十一食目 和解の軽食とホッとする甘酒
「――……さて、頑張りましょう。」
「はいっ。」
互いに夕飯等の用事を済ませ、夜の十時頃に大家の部屋に集まった。大家の部屋は、郵便受けの真ん前にある。窓から見れば、しっかりと見える位置だ。怪しまれない様に、部屋の灯りは豆球にしておき、足下だけライトを照らしていた。外は、夕方まで天気が良かったのにも関わらず、バケツをひっくり返したかの様に雨が降り頻り、時折、ゴロゴロと遠くの方で雷が鳴っていた。窓を少し開けているので、冷たい空気が流れ込む。
「寒くはないですか?」
「大丈夫ですよ。一応は、分厚めの上衣着てますので。」
そうは言っているが、少し身体が震えていた。樹は、側に置いておいたリュックサックから水筒を取り出し、コップに中身を注ぐ。香ばしい香りが漂った。
「どうぞ。私のお薦めの店のブレンドコーヒーです。」
「え、でも……。」
「あ、砂糖とミルクもありますよ。」
次々と、スティックシュガーとクリープを取り出す。まるでマジックの様に出すものだから、智里は圧倒されていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて……。お砂糖一本いただきます。」
「熱いので、気を付けてくださいね。」
コップを手渡す。その時、ピシャンッと近くで雷が鳴り、強い光が反対側の窓から射し込んだ。
「きゃあっ!!」
ビックリした智里は、コップを受け取る事もなく、樹に飛び付く。いきなりの事で、樹は受け止めきれずに後ろに背中から倒れた。コップが、音を発ててフローリングに落ちる。
「いっつぅ……。前田さん、だいじょ――……。」
目を開けなければ良かったと、後々になって後悔した。端から見れば、智里が樹を押し倒している様な状態だ。心臓が飛び出るんじゃないかと言うくらい、早鐘を打っている。だが、智里の方は、突然降ってきた雷のショックが強かったのか、パニックになって樹の胸元にすがり付いていた。取り敢えず落ち着く為に、数回深呼吸する。そして、なんとか昂る気持ちを抑え込むと、智里の肩に手を置き、ゆっくり起き上がった。
「だ、大丈夫、ですか……?」
「か、かか、かみなっ……!!」
「落ち着いて、前田さん。ほら、深呼吸して。」
胸元で震える智里を優しく離し、涙で濡れている目元を親指で拭った。が、樹は、そのまま、智里の両頬を手で挟んだ。形の良い唇が、アヒル口になる。流石にこれには、智里の涙も止まった。
「ひゃにふるんでふか、かひゃおかふぁん……。」
「くっ、ふふ……。お、落ち着き、ましっふはっ。」
「ひょうっ!!」
笑いを堪えてはいたが、あまりの変顔に、顔を反らした。智里も、怒ってはいるが、どこか楽しそうだった。そんな時、階段の方から足音が聞こえてきた。それに反応し、穏やかだった空気が一変して、張り詰めた。雨音が酷いから聞こえないと思っていたのだろうか、足音がとても響いている。樹と智里は、互いに顔を見合わせた後、窓からソッと覗いた。すると、真っ直ぐ郵便受けに向かう影があった。そして、智里の郵便受け辺りでゴソゴソしだすと、暫くして、ゴトンッと物が落ちる音がした。
「今、入れましたね……。」
「は、はいっ。じゃあ、行きましょう……!!」
「あっ、前田さんっ……!!」
樹の制止も聞かず、智里は飛び出してしまった。ワンテンポ遅れて、樹も部屋から出る。すると、暗がりの中、揉み合っているのがなんとか見えた。しかも、胸ぐらを掴んでいる様にも見える。樹は、犯人が智里に暴力を奮っているのだと思い、慌てて二人の間に割って入った。
「ちょっ、女性に手をあげるなん、て……。」
言葉が続かなかった。よく見ると、胸ぐらを掴んでいたのは、智里だったからだ。しかも、犯人の足下が少し浮いている。ポカンとしていた樹だったが、苦しそうな声に我に返り、智里の腕を掴んだ。
「うわぁっ!? 前田さん、離してあげてくださいっ!! 首が絞まってる、絞まってるっ!!」
「いいえ。こんな悪質な悪戯をする人は、徹底的に締め上げます。」
「それこそ犯罪になりますよ!!」
――なんとか智里を説得し、揉み合っていた人を離してあげれた。大家の部屋に移動し、明かりを点けてテーブルを囲む。ストーカーをしていたのは、智里の隣の部屋に住んでいる男子大学生だった。
「――で?なんで、こんな事したんですか?」
「……。」
「……もう一回、絞め上げて……。」
「いやいや、余計に喋ってくれないですよ。落ち着いてください。」
身を乗り出し、大学生の胸ぐらを掴もうとしていたが、樹がすかさず止めた。大学生も、だいぶ怖かったのか、青ざめた顔をしている。樹は、一つ咳払いをすると、大学生と向き合った。
「……さて、君。」
「……なんスか。」
「お腹空かない?」
「…………は?」
気の抜けた様なお腹の音が、三人と一匹の間に響いた。――そこからの行動は、尋常じゃない程、早かった。持ってきていた鞄を漁ると、コーヒーとは違うボトルを三本出した。そして、カップに中身を出す。一つは、優しい香りを漂わせる甘酒。一つは、キュウリとニンジンのコントラストが鮮やかな浅漬け。一つは、香ばしく焼けた枝豆。甘酒と枝豆は、未々しっかりと湯気が立っていた。そして、大きめのおにぎりを取り出す。結構大きい筈のテーブルが、軽食で埋め尽くされた。全てを出し終えた時、グゥーとお腹の音がした。樹でも、智里でもない。消去法で残った大学生を見ると、顔を真っ赤にさせて俯いていた。それを聞いた二人は、顔を見合わせて、ニタリと笑った。
「食べてください。お腹が空いてたら、なにも話す気にもならないでしょう。」
「……。」
「あぁ、もうっ。焦れったいんだからっ。」
顔を反らしながらも、大学生はテーブルに並ぶ甘酒とかにソワソワと身体を揺らしながら、チラチラと目線を送る。うっすらとだが、口端から涎が垂れていた。それに痺れを切らした智里は、爪楊枝で浅漬けを刺すと、大学生の顎を掴んで強制的に口を開けさせ、そこに放り込んだ。噛んでいるのを確認してから、手を離す。そして、喉が上下した。
「……旨い。」
「そうでしょう? さぁ、前田さんもどうぞ。」
「はいっ。いただきます。」
異様な組み合わせでの、夜食会が始まった。普段なら、もう寝ているハクも、骨型の犬用ガムに齧(かじ)り付いている。おにぎりを食べ終わった所で、樹は口を開いた。
「……ところで、なんで君は、前田さんに写真を送ったりしたんですか?」
「んぐっ……。そ、れは……。」
おにぎりを飲み込み、俯く。だが、チラチラと智里の顔色を伺う様に盗み見る。その顔は、また真っ赤に染まっていた。耳まで赤い。その初々しい表情に、何故か胸を針で刺したかの様に痛んだ。なんでだろうと、考えてみるが、検討もつかない。すると、大学生がどうやら意を決した様で、テーブルに手を着き、身を乗り出した。そして、調度向かい側に座っていた智里の手を握る。
「ま、まま、前田智里さんっ。」
「は、はいっ。」
「あぁ、あのっ、あのっ!!」
告白するのだろうか。胸のざわめきが、一層煩い。思わず、樹は立ち上がった。
「おっ、俺、一目惚れ、でっ!! 話も、聞いてくれて、嬉しくってっ!! だ、から、その、おお、俺と、つ、きあっ……!!」
「あ、ゴメンなさい。」
「……え?」
「たから、ゴメンなさい。」
即答に戸惑う大学生と、深く頭を下げる智里。その様子に、樹は動かそうとした足を止めた。さっきまで、ざわついていて気持ち悪かった胸も、少し楽になった。
「申し訳ないんですが、こんな、人を不快にさせる様な方は、嫌いです。」
「うっ……!!」
「恋愛対象には見れません。だけど、お友達でしたら良いですよ。お話内容は、とても興味深い物でしたし。それに私、――……ですし……。」
どんどん声が小さくなっていく。終いには、殆ど聞こえなかった。そして、今度は智里の方が顔を赤く染め上げた。
「……っ、わ、分かりましたっ……!! 失礼しますっ!! 飯、ご馳走さんでしたっ!! また、お詫びの品、持って行きますんでっ!!」
智里の表情を見て悟った大学生は、唇を噛み締めながら、走って出ていった。遠くの方で、「うわぁぁんっ!!」と、大きな泣き声が聞こえた。残された二人は、ポカンとしていたが、なんだか居たたまれない空気が漂う。樹は、大学生が飲まなかった甘酒を一気に飲むが、ただ米の触感がするだけで、味を殆ど感じる事が出来なかった。
「……えっと、一応は解決しましたし、自分達の部屋に戻りましょうか。」
「そ、そそ、そうですねっ。片岡さん、ありがとうございましたっ。」
時計を見れば、もう短針が頂点を過ぎていた。樹は、智里を先に帰し、一人で食べた皿を片付けた。
「……前田さん、好きな人、居るのか……。」
―今日のメニュー―
・甘酒
・枝豆
・浅漬け(キュウリ・ニンジン)
・おにぎり(コーン入り)
・ハク用骨ガム
―追記―
①甘酒の作り方
米を軽く研ぎ、鍋で柔らかくなるまで三十分から一時間じっくり炊く。その間に湯を沸かし、魔法瓶に淹れて温めておく。
②浅漬けの作り方
塩:砂糖:ほんだし:酢=一:三:三:三の割合で、合わせ酢を作る。キュウリは少し厚めの斜め切り(輪切りでも可)に、ニンジンは千切りにする。袋に切った野菜と合わせ酢を入れ、よく揉み込む。そして、冷蔵庫で一時間程寝かせれば、完成。
③コーン入りおにぎりの作り方
炊飯器に、研いだ米、トウモロコシの芯と実を入れ、水を少し少なめに淹れる。そこに塩を二摘まみ、酒を大さじ一入れて炊き、好みの大きさに握っていけば、完成。
End
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