十食目 傷ついた心に癒しのコーンスープ
「――……ストーカー、ですか?」
樹の問い掛けに、智里はゆっくり頷く。その目は赤く、少し腫れている。頬には、涙の跡がくっきり付いていた。
「ここ最近、朝刊を取りに郵便受けに行くと入っていて……。もう、これで十通くらいになります……。」
――朝、ハクを散歩に連れて行こうと部屋から出ると同時くらいに、一階から悲鳴が聞こえた。急いで階段を降り、一階へ行ったら、郵便受けの所で蹲り、泣きじゃくっていた智里を見付けた。散歩に行くのを止め、智里を取り敢えず近い自分の部屋へ連れていき、今に至る。グシャグシャに握り潰された封筒からは、写真が覗いていた。その内容を樹は瞬時に悟った。
「……なんて、悪質な……。」
「ご、ごめ、なさ……。私っ、片岡、さんに、迷惑っ……。」
漸く治まった涙が、また溢れ出す。樹は、ポケットからハンドタオルを出し、智里の目元を拭う。その様子をハクが心配そうな
「大丈夫ですよ。誰も迷惑だなんて、思っていませんから。」
「うぅ……っ。」
慰めようとしたが、智里はポロポロと大粒の涙を溢す。背中を擦ってやるが、嗚咽(おえつ)は酷くなる一方だ。女性の扱いなど、智里と同じくらいの年頃の双葉が居るが、それでも、分からないに等しい。完全に参っていた。頭を掻きながら、辺りを見渡す。すると、靴箱の上に乗っていた段ボール箱に目がいった。箱の側面には、不細工だが、トウモロコシを模したキャラクターが印刷されている。
「あっ、そうだ……。ちょっと、ごめんなさい。」
「はひ……?」
玄関先で蹲る智里の横を通り、箱の下へ行く。蓋を開けて中を確認してみれば、充分な程に物が入っていた。樹は、それを持って台所へ向かった。すると、ハクが樹を追い掛けて足下をチョロチョロしだしたので、ハクの脇を持ち、智里の下へ戻る。そして、未だに泣き崩れている智里の膝へ乗せた。
「ハクは、前田さんの側に居てあげて。」
「クゥ……ワンッ。」
一瞬戸惑った様な声を出したが、元気よく鳴いた。まるで、「俺に任せとけっ。」と言っている様だった。心なしか、胸を張っている様にも見える。樹は、「宜しくね。」と、ハクの頭を一撫でしてから、台所に戻った。
「温まる物にしよう。」
段ボール箱から取り出したのは、沢山髭が生え、大きく太ったトウモロコシ。北海道へ営業に行った時に仲良くなった、地元の農家の人からの初物だ。髭の部分を両手で半分に割り、そのまま皮を髭ごと一気に下まで剥く。黄色く、ハリのあるツヤツヤの実が顔を覗かせた。生のままでも美味しい、スイートコーンだ。下まで剥いたら、茎の所で折る。それを三本程やり、それぞれ一筋だけ、実を削ぎ取る。鍋に水を十センチ程度張り、茶碗を口が下になる様に被せ、その上に大きめの皿を乗せる。これで、簡易蒸し器の準備が出来た。火を入れ、湯気が立つまで煮込む。
「……よし、そろそろいいかな。」
蓋を開けると、一気に視界が白くなった。調度良い具合に湯だっている。眼鏡を服の裾で拭ってから、トウモロコシを皿に置いていく。後は数分待つ。
「その間に、新玉ねぎを粗微塵にして、フライパンにオリーブ
新玉ねぎを弱火で炒めている間に、戸棚に仕舞っていたパンを取り出し、小さめの賽の目切りにする。そして、フライパンに少し多目に油を入れ、火にかけたら、パンを投入。狐色になるまで揚げ焼きすれば、クルトンの完成だ。
「と、そろそろかな……。」
全部のパンを揚げ焼きし終わったくらいで、鍋から甘い香りがしだした。蓋を開ければ、それは勢いを増す。甘い香りに、今すぐ食べたい衝動と、涎が溢れる。だが、頭を振り、雑念を払う。未々熱いトウモロコシを取り出し、新しい皿に移して少し冷ます。
「おっと、水を入れとかないとね。」
新玉ねぎがしっとりしだし、水分が出てき始めた。そこへ、水とコンソメを入れ、五分ほど煮込む。タイマーをセットし、その間に、トウモロコシの実を解す。一筋分取ってあるので、実に親指を添えて取ってある筋の方に捻るだけで、簡単克つ綺麗に取れる。あらかた取れた所で、タイマーが鳴り響いた。
「火を止めて、ハンドブレンダーで滑らかになるまで擦り潰したら、豆乳、トウモロコシを入れて、沸騰させない程度に温める。」
弱火にしてから、戸棚からカップを取り出す。勿論、ハクの分の器も出す。フランスパンを数枚切り、トースターに入れた。鍋を見ると、うっすらと湯気が立っていたので、
「前田さん、出来ましたよ。一緒に食べましょう。」
「はい……。」
ハクを抱き締めながら、振り返る。更に真っ赤になった目元に、痛々しさを感じた。樹は、カップにクルトンを入れ、大皿に焼き立てのフランスパンを乗せる。ハクの器にはドッグフードを入れて、リビングに戻った。そしたら、智里はちゃんとテーブルの前で正座して待っていた。ハクも、静かにお座りしている。
「お腹がいっぱいになったら、対策を考えましょう。ね?」
「……すみません、ご迷惑を……。」
「ここは、「すみません。」ではなく、「ありがとう。」が正解ですよ。私は、全く迷惑ではないので。」
樹の言葉に感極まったのか、智里の瞳がまた潤んだ。だが、唇を噛み締め、泣くのを我慢する。そして、少し治まったみたいで、目元を軽く手で拭うと、微笑んだ。
「……ありがとう、ございますっ。」
――それから、二人と一匹で朝食を食べた。トロットロのコーンスープは甘く、身体の内から温めてくれた。しっかりと揚げ焼きされたクルトンは、スープで少し柔らかくなってはいたが、カリカリした触感は残っていて、パン独特の程好い塩加減が美味しかった。泣いて疲れていたのか、一口スープを啜ると、枷が外れたかの様に、一口また一口と矢継ぎ早にスプーンを進め、無くなったら直ぐにお代わりをした。その様子を見て、やっと安心した樹も、スプーンを進めた。
「――ふう、ご馳走さまでした。」
「はい、お粗末様でした。」
「ワンッ。」
鍋が空っぽになる頃には、智里はいつも通り、元気になっていた。樹は鍋とカップ、皿を流しへ持っていき、代わりにコップにレモンの薄切りを入れ、ミネラルウォーターを注いだ物を持っていった。
「さて、どうしましょうか……。」
「ここまで来たら、警察に言った方が良いですよね。」
「そうですね。でも、その他にも対策を考えておかないと、もしかしたら、警察が動いてくれない可能性があります。」
「そ、そうですか……。」
二人して、頭を抱える。警察に頼れば良いが、ニュースを見る限り、ストーカー被害で直ぐに動いてくれている所が多い訳ではない様だ。どうすれば周りの人にバレずに、被害を食い止められるのか。散々頭を回転させた挙げ句、樹の頭に一つ案が浮かんだ。
「……私が見張りをする、と言うのはどうでしょう?」
「……え?」
「大家さんに頼んで、大家さんの部屋で待ち伏せさせてもらいます。この手紙、夜中から早朝の間に直接入れられているみたいですし、それでしたら、張り込みして、入れた所を現行犯で捕まえます。」
「だっ、ダメですっ!! 危険ですっ!!」
智里が、血相を変えて机を叩いて身を乗り出した。いつもと違う、焦った様な表情に、樹は一瞬戸惑ったが、直ぐに気持ちを切り替え微笑んだ。
「大丈夫。私だって男です。夜更かしだって残業で慣れてますし、こんな不安になる様な事、早く解決してしまいましょう。」
「片岡さん……。でも……。」
「ああ、ほ、ほら、ハクだって居てくれるし。な? ハク。」
「ワフゥ?」
樹の問い掛けに、よく分かっていないのか、首を傾げて頼りない鳴き声を出す。それに、肩をガクッと落とす。すると、今まで眉間に皺を寄せていた智里だったが、樹とハクのやり取りに、口元を弧を描いた。
「……それじゃあ、私も一緒に張り込みしますっ。片岡さんだけに、危ないマネ、させません。」
また、戸惑ってしまった。智里を助けてあげようと思って言い出した筈なのに、何故か自身も一緒に行くと言い出した。おかしいなぁと思いながらも、少しだけ心強さを感じた。
「では、絶対に危険な事をしないと、約束してください。」
「はいっ。絶対に、犯人を捕まえてやりましょうっ!!」
少し、話が噛み合っていない様な感じだが、今夜、張り込みする事が決定した。直ぐに大家に話しをつけ、一晩だけを条件に、貸してもらえる事になった。樹は、早速、夜食の準備に取り掛かったのだった――。
「先ずは、このトウモロコシの芯を使って、ご飯を炊こうかな――。」
―本日のメニュー―
・フランスパン
・コーンスープ
・ハク用ドッグフード
End
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