間食 そこはラッキースケベな異世界だった……?

※これは、「冴えないサラリーマンの、冴える手料理」です。


「――は、早く、逃げてください……!!」


 砂埃が舞い散る中、樹と智里は走っていた。背後からは、無数の影。何度も扱(こ)け、二人とも体中が傷だらけだった。休みなく走り続けていたのと、口の中に砂が入り込み、喉がカラカラに乾いていく。もう、二人とも体力の限界がきていた。


「わ、私の事、は、放っといて、片岡さん、逃げてくださいっ。」

「何を弱気になっているんですかっ。二人で逃げ切るんですっ!!」


 樹は智里の手を取り、しっかりと握り締めた。掌から滲む汗が、鬱陶しい程、二人の間を裂こうとしてくる。だが、樹はそれに負けじと、手首を強く握りしめた。


「あっ……!!」


 急に掴んでいた物の感触が無くなったと思ったら、後ろの方で智里が倒れこんでいた。直ぐ様、駆け寄るが、智里がなかなか顔を上げようとしない。思い切って頬を両手で包み込み、強制的に上げさせると、その大きな瞳から、大粒の涙を流していた。


「ん、ぐ……。ひっ、わ、私を置いていってください……。わた、私、もう、足が……。」


 珍しく泣き言を言う智里の足元を見ると、足首から血が滲み出ていた。そして、地面からは鋭い爪が生えた手が、智里の足を掴んでいる。樹の頭は真っ白になり、無意識の内に腰に下げていた包丁を握り締め、足を掴んでいる手に目掛けて振り落としていた。


「ダメッ!!」


 だが、包丁の切っ先が届く前に、智里の大声で留まった。その声で我に返った樹は、握り締めていた包丁を見て血の気が引いた。力が抜けた手から包丁が抜け落ち、乾いた音を発てながら地面に落ちた。


「あ、お、俺……、何、を……。」

「ダメ、ですよ。その包丁は、人を切る物じゃ、ない、でしょ? 美味しい料理を作る為の物じゃ、ないですか……。」

「前田さん……。」


 目に涙を浮かべながらも、微笑みながら必死に樹を宥める。頬に沿わされた智里の砂まみれの手に、樹は自身の手を重ねた。ホロホロと零れる涙が、乾いた智里の手を濡らした。鼻を啜り、ワイシャツの袖で涙を拭うと、倒れこんでいる智里の脹ら脛にネクタイをきつく鬱血する位縛り、今も食い込んでいる爪を力一杯引き剥がす。空かさずハンカチを傷口に当てがい、ワイシャツでハンカチごときつく縛りあげ、圧迫止血する。そして、智里の膝裏と肩に手を添え、持ち上げた。


「ちょ、っと、片岡さん!? な、何を!?」

「俺が、絶対に守ります。絶対に、この手を放しません。」


 普段の樹からは想像もつかない、男らしい発言に、腕の中で収まっている智里は頬を赤らめた。後ろから追ってくる者達に追いつかれない様、樹は走り出す。怪我をした智里を守る様に抱き寄せながら。


「――はぁ、はぁ、後、少しですよ……。」


 目的地である、ビルの階段を駆け上がる。ポタポタと、血がアスファルトを汚していく。蹲っている智里を見ると、顔色がどんどん悪くなってきていた。樹は、疲れきった足に鞭打ち、階段を登った。その時、青ざめた智里が、震える口を動かした。


「か、たおか、さん……。」

「はぁ、はぁ、何、です、かっ……。」

「わた、し……。」

「弱音だったら、聞きませんよっ……!!」


 また、「自分を置いて行け」と言われるのが怖くなり、智里を見ない様にし、ただひたすら、目の前に聳える階段を見詰めた。


「わた、……、片……さん……、事……。」


 響くアスファルトを蹴る音で、智里の弱くなっていく声がかき消され、ちゃんと聞き取れない。樹は唇を噛み締め、兎に角走った。後少し、後少しと頭の中で繰り返しながら――。

 ――そして、長かった階段が終わり、重々しい扉が樹達の目の前に聳え立つ。今一度、智里の肩をしっかりと抱き締め、扉を肩で押し開ける。


「やっ、と、着いた……。」


 扉の向こう側は、眩い光で満ちている。樹は、目を細めながら、中へ進んでいく。待ち望んだ物が有る、その場所へ……――。


「――…………あえ?」


 目を開けると、そこは見慣れた様な、見慣れていない様な部屋だった。シンプルな内装に、少しだけヌイグルミが置いてある。樹自身の背中には、ずれかけた毛布。頭の中で、この状況を整理しようと回転させるが、どうにも頭痛が酷くて、上手くまとめられない。額に手を当てながら、必死に悩んでいると、樹のすぐ側で、何かが動いた。


「ん、……ぅあ、おはよう、ございます……、片岡さん……。」

「え? あ、おはよう、ございます……?」


 更に、頭の中がパニックになった。智里が、寝ぼけ眼で樹を見上げていたからだ。しかも、パジャマなのか、胸元が若干はだけている。どこを見れば良いのか分からなくなった樹は、慌てて智里から離れた。その様子をボンヤリと見ていた智里は、首を傾げた。


「どうしたんですか……?」

「あ、い、いいいいえっ!! ななな、なんでもありましぇんっ!!」

「はぁ……。」


 挙動不審な樹に対し、未だに寝ぼけた状態の智里は、徐にパジャマのボタンに手を掛け、樹の目の前で一つ二つとボタンを外していく。智里から顔を背けていた樹だったが、パサッと衣が落ちる音に、嫌な予感を感じ、身体を震わせ、ペタペタとフローリングを素足で歩いている音にさえ、身体を強張らせた。必死になって智里を見ない様、目を瞑るが、それが余計に神経を尖らせてしまい、智里が出す音が大きく鮮明に聞こえる。


「えっと、Tシャツは……。」

「っ……!!」


 近場で聞こえた智里の声。顔が沸騰でもしているかの様に熱くなる。我慢の限界をとっくに超えている樹は、勢いよく立ち上がると、目を瞑ったまま、自身に掛けられていた毛布を取り、智里の方へ被せる様に投げた。そして、未だ眠っているハクを抱き上げ、全速力で部屋を飛び出し、扉を閉める際に智里に向かって一礼すると、一目散に走っていった。その様子を毛布の端から見ていた智里は、今更ながら頭が覚醒し、顔を真っ赤にさせて毛布を握り締めた。樹はというと、自身の部屋に入るなり扉に背中を預け、ズルズルと床に座り込んだ。漸く目が覚めたハクが、俯く樹を心配そうに前足で顔を軽く叩きながら見上げる。


「――……っ、もう、顔合わせ辛い……。」

「ワフゥ?」


 その日、久し振りに泣きたくなった樹だった……。


―本日のメニュー―

・なし






END

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