六食目 暑い時には、ひんやり蕩けるフルーツたっぷりかき氷
「あっつー……。」
まだ、五月上旬だというのに、汗が吹き出る。窓を開けてはいるが、温風しか入ってこず、喉の渇きがピークになる。飲みかけのアイスコーヒーに口を付けると、生ぬるかった。
「こうも暑いと、ビアガーデンとか行って一杯やりたいですね。」
「あー、確かに。どっかでやってないかな。」
仕事中にも関わらず、ビールが飲みたいとか言い出す、両隣の鈴井と仲眞。だが、樹はただひたすらパソコンへ向かった。兎に角、きりの良い所まではやってしまいたかった。何故なら、こんな日の為に、とっておきの物を社内の給湯室に用意していたからだ。
「ちょっ、鈴井先輩……。片岡先輩、なんか怖くないですか?」
「あー、あの顔は、仕事じゃなくて食だな。誰かと食事の約束でもしてるんじゃね?」
そんな会話も、樹の耳には全く通ってなかった。早く時間が過ぎるのを心の底から祈りながら、パソコンとにらめっこしていた――。
「――よしっ、出来た。」
なんとか、きりの良い所まで出来た。時計を見ると、十二時を少し回っていた。計画上では、まだ余裕がある。寧ろ、少し早い位だ。
「……そうだ、スーパーに行ってこよう。」
弁当を食べるよりも先に、手提げかばんからエコバックと財布を取り出し、会社を出る。照り返しの暑さに挫けそうになったが、スーパーまでの我慢だと思えば、足は自然と軽くなる。樹は、垂れ流れる汗を時折ハンカチで拭いながら、スーパーを目指した。暫くして、目的地であるスーパーに着いた。滑り込む様に中へ入ると、涼しい風が身体に当たる。だが、何故か汗が止まらない。少し戸惑ったが、樹はハンカチで拭いてから、店内を歩いた。
「はぁ……、えっと、果物コーナーは……。」
だが、このスーパーに頻繁に来てる訳ではないので、どこに何が置いてあるのか把握出来ておらず、樹はウロウロと歩き回る。結構な広さの、このスーパー。角を曲がっても曲がっても、目当ての物を発見出来ない。このままだと、昼休憩が終わってしまう。そう思った樹は、近場に居た店員に声をかけた。
「す、すみません。果物コーナーってどこでしょうか。」
「果物コーナーですか?それでしたら……。」
「あ……。」
「あれ?」
意外な出会い方に、お互いにビックリして固まる。声をかけた店員は、なんと智里だった。赤色のエプロンと三角巾をし、胸元には名札と研修バッジをしている。予想だにしなかった事に、頭が混乱してきた。だが、そんな樹に対し、智里は微笑んでいた。
「この時間に会うなんて、珍しいですね。間食の買い出しですか?」
「え、あ、まあ、そんな、ところ、です……。」
視線を泳がせ、しどろもどろになりながら答える。まさか、こんな所で出会うなんて、思いもしなかった。汗がまた、吹き出る。
「今でしたら、苺がお得ですよ。時期から外れるんで、多い量で安いですし。それにココ――……。」
コッソリ耳打ちしてくれる智里。親切でしてくれているんだろうが、樹には毒だった。今まで、妹や母親以外の女性に接近された事などない。対面するだけでも緊張してしまうのに、顔を近付けられたら、もうパニックだ。思わず、顔を反らしてしまう。顔は愚か、耳や首まで熱を持っている。恐らく、真っ赤っかの茹でダコ状態であろう。
「あ、あのっ、あのっ……。」
「――……あっ、……ご、ごめんなさい。」
「……へ?」
何を思ったのか、智里は頭を下げてきた。何がなんだか分からない樹は、ただ、右往左往するしかなかった。取り敢えず、こんな公衆の面前だ。智里の頭を上げさせ様と、樹は智里の両肩に手を置いた。
「と、取り敢えず、頭上げてくださいっ……。」
「片岡さん……。」
漸く顔を上げた智里に、今度はギョッとした。両目を潤ませ、今にも涙が零れそうではないか。その表情に、更にパニックになって完全に我を失った樹は、いつの間にか智里を抱き締めていた。勢いで落ちたのか、視線の先には、赤い三角巾が無造作に床に落ちている。周りから、女性客や男性客の「キャーッ!!」や「ドラマ!?」とか聞こえてくるが、混乱状態の樹には、一切耳に入ってこなかった。かくいう智里も、突然の事に頭が着いていっていなかった。
「あ、あの、片岡さん……?」
「……。」
「ちょっ、離しっ……。」
「……しゃ……。」
「……え?」
「ま、まま、前田しゃっ……。」
変な声がしたので見上げてみると、顔を真っ赤にさせ、尋常じゃない位の汗を掻いている。それに、目が可笑しな方向を向いている。そして、そのまま智里に凭れ掛かる様に倒れた。無論、力の抜けた成人男性を支えれる訳もなく、一緒に倒れ込む。だが、腕の力も抜けたので、素早く樹から離れた。倒れ込んだ樹の頬を触ってみると、とんでもなく熱く、目の焦点が合っていなかった。
「凄い熱っ……。もしかして、熱中症!?」
「うえっ、……気持ち、わ……。」
「んもうっ!!」
完全に目を回してしまった樹。呆れながらも、智里は職員を呼び出し、休憩室へ運んだ――。
「――……あ?」
見慣れた天井が見える。なんで、天井を見上げているのか、樹の頭は整理出来なかった。ボンヤリしたまま、天井を見続けていると、カーテンが開いた。見やると、職場の面々が心配そうな
「樹ちゃんっ、倒れたって聞いたぞっ。大丈夫なのか?」
「あー……、岡元先輩……?」
「片岡さんっ。」
「樹っ。」
「先輩っ。」
「あ、れ……? なんで、皆……。」
「……覚えて、ないんですか?」
それから、何があったのかを聞いた。スーパーから連絡があり、岡元と仲眞が迎えに行った。休憩室で寝かされた樹の顔は赤く、汗が滝の様に流れていた。そこに居た救急隊員から、熱中症の初期レベルと診断。入院とまでもいかずとも、しっかり休養を摂れとの事だった。取り敢えず、スーパーの休憩室に寝かせたままにする訳にはいかないので、会社の仮眠室へ連れて帰ったのだ。
「……そんな事が……。」
「若い女の子が、電話してくれたんだ。」
「わ、かい……、前田さんっ!?」
勢いよく上体を起こすと、頭痛が走った。痛む頭を押さえると、御木本が「急に動いたらダメですよっ!」と、背中を擦る。だが、そんな事、どうでも良かった。智里には迷惑を掛けてしまった。それに、あの涙の理由を聞かなければならない。居ても発ってもいられなくなった樹は、ふらついているのにも関わらず、ベッドから降りようとした。その時、部屋の扉が開いた。
「――し、失礼しますっ。……て、あれ?」
入ってきたのは、智里だった。肩で息をしながら、手に紙袋を持ち、こっちを見ながらポカンとしていたが、樹が起き上がっているのを見つけると、血相変えて走り寄った。
「あ、あの、前田さ――……。」
「良かったっ……。良かっ……。」
ポロポロと涙が零れる。走って来てくれたのか、その顔は赤く、汗も滲み出ている。本当に心配してくれたのが、よく分かる。
「ごめん、なさい……。心配おかけして……。」
「本当ですよっ!! あの時、可笑しいとは思ってましたけど、まさか熱中症になってるなんて……。」
泣きながら叱りつける。まだ、出会ってから一ヶ月程度しか経っていないのにも関わらず、ここまで心配してくれたのは、とても嬉しい。サイドテーブルに置いてあったディッシュを一枚取り、智里の目元へ持っていく。その二人の姿を見て空気を読んだのか、御木本が男共の背を押して部屋から静かに出ていった。
「あ、そうだ。良かったら、かき氷食べませんか?」
「……? かき氷……?」
「はい、かき氷。汗、凄いですし、ね?」
「……片岡さんらしいですね。」
言い出した時は、怪訝そうな
「あ、それでしたら、これ使ってください。」
「これは、……果物?」
持ってきていた紙袋を手渡す。見やると、苺にメロン、グレープフルーツにサクランボと、旬の果物が沢山入っていた。
「パートのおばさん達が、「持っていってやりなっ。」て言って、詰めてくれたんです。」
「な、なんだか、申し訳ないですね……。」
見ず知らずのパートのおばさんにまで、心配させてしまい、なんだか恐縮してしまう。しかも、熱中症に効く物ばかりだ。本当にありがたい。だいぶ身体が軽くなった樹は、ベッドから降りると、給湯室へむかった。それに続き、智里も部屋を出た。
「――あ、もう三時過ぎてるな……。」
時計を見ると、四時近くだった。冷凍庫を開け、円柱型のタッパーを三個取り出す。蓋を開ければ、カチコチに固まった半透明な氷。タッパーと氷の間のナイロンを引っ張れば、スポッと抜けた。
「へぇ、凄いですね。」
「そのままで作ると、氷が取れなくなるので、タッパーにナイロン袋を引っ掻けて、そこに液体を入れました。」
「なるほど。それで、気持ち良くタッパーから取り出せたんですね。」
戸棚から、かき氷機を引っ張り出す。箱に入った状態で、使った形跡以前に、出された様子がない。軽く水洗いして、布巾でしっかりと水気を取る。そして、氷柱とガラスの器をセットし、ハンドルを回す。ガラスの器は、岡元に茶碗と一緒に頼んで買ってもらった新品だ。ガリガリと音を発てながら、きめ細かい氷が器に溜まる。それに、熱い視線を送る智里。
「わぁ、かき氷だ……。」
「……やってみます?」
「え? 良いんですかっ?」
「どうぞ。」
ハンドルを譲ると、智里はおずおずとハンドルを握り、ゆっくりと回す。ガリッガリッと詰まらせながらも、楽しそうに回し続ける。樹は、それを見届けた後、紙袋から果物を取り出し、苺とサクランボを水を張ったボウルに浸けた。
「苺はヘタを取ってから、縦に五ミリ位に切る。メロンは種を除いて、そのままスプーンで身を削ぐ。サクランボはヘタと種を取っておく。グレープフルーツは外の皮を剥いて、半分に切ったら、薄皮に包丁を入れて、身を剥かす。後、メロンとグレープフルーツの果汁は使うから、しっかり皮とかから搾り取っておくっと。」
ボウルに切った果物を入れていく。果汁は計量カップに注ぎ込んだら、一口味見。メロンの甘さとグレープフルーツの酸味が程好い。これで、シロップの完成。一頻り出来たので手を洗っていると、台には四杯分のかき氷が出来上がっていた。その器を手に取り、果物を盛り付ける。そして、出来立ての果汁シロップを注ぐと、完成だ。
「じ、じゃあ、先輩達に渡してきますので。」
「はいっ。じゃあ、この分が終わったら、盛り付けちゃいますね。丁度、この氷で終わりですし。」
「では、宜しくお願いします。」
頭を下げ、お盆に乗せたかき氷を持って、岡元達が居るであろう、仕事部屋へ向かう。しっかりと扉が閉まったのを確認して、智里は一つ息を吐いた。
「……はあ、もう熱いなぁ……。」
手で扇ぐ。別に、かき氷を削っていたから熱い訳じゃない。でも、なんで熱いのか、全く分からなかった。モヤモヤして、なんだか気持ち悪い。喉で引っ掛かっている感じだ。
「ああっ、もうっ!!」
ガリガリと、このモヤモヤを打ち消す様にハンドルを勢いよく回す。もう、ほとんど削っていたので、直ぐに無くなる。だけど、智里はその事に気付かずに、ハンドルを回し続ける。
「――あ、前田さん。出来ましたか?」
突然の声かけに、「うひゃいっ!?」と、変な声を上げて大きく身体を揺らす。恐る恐る声がした方を向くと、樹が扉の所で腰を抜かしていた。慌てて駆け寄る。
「か、片岡さん!? だ、だだ、大丈夫ですか!?」
「あ、あはは……。すみません、私が急に声をかけたから……。」
「い、いえっ。私が大声上げてしまって……。」
そのまま、押し黙る二人。暫くの沈黙の後、耐えきれなくなった智里が、口を開いた。
「あ、あのっ、かき氷食べませんか?」
「あ、そ、そうですねっ。食べましょうっ。」
立ち上がった二人は、器を置いている台へ向かう。すると、氷が半分位、溶けてしまっていた。
「ご、ごめんなさい……。」
「いえいえ、大丈夫ですよ。このまま食べましょう。」
「え、でも、これじゃあシロップを入れても薄くなっちゃう……。」
ショボくれる智里に対し、樹は微笑んだ。ボウルにある果物を全部盛り、果汁シロップをしっかり注ぐ。
「はい、どうぞ。」
かき氷とスプーンを手渡す。智里はそれを受けとると、溶けかけの氷とシロップ、苺を掬い、口に入れる。すると、目を見開き、驚いた。
「え、薄くない……。それより、甘味が増してるっ。それに、氷がスッと口の中で溶ける。何で……?」
「秘密は氷です。」
かき氷を食べながら、樹は氷を指差した。だが、特に可笑しな所はない。智里はクエッションマークを頭に浮かべた。
「実はこの氷、砂糖と少量の塩を混ぜてます。そうする事で、フワッフワの口溶けの良い氷が出来るんです。」
「だから、果物の甘味が増したんですね。」
納得した智里は、どんどんスプーンを進める。樹も、それに習ってスプーンを進めた。そんな二人の姿を扉の影から覗き見る、四つの影――。
「うひゃあ、樹ちゃんにも、漸く春が来たって事かぁ。」
「あ、あんな可愛い子と、いつの間に……っ。ってか、かき氷うまっ。キーンッてなんない。」
「ちょっ、氷落ちてますよっ。冷たいっ!!」
「てか、静にしてよっ。いい所なんだからっ。」
「……なに、スマホで動画撮ってんですか。」
「ってか、御木本が一番煩いから。」
「うっさいわっ。この、イケメンの無駄遣い共がっ。」
「いやぁ、青春だね。」
そんな言い合いが、直ぐ近くでやっているなんて、二人は全く気付かなかった。
「――……そう言えば、あの時なんで泣いてたんですか?」
「あの時……? ああ、スーパーに居た時ですよね。なんか、目にゴミが入ったみたいで、痛かったんですよ。」
「なるほど。目になにか入ると、痛いですよね。」
―本日のメニュー―
・かき氷(砂糖と塩入り氷、苺、メロン、グレープフルーツ、サクランボ)
End
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます