十三食目 深い思い想い手作り弁当

 ストーカー事件から、やっと変わらない朝がやって来た。事件解決と同時に梅雨も終わり、夏が本番を迎える。煩く鳴る目覚ましを止め、ベッドから降りる。カーテンを勢いよく開ければ、まだ五時過ぎだというのに、眩しい朝日が、ぼんやりしている目に刺さる。窓を開ければ、まだ少し冷たい風が入ってきた。


「んーっ、よしっ。今日も頑張りますか。」


 背伸びをし、固まった関節を解す。手早く着替えを済まし、エプロンをして台所に立った。手をしっかりと洗い、準備万端。智里は胸を張った。


「朝食と、お弁当を作りたいと思いますっ。」


 誰かが聞いている訳ではないが、宣言してみる。自己流で士気を上げ、早速、冷蔵庫を開けた。北海道に居た時は、忙しいのと料理をするのが苦手だった為、冷蔵庫の中は惣菜だらけでパンパンだったが、今では、野菜に肉、魚と卵が適量有るだけ。


「片岡さんが居てくれたお陰かなぁ。だいぶ、料理の腕が上がった気がする。」


 上京して樹に出会ってから、食への関心が変わった。今までは、兎に角毎日が忙し過ぎて、食べるのも億劫だった時もあった。だが、今では、朝は早起きをして朝食を作り、大学がある日は、弁当を持参する程にまでなった。冷凍食品を使う事もなく、自分で味付けも研究しながらだ。本棚には、獣医学の本以外にも、料理の本が並んでいる。


「ふふっ、今日の朝食は、焼き鮭と味噌汁、浅漬けに白米っと。お弁当のオカズは、焼き鮭、卵焼き、インゲン豆のゴマ和え、ちょっと多目に作って、浅漬けも入れとこうかな。後は、ジャーマンポテト。うん、これで良いかな。」


 冷蔵庫から、浅漬けにする野菜を取り出す。今回は、キュウリとキャベツ、色合いに赤色パプリカを使う。全部、太めの短冊切りにし、塩を一掛けしたら軽く揉み込む。酢と粉末出汁昆布を袋に入れ、そこへ少し水で塩を落とした野菜を入れ、更に揉み込んでから、冷蔵庫へ。三十分程寝かしておく間に、生の鮭を焼く。キッチンシートを敷いたフライパンに乗せ、火加減は中火で、先ずは片面を三分程焼いていく。


「タイマーをセットしておいて、その間に、味噌汁の具を切っとこう。」


 冷蔵庫から、生姜一欠片、大葉一枚、ミョウガ一個、ねぎ一本を取り出し、それぞれ細い千切りと小口切りにしていく。そこでタイマーが鳴ったので、鮭をひっくり返し、更に三分焼く。


「あ、そういえば、昨日素麺貰ったんだっけ。」


 いそいそと、冷蔵庫からパックに入った素麺を出す。売れ残りだからと言われて貰った素麺は、一人分には調度良いくらいの量だった。三分の一くらいの量を軽く水で洗い解し、椀に盛る。


「鍋に水と粉末出汁を入れて沸かす。沸騰直前に味噌を溶く。味は……うん、ちょっと辛めだけど大丈夫だね。ここに、切っておいた生姜とかを入れて、軽く混ぜたら火を止めておく。」


 まだ|辿々(たどたど)しさはあるが、智里なりにテキパキと調理をしている。セットしていたタイマーが鳴ったので、火を消し、蓋をする。


「えっと、次はジャーマンポテトかな。皮は、剥かなくても大丈夫な新ジャガだから、しっかり水で洗ってから乱切りにして、水にさらす。」


 さらしている間に、先にインゲン豆を茹でる小鍋を準備する。小鍋に水を張り、火に掛ける。沸騰するまでに、玉ねぎを薄くスライスし、ベーコンを短冊に切る。そして、インゲン豆の筋の処理もしておく。沸騰しだしたら塩を一摘まみ入れ、インゲン豆を投入。再沸騰したら、火を止め、ザルに移し、水で冷やして色止めをする。


「別の鍋に水でさらしたジャガイモを入れて、水を

ひたひたになるくらいまで入れて、着火。湯だるまで時間があるから、その間に朝御飯食べちゃおっと。」


 焼いておいた鮭一切れを平皿に乗せ、味噌汁を温め直す。冷蔵庫に入れておいた浅漬けを小皿に盛り、炊きたての白米を茶碗にしっかりと盛る。鍋から湯気が立ってきたので、火を止め、素麺を入れておいた椀に注ぐ。味噌の優しい香りが、空きっ腹によく染みる。直ぐにでも飲みたい衝動を抑えながら、盆に皿を乗せ、リビングに持っていく。


「さて、いただきますっ。」


 盆に乗せたまま、智里は手を合わせた。箸を取り、先ずは白米を一口。炊く際に昆布を入れたお蔭で、程よい出汁の味が舌に広がる。ただ単に米を炊くだけでは出てこない、旨味と甘味を感じた。実を言うと、昆布と一緒に炊く事は、樹に教えてもらっていたのだ。


「はぁ、幸せ。片岡さん、料理の事ならなんでも知ってるから、美味しく食べれちゃう。」


 実家でも味わえない美味しい料理に、自然と笑みが溢れる。自作で美味しく出来た朝食に舌鼓を打ち、食べ終わった所で、火に掛けていたジャガイモを見に行った。


「うん、竹串が入ったね。ジャガイモをザルに上げといて、フライパンに油を引いて、じっくり弱火で玉ねぎを炒める。」


 じっくり炒める事で、玉ねぎの甘味を引き出す。これもまた、樹に教えてもらった事だが、家庭によっては、ベーコンを先に炒める事もある。半透明になるまで火が通ったら、ベーコンを入れ、更に炒めていく。


「学校に持っていくんだし、今回はニンニク無しで、味付けは、粉末コンソメと黒胡椒を一摘まみ混ぜとこ。」


 流石に、学校に臭いのきついニンニクを入れた物を持っていく訳にもいかない。なので、作るのは、あっさりとしたジャーマンポテトだ。しっかり混ぜ合わせれば、完成だ。深めの皿に移し、冷ましておく。


「よしっ、後はゴマ和えと卵焼きだね。」


 水にさらしていたインゲン豆を斜めに三センチくらいに切っていく。全部切り終えたら、ボウルに擦りゴマ:薄口醤油:砂糖=1:1.5:1の割合で入れ、よく混ぜ、インゲン豆を入れる。しっかり味を馴染ませれば、完成だ。


「……さて、ここからが勝負だよ……。」


 実を言うと、これまで散々、卵焼きを作ってはきたが、一度も成功していないのだ。焦げ付いたり、薄っぺらかったり、上手く巻けれなかったり……。挙げていけば、指の数より多いかもしれない。だが、失敗する度に樹にコツを聞いているので、今回こそは成功出来る気がする。


「卵を二個割り入れて、そこに砂糖、味醂、塩を入れ、菜箸を開いて大きくサックリ混ぜる……。」


 ボウルの中にある卵が混ざったら、長方形の卵焼き機の準備をする。熱した卵焼き機に油を敷き、余分な油はキッチンペーパーで拭き取っておく。そこへ、卵液を流し入れる。ジュワッと焼ける音と共に、甘い香りが鼻を擽った。いつもなら、この香りに頬を緩ますが、智里は眉間に皺を寄せたまま、ジッと卵焼き機を見詰めていた。


「……よし、軽く火が通ったから、ここで「の」の字を書く様にかき混ぜる。」


 半熟になったら、奥へ巻いていく。一段目なので、まだグシャグシャでも大丈夫だ。手前に寄せ、空いたスペースに油を吸わせておいたキッチンペーパーで油を塗り、卵液を半分注ぐ。また、半熟になったら巻いていき、最後の卵液を注いで巻く。


「や、やったぁ……。綺麗に巻けた……。」


 額に汗を浮かばせながら、なんとか綺麗に卵焼きが焼けた。まだ、中は半熟状態なので、卵焼きにクッキングシートを巻き、余熱で蒸していけば、完成だ。


「片岡さんのお陰で、美味しいお弁当も出来たし、私の女子力上がった気がするなぁ。」


 お弁当箱にご飯を詰め、梅シソふりかけをしっかりと掛ける。蓋を半開きにした状態で冷ましておきながら、オカズを詰めていく。屋内に居るからとはいえ、日中は暑くなる。オカズの配置を考えながら入れていかないと、腐り易くなったりするのだ。


「うん、彩り良し。量も良し。今日もバッチリ出来ましたっ。」


 上手く詰めれた所で、魔法瓶にミネラルウォーターを注ぎ、そこにティーパックを入れ、蓋をせずに冷蔵庫に入れておく。まだまだ熱いオカズとご飯を冷ましている間に、片付けや、洗濯物を済ませておく。


「手際も良くなった気がするし、全部、片岡さんのお陰だよね。本当に……、ありがとうございます……。」


 樹の部屋の方に向かって、お礼を言う。小声で言ったので、聞こえてはいないだろう。だが、智里は満足そうな表情をしていた――……。


「――……アンタ、恋してるね。」


 思わず、飲んでいたお茶を吹き出した。真向かいに座っている、同級生の門崎かんざき しずかは、素早く自分の弁当箱を避難させ、お茶が被るのを免れた。お茶が気管支に入り、むせかえった智里は、大きく深呼吸をすると、汚してしまった机をウエットティッシュで拭いながら、門崎を見た。


「静さん、いや、静様? どうして、恋だなんて言えるので?」

「……いや、アンタの顔見れば分かるって。お弁当見ながらニヤニヤしてるし。」

「し、してないよっ。」

「ほれ、証拠。」


 そう言って差し出してきたのは、門崎のスマホだった。よく見てみると、ニヤけ顔の智里が写っている。それを見て、顔に熱が篭りだす。


「けっ、消してよっ!!」

「いやいや、こんな表情見た事ないから、SNSで拡散しといた。」

「それ、 プライバシーの侵害だよっ。」

「目元は加工して見えない様にしてるし、大丈夫、大丈夫。それに、アンタ可愛いんだから、男共が画面の前でニヤニヤするだけだから。」

「止めてっ。そんな現実的な事、聞きたくないっ。」


 耳を両手で塞ぎ、門崎の声を聞かない様にする。つい先日まで、ストーカーで怯えていたのも相まって、そういったシャレも、冗談に聞こえなかった。智里の顔色が段々と悪くなってきた所で、門崎もなんとなくだが智里が本気で嫌がっているのが分かり、智里の頭を撫でた。


「ゴメン、ゴメン。SNSには投稿してないから、安心しなよ。」

「……本当?」

「本当。第一、SNSやってないしね。」


 そう言って、見せてきたスマホの画面には、本当に、その手のアプリは入っていなかった。ほっとした智里は、お弁当のオカズを一つ口に放り込む。


「でも、アンタ本当に可愛くなったね。」

「え?」


 頬杖を付きながらサンドウィッチを頬張る門崎が、ポツリと呟いた。オカズを箸で摘まんでいた智里は、箸を下ろした。


「化粧とかしてないよ?」

「そういうんじゃなくてさ。うーん、なんと言うか、それこそさっき言ったみたいに、恋してるんじゃないかって感じ。恋する女は綺麗になるって、よく言うじゃん。」

「はぁ……。」


 よく分からないと言った感じの、曖昧な返事しか出来ない。仲の良い男友達なら居るが、それは友達であって、実質的に智里に想い人は、居ない。


「私、恋してないよ。」

「ふーん、まぁ、どうだか。最近になって、よくお弁当作る様にもなったし、アンタに自覚がないだけかもね。」


 サンドウィッチの最後の一口を放り込み、紙パックのジュースをズズッと音を発てて飲み干す。その様子をポカンとした様子で、智里は見ていた。否、見ていたというよりも、どこか遠くを見ている様だった。その時、カシャッと軽い機械音がした。その音で我に返った智里が門崎の方を見ると、スマホを構えていた。


「ほら、また乙女の顔してたよ。」


 そう言って、スマホを見せてくる。見遣ると、確かに想いを馳せている様な顔をしていた。思わず、赤面してしまい、顔を伏せる。


「そ、んな、こと……。」

「あるんだって。乙女ゲー覇者のアタシからしたら、アンタは完全に恋し始めた女の子だよ。それも、身近な人と見たっ。」


 身近な人と言われ、心臓が跳ね上がった。頭に思い浮かんだのは、樹の姿。少し頼りないが、優しく、料理上手。智里が困っていた時に助けてくれる、心強さ。何かあれば、樹を思い出していた。そう思うと、段々と先程よりも顔が熱くなり、頬を両手で覆う。手からも、その熱が伝わり、恥ずかしさが滲み出る。


「えっ、あっ。」

「ムフフッ、自覚してきたね。」


 ニヤニヤしている門崎も目に入らないくらい、智里の頭の中は、こんがらがっていた。なんとかして、頭を整理しようとした所で、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、それと同時に、教諭が入ってきた。


「それでは、教科書の五十三ページを開いて……――。」


 大好きな授業の筈なのに、教諭の声が耳に入ってこない。そうなるまで、智里の頭の中を占領していたのは、樹の事だった――。


―本日のメニュー―

朝食

・白米(昆布出汁入り)

・味噌汁(素麺)

・浅漬け(キュウリ、赤パプリカ、キャベツ)

・焼き鮭

お弁当

・白米(梅シソふりかけ)

・焼き鮭

・卵焼き(甘め)

・インゲン豆のゴマ和え

・浅漬け

・ジャーマンポテト(ニンニク無し)






End

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