三食目 母の味肉じゃがで、お返し

「……。」


 平日の午後。殆ど手の動いてない樹を遠巻きに見ている三つの影。同僚の御木本 綾、鈴井すずい 直人なおと、後輩の仲眞なかま 駿しゅんだった。


「……ねぇ、片岡さん今日おかしくない?」

「確かに。昼休憩の時、トイレで会ったんですけど、用をたしながら上の空でしたもん。」

「それに、今日の弁当。超手抜きだったよね。白米と梅干しだけって。超美味そうな弁当を毎日持参してるあの人が、ありえないし。」


 両隣と向かい側に席が有る三人は、いつもなら、こだわり抜いた弁当を持ってくるのに、今日はあまりにも手抜き過ぎているのを見ていた。これは、おかしいと、三人は睨んだ。


「女性トラブルとか?」

「いや、彼には恋人は居ない筈よ。フリーよ、フリー。」

「じ、じゃあ、料理に行き詰まったとか?」

「いや、それはない。アレを見てみろ。」


 そう言って指差した先には、まだ勤務時間だというのに、有名なお料理雑誌を隠す事なく堂々と読む樹の姿があった。


「怪し過ぎるわ。」

「怪し過ぎますね。」

「怪しい通り越して、ダメだろ、アレは。」


 鈴井の言う通り、雑誌を読み耽っていた樹の所に、岡元が行った。肩を叩かれ、慌てて立ち上がると、何度も頭を下げる。三人とも、「やっちゃったな。」と、思っていたら、怒る素振りも見せずに、岡元が誰かに手招きしている。そして、一人のOLが樹の所にやって来た。


「ちょっ、あの人ってまさかっ!!」

「田嶋さんじゃないっ。」

「えっ、何で何で!?」


 岡元が呼んだのは、社の受付嬢である田嶋たじま あかりだった。何故、彼女を呼んだのか気になった三人は、樹達の近くに有るコピー機の所まで行き、隠れながら聞き耳を立てた。


「若い子なんですか?」

「え、えぇ。それで、何が良いかと……。」

「片岡さんの、得意なものってなんですか?」

「えっと、その……り、料理……ですけど……。」

「そう、片岡さんの得意なものは、料理じゃないですか。若い子で、上京したてだったら、お母さんの味が恋しくなるものです。まぁ、私に出来るアドバイスは、この位ですかね。……では、私は持ち場に戻りますので。」


 にこやかに手を振りながら去っていく。残された樹も、あまりのあっさり感に、ポカンとしながら見送っていた。


「お母さんの味……。」


 うわ言の様に呟く。少し浮かない顔をしていたが、なにか閃いたのか、端から見ても分かるくらいに明るくなった。そして、何度も田嶋の後ろ姿に深くお辞儀すると、颯爽と自分のデスクに戻り、パソコンのキーボードを叩いた。


「……なに、あれ。」

「……さあ。」

「……料理って言ってましたね。」


 一部始終聞いていた三人だが、全くと言ってもいい程、何故、樹が上の空だったのか、何故、受付嬢でもある田嶋が樹の相談にのっていたのか、何故、最終的な答えが料理なのか、よく分からなかった。このまま三人揃って頭を悩ませても仕方ないので、ここで各自の仕事に戻る事になった。


「うん、これだっ。」


 一方、樹はと言うと、仕事をしているかと思いきや、いつもアクセスしている料理の大型掲示板で、何を作るか模索していた。


「――……では、お先に失礼します。」


 今日は残業もなく、定時で上がれた。まだ残っている社員に頭を下げ、樹は職場を出た。――が、直ぐに扉が開き、樹が御木本の所まで慌ただしく戻ってきた。あの平々凡々な樹が形相を変え、予想だにしない勢いとスピードに、残っていた全員が冷や汗を垂らす。


「あ、あの、御木本さんっ……。」

「は、はいぃぃっ!! ななな、何でしょうかっ!?」


 顔を赤く染め、肩で息をしながら、御木本を見つめる。普段なら何も思わないが、妙な色っぽさに、御木本の心拍数が上がっていく。ドキドキしながら、次の言葉を待つ。


「前、食材買ってきたスーパー、教えていただいても、良いですか……?」

「…………え?」

「ダメ、ですか……?」


 思いがけない言葉に、ポカンとしていると、樹が捨てられた子犬の様な目をして、見下げてきた。母性本能が掻き立てられ、更に、ドキッとしてしまう。が、ここは冷静を装い、一つ息を吐き出した。


「……なんだ、そんな事ですか。えっと、駅近くの商店街付近ですよ。大きいし、直ぐに分かりますよ。」

「あぁ、ありがとうございますっ。早速、行ってきますっ。」


 樹の尻に犬の尻尾が生えて、ブンブン音が鳴る位振ってるのが見える位、喜んでいるのが分かる。御木本も、なんだか嬉しくなった。樹は、今一度お礼を言うと、今度こそ足早に退社した。行く先は、商店街付近のスーパーだ。


「――ここかぁ。」


 御木本の言う通り、商店街付近まで行ったら、直ぐに看板が目に入った。夕方だからだろうか、女性が多い。そんな中に、自分みたいなサラリーマンが入るのは、ちょっと勇気がいる。ドキドキしながらも、樹は意を決してスーパーの自動ドアを潜った。


「うわぁ、スゴいな……。」


 思わず、本音が溢れた。いつも通ってるスーパーとは、似ても似つかない位、大きいし、色んな生鮮食品が並んでいる。それに、人が多い。女性ばかりかと思っていたが、結構若い男性も居る。驚いてばかりいたが、目的を思い出し、カートを押した。


「えっと、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、豚コマ……。」


 次から次へと、食材を入れていく。どの商品もだが、このスーパーで扱っている物は、規格外商品みたいで、一袋辺りの量は多いし、破格レベルに安い。自炊している身としては、とても助かる。年甲斐もなくウキウキしながらコーナーを曲がると、大きな字で書かれたポップを発見した。


「……これは、付け合わせに使えるな。」


 迷わず、それもカートに入れた。これで、買い物は終了。後は、帰って調理だ。


「――さてと。」


 自宅に着くなり、樹は上着を脱ぎ捨て、紺色のエプロンを着ける。手を念入りに洗うと、早速調理に取り掛かった。


「先ず、ジャガイモをよく洗ってから、皮を剥いて、少し大きめに切る。」


 トントンと、歯切れの良い音が響く。樹は、この音が好きだった。料理好きな母と、料理人だった父が奏でる音を小さい時から聞いていた。幼少期には、料理人になると意気込んでいたのを今でも思い出す。


「次は、ニンジン……。」


 思い出に耽りながら、どんどん材料を切っていく。ニンジンは、皮を剥いたら大きめの乱切り、玉ねぎは、ぶ厚めに縦に切り、豚コマは、一口大に切る。と、ここで隠し味になる生姜を皮付きのまま、薄めにスライス。これで、肉じゃがの準備は整った。


「深手の鍋に、お出汁と薄めた麺つゆを入れ、火の通りにくいジャガイモ、ニンジンを下にして、豚コマ以外の材料を入れていく。そして、着火っ。」


 中火で煮込んでいる間に、付け合わせを作る。今が旬の、釜あげしらす。このままでも、プリプリした触感が美味しい釜あげだが、これに一工夫加える。一緒に買った絹ごし豆腐を適当な大きさに切り、キッチンペーパーに挟んで水をしっかりきる。小さな鍋で湯を沸かしている間に、とろろ芋をさいの目に切り、メカブを細かく刻む。沸騰してきたので、塩を一摘まみ入れ、オクラをさっと茹でたら水で冷まし、小口切りにする。


「そして、極めつけは、この納豆っ。」


 あまり臭いがしない納豆に、タレを入れてしっかりと混ぜる。少し深めの器に、水をきった豆腐を入れ、その上に、納豆、メカブ、とろろ芋、オクラ、しらす、鰹節を乗せ、胡麻油と醤油を一回し。付け合わせの、ネバトロ豆腐和えの完成だ。


「っと、沸騰してきたな。」


 煮込んでいた、鍋の蓋から蒸気が吹き出る。そっと開けると、コトコトと音を発て、麺つゆと生姜の良い香りが、鼻を擽る。ここで、豚コマを投入。少し経てば、色が変わり、灰汁アクが出てくるので、丁寧に取り除く。そして、落し蓋をし、弱火でもう少し煮込む。その時、朝仕掛けておいた炊飯器から、炊き上がりを知らせる音がした。蓋を開けると、湯気が舞い、その中から艶々ツヤツヤの米が覗く。思わず、ゴクリと喉を鳴らした。だが、これだけで終わる訳がない。樹は、口端から垂れる涎を袖口で拭き、戸棚からフライパンを取り出した。


「っ……、フライパンを熱して、胡麻油を入れ、そこに、使い終わった出汁パックの中身を入れて、しっかり炒る。」


 最初は、湿気ているから、ジュワジュワと音を発てていたが、次第に音が小さくなり、パラパラになった。醤油、砂糖、味醂を加えてしっかり炒ったら、火を止めて、残っている釜あげしらすを加える。これで、簡単ふりかけの完成だ。


「後は、この出来立てふりかけをご飯にっ。」


 匙で、ご飯全体にふりかけを掛け、しゃもじで切る様に混ぜる。手を濡らし、熱々のご飯を握っていく。簡単ふりかけのおにぎりの完成。


「ふーっ、あっつー。っとと、そろそろ良いかなー。」


 米の付いた手を洗い、鍋の蓋を開ける。ふわっと香る優しい香りに、腹が鳴る。いつもの様に、味見という事で、一番味が染みにくいジャガイモを一つ菜箸で摘まむ。ホコホコと湯気が立ち上がる。息を吹き掛け少し冷ましてから、一気に口に頬張った。


「あっ、あふっ、ん、うんまっ、ひっ……。」


 中までよく染み込み、ジャガイモ自体の旨味も合わさって、美味しく出来ていた。深皿に肉じゃがを盛り、平皿には、おにぎりを二、三個、小鉢にネバトロ豆腐和えを盛り合わせ、盆に乗せてラップをしてから風呂敷で包む。


「よしっ、行くか。」


 風呂敷を抱え、いざ、前田の部屋へ行く。――が、ここまで来て、ある問題点が浮上した。


「……部屋、知らないじゃん。」


 ここは、三階建てのアパート。しかも、各部屋の表札は無く、それぞれが渡される鍵に、その部屋の番号が書かれている。つまり、誰がどの部屋に入っているのか、他人には分からない仕組みになっているのだ。今さらながら、その事に気づいた樹は、ガックリと膝を落とした。もう、夜になっている。こんな時間に、女性である前田が出歩いている筈がない。仕方がないので、管理人さんに食べてもらおうと、部屋を出た。


「あれ、片岡さん?」

「え、あ、ま、前田さんっ……?」


 鍵を閉めようとした時、偶然にも前田が通りがかった。偶然とはいえ、なんともツイている。幸福感にうちひしがれていたが、当初の目的を思い出し、勢い良く風呂敷を前田に差し出した。


「ああ、あの、この間のパンと卵と牛乳、美味しかったですっ。そ、それで、あの、その、お、お返し……。」


 緊張してか、上手く言葉が出てこない。しどろもどろになりながら、必死で言葉を探す。暫く、樹を見ていた前田は、クスッと笑うと、風呂敷を受け取った。


「ありがとうございます。中身を伺っても……?」

「に、肉じゃがと、和え物、おにぎり、です。一応、私の、手作り……。」

「まぁ、スゴいっ。今日はバイトの面接があって遅くなったんで、夕飯どうしようと思っていたんです。私、肉じゃが大好きなんですよ。」


 「嬉しい、嬉しい」と言いながら、風呂敷を抱き締めるその姿に、樹の胸が熱くなった。


「では、お皿が空きましたら、また持ってきますね。」

「は、はいっ。いつでも、大丈夫ですっ。」

「それでは、ありがとうございました。おやすみなさい。」


 深く頭を下げると、前田は隣の部屋のドアノブを捻った。幸せに浸っていた樹は、扉が閉まるまで見送り、そして、自分も部屋に戻る。そして、玄関先で膝を落とした。


「……部屋、隣だったのね……。」


 緊張が解けたからか、腹が盛大に鳴る。トボトボと台所に向かい、少し冷めた肉じゃがを温め直した。その頃、前田は――。


「ふふっ、いっつも美味しそうな匂いがしてたから、気になってたんだよねー。」


 まだまだ、段ボールが積み重なった廊下を掻い潜り、リビングに置いた真新しい机の上に、風呂敷を置き、紐解く。ラップ越しでも分かる位、優しい香りが広がる。


「では、いただきます。」


 ほんのり温かい肉じゃがを一口。ホロホロと溶けるかの様に砕けるジャガイモは、しっかりと味が染み込んでいる。すかさず、おにぎりにも手を伸ばす。程好い甘辛さが、ご飯の甘さを引き立て、良く合う。納豆臭さを感じさせない、ネバトロ豆腐和えは、野菜もしっかり入っているし、バランスが考えられている。お上品に食べていたが、いつの間にかガッツいて食べており、直ぐに皿が空っぽになってしまった。


「美味しかったーっ。こんな美味しいご飯、食べれる彼女さんは、幸せだろうな……。」


 頬杖を付き、余韻に浸っていた――。


――本日のメニュー――

・おにぎり(釜あげしらすと出汁パックの出がらしで作ったふりかけ)

・肉じゃが

・ネバトロ豆腐和え






End

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