七食目 ドキドキ!? 新人研修麻婆豆腐

「えっ、新人研修の監督ですか?」


 雨が降りしきる六月。樹は、岡元から二泊三日の研修会の話をもらった。普通の会社なら、入社日の翌日から社外研修に入るのだが、樹達の会社では、少し慣れ始めた位の、気の抜けるタイミングで研修を行う。今回の新人は、全員が高卒で、男性三人、女性二人の合計五人。そんな、十も歳が離れてる若者を纏める事が出来るのか、不安でしょうがなかった。


「頼むよ。一昨年の研修、結構評判良かったんだからさ。」

「でも、もっと適任の方が居られるんじゃ……。鈴井さんとか。」

「いやぁ、アイツは監督には不向きだ。去年の研修、覚えてないのか?」


 眉間にシワを寄せ、頭を抱える。そう言われてみれば、去年の監督は鈴井だったが、一晩で交代させられていた。何故かというと、監督する側てある筈の鈴井が、堂々と女性社員を口説いていたのだ。それに不信を抱いてしまった新人から、苦情の嵐。入社三年目の仲眞に代わった。なんとなく納得したら、肩を叩かれた。


「樹ちゃんなら真面目だし、皆信頼してんだよ。」

「は、はあ……。」

「それに、料理が上手いしな。」

「えっ……。」


 それは一体、どういう事なのだろうか。研修と料理が上手いのは、特に関係ない。いつも、研修会の時には、安いビジネスホテルに泊まるが、ちゃんと食事は付いてくる。それに、研修では教えるのが上手な人の方が良い筈だ。口下手な樹は、不安でしょうがない。何故だろうと頭を捻っていたら、「ま、当日のお楽しみって事で。」と、はぐらかされてしまった。何がなんだか分からないまま、時間は過ぎていった――……。


「――では、皆さん。先ずは挨拶の仕方から鍛え直しましょう。」


 あれから一週間後、社外研修会が始まった。たった五人の為に、大きな会議室を使わせてもらっている。研修内容は、挨拶、名刺交換、マナー、立ち位置、電話対応etcエトセトラ……。初歩中の初歩だが、自分達が教えるのより、遥かに身になる内容だった。後方で見守りながら、樹もメモを取っていく。こうして、何年も勤めていながらも、知らなかった事があるのだから不思議なものだ。


「では、隣の人と向かい合って、三十分間、互いに挨拶しあってください。にこやかに、元気よく。そして、指摘する所は、遠慮せずに指摘しあって下さい。」


 一人余るので、樹も参加する。相手は、つかさ 出雲いずもだった。入社仕立ての時の彼への第一印象は、今時の爽やか系イケメン。高卒とは思えないくらい、大人びていた。そんな司を目の前にすると、同性の樹でも見惚みとれてしまう。ガチガチになりながら向かい合うと、司は手を差し伸べてきた。


「宜しくお願いします、片岡先輩。」

「は、はいっ。宜しくお願いします……。」


 自然と、敬語になってしまっていた。樹の方が、歳も経歴も上の筈なのに、何故か司の方が上に見えてくる。そんなジェネレーションギャップを感じながら、震える手で、司の手を握った――。


「――はい、お疲れ様でした。これで、挨拶の研修は終わりです。」


 漸く、一時間の研修が終わった。意識して笑顔を作るのは、とてもしんどく、皆が皆、疲れはてた顔をしている。それに加え、腹式呼吸での発声なので、身体が悲鳴をあげていた。


「お疲れ様です……。」

「はい、先輩もお疲れ様でした。」


 久し振りの事に汗をかいていたら、司が話かけてきた。司も汗をかき、息を乱していたが、涼しい顔をしていた。この差にも、劣等感を感じる。


「俺、高校の時は野球やってたんで体力には自信あったんですけど、挨拶の練習だけで結構疲れました……。」

「そっか……。俺も入った当初の研修は、しんどかったな……。今でも、しんどいけどね。」

「ははっ、凄い汗ですもんね。」


 意外と、話易さを感じた。自然と、一人称が「私」から「俺」になっていた。会社でも、あまり接点が無いので、実質今回始めて喋るのだが、司がフレンドリーなので、話易い。配られていたペットボトルの緑茶を一口飲み、汗を拭う。そこで、扉が開き、しっかりとスーツを着こなした男性が入ってきた。


「次の研修を行いますので、席に着いてください。」

「それでは、また……。」

「はい、ありがとうございました。」


 次の研修が始まり、その後も、どんどん研修は続いた。休憩の合間に背を伸ばしたら、骨が鳴るくらい、身体がガチガチに固まっていた――。


「――本日の研修は、以上です。お疲れ様でしたっ。」

『お疲れ様でしたっ。』


 漸く、今日の研修が終わった。窓を見れば、もう陽が沈みかけていた。講師が部屋から去ると、皆、糸が切れた様に椅子に凭れたり、机に突っ伏した。あの司でさえ、疲れきった顔をしている。だが、このまま此処に居る訳にはいかない。樹は荷物を整理すると、ホワイトボードの所に向かった。そして、まだ項垂れる新人達の方に向き直る。


「本日は、お疲れ様でした。これから宿に戻ります。初日でしんどかったと思いますが、夕食を皆で作って食べたら、今日の日程は修了となりますっ。」


 樹の言葉に、新人達から批難の目差しを向けられる。岡元が言っていたのは、この事だった。いつもなら、ホテルでの食事たが、今回は自分達で自炊をするのだ。だが、ここにいるのは全員高卒で、自炊をした事がない。学校の授業で少し齧った程度の人ばかりだ。面倒臭い。疲れているのに。と言った目をしている。だが、ここで引いたら意味がない。樹は、心を鬼にし、教壇を叩いた。


「皆さんは、いつまで学生気分でいるつもりですか? 何故、大学へ進まず、弊社へ入社したんですか? 確かに皆さんは、まだ未成年者だ。親に甘えたい年頃でもある。だけど、それを蹴ってでも、社会人となった。何故ですか?」


 いつもオドオドしている樹からは予想だにしない気迫に、だらけていた全員が背筋を伸ばした。


「やはり、心のどこかに、「頼ってばかりではいけない。」「独り立ちがしたい。」って、思ったのではないでしょうか。でも、それで良いんです。私も、皆さんの歳の時には、そう思いました。じゃあ、独り立ちってなんでしょう? ここで、私は、ある答えを出しました。その一つが、料理です。私も高校までは、いつも母が朝食、弁当、夕食を作ってくれていました。ですが、社会人になった途端、それが甘えだと感じ、親元を離れ、自炊する様になりました。――と、言う訳で……。」


 ――場所を移し、ここは泊まる宿の厨房。この宿には、管理人はいるが、在中はしない。料理人もいないので、完全に宿泊客が自分達でなにもかもしなければならない。ただ、冷蔵庫の中身だけは、前もって管理人が入れといてくれるので、買い出しなどの面倒がないのが売りだ。樹達は、それぞれの部屋に荷物を置き、普段着に着替え、エプロンをすると、厨房に集まった。


「では、今晩は麻婆豆腐を作ります。」


 樹の声に、新人達が湧く。ピリッとする麻婆豆腐は、疲れた身体にほどよく染みわたる。全員で並んで手を洗うと、樹は指示を出した。


「じゃあ、本木もときさん。まずは木綿豆腐二丁をキッチンペーパーに挟んで上から圧を掛け、しっかり水切りしてください。」

「あ、は、はい。」

「ゆっくりと圧を掛けないと、潰れてしまいますからね。あ、途中でキッチンペーパーも換えてください。」

「はいっ。」

「そして、女性陣には、付け合わせを作ってもらいます。金木かねきさん、野村のむらさん、ニンジン、大根、キュウリ、ハムを千切りにしてください。あ、長さは大体四センチくらいでお願いします。」

「はい。」

「分かりました。」

「チューブの生姜とニンニク、小口切りしてあるネギを炒めるのは……佐伯さえきさんで。油跳ねには気を付けてくださいね。」

「はい。」

「司さんは、鶏ガラスープ、酒、醤油、砂糖、味噌、片栗粉を配合してください。一応、分量は言いますが、結構、重要ですよ。」

「分かりました。」


 一通り指示を出し、それぞれ調理に入ってもらう。その間に、樹は別の物を作る。勿論、全体の様子を伺いながらだ。手が止まっていたら空かさず様子を見に行き、指示した事が出来かけていたら次の指示を出した。


「よし、挽き肉を入れて、色がしっかり変わるまで炒めたら、豆腐を手で一口大に潰しながら入れてください。そして、合わせてもらった調味料を入れて沸騰させたら完成です。あ、ごま油も忘れずに。」

「うわぁ、初めて麻婆豆腐作れた……。」

「結構簡単ですね。うーん……、良い香り……。」

「大量に作れるし、良いね。」


 男性陣の麻婆豆腐は完成だ。ごま油の良い香りが、空きっ腹を刺激する。次は、女性陣の付け合わせだ。行ってみると、金糸卵が出来上がり、野菜を切り終え、指示していた調味料を配合している最中だった。


「お疲れ様です。」

「あ、片岡先輩。」

「後は、どうしたら……。」

「では、ボウルに入れた野菜にドレッシングを入れてよく混ぜてください。そこへ、すりゴマと金糸卵を入れて混ぜたら、サラダの完成ですよ。」


 女性陣の方も、上手く出来上がった。ここで本来なら器に小分けするが、このままでテーブルに持って行かせる。勿論、これは皆が仲良くなれる様に仕掛けたものだ。炊いておいた白米を碗に入れる。樹が作った餃子入りの中華スープも器に注ぐ。それぞれテーブルに置き、取り皿を置けば、準備が出来た。


「では、皆さん。今日はお疲れ様でした。いただきますっ。」

『いただきますっ。』


 手を合わせると、一斉に箸を伸ばす。皆が皆、ガツガツと食べ続ける。それを見届けると、樹も箸を伸ばした。


「うん、麻婆豆腐の味付けバッチリですね。生姜とニンニクの香りも立ってるし、豆腐も食べ易い大きさだ。身体の内からポカポカしますね。付け合わせも箸で取り易い。太さが違うので、触感も楽しめます。ドレッシングの酸味が麻婆豆腐の油を中和してくれるので、胃に優しい。どちらも、ご飯が進みますね。」


 オカズを摘まみながら、時折感想を述べ、ご飯を掻き込む。それを全員が箸を止め、見詰めていた。ふと、その視線に気が付いた樹は、思わず喉にご飯を詰まらせ、咳き込んだ。すかさずお茶を一気飲みする。


「はぁ、はぁ……。ど、どうかしましたか……?」

「あ、いえ、なぁ……?」

「うん……。」


 どうも皆、歯切れが悪い。もしかして、美味しくなかったとかだろうか。そうしだとしたら、指導した樹の責任になる。血の気が引き、変な汗が吹き出してきた。恐る恐る、次の言葉を待った。


「ほ、褒められたのって、なんか、新鮮で……。」

「そうそうっ。学校の先生とか親って、なかなか褒めてくれる事なかったんで、嬉しいんです。」

「褒めたとしても、大概は、「俺の教え方が良かったから、お前は出来たんだぞっ。」って感じが滲み出てたんですよ。でも、先輩の褒め方って、全然違うくって……。」

「心の底から、褒めてるんだなって感じるんです。それに、研修が終わった時の言葉も、身に染みました。」

「私達は、独り立ちしようって思い立って来たのを再確認させていただきました。だから、ありがとうございます。片岡先輩。」


 口々に出てくる意外な言葉に、樹は声が出せずにいた。別に、普通に褒めただけだ。自分が指示を出したが、皆、誰一人として抜け出そうとしなかったのが、嬉しかったのだ。暫くポカンとしていたが、次第に顔に熱が籠ってきた。汗も、尋常じゃないくらい溢れる。


「あっ、えっ、あのっ!? だ、だだ、だって、皆、一生懸命やってくれたし!? 全部、美味しいし!? だ、だから、これは、皆の功績であってっ……お、俺は……お礼なんて……。寧ろ、俺の方が……皆に、お礼……っ。」


 完全にどもっているが、伝えたい事を伝えた。だが、上手く声が出てこない。視界も、霞んでくる。鼻水が流れ落ちそうになったから、思いっきり啜った。そうしたら、伝わったのかどうか分からないが、笑っていた金木の瞳から一筋涙が溢れた。それに続いて、他の人も涙ぐむ。樹は、溢れる涙を袖で擦った。そして、息を整えると、ニカッと笑った。


「……っ、ほ、ほらっ!! 早く食べないと冷めますし、私が全部食べちゃいますよっ!?」

「うわっ!! それは、勘弁してくださいっ。」


 こうして、新人研修一日目の夜は更けていった――……。


―本日のメニュー―

・麻婆豆腐

・中華風さっぱりサラダ(ニンジン、キュウリ、ハム、金糸卵、大根)

・中華風水餃子のスープ(餃子、モヤシ、レタス)

・白米

・お茶






End

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