九食目 割れたゼリービーンズ

 朝食を皆で食べ終え、本当に研修が終わりを告げた。荷物を整理し、ゴミを出し、使った物をクリーニングに出す。綺麗に掃除をしてから、鍵を返す。結局は、昼過ぎまで掛かってしまった。皆と別れを告げ、現地解散。明日は休日なので、会社は明後日からだ。樹は、駅構内でお菓子を二箱と、女性物のストラップを一つ買い、帰路に就く。一つは、大家へ。仔犬を預かってもらったお礼だ。そして、もう一つは、会社の同僚達に。そして、ストラップは智里にだ。


「……よ、喜んでくれるかな……。」


 確認にと、鞄を漁り、丁寧に包装されたケースを取り出す。喜んだ顔を思い浮かべ、頬を緩ませる。もうアパートは目の前なのだが、無くさない様に、しっかりと鞄に詰め込み、チャックを閉めようとしたその時、電柱から何かが飛び出し、樹にぶつかった。その拍子に、かけていた眼鏡が外れ、地面に落ちる。


「あっ、と、眼鏡……。」


 拾おうと身を屈めた。その時、更に背中を押され、バランスを崩した樹は、そのまま眼鏡の上に倒れた。バキッと嫌な音が耳に残る。押してきた人は、樹をほったらかして走り去ってしまった。恐る恐る上半身を起こしてみると、無残にもフレームと硝子が砕けていた。だが、眼鏡がないと殆ど見えない樹は、割れた眼鏡に手をかける。


「いっ、つぅ……。」


 指先に激痛と熱が走る。目を細めて凝視すると、指先にフレームの破片が突き刺さっているのが、なんとか見えた。血が流れているのか、指先から赤い液体が垂れ流れている。だが、特に気にしていないのか、割れた眼鏡をハンカチに包んだ。


「急いでたのかな……。おっとっと……。」


 右へ左へとヨタヨタしながら、アパートへ向かう。なんとか、大家の部屋まで行くと、チャイムを鳴らそうと、呼び鈴に手を伸ばした。――が、押すよりも先に、扉が開いた。だいぶ近くに立っていたので、扉が樹の顔面にぶつかる。


「つっ……!?」

「あ、え、か、片岡さんっ!? やだ、なんで……!?」

「……前田さん?」


 聞き慣れた声に、顔を上げる。視界がボヤけている所為で、はっきりとは分からない。目を細め、ジッと見詰める。頭一つ分以上高い樹が、眉間に皺を寄せて見下ろしているので、智里は自然と身体が硬直し、身構えていた。


「あ、あの……、その……。」

「あら、樹ちゃん。研修会終わったのかい?」


 なんとか声を出そうとした時、奥のリビングから大家の志麿しまが顔を出した。


「……大家、さん……?」

「やだねぇ、男前かと思ったら、眼鏡してないじゃないか。コンタクトレンズ……してる訳でもなさそうだし、ボヤけてるんじゃないかい?」

「……そうなんです。さっき、人にぶつかってしまって、割ってしまったんです。」


 ハンカチに包んだ、割れた眼鏡を差し出す。それを見るなり、「これじゃあ、新しく新調しないとね。」と呟いた。硝子もフレームも割れてしまっているのだから、当たり前だ。ガックリと肩を落とす樹だったが、思い出した様に鞄を漁った。


「あ、あのっ、これお土産ですっ。」

「あら、ありがとう。ハクちゃんも、お利口してたわよ。」

「すみません、ありがとうございました。ハク、ただいま。」

「ワンッ。」


 リビングから走ってきた仔犬のハク。それをなんとか受け止める。余程嬉しかったのか、尻尾を千切れるんじゃないかと言うくらい振り、樹の顔を舐めだした。


「あ、の、前田さんにも……あれ?」


 ハクを降ろした樹は、鞄に手を突っ込み、先程取り出していたケースを出したつもりだった。だが、樹の手にあるのは、いつも使っているペンケースだった。苦笑いしながら、もう一度、鞄の中を探る。だが、一向に出てこない。出てくるのは、旅行用圧縮袋に入れたワイシャツや下着、研修会で貰った資料、眼鏡ケースだけだった。


「いやだね、買い忘れちゃったのかい?」

「い、いや、そんな筈は……。確かに、入れたのに……。」


 智里に似合うと思って買ったストラップ。それを先程まで、樹はちゃんと見ていたのだ。それなのに無いとなると、ぶつかった拍子に落としたのかもしれない。樹は、荷物をそのままに、外へ飛び出した。だが、出先で電柱に思いっきりぶつかる。そして、仰向けに倒れた。慌てて智里が駆け寄るが、焦点が合っていない。


「片岡さんっ。大丈夫ですかっ!?」

「うぅ……。すと、らっ、ぷ……。」

「キャーッ!! 片岡さーんっ!!」


 完全に目を回した樹は、意識を失ってしまった。その様子をブロック塀の角から覗き見る、一つの影――。


「……クソッ、邪魔だなぁ……。」


 親指の爪を噛みながら樹達を見る。その右手には、 綺麗にラッピングされたケースがグシャグシャになって握られていた――……。


「――すみませんでした。眼鏡を買うのに付き合わせてしまって……。」

「いいえ、大丈夫ですよ。だって、あのままじゃ、お店にさえ行けないじゃないですか。」


 夕方になって、漸く目を覚ました樹は、智里と一緒に眼鏡を買いに店へ行ってきた。「一人で行ける。」と樹は言ったが、行こうとして早々、壁にぶつかっていたので、智里が付き添いで同行した。智里が手をしっかりと握り、店まで行ったのだが、終始、樹は顔を真っ赤に染め上げていた。こんな風に手を握った事など、全く経験した事がなかったので、どうすれば良いのか、分からなかったのだ。


「あ、駄菓子屋さんだ。珍しいですねっ。」


 帰り道、樹でも知らなかった駄菓子屋を発見した。古民家を改装した店の様で、外装は古いが、中は真新しい。店番をしているのも、若い男性だった。学校帰りなのか、ランドセルを背負った小さな男の子と女の子が、一生懸命お菓子を選んでいる。懐かしさを噛み締めていたら、隣で中を覗いていた智里が目を輝かせていた。


「な、中に入ってみます……?」

「えっ、あっ、良い……ですか……?」

「はい、勿論っ。」


 恥ずかしそうに、見上げる智里に、二つ返事で了承した。それを聞いて、嬉しかったのか、勢いよく引き戸を開ける。中に居た子供達が、一斉に目を見開き、こちらを見詰める。気まずくなる樹だったが、智里はお構い無しに店の中に入ると、子供達に混ざってお菓子を選びだした。最初は、変な目で見ていた子供達だったが、智里が「コレは何?」「オススメある?」と、人懐っこく聞くものだから、次第に打ち解けてきたのか、周りに集まってくる。


「おねぇちゃん、このアメおいしいよ。」

「んん? コレどうやって食べるの?」

「割り箸を割って、グルグルっとかき混ぜるんだよ。こんな感じ。」

「へぇ、なるほどーっ。」


 入り口で、その様子をボンヤリと見詰める。すると、スラックスを引っ張られた。見下げてみると、小学校低学年くらいの女の子が、樹の足下に居た。女の子と同じくらいの目線になる様に、屈む。


「どうしたの?」

「あのね、コレ。」


 差し出された小さな手の中にあったのは、瓶に入った色とりどりのゼリービーンズ。意図が読めず首を傾げると、女の子は樹の手に、それを乗せた。


「あげる。」

「え、ありがとう……。」


  女の子は、特になにも言わずに、駄菓子屋から出ていってしまった。後ろ姿を見届けた後、貰ったゼリービーンズを見る。もしかしたら、触感が苦手だったのかもしれない。 そう思いながら、瓶の蓋を開け、一粒摘まんで口に放り込む。


「ん、懐かしい味だなぁ。リンゴ、かな。」

「何がですか?」

「え?」


 声をかけられ、顔を上げる。すると、目と鼻の先に、智里の顔があった。 あまりの近さに、身動きがとれず、顔が熱くなる。樹のが移ったのか、智里も顔が赤く染まっていった。


「あ、えっと……。」

「……っ。」


 視線が泳ぐ。こんなに近くで見る事などないので、変に緊張してしまう。どうしたら良いのか考えれなくなっていた樹は、ふと、手に持っていた瓶詰めゼリービーンズが目に入ったので、それを智里に差し出した。


「た、食べますか……?」

「えっ、あっ、は、はいっ!! 気になってたんですよっ!! いただきますねっ。」


 慌てて瓶に手を入れる。二、三個ゼリービーンズを取り、一粒口に入れた。「あ、美味しい……。」と、口許を隠しながら智里が呟いた。その反応に、なんだか嬉しくなった。


「駄菓子って、面白いですね。百円以下なのに、美味しいし。」

「私の子供の頃は、遠足の時のオヤツは、駄菓子でしたね。沢山買えたので、友達と交換したりしてました。懐かしい限りです。」


 喋りながら、また一粒食べる。今度は、レモン味だった。気まずかった空気から、ほのぼのとした空気に変わりかけた時、男性店員が「すみません。もうそろそろ、閉店の時間なのですが……。」と話し掛けてきた。気が付けば、子供達は居らず、外は暗くなり始めていた。街灯が、ちらほら点きだしている。慌てて立ち上がると、二人して慌ただしく店を後にした。


「――な、なんだか、すみませんでした。結局、こんな時間まで付き合わせてしまって……。」

「さっきも言いましたが、全然大丈夫ですよ。楽しかったですし、…………新たな一面も知れましたし……。」


 声が小さくなり、最後の方が聞き取れなかった。聞き返そうかと思ったが、智里の歩くスピードが上がって、付いていくだけで精一杯だった。


「…………。」


 そんな二人の後ろ姿を見ている影が一つ、カメラを構えていた。シャッターを切ると、小さなフィルムが出てきた。そこには、笑っている智里の顔が写っていた。それを品定めする様に見詰めると、ズボンのポケットから真っ白な封筒を取り出し、それに丁寧に入れる。一粒のゼリービーンズと一緒に――……。

 ――そして翌朝、甲高い悲鳴がアパートに響いた……。


―本日のメニュー―

・なし






End

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