二食目 出逢いのフレンチトースト

 ――白い皿の上で踊る様に震える、鮮明なトマトケチャップと刻んだパセリで彩られた半熟フワフワのオムレツ。カリカリに焼いて香ばしい香りを立たせるフランスパンの上で、流れる様に蕩けるバター。挽き立ての良い香りを漂わせるブラックコーヒー。それらを目の前にして、誰が涎を口端から垂れ流さず、腹を鳴らせないだろうか。


「っ……いただきますっ!!」


 真っ新なテーブルクロスを敷いたテーブルに並ぶ、高級ホテルの朝食レベルの美味しそうなそれらに、樹はナイフとフォークを手に、はしたなく飛び付いた。ナイフで刺しただけでトロリと流れ出す半熟オムレツをフォークで持ち上げ、涎を口端から垂れ流しながら口に運んだ――。


「……あれ?」


 だが、口に運んだ割には味はしないし、作り立ての良い香りさえしない。目の前に広がるのは、脱ぎっぱなしの服や雑誌で散らかり放題の自分の部屋だった。時計を手に取り見ると、十時を示している。


「夢……かよぉー……。」


 夢に留めておくには勿体ないくらい、リアルなものだった。思い出すだけで、腹が鳴る。今日は平日だが、連日残業したお陰で休みだ。時計をサイドテーブルに置き直し、のそのそとベッドから降り、台所に向かう。今日の朝食は、夢にも出たオムレツとフランスパン、そしてコーヒーだ。夢と同じ様な物は作れないだろうが、今日はこれで決定だ。鼻歌を歌いながら、冷蔵庫を開ける。


「……何も無い、だと……っ!?」


 だが、空席だらけの冷蔵庫。有るのは、マーガリンと栄養ドリンク、後は調味料だけだった。作れる要素が微塵もない。普段は何かしら買って帰るのだが、昨夜は深夜に帰ってきたから、スーパーもコンビニも寄る気がしなかったのだ。


「ぬぁぁっ……!! 俺のオムレツが……!! 俺の半熟がぁぁっ!!」


 項垂れる樹を冷蔵庫の冷気が冷やしていく。今更、ご飯を炊く気にもなれない。仕方ないので、近場にあるコンビニにでも行くかと立ち上がった時、玄関のチャイムが鳴った。時間帯的に押し売りか、新聞の勧誘かと思って無視していたら、連続でチャイムを鳴らしてきた。


「っ、あぁ、もう、はいはいっ。今出ますよっ。」


 ドスドスとわざとらしく足音を発て、ドアスコープで相手を確認せずにドアを開ける。眉間に皺を寄せていた樹だが、ドアの前に立っていた人が視界に入った途端、苛立ちが消えた。


「朝から、すみません。私、このアパートに引っ越してきた、前田まえだと申します。」

「……。」


 ――可愛い……。見た瞬間、樹は、そう思った。まだ、あどけなさがある感じからして、樹よりも年下。天然パーマなのか、肩まである髪は、緩くカールしている。その人がかもし出す雰囲気が、デフォルメの花が咲いているかの様にフワフワしていると表現しても過言じゃない。暫く、ボーッと前田を見ていたら、首を傾げられた。


「……あの?」

「え、あっ、す、すみませんっ。わ、私は、片岡と言いまひゅ。」


 慌てて自己紹介したら、噛んでしまった。恥ずかしさのあまり、顔が熱い。すると、前田はクスクスと笑っていた。それに釣られる様に、樹も笑う。


「あ、そうだった。あの、宜しかったらコチラお食べください。」


 そう言って、手渡された大きな紙袋。中を確認してみると、そこには、良い香りがするバケットと、ネットに包まれた卵、そして珍しい瓶入りの牛乳があった。しかも、どれも大量。一人で食べるには、少し大変な量だった。


「これ……?」

「私の実家、北海道の農家なんです。バケットは、馴染みのパン屋で買いました。美味しいので、召し上がってくださいね。」


 一つ頭を下げると、「よっこらしょ。」と掛け声を掛けて、足元に置いていた同じ紙袋を両手で四つさげた。そして、今一度、頭を下げると、隣の部屋に向かって行ってしまった。ポカーンと、その様子を見ていた樹だが、盛大に鳴った腹の音で我に返り、慌ててドアを閉めた。聞かれてなかったら良いのだが、如何せん、恥ずかしい。いそいそと台所まで、紙袋を持って行った。


「うわぁ、じっくり見ると、やっぱり旨そう……。」


 焼きたての様な香ばしいパンの香りが、鼻を擽る。卵も、どれも大きく、良い環境で育てられた鶏なのが良く分かる。さて、この突然現れた救いの恵み、どう調理しようか……。


「パン、卵、牛乳……と言えば、アレしかないでしょ。」


 台所の流しの下に有る小さなスペースに手を伸ばす。そこには、小規模ながらも、そこそこ多目に調理器具が収納されている。その中から、ボウルと泡立て器を取り出す。そして、そこに貰った卵と牛乳、常備してある砂糖とバニラエッセンスを入れて、泡立て器でよく混ぜる。


「バケットを適当な大きさに切って、浸す……。」


 しっかりと漬け込み、指で持ち上げると、バケットからトロトロと卵液が落ちる。バニラエッセンスの甘い香りと、濃いめのクリーム色をした卵液が、なんとも言えない。


「完璧っと。うん、甘い。」


 一度バケットを卵液に戻し、指に付いた卵液を舐める。口の中に、濃厚な卵と牛乳、砂糖の甘味が広がり、これから焼くのが俄然がぜん楽しみになった。


「熱したフライパンに、バターの代わりにマーガリンを敷いてしっかり溶かす。そしてっ!!」


 バケットをフライパンに投入。滴る卵液がフライパンに当たった瞬間、ジュワジュワと良い音が発つ。そして、香り立つバニラエッセンスの甘い香り。


「んーっ。しょっぱいのも良いけど、甘いのも良いよなぁ。」


 バケットを全部入れ終えた所で、余った卵液を茶漉しでこす。パンくずを除いた卵液をマグカップに入れ、五〇〇ワットのレンジで約二、三分温める。


「おっとっと、そろそろ良い感じに焼けてきたかなー。」


 マーガリンが少し焦げる匂いがし、慌ててバケットをひっくり返す。綺麗なきつね色だ。後は、蓋をして弱火でゆっくり火を通す。そこで、レンジが鳴った。扉を開けると、甘い香りが漂った。マグカップを取り出すと、中に入れていた卵液がプルプル震える。


「ここで、ラップで蓋をして蒸す。」


 大体、十分くらい置いておけば、人肌くらいに冷めて完成だ。待ってる間に、フライパンの蓋を開けてバケットを押してみれば、卵液が染みださない。しっかりと火が通った証拠だ。食器棚から、プレートを取り出し、焼き上がったフレンチトーストを乗せていく。甘いけど、香ばしい香りが鼻を擽り、涎が溜まっていく。


「さて、コーヒーは……無い、なら、ホットミルクにするか。」


 適当な所に置いていたコーヒーの瓶の、中身が無い。仕方がないので、まだまだ沢山ある牛乳を温めて、ホットミルクにする。新しくマグカップを取り出し、七分目くらいまで入れて、レンジに入れる。


「あ、そういえば……。」


 レンジのスイッチを入れた時、昨夜の事を思い出し、リビングに掛けておいたスーツの所に向かう。ポケットを探れば、岡元から貰った一口チョコレートが出てきた。そこで、レンジが鳴った。チョコレート片手に台所に戻ってレンジの扉を開けると、程よく湯気の発つホットミルクの完成。


「ここに、チョコレートを投入っと。」


 ポチャンと音を発て、チョコレートをホットミルクの中に入れる。すかさず、スプーンで混ぜれば、仄かなチョコレート色の、ホットミルクチョコレートが出来た。お盆に、フレンチトースト、プリン、ホットミルクチョコレートを乗せ、リビングに持っていった。雑誌等が散乱する床を掻い潜り、陽の当たる窓辺に置いてある小さいテーブルに着いた。


「んじゃ、いただきます。」


  フレンチトーストを摘まみ、口に放る。熱しているのにも関わらず、濃厚な卵の味が口に広がる。ここに、蜂蜜でもあれば、更に旨いだろうが、ここは我慢だ。またの機会に置いておこう。そして、冷めない内に、ミルクチョコレートを飲む。牛乳の量に対してチョコレートが少なかったので、甘いフレンチトーストによく合う。


「シナモンが欲しいなぁ。スーパーに売ってるかな……。」


 テレビのスイッチを入れると、丁度、占いのコーナーに入った所だった。それを見ながら蒸しプリンを食べようと思ったら、スプーンを持ってくるのを忘れていた。もう少しで自分の星座だが、プリンが優先だ。樹は、台所に行き、引き出しからスプーンを取り出し、急ぎ足でリビングに戻った。


『……――の、始まりかも。ラッキーカラーは、薄黄色。ラッキーアイテムは、スプーン。』

「うわっ、肝心な所聞き逃したっ。ま、いっか。所詮、占いだし。」


 立ったまま、プリンを頬張る。テレビは、次の番組に変わっていた。


――本日のメニュー――

・フレンチトースト

・ホットミルクチョコレート

・プリン






End

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