまう。大きく深呼吸していると、すかさず氷の入った水とおしぼりがカウンターに置かれた。


「……ありがと。」

「ゆっくり飲みなさいね。」


 そう言われながらも、喉がカラッカラに乾いていた樹は、冷たい水を一気に飲み、おしぼりで手と顔を拭いた。隣から、「うわ、おっさんみたい。」と引き気味の声が聞こえたが、樹はそれを無視して顔を拭き続けた。汗も引き、喉も潤った所で、本題である雑誌を鞄から取り出し、カウンターに置いた。


「あら、これって……。」

「俺の鞄に紛れ込んでた。母さんか、双葉のだろ?」


 だが、二人の反応は、樹の想像していたものとは違っていた。母は首を傾げ、双葉は怪訝そうな表情をしている。「あれ?」と思った樹を他所に、雑誌を手に取ったのは父だった。


「すまん、すまん。父さんが買ってたんだけど、昨日は疲れてて、間違って樹の鞄の中に入れてしまったみたいだ。どうりで見つからない訳だ。」

「……なんか、意外だね。父さんが料理雑誌買うなんて。こんなに料理出来るのにさ。」


 食事処「言の葉」の料理人である樹の父は、若い頃、ミシュランで一つ星を獲得している有名な和食料理店で十年修業をした手練れである。そして、独立し、この食事処を切り盛りしている。そんな父が、今更料理雑誌を買うだなんて、吃驚の一言だ。


「いやいや、この著者の人のファンなんだよ。元々、料理系のネット動画配信者なんだけど、食材の使い方から盛り付けまで、素人とは思えない程クオリティが高いんだよ。で、本を出すって言ってたから、思わず買ったんだ。」


 よく漫画とかである、女の子が失敗した時とかに出てくる「テヘッ☆」と言う擬音が、別に、舌を出して頭に手を宛がって可愛い子ぶっている訳でもなく、ただ淡々と言っている父から聞こえてくる。ほんのり頬を染めているのが、そうさせているのだろうか。こんなちょっとしたお茶目な所に、この空間が少しだけホッコリとした。その空気に流されそうになった樹だったが、ガラガラッと開いた戸の音で我に返った。


「こんにちは。」

「お、いらっしゃい。」


 入ってきた人物に、樹は口を半開きにさせて固まった。入口に立っていたのは、自身が通っている高校の制服を着た人だった。そして、その人物は、今日初めて喋った女子生徒、安西 瑠香だった。驚いている樹を他所に、安西は特に気にもしていない様に、双葉の隣のカウンター席へ座った。


「こんにちは、片岡君。「また」会ったね。」


 そう言って、ニコリと微笑みかけられた。そして、何事もなかったかのように親し気に樹の家族と談笑しているのに、正直、驚いている。何が何だかよく分からなくて固まっていると、双葉が怪訝そうな表情で樹を見た。


「ちょっと、なんで固まってんのさ。お兄と同じ学校なんでしょ。」

「そ、そうだけど……。」

「安西さん、うちの常連さんなのよ。時々、お店が開店するより早く来て、新作の味見とかしてくれてるの。」


 隣を見てみると、確かに父が安西に料理を提供していた。出された椀を両手で持ち、ゆっくりと口に運ぶ。一口啜ると口を直ぐに放し、フーッと息を吐くと、頬を染めながら味に浸っていた。その表情に、思わず樹は見入ってしまう。この子は、なんて美味しそうに食べるんだろう。周りの友人達は、ガッついて一瞬で食べているのに。そう感じさせる程だった。


「んーっ。おじさん、この鱧(はも)のあら汁、出汁がしっかりしていて美味しいです。身の方は、湯引きですか?」

「ありがとう。身は梅肉マヨソースを添えてみたんだ。」

「まろやかでイケますね。」


 まるで評論家の様に、一口摘まんでは感想を述べていく。呆気に取られていると、いつの間にかキッチンから出てきていた母が、樹の目の前にお盆を出した。煮魚、お浸し、あら汁、漬物。湯気がどれからも立ち上り、作り立てなのがよく分かる。


「ほら、樹にも夕飯作ったから、食べちゃいなさい。ご飯は小盛りで良いんでしょ?」

「あ、いや……。」


 その時、樹のお腹がグーッと盛大に鳴った。自身からこんなに大きな音が出るとは思わず、赤面していると、安西が自身のお盆に乗っていたご飯を樹に差し出した。そこには、茶わん一杯に盛られた白米が、ツヤツヤと照り輝いている。それを見て、更にお腹が鳴った。


「学校でもほとんど食べてないみたいだし、小食っぽいけど、お腹は正直者だよね。」


 そう言って、またニカッと笑った。見られていたのかと恥ずかしく思いながら、茶わんを受け取る。いつもなら家で食べる時も、大きい茶わんの底に少しだけご飯を入れているのだが、この茶わんは、ズッシリと重たい。本来なら、見ているだけでお腹いっぱいになるが、今日はグーッグーッと鳴り、涎が口を満たす。樹は箸を持つと、ゆっくりと白米に箸を伸ばした。そして、一口分掬う。


「いた、だきます……。」

「はい、どうぞ。」

「まだ開店時間まで余裕があるから、ゆっくり食べなさい。」


 ゆっくりと、白米を口に運ぶ。ゆっくり、ゆっくりと米一粒一粒を噛み締める様に噛んでいく。モチッとした弾力の後に、甘みが口に広がっていくのを感じる。十分に堪能した後、飲み込む。全然、足りない。そう思ったら、自然と箸が椀に伸びた。今度は、煮魚と一緒に。生姜風味の甘辛く煮付けられた白身魚が、白米とよく合う。今度は、お浸しと。次は汁物と――……。気付けば樹は、お盆に乗っていた料理を全部平らげていた。


「ご馳走様。はぁー……、美味しかった……。」

「お粗末様。」

「……あの、高校生にもなって殆ど食べなかったお兄が、完食とは……。」


 土鍋で炊いた炊き立てのご飯が、こんなにも美味しいとは思わなかった。いつもなら、バイトがある時はまかない料理が出るが、大抵、残り物の白米が出てくるので、ちょっとカピカピなのだ。バイトがない時は、ない時で、友達と一緒に寄り道して何かお腹に入れてからの夕食になるので、ご飯があまり入らない。第一、皆が皆、家に帰ってくるのが遅いので、作り置きのおかずをちょっとずつ皿に取って、一人でチビチビ食べていた。お茶を飲み終えると、樹は意を決して口を開いた。


「……あ、のさ、父さん。」

「ん? どうした?」

「来週から、弁当頼んでも良い……かな? めっちゃ美味しくって、昼にも食べたくて……。」


 言い終わった所で、チラッと父を見てみた。すると、忙しなく動いていた手が止まり、ポカンと口を半開きにさせて固まっていた。周りを見ても、吃驚した表情をして樹を見ていた。あまりの視線の痛さに、樹は慌てて手を横にブンブンと振った。


「あ、いやっ、べ、別に、嫌だったら良いんだっ。いっつも忙しいし、朝だってゆっくりしたいだろうしっ。いつも通り、コンビニで済ませるしっ。」


 やっぱり、ダメだろうなと、心の中で諦めた。だが、「美味しい」と、「もっと食べたい」と、ちゃんと言えたし、それで樹の中では満足だった。居心地が悪くなった樹は、席を立ち、鞄を持って奥へ行こうとした。その時――。


「……待ちなさい、樹。」

「……へ?」


 今まで黙っていた父が、口を開いた。振り返ると、優しい眼差しを樹に送っている。


「誰も、「NO」とは言ってないだろう。勝手に自己解決するんじゃない。」

「でも、めっちゃ固まってたし……。きっと、嫌なんだろうなって……。俺、夕食も朝食も、殆ど食べないから……。」

「だけど、今日はしっかりと食べてくれたじゃないか。それに、「美味しい」って言ってくれた。」


 キッチンから出てきた父は、樹の傍まで行くと、樹の頭を力任せにガシガシと撫でまわした。小さい頃に撫でられてから、久し振りに撫でられた気がする。ゴツゴツした男らしい父の大きな手が、力強いが優しく感じた。


「父さんは料理人だ。作る事が苦になる訳ないだろ?」

「……うん。」

「ただなぁ、困った事に、盛り付けだけは未だに下手くそなんだよ。特に、箱っていう限られた空間に敷き詰めるのは苦手だ。」

「私の月一ある課外授業の時のお弁当も、初め父さんが作ってくれたついでに詰めてくれてたけど、あれは友達には見せれなかったなぁ。」

「はははっ。だから樹。おかずは作ってやるから、弁当に詰めるのはお前がやってみるんだ。母さんは、十時からパートもしてるから、休ませてあげたいしな。」


 今度は肩を叩かれた。相変わらず力強かったが、樹は嫌な気はしなかった。寧ろ、口元がにやけてしまう。必死に唇を噛み締め、緩み切った口元を見られない様に気を付けた。


「じゃ、じゃあ、俺の好きな物、作ってくれる……?」

「勿論だ。」

「なら、分かった。」


 こうして、樹の昼ご飯事情が変わった。次の週から、父が作ってくれたおかずを詰め込んだ弁当を持ち、しっかりと食べる。放課後に寄っていたジャンクフード店にも殆ど寄らなくなり、付き合いで店に行く時やバイトで遅くなる時以外は、真っ直ぐ家に帰った。そして、父と母が作ってくれた夕食を大盛りで食べ、店の手伝いをする様にまでなった。最初は、接客からだったが、次第に厨房にも入る様になり、父の隣で包丁を振るう事もしばしば……。


――――――――――

「――……そんなこんなで、私も料理が好きになったんですよね。」

「へぇ、そんな事が。今では考えられないですね。樹さんが小食だったなんて。」


 智里と夕食を囲んでいる時、不意に智里から、「何故、料理が好きになったのか」と聞かれた。樹は、話ながらしみじみと思い出し、マガジンラックを漁って一冊の雑誌を取り出した。そこには、「著者 安西 満里奈」と印刷され、その人が表紙に小さく載っていた。それを見て、目を細めた。


「彼女のお陰で、食べる事が楽しくなったんですよね。それと、料理にも興味を持てた。」

「ふふっ、その方に感謝ですね。」


 雑誌を机の端に置き、お茶に手を伸ばす。その片隅に写った彼女の写真が、嬉しそうにニコリと笑っている様だった。






END

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