十七食目 人助けのアイスクリーム
智里とのたこパ以来、ギクシャクしていた仲も、少しだけ改善された。朝、出勤する際に出会っても、避ける事もなく挨拶を交わせるくらいまでは回復していた。だが、お互いにその次の日の朝の事を気にしているのか、目線だけはどうしても合わなかった――。
「――はぁ、暑い……。」
「暑いって言うと、余計に暑く感じんだぞー……。」
そして、今現在、八月も終盤に入っているというのにも関わらず、カンカン照りの中、汗を滝の如く流しながら営業に回っている樹と鈴井。木陰に入ろうと思っても、同じ事を考えている先客で、門前払いだ。前のめりになりながら、少しずつでも進もうと、フラフラする足をなんとか動かす。
「あぁー……、海行きてぇー……。ビキニの姉ちゃんと戯れてぇー。」
「私は、かき氷ですかね……。海の家で食べるのは、また違いますからね。」
「うぁぁっ!! マジで海に行きたくなったっ!! こっからだったら、東京湾か!?」
「いや、東京湾では泳げないですよ……。」
錯乱状態に陥った鈴井は、髪の毛を毟らんとばかりに搔き乱す。だが、叫んだ所でこの暑さは変わらない。変わるのは、周りからの痛い視線だ。樹は、人目を避ける様に身を縮こませながら、鈴井の横を歩く。大声を上げる鈴井に、苦笑いで相槌を打っていると、少し先の横断歩道の信号が点滅しだした。
「あー、こっからじゃ間に合わねぇな……。ま、ゆっくりと行きますか。」
「そうです――……?」
走ったら間に合いそうだったが、この暑さでバテていた二人は、次の青信号を待つことにした。歩いて近付いている最中、急いで渡り切る人の中、スクランブル交差点の真ん中に、何かが蹲っているのが見えた。肌色が見えている事から、恐らくは人だろう。その人は、もう人が疎らになっているのにも関わらず、蹲ったまま動こうとしない。慌てて信号機を見ると、青の点滅から赤色に変わった所だった。鈴井も、それに気付いたのか、焦りの色を見せている。
「や、ヤバくねっ? ちょっ、マジでアイツ何やって……、あっ、おいっ、片岡っ!?」
鈴井の静止の声も聞かず、樹は鞄を放り投げ、走ってスクランブル交差点に侵入した。自身でも、自身の行動に対してビックリしていた。だが、今は兎に角、蹲っているその人を助けなければならない。その気持ちだけで一杯一杯だった。真ん中よりも少し手前の方に居たので、直ぐにその人に駆け寄れた。息を切らしながらも、蹲っている人を覗き込めば、その人は細身ながら男性で、顔は真っ赤なのにも関わらず汗が全く出ていない状態で、手足がピクピクと痙攣している。
「熱中症……!? 兎に角、安全な所まで運ばないと……!!」
辺りを見渡すと、もう車が進み出している。樹は、その男性の腕を自身の肩に回させ、腰を引き寄せて無理にでも立ち上がらせた。力が抜けきった人を持ち上げるのは、樹には難しい筈だったのだが、火事場のバカ力なのか、なんとか持ち上げられた。
「中央分離帯の、植え込みにっ……!!」
引き摺ろうにも、樹自身もそこまで体力が残っていなかった為、近場にあった植え込みに向かって、男性の背中を押しやると、縺れながらも、植え込みに倒れ込んだ。それに続いて、樹も急いで植え込みに走り込み、男性を守る様に覆いかぶさった。ドッドッと早鐘を打つ心臓を抑えながら、近場を横切る車をやり過ごす。押し込んだ人を見やれば、まだ顔が赤い。何かしら処置をしてやりたかったが、鞄は鈴井に預けている為、手元にはハンカチ程度しかない。取り敢えず、少しでも身体を冷やす為に、ハンカチで扇いだ。暫くして、車道側の信号が赤になったのか、車が来なくなった。そして、人混みをかき分ける様に、鈴井が走って樹達の所に来た。
「おいっ、大丈夫かっ!?」
「私は、大丈夫です。でも、この人が、熱中症みたいで……。」
「おしっ、分かった。救急車呼んでやるから、取り敢えず、向こう側にある公園に運ぶぞっ。」
軽々と肩に男性を持ち上げた鈴井は、足早に公園の方へ走っていった。それに続く様、樹も足を縺れさせながら、公園へ向かった。男性をベンチに寝かせ、鈴井は携帯で救急車を呼び、樹は公園に居たお母さん方に協力を得て、タオルを借りたり、近場にあった店で氷を調達した。水飲み場でしっかりと濡らした後、首筋や脇の下、股関節辺りにタオルを宛がい、ビニール袋に入れた氷をその上に乗せ、冷やしにかかった。
「ねぇ、このお兄ちゃん、だいじょうぶなの?」
「しなない?」
「……きっと、大丈夫だよ。皆が、「助かってほしいっ。」って、お願いしてくれたら、きっと目を覚ますよ。」
「じゃあ、おねがいするーっ。」
ベンチの周りに集まってきた子供たちに、祈ってもらう様促すと、皆、この男性が心配なのか、「早く目を覚まします様に。」や「目を覚ますには、王子様のキスが必要なんだよー。」等と、思い思いの事を喋りながらも、祈ってくれている。その姿を微笑ましく見ているのと同時に、心の中では本当にこの男性が助かるのか、不安でしょうがなかった。早く目が覚めないかソワソワしていると、電話を終えた鈴井が走ってきた。
「おう、片岡。救急車、だいたい二十分くらいで此処に着くってよ。で、その間、動かさずにしっかりと冷やしといてやれってさ。」
「あ、ありがとうございます。」
「いやぁ、まっさか、あの片岡が飛び出して行くなんて、思いもしなかったぜ。」
「は、はは……。自分でも、ビックリですよ……。あ、そうだ。」
二十分くらいの時間があるならと、樹は鞄を漁ると、その中から保冷バックを取り出し、そこに入っていた生クリーム、牛乳、スティックシュガー、塩、大小のフリーザーパック、タッパーを出していく。
「おまっ、こんなもん鞄の中に入れて営業に来てたのかよ……。」
「特に器具が必要な物ではないので、休憩がてら作ろうかと。」
少し引き気味の鈴井に対し、はにかんだ様に笑いながら、どんどんとベンチを食材で埋めていく。その様子に、興味を示した子供達が樹の周りに集まってきた。
「ねぇねぇ、なにするの?」
「ん? これでね、アイスクリーム作るんだよ。」
「えー!? アイス!? わたしも、たべたいっ!!」
「良いよ。そうだ、お母さん達にも食べてもらおっか。じゃあ、この袋を持って、「もっと、氷が欲しい。」って、言ってきてくれるかな? で、一緒に食べようって事も、言ってね。」
「わかったーっ!!」
樹から奪う様にパックを持った子供達は、颯爽とお母さん方が居る所に走って行った。少し小さくなった子供達を見ていると、お母さん方が、こっちに向かって何度もお辞儀をしている。樹も、それにつられておずおずとお辞儀し返すと、一人のお母さんが、袋を持ってお店の方へ走って行き、他のお母さん方は、子供と手を繫ぎながら、樹達の所へ戻ってきた。
「……あの、良いんでしょうか? 橋本さんのお知り合いだと聞いてはいますが、私たちまで、御馳走になって……。」
「ああ、だいじょ……。」
「大丈夫ですよ、奥さん方。」
「大丈夫」と、言おうとしたら、横から鈴井が割り込んでいき、樹を押し退けて、お母さん方の前に出た。後方で見ると、なんだか鈴井がキラキラと輝いて見える。顔が良い鈴井に、お母さん方も心なしか、嬉しそうだ。樹は、談笑している鈴井達を横目に、アイスを作る作業に戻った。
「先ずは、このMサイズのフリーザーパック二袋に、牛乳一〇〇ml、生クリーム一〇〇ml、スティックシュガーを五本ずつ入れて、袋の中の空気を抜く感じでチャックをぴったり閉めてから、よく揉み込む。」
グニグニと袋を揉み込む。それを見た女の子が、「私もやるっ。」と、言い出し、樹はフリーザーパックを渡した。楽しそうに揉んでいる姿に頬を綻ばせていると、ワイシャツを引っ張られた。見やると、他の子達がキラキラとした視線を向けている。子供たちの意図に気付いた樹は、もう一つのフリーザーパックを渡すと、皆で取り合う様に、樹の手から奪い取った。そんなに楽しいものなのかと感心していると、氷を取りに行ってくれていたお母さんが、樹の元へ走ってきた。
「すっ、すみませんっ……、片岡さん。遅くなってしまって……。それに、私たちまでご馳走に……。」
「橋本さん、大丈夫ですよ。それより、すみません、走らせてしまって。」
「はぁ、はぁ……、だ、大丈夫、です……。って、こらっ
この親子は、樹と同じアパートに住んでいる、橋本
「この氷の中に塩を三:一の割合になる様に入れて、この中に揉んでもらってたパックを入れて、しっかりとチャックを閉じ、中の袋が氷で完全に覆われるように揉みながら移動させる。」
塩を振り撒けば、すぐさま氷は溶け出してしまう。そして溶け出す際に、氷が周りの熱を奪って温度を下げ、氷に触れた面の材料は、氷点下にまで冷たくなる。塩と氷を混ぜることで氷の温度が下がり、溶けやすくなる現象を「凝固点降下」と言い、ドライアイス程ではないが、ずっと触れていると凍傷になる危険性がある。樹は、余っていたフェイスタオルでパックを包み、ネクタイで縛った。これで、触っても大丈夫になったので、アイス全体がしっかりと固まるように、タオルの上から揉み、上下に振った。
「さぁ、これで準備完了っ。あとは、十分くらい待つだけだよ。」
「わぁいっ。」
「それまで、向こうであそんでようぜっ。」
余程楽しみなのか、子供たちは時間を忘れる様に無我夢中で遊び始めた。お母さん方も、子供たちの方へ戻っていった。その後ろ姿に手を振って見送っていると、少し汗をかいていながらも、清々しい
「いやぁ、やっぱ若いお母さん方って良いねぇ。話が華やぐ。」
「……そうですか。」
「あれぇ? 嫉妬? 嫉妬ですか、片岡くーん?」
どうやら、無意識の内にジト目で見ていたらしい。鈴井はからかう様に、樹の頬を突っつきまわす。後ろに下がり、距離を置こうとした時、樹の
「……えっと、大丈夫、ですか……?」
「こ、こは……?」
「公園だよ。アンタ、スクランブル交差点の真ん中ら辺で倒れてたんだ。覚えないの?」
「あ、あー……?」
記憶が混濁しているみたいだ。樹の脹脛を掴んでいた手を放し、頭を抱えている。ずれ落ちてしまったタオルで、汗を拭きとってやると、その男性はカッと目を見開き、勢いよくベンチの上で土下座をしだした。
「迷惑をかけてすみませんだべさっ!! 俺、前田
「え、あ、い、いえ……?」
聞き慣れない方便に、戸惑いを隠せない。北海道から来たと言うのは聞き取れたが、後が全く聞き取れない。未だに頭を深々と下げ、土下座している男性に、どう対応したら良いのか分からずオロオロしていると、遊んでいた子供たちが帰ってきて、先頭で走っていた健斗が樹の背中にタックルをかました。
「――ふおっ!?」
「樹にいちゃんっ、十分たったー?」
「アイス、たべたいのーっ。」
「も、もう、そんなに時間経ったかな……?」
泥んこ塗れの手で、樹のワイシャツを引っ張り出す子供たちに少し押されながら、ベンチの隅に置いていたフリーザーパックを手に取る。ネクタイを解き、タオルを少し外し、氷が入ったパックから材料が入ったパックを取り出すと、中身がクリーム状になった袋が顔を出した。
「うん、程よく固まってる。これをほぐしながらタッパーに移してっと――……。」
コンビニで昼ご飯を買った時に貰ったプラスチックの大スプーンで、掬い取る。暑さで溶け、スプーンの底を伝って落ちるアイスが、輝いて見えた。それを二つのタッパーに移し替え、小スプーンを人数分差し込む。
「はい、出来上がりだよ。貴方も、よかったらどうぞ。」
出来上がったばかりのアイスを少し掬い、男性に手渡す。戸惑いながらも、それを口に入れると、目をカッと見開いた。
「なんまら、うまいっ!! 道具もないのに、素朴な味わいで、店で売ってるのにも負けねんくらい、うまいなんて、ビックリだべっ。」
「ふふっ、もっと、食べてくださいね。」
どうやら彼は、驚いたりすると目を開く癖がある様だ。大きな瞳を輝かせながら、子供たちに混じってアイスを頬張る。それに、頬を緩ませながら、樹もお母さん達の方に混じってアイスを食べた。そして、食べ終わったころ合いに救急車が到着。救急隊員の質問に数回答えると、男性は念のために病院へ運ばれていった――。その後、外回りから会社へ帰ってきた辺りで病院から連絡が入り、男性は点滴を打って完全回復したとの事。肩の荷が下りた樹は、定時に帰宅。自室の扉を開けようと、鞄の中に手を入れた。
「――全くもう、こっちに来るなり熱中症になって倒れるなんて……。」
「しかたないっしょ。なぁんも暑さが違うんだから。」
「だからって――……はぁ……。明日、その人にお礼の品、持って行こうね。」
「おうっ。」
階段を昇ってくる音と一緒に、聞き慣れた二人の男女の声に、樹はそちらを見た。すると、角から顔を出したのは、智里と、今日、樹達が助けた男性だった。仲良さげに話をしている様子を呆然と見ていたら、思わず手に取っていた鍵を放してしまい、コンクリートの床に落としてしまった。その音で、話をしていた二人が樹の方を見た事で、全身の血の気が一気に引いた感じがした。智里は、落ちて転がってきた鍵を拾うと、樹の元へとやってきて、宙を彷徨っている片手に鍵を乗せた。
「あ、ああ、あの……。」
「今帰りですか? 珍しく同じ時間になりましたね。」
「そそそ、そうで――……。」
「うおぉぉっ、昼間のアイスの人じゃなかっ!! おいっ、智里!! この人が、俺の命の恩人の、アイスの人だべっ!!」
――本日のメニュー――
・冷凍庫を使わないアイスクリーム
End
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