十四食目 田舎と私と幼馴染みと夏野菜カレー

「じゃあ、草刈りお願いね。」

「うん、分かった。」


 梅雨も明け、七月も後半に入った三連休。学生達には嬉しい、夏休み突入だ。とは言っても、社会人には特に関係ない事なのだが、樹は、この三連休を利用して、母方の実家でもある兵庫県に来ていた。米農家である母方の実家では、清酒の原料となる山田錦を作っているので、今の時期は草刈り等の整備に追われている。米寿を迎えた祖父母には、一苦労以上してしまう程の広さだ。なので、連休になったら、樹が草刈りの手伝いに行っている。


「はぁ……、暑いな……。」


 麦わら帽子を被り、飛び石避けに長袖長ズボンを履いて草刈り機を動かしていると、汗が滝の様に流れた。背中までグッショリと濡れているのが、よく分かる。時折、額から流れた汗が目に入ってくる。祖父も一緒に草刈りをしているが、なにぶん広い畑なので、なかなか前に進まない。何度目かの汗を袖で拭った時、祖母が家からお盆を持ってやってきた。


「お疲れ様。ほれ、休憩にしよう。」

「あ、ああ、はい。ありがとう、ばあちゃん。」


 祖母が持ってきたのは、麦茶と氷水に入った茎付きのミニトマトとキュウリ。小さい頃、祖父母の家に遊びに来た時には、オヤツ代わりにしていた。裏の小さな畑で作った物なので、鮮度抜群。瑞々しく、渇いた喉を潤すにはもってこいだ。好き放題に草が伸びている畦道あぜみちに、祖父母と共に腰を下ろし、よく冷えたキュウリを一本掴んだ。火照った手に、氷水で冷えた野菜がよく染みる。ヘタを噛み切り、塩を軽く振ってから、思いっきりかぶりつく。噛んだ時のパリッと良い音が、耳に心地好い。久し振りの新鮮な野菜に舌鼓を打っていると、麦茶を啜っていた祖父が、徐に口を開いた。


「……オメェ、嫁さんは見付かりそうか?」


 思わず、口に含んでいたキュウリを吹き出した。むせ返りながらも祖父を見ると、畑の方を見ながら、なに食わぬ顔で麦茶を啜っていた。


「い、いや……、俺には、まだ……。」


 しどろもどろになりながら、なんとか言葉を紡ぐ。本当は、好きになった人は居る。だが、それはもう過去形だ。好きになったその人には、想い人が居るのだから。自身の様な、どこにでも居る様なサラリーマンが夢を見るには、敷居が高過ぎた。第一、あの日から、智里とはどことなく気まずく、顔を合わせていない。本当は、話をしたり、一緒にご飯を作ったりしたいが、気の小さい樹には難しい事だった。


「情けねぇ。俺がオメェの歳には、もう子が三人は出来とったんだぞ。」

「やだわぁ、そんな事言わないでよ。恥ずかしい。」


 照れた様に、両頬に手を添える祖母。それに対し、祖父は相変わらず仏頂面で、麦茶を啜っていた。そんな相変わらずの仲良し振りに、樹は苦笑いを溢しながらキュウリにかじり付いた。その時、道路を走っていた軽トラが止まり、中から人が出てきた。


「おーいっ、おいちゃーんっ!!」


 若い女性の声が、遠くても良く聞こえる。その声の主は、小走りでこちらへ向かってきた。祖母は、ゆっくりと腰を上げると、その女性に向かって手を振った。


「あらあら、早紀ちゃん。元気だねぇ。」

「早紀ちゃん……?」


 どこかで聞いた事がある名前だった。だが、頭の中で整理してみるが、全く当てはまらない。悶々としていたら、女性が直ぐ近くまで来た。


「これ、ウチのばあちゃんから差し入れだよ。小玉西瓜。」

「あぁ、ありがとう。」

「どういたしまして。……あれ? もしかして、樹ちゃん?」

「え?」


 竹篭を差し出してきた女性は、樹を見るなり驚いた顔をして、指差してきた。しかも、樹の事を知っている様だ。樹は汗で濡れてしまっていた眼鏡をタオルで拭いてからかけ直し、よくよく女性を見た。暫く見つめ合っていたら、女性は、いきなりケラケラ笑いだした。そんな反応に、樹は首を傾げる。


「あははっ、はぁあっ。いやだなぁ、忘れたの? 中学校まで一緒だったのに。」

「あ、もしかして、藤喜ふじき 早紀さん……?」

「アタリ。久し振りだね。」


 眩しい位に笑う。その表情を見て、漸く思い出した。保育園から一緒だった勝ち気な彼女は、女の子がやる、おままごと等はせず、いつも男の子の輪の中に混ざって遊んでいた。それは中学に入っても変わらず、部活も運動系で、汗水垂らして熱心にやっていた。


「……変わらないね。」

「樹ちゃんこそ。相変わらず運動苦手そうだね。筋肉なさ過ぎ、ヒョロヒョロだ。」

「早紀ちゃ……、早紀さんは、今も運動やってるの?」

「ふふ、昔みたいに、ちゃん付けで良いのに。今は、会社の野球部に入って、男の人に混じって頑張ってるよ。」


 女性なら、美容美白を意識すると思うのに、藤喜の肌は健康的に焼け、服の上からでも分かる位、程好く筋肉も付いていた。樹に比べると、筋肉質だ。よくよく見ると、色んな所に古傷らしき痕が残っている。久し振りに会ったにも関わらず、昔と変わらない幼馴染みの様子に、樹の頬が緩んだ。


「どっこらしょ。さぁさ、休憩はお仕舞いにして、お昼まで頑張りましょうか。」

「あ、私も手伝うよっ。」


 掛け声をかけて立ち上がった祖母は、お盆を持つと、ゆっくりと家に向かった。その後ろを藤喜も付いていく。取り残された樹は、二人を見送った後、いつの間にか作業を再開していた祖父に続いて、草刈り機を握った――。


「――それじゃあ、作ろうかねぇ。」


 昼に素麺を食べ、また草刈りをした。今度は、藤喜も手伝ってくれたので、半分以上は刈り終えた。そして夕方になり、今日の作業は終了。そして今は、祖父母の家の台所に祖父だけが立っていた。夕飯だけは、何があろうと祖父の役割だった。そして、調理している間は、誰も近付けない。手伝おうものなら、包丁を投げ掛かけない。なので、祖母と藤喜と樹は、出来上がるまでは居間で待機中だ。


「……まず、ジャガイモ、ニンジン、タマネギを一口大に。」


 トントンと、まな板の音が心地好い。八十後半になっても、手元はしっかりしている様だ。樹は、少しハラハラしていたが、安定した音に安心した。


「鍋に入れて、この三種類の野菜だけで煮込む……。その間に、他の野菜を一口大に切っていく。」


 早紀に買ってきてもらった、赤と黄色のパプリカを半分に切り、種を取り出す。そして、更に半分に切ってから、七ミリ幅で切っていく。次に、ズッキーニを縞模様になる様に皮をピーラーで剥き、二センチ幅位の輪切りにする。茄子も同じ輪切りにし、水にさらしておく。


「……やっぱり、オクラだろうよ。」


 綺麗に洗ったオクラを沸騰した湯の中に入れる。三十秒程煮たら、火から下ろし、水にさらす。そして、揚げ物用の鍋を用意し、火にかける。


「おっと、ジャガイモ共はどうなったかな……。」


 湯がいたままの鍋の蓋を開ける。熱い湯気が、顔に掛かった。それを手で扇げば、湯気の中からコトコトと音を発ててジャガイモとニンジン、タマネギが踊る。ジャガイモを一つ取り出し、口に放る。熱々のジャガイモを口の中で転がしながら、噛み締めれば、ホロホロと砕け、甘さが広がった。ちゃんと火が通った様なので、カレールーを割り入れた。


「さぁ、揚げるぞ。」


 茄子とズッキーニ、パプリカの水気を拭き取り、ズッキーニから油の中へ入れていく。さっと揚げたら網に上げ、よく油を落とす。あまり熱を通していないので、艶やかで、程好く発色している。全部揚げ終わったら、休む間もなく、深皿を戸棚から取り出した。


「飯は、五穀米だ。」


 炊き上がった五穀米を深皿によそい、出来上がったカレーを注ぐ。そして、揚げたての野菜を彩りよく盛り付け、横に福神漬けを添える。これで、夏野菜カレーの出来上がりだ。


「……おい、樹。出来たぞ。」

「あ、はいっ。」

「私も、手伝うよ。」


 祖父に呼ばれ、カレーの香り漂う台所へ向かった。その後ろを藤喜も付いて来る。暖簾のれんを潜れば、一層カレーの香りが強くなった。思わず唾を飲み込む。後ろからは、小さくお腹の音が鳴った。


「ほれ、持っていけ。」

「はい。」

「じゃあ、私はお茶持って行くね。」

「うん、宜しく。」

「麦茶は、こっちだ。」

「はーい。」


 大きな盆に五人分のカレーを置き、祖母が待つ、居間へ持って行く。それぞれ座る場所に皿を置いていると、台所の方から笑い声が溢れる。あの、威厳たっぷりの祖父の、噛み殺した様な笑い声も聞こえる。それだけ藤喜に心を許しているのが、良く分かった。


「――さて、いただきます。」


 全員が座蒲団に座ったのを見計らって、祖父が手を合わせた。それに習い、各々手を合わせる。そして、スパイシーな香りが胃袋を刺激するカレーに、スプーンを通した。


「あふっ、んんーっ、美味しいー。おいちゃん、美味しいよっ。」

「……ふん、未々よ。」

「ふふ、素直じゃないんだから。」


 楽しく談笑しながら、スプーンを進める。樹は、そんな皆を見ながら、時折相槌を打ちながら口を動かした。本当に、美味しい。祖父が作る料理は、殆どが精進料理だ。それに、裏で作っている野菜を使っているので、どれも新鮮。都会のアパートに住んでいたら、まず味わえない。樹は、それぞれの野菜の触感を噛み締めながら、また一口カレーを頬張った。


「――……ねぇ、樹ちゃん。」

「……なに?」


 カレーを食べ終え、今は縁側に座り、よく冷えた小玉西瓜を食べている。藤喜は、夕食の食材を買ったついでに買った、線香花火をしている。祖父母は疲れた様で、もう床に伏していた。西瓜を食べるシャクシャクという音と、花火のパチパチという音、そして時折吹く風で揺れる風鈴の軽い音色しか聞こえない。


「樹ちゃんはさ、結婚してる?」

「……ううん、まだ……。」

「そっ、か……。私もね、まだなんだぁ。」


 二言三言交わして、また沈黙。別段、嫌な沈黙ではなかったが、少し気まずい。樹は、最後の一口をかじると、縁側に置いていた線香花火を一つ取り、藤喜に並んで火を点けた。月明かりと共に、線香花火から放たれる温かい灯りが、二人を照らす。


「……線香花火ってさ、最後まで落とさなかったら、願い事が叶うって言われてるんだよね。」

「あー、なんか聞いた事あるね。」

「まぁ、ゲン担ぎだよね。最後まで残るのって珍しいし。」


 静かに線香花火を見つめる。震えながらも、儚く咲く花に、少し切なさを感じた。すると、藤喜の線香花火が落ちてしまった。


「あー、落ちちゃった……。」

「……なにか、お願い事してたの?」

「うん、してたよ。今直ぐ、叶えたい事。でも、雑念が多かったみたい。もう一回、同じ願い事でやろっと。」


 ケラケラ笑いながら、次の線香花火に火を灯す。意味深な言い方に、樹は藤喜を見たが、特に何もなかったかの様に、藤喜は線香花火を見つめていた。


「あっ、樹ちゃんの線香花火、あとちょっとで最後まで行くよ。」

「え? あ、ホントだ。」


 藤喜に言われて線香花火を見ると、本当にあと少しで燃え尽きる所だった。火玉がフルフルと震え、落ちるか落ちないかの瀬戸際だ。


「……願い事、決めた?」

「え?」

「ゲン担ぎ。」

「あー……。」


 すっかり忘れていた。いまだに弾け続ける線香花火を見ながら、願い事を考えた。願い事が叶うなど迷信だし、ただのゲン担ぎなので、特に強く考えてもいなかった。だが、一つ頭を過った事があった。


「おっ、願ってる願ってる。」

「ちょっ、茶化さないでよ……。」


 早々に落ちてしまった線香花火を水の張ったバケツに放り込みながら、藤喜は囃し立てる。それを軽くあしらいながら、樹は線香花火を見詰めた。大きくなった火玉が、徐々に小さくなっていき、終いには黒ずみになった。それを見届けた樹は、長く息を吐いた。


「ふー……。」

「ふふ、凄い顔してたよ。」

「あー……、まー……、叶えたい事、あったし……。」


 燃え尽きた線香花火をバケツに入れ、片付けをする為、立ち上がった。それに続き、藤喜も立ち上がる。


「あーあっ!! 樹ちゃんとの花火、楽しかったっ!!」


 腕を伸ばしながら、少し大きめな声で言う藤喜に、思わず肩を揺らした。ドッドッと心臓が早鐘を打つが、一つ深呼吸をしたら、直ぐに落ち着いた。


「……どうしたのさ。」

「んーん、なんでもっ。ただ、楽しかったなーって、思っただけ。」

「そっか。俺も、楽しかったよ。」


 歯を見せながら、互いに笑い合った。だが、藤喜の笑顔は、少しだけ悲しそうだった。


「樹ちゃん。」

「なに?」

「ありがとう。」

「? どういたしまして。」

「…………大好きだったよ、ずっと……。」

「え? なにか言った?」

「んーんっ、一人言っ。」


―本日のメニュー―

<昼食>

・素麺

<夕食>

・夏野菜カレー

・麦茶

<間食>

・キュウリ

・ミニトマト

・小玉西瓜






End

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