十五食目 ゲン担ぎの、多幸焼きパーティー
「いらっしゃいませーっ。」
大学も夏休みに入り、智里はバイトに勤しんでいた。スーパーもそうだが、少しでも学費や生活費を稼ぎたいので、動物病院の助手のバイトも入れていた。それも、もう一週間くらいになるので、だいぶ手慣れてきた。
「――お疲れ様。そろそろ、時間だよ。」
「ありがとうございます。」
掛け持ちの事を理解してくれている店長は、少し早めではあるが切り上げさせてくれる。しかも、給料は他の人と同じ計算。初めは悪いと思って拒否していたが、パートのおばさん達が、
「あ、そうそう。前田さんの家にはたこ焼き機とかはある? まぁ、無くても別に良いんだけど……。」
「え? あー、確か、ホットプレートの附属であった気が……。」
「そっか。じゃあ、これあげる。」
そう言って、差し出されたナイロン袋。覗いてみると、赤く茹で上がったタコの足が沢山入っていた。一人で食べるには、少し以上多い気がする。不思議に思って店長を見ると、何故か苦笑いされた。
「これ……。」
「仕入れし過ぎちゃってね。ちょっと捌ききれないから、パートさんやバイトさんに渡してるんだ。」
「はぁ……。」
「あ、お金は気にしないでねっ。いつも頑張ってくれてる、お礼だからさ。」
申し訳なさそうに頭を掻きながら、店長はレジスターの方へトボトボと歩いていった。智里は、その後ろ姿を見送っていたが、店長が、あからさまに落ち込んでいるのを|犇々(ひしひし)と感じ取った。
「――さて、今日は良い戦利品を頂いちゃったなぁ。」
バイトも終わり、保冷バッグに入ったタコを大事に抱えながら、家路に着く。夏真っ盛りなので、日が沈んでも、辺りはビアガーデン等の店の灯りで煌々としていた。すれ違う人ごみの中には、サラリーマンの姿も見受けられる。
「片岡さん、どうしてるかな……。」
ふと、頭を過ったのは、樹の事だった。ストーカー事件の時から、殆ど出会っていない。以前なら、智里が学校に行く時間や、バイト先であるスーパーで顔を合わせていたのだが、それが全くない。部屋の方からハクの鳴き声がしているので、遠出はしていないのは確かなのだが、詳細が掴めない。
「お礼、したいのになぁ……。」
動かしていた足を止め、そっと、保冷バッグを抱き締める。どんどん、会いたい気持ちが湧き上がってきた。お礼をしたいのは、言い訳なのかもしれない。ただただ、樹の顔が見たい。一緒に、ご飯を作って食べたい。笑い合いたい。そんな気持ちが、智里の胸の奥で渦巻いていた。その時、先日、門崎に言われた事を思い出した。
「恋、してる……? 私、片岡さんに……? 本当に……?」
ドクドクと、心臓が煩くなってきた。息苦しい位、胸が締め付けられる。保冷バッグを抱き締める腕に、自然と力が入った。フラフラと、近場にあった自販機に寄り掛かる。チラッと人通りを見ると、誰も智里を見ていない。恐らく、酔っぱらっているのだと勘違いしているのだろう。だが、逆に有り難かった。好奇の目で見られるのは、流石にしんどいものがある。智里は、小さく深呼吸をした。その時、軽くではあるが肩を突かれ、驚きのあまり、肩を大きく揺らした。
「っ!?」
「あっ、す、すみませんっ。具合が悪いのかと思って、その……。」
「あっ――……。」
苦しかったのが、一気に吹っ飛んだ。振り返った先に居たのは、相変わらず頼りなさそうな表情(かお)をした樹だった。一瞬、時が止まった様な錯覚を起こした。周りの喧騒が静まり返り、トクントクンと、心臓の音だけが耳に入る。その静寂を破ったのは、樹だった。
「お久し振りですね。」
「えっ、あっ、はっはいっ。ホント、お久し振り、です……。」
折角、声を掛けてくれたのにも関わらず、智里は顔を俯ける。最後の方の言葉は、もう消え入りそうだった。だが、別に気まずい訳ではない。嬉しさのあまり、にやけた顔を隠す為に俯いたのだ。恐らく、智里の顔は耳まで真っ赤に染まっているであろう。しかし、いつまでも俯いている訳にもいかない。何か話題を出さないと、と目線を泳がしていたら、腕の中でクシャクシャになっている保冷バッグが目に着いた。勢い良く顔を上げると、樹の目の前に保冷バッグを差し出した。
「あああっ、あのっ! よっ良かったら、たこパしませんかっ!?」
突然大きな声で言われた樹は、その勢いに圧され仰け反っていた。いつもなら、少し眠たげにしている目が、見開かれている。そして、さっきまで見向きもしていなかった人通りも、智里の声に反応して、二人を好奇の目で見ていた。暫くして、周りからの目線に気付いた智里の顔が、一瞬にして茹でダコ状態になった。
「ごごご、ごめんなさいっ! 」
「あ、あぁ、いえいえ……。たこパですか……。」
顎に手を添え、少し考え込む樹。もしかしたらダメなんじゃないかと、智里は肩を落とした。
「良いですね。それでしたら、少し前に祖父から貰った物がありますので、それを使って変り種のたこ焼きをつくりましょうか。」
意外な返答に、今度は智里が目を見開いた。頼りなさそうな表情の樹は、頭を掻きながらヘラリと笑う。二人で出来ると、智里は内心喜んでいた。
「じゃあ、人数的には、大家さんと……。あ、妹夫婦も呼んで大丈夫ですかね? 西瓜も貰っているので、たこ焼きが終わったら、食べますか。」
「ちょっ、ちょっと待って下さいっ。もしかして、他の人も呼ぶんで……?」
「あ、あれ? たこパって、大勢でするものですよね?」
疑問符が、二人の頭の上に浮かぶ。どうやら、樹はアパートの住民全員でやるものだと思っていたらしい。少し前まで、樹は祖父母の家に泊りがけで行っていたので、その間に企画したものだと勘違いしていた。智里は、慌てて首を振った。
「あの、その、大勢で、ではなく、その、片岡さんと――……。」
「あ……。」
言い切る前に察知した樹は、困った様な顔をしながら、頭を掻く。その顔は、智里に負けない位に、赤く染まっていた。暫く、黙り込んでいた二人だったが、やっと絞り出す様に、樹が口を開いた。
「……えっと、本当に、私とで、良いんですか……? こんな、冴えないおじさんと……。」
その言葉に、暫く智里は目を丸くしていたが、ぶつかるんじゃないかというくらい、勢いよく樹に詰め寄った。近過ぎるくらいの距離にある智里の顔に、樹は思わず顔を背けたくなったが、こげ茶色の大きな瞳に吸い寄せられるかの様に、背ける事が出来なかった。
「良いんですっ!! 私が、そうしたいんですっ!!一緒にしましょう、たこパっ。」
「はっ、はい……っ。分かりましたっ。」
詰め寄っている智里と、少々仰け反っている樹を遠巻きに見遣る人々。酔ったサラリーマンからは、「熱いねぇ。」等と、囃し立てられる。それに顔を真っ赤に染めた二人は、取り敢えず、周りの目線から逃げる様に、そそくさとアパートに向かった――。
「――では、作りましょうか。」
「はいっ。」
――なんとか、アパートに着いた二人。一度、自分の部屋に戻った樹は、素早く私服に着替え、たこ焼きで使えそうな野菜類をエコバックに詰め込み、ハクを連れて智里の部屋に赴いた。エプロンをし、手を洗うと、準備に取り掛かった。
「先ず、基本になる種を作りましょう。」
「分かりました。じゃあ、小麦粉と卵、それから水とお出汁……。あ、粉末出汁無くなってたんだっ。どうしよう……。」
「うどんスープの素とかは、ありますか? それで代用出来ますが……。」
「あっ、それなら、引き出しの中にあったはずです。探してみますね。」
樹の台所には無い、白いスリムストッカーを開け、智里がスープの素を探している間に、少しだけ台所を見渡してみる。智里は几帳面な様で、備え付けの整理棚の他にも、ラックやスタンド、バスケット等が置いてあり、その中に調味料や油等が入っている。そこそこ綺麗にしているものの、調味料等、置きっぱなしの樹の台所とは大違いの綺麗さだった。
「ありましたっ。これで、大丈夫ですか?」
「えっ、あっ、はいっ。大丈夫です。じゃあ、生地は私が作りますので、前田さんは薬味を切ってもらっても良いですか?」
「分かりました。」
ボンヤリとしていた時に智里が振り返り、少しだけ肩を揺らした。なんとか平素を装い、うどんスープの素を受け取り、計量していく。隣を見ると、小さなまな板の上で、手際よくネギを小口切りにしている。リズミカルな、まな板を叩く音が、耳に心地よい。その音に耳を澄ませていたら、不意に智里が樹の方を向いた。
「私、片岡さんのお蔭で、ここまで包丁を扱える様になったんですよ。」
照れた様に智里が、はにかむ。その笑顔に、樹の胸が高鳴った。ドクドクと心臓が煩い。変な汗をかきながら、「そうですか。」と、樹は震える口を動かした。
「実家に居た頃は、恥ずかしながら全然料理なんてしてなくて……。」
「い、意外ですね……。」
「母親に甘えてばっかりだったものですから。でも、こうして片岡さんと作ったり食べたりして、料理が楽しくなりました。」
話を聞きながら、今更ながら緊張で震える手を必死に動かす。チラリと、智里の方を見ると、バッチリ目が合った。それに驚いてしまった樹の手元が狂い、小麦粉をシンクの上に盛大にぶちまけてしまった。
「うわっ!? す、すみませんっ。」
「いえいえ、大丈夫ですよ。それより、片岡さんは怪我してないですか?」
樹のエプロンに着いてしまった小麦粉を濡れた布巾で叩き落としながら、智里が見上げてくる。もう、ドキドキし過ぎて、頭がパニック状態だった。何度も何度も頭の中で、落ち着けと言い聞かせるが、どうにも心拍数が上がるばかりで、落ち着かない。やっと平常心を取り戻せたのは、智里が新しい小麦粉をラックから取り出す為に、樹から離れた時だった。
「――……なにやってんだろ、俺……。」
「ワフゥ?」
リビングで寝ていた筈のハクが、足元で小首を傾げながら樹を見上げた。
「――じゃあ、もう一度、今度は私が生地を作りますね。えっと、小麦粉七十グラム……。」
「じ、じゃあ、中身の具を切りますね。」
生地を作るのと、具を切るのを交代し、それぞれ取り掛かる。智里が貰ってきた茹でダコを一口サイズに切り、更に変り種として、祖父母から貰った、自家製キムチと梅を刻む。そして、樹が持って来た厚切りベーコンを切り、プチトマトも四等分に切り分ける。
「片岡さん、味を見てもらっても良いですか?」
「あ、はいっ。分かりました。」
差し出されたボウルに指を入れ、少し掬って口に含む。うどんスープが、ほんのり効いている。静かに頷き、親指と人差し指でOKマークを作ると、智里の周りにデフォルメで花が咲き、樹の顔が思わず緩んだ。
「では、準備も出来ましたし……。」
「始めましょうかっ。タコ焼きパーティーっ。」
リビングに材料とホットプレートを持って行き、小さなテーブルを二人と一匹で囲む。ヘッヘッと涎を垂らしながら座るハクを撫でながら、ふと室内を見渡す。前に来た時を思うと、荷物は整理整頓され、寧ろ、年頃の女性にしては物が少なすぎると感じる。だが、難しそうな分厚い参考書の横には、可愛らしいヌイグルミが置いてあり、そこら辺は女性らしいと思った。暫く、ボンヤリとしていたら、ジューッと焼ける、良い音がした。
「だいたい、八分目っと。」
「トッピングは、好きな様に入れて下さい。あ、でも、ハクの分は、薬味無しのプチトマトだけで。」
「はい、分かってますよ。」
生地が半熟になった所で、智里がトッピングを次々に入れていく。入れ終わった頃には、とても彩り豊かになっていた。ジュウジュウと音を発てる生地を二人で静かに見守る。普通だったら気まずくなる所だが、そんな雰囲気は一切感じず、寧ろ、心地良さを覚えた。
「――そろそろ、ひっくり返しますね。」
「はい、お願いします。」
先ずは周りに零れた生地を切り離し、切り離した生地を真ん中に集める。そして、淵に沿ってタコピンを一周させ、生地とプレートを離し、取り敢えず、九十度ひっくり返す。暫くしてから、更に九十度ひっくり返す。それを何度か繰り返し、表面がカリッと良いきつね色になったら完成。丸皿に移し、自分達が食べる分にはソースと青のり、かつお節を乗せ、ハクの分には、かつお節だけを乗せる。ソースの香りと一緒に、熱いたこ焼きの上で踊るかつお節に胃が触発され、口の中に涎が溜まる。ハクも、待ての状態がしんどいのか、机の周りをグルグルと歩き回っている。
「では、熱いうちに。」
「はいっ。頂きますっ。」
「ワンッ。」
樹は、座っているハクの分のたこ焼きを半分に割り、息を吹きかけて冷ましてから、ハクの前に置いた。何度か鼻を動かしたハクは、未だ少し湯気が発つたこ焼きを一齧り。それに続いて、樹と智里もたこ焼きを齧る。外はカリッと、中は半熟でフワッと。トッピングのタコも良かったが、他の具材も和風に味付けした生地に良く合う。
「んーっ、おいひいっ。」
「キムチと梅も良く合いますねっ。プチトマトも、ジューシーだっ。」
「ワンッワンッ。」
「この調子で、どんどん焼いていきましょうか。」
二人と一匹でテーブルを囲みながら、更にたこ焼きを焼いていく。絶え間なくジュウジュウと焼ける音と、香ばしい香りに満たされ、胃と心が満たされた――。
「――はぁ、ご馳走様でした……。」
「美味しかったですね。店長様様でした。」
「本当ですね。」
用意した材料全てを使い果たし、満腹になった二人が談笑していると、口の周りを汚したままのハクが欠伸をしだし、樹の膝の上でウトウトと船を漕ぎだした。その背中を智里が優しく撫でてやると、眠気に勝てなかったのか、遂には舌を出したまま寝てしまった。少しポカンとしていたが、二人顔を見合わせ、起こさない様に控え目に笑った。その時—―。
「ちっさとーっ。美味しそうな匂いがしたから、お酒と一緒に遊びに来た……よ……。」
「へ?」
「し、静!?」
いきなり扉が開き、中へズカズカと入ってきたのは、既に酒を飲んでいるのか、ほんのりと顔を赤く染め、片手に大きなビニール袋を提げた門崎だった――。
――本日のメニュ――
・変り種たこ焼き(タコ・キムチ・梅・厚切りベーコン・プチトマト)
End
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