冴えないサラリーマンの、冴える手料理

@tsukumo-yuhki

第一章 出会いの食材

一食目 オフィスで香るしょうが焼き

――「料理をするのは、女の仕事。男は外で重労働。家に帰ってきたら、必ず食事を用意して女が待っているのが当たり前。」


 そんな事を言う時代は、遠の昔だ。今では、一人暮らしをして自炊をしている男も居るし、自炊をせず、外食や栄養補助食品で済ませる女も居る。他人とのシェアハウスというのも、今では珍しくない。会社によっては、社員寮というのも在る。文明が発達したこの世の中、都内を少し歩けばコンビニや飲食店が、客の争奪戦をしまいと、物の品質や味、定価の競争をしている。そんな中、都内某所、とある中小企業のオフィス内。そこに、パソコンと睨めっこしながら腹を空かせている男が居た――。


「樹ちゃん、悪いけど今日も残業頼むね。」

「……はぁ、分かりました。」

「その分、明日は休んじゃって良いから。」

「ありがとうございます。」


 今月に入って、何度目の残業だろうか。定時で帰れた日を数えた方が、早いかもしれない。片岡かたおか いつきは、掛けていたブルーライト遮断機能付きの眼鏡を凝り固まった指先で外し、パソコンの見すぎてショボショボする目を擦ってから、今一度、眼鏡を掛け直してパソコンに向かった。もう、定時をとっくに過ぎているので、ポツンポツンとしか人が居ない。と、言うより、たった三人しか居ない。


「残業だったら、今夜もコンビニ弁当か。まぁ、旨いって言えば、旨いんだけどなぁ……。」


 残業が入った日は、大概コンビニで済ませている。種類は豊富だし、レンジで温めるだけで済むからオフィスで食べるには楽だ。今の時代、コンビニ弁当でもカロリー表記されていたり、サラダも別売りされていて、栄養が足りなくなる事はないのだが、樹にしてみれば、別に偏見している訳ではないのだが、少々偏っている様な気がしてならない。定時で帰れれば、自分でこしらえるのだが、今日みたいな残業続きの上では、料理する気になれない。


「あー……、腹へった……。」


 食べ物の事を考えると腹が減るのは、人間のさがだ。腹を満たす旨い食事は、生きていく上で大事なモノだと樹は思っている。気持ちや脳内環境が、自然とその後のやる気も上がるというものだ。暫く、空腹と眠気と闘っていたら、一緒に残業していた御木本みきもと あやが立ち上がった。


「これから夜食の買い出しに行きますけど、何か要望ある人居ますー?」

「じゃあ、うな丼。」

「お金出してくれるなら、買ってきますよー。それも、特上で。」

「流石に、それはムリ。高すぎるっ。嫁さんに怒鳴られちまうじゃねぇか。」


 そんな話を聞きながら、自分は何を食べようかなと、作業しながら考えていると、パソコンの画面に映ったモノに目がいった。それを見た途端、樹の腹は盛大に鳴り、涎が口の中を満たした。思わず、新しくタブを開き、有名な料理レシピサイトにアクセスする。


「片岡さん、決まりました?」

「あ、えっと、コレ……。」


 血眼になりながらサイトを見ていたら、御木本が聞きにきたので、すかさず樹はパソコンの画面をずらして見せた。すると、思いっきり背中を叩かれた。叩いてきたのは御木本ではなく、反対側に立っていた、先輩の岡元おかもと 太朗たろうだった。


「主夫の樹ちゃんらしいなっ。夜食考えるのに、料理のレシピサイト見るなんてよ。」

「先輩……。」

「主夫?」


 主夫とは、男性が家事をする事である。なんだか恥ずかしくなってきた樹は、顔を真っ赤に染め上げ、俯いた。そこをすかさず、岡元は畳み掛ける。


「コイツ、コンビニ弁当苦手なんだよ。なんか、栄養が偏ってる? とかでな。で、残業がある日以外は、夕飯作ってんだ。」

「え、すごーいっ。女の私でも、仕事上がりはめんどくさくて、外食したりするのに。」

「一回、コイツん家で食わせてもらったんだけどさ、これがまた旨いんだわ。」


 どんどん、岡元と御木本が囃し立てる。更に恥ずかしくなった樹は、デスクに顔を引っ付けた。ヒンヤリとしたデスクが、火照った顔を冷やしてくれるが、直ぐに温くなってしまう。湯気が出てくるんじゃないかと思う位、身体全体が熱い。


「あ、じゃあ、材料買ってくるんで、作ってくださいよ。」

「お、それナイスアイディアっ。作ってよ、樹ちゃん。」


 なんだか、話がえらい方向に進んでいる。頬を引き吊らせながら、デスクから顔を上げると、御木本は既に居なくなっていた。見渡してみると、出入り口の扉がユラユラと揺れて、そのまま大きな音を発てて閉まった。


「あ、えっと、あの、先輩……?」

「給湯室に、一応は調理器具揃ってるし、宜しく頼むよっ。」


 ガハハッと、豪快に笑いながら、岡元は自分のデスクに戻ってしまった。取り残された樹は、ただただ呆然とするしかなかった。


「ど、どうしよう……。」


 自分の欲求から、こんな事態になってしまうとは、思いもよらなかった。しかも、自分が作る羽目になるとは、予想だにしていなかった。確かに、自分でよく食事を作りはするが、家族以外の他人に食べさせた事がほぼないと言って良い位なので、岡元は「美味しい。」と言ってくれたが、本当に味に自信がない。どうしよう、どうしよう……と、頭を抱えて悩んでいたら、いつの間にか大分時間が経っていた様で、御木本が息を切らしながら大きな袋を両手に抱えて帰ってきた。


「ただいま帰りましたー。」

「おっ、お帰りー。」

「すっごい安いお店見つけちゃいまして、沢山買っちゃいました。」


 御木本は、相当重かったのか、手近なデスクに袋を置いた。重たい音を発てた所から、結構な量を買い込んだのが分かる。樹は、ノロノロと立ち上がると、御木本の所へ向かった。


「ああ、あの、み、御木本さん……。」

「片岡さん、私が片岡さんの分の仕事やっとくんで、楽しみにしてますねっ。」


 眩しいくらいの笑顔で言われ、断ろうにも断れず、仕舞いには「……はい。」と、返事をしてしまった。


「っ、腹を括れ、俺っ!!」


 自分に喝を入れ、買い物袋をしっかりと握りしめ、給湯室へ向かった。岡元が言った通り、小さい給湯室には、小さめではあるが、調理器具が揃っている。樹は、適当な所に買い物袋を置き、しっかりと腕まくりをしてから、流しで手を洗った。緊張からか、手が震えている。だが、引き受けてしまったのだから、妥協は許さない。今一度、気を引き締め、買い物袋から材料を取り出した。


「豚肉のしょうが焼きは……。」


 トレイに入ったままの豚肩ロースに、小麦粉を軽くまぶす。熱したフライパンに油を引き、キッチンペーパーで薄く伸ばす。そこへ、豚肩ロースを乗せる。ジュワジュワと良い音を発て、換気扇を回していても漂う肉の焼ける良い香りが、腹の虫を刺激する。だが、ここで涎を垂らしている場合ではない。焼いている間に、タレを作る。


「ボウルに、醤油、味醂、砂糖を二:二:一で入れて、そこに生姜……。」


 買い物袋を漁れば、有り難い事に、御木本は土生姜を買ってきてくれていた。チューブのでも美味しく出来るが、土生姜を擦る事で、香りがまったく違う。樹は、一欠片折り、皮を剥いて擦りおろす。ツンッとした生姜の香りが、鼻をつく。一欠片全部おろしたら、ボウルの中に生姜を入れ、よく混ぜる。肩ロースをひっくり返してみれば、良い感じに焼き色が付いていた。皿に移し、フライパンの余分な油をキッチンペーパーで拭き取る。そして、そこに、タレを流し込む。


「んー、良い香りだぁ。」


 焦がし醤油と、生姜の香りが、部屋いっぱいに広がる。そこに、砂糖と味醂の甘い香りも合わさり、もう胸がいっぱいだった。その、良い香りを独り占めしていると、グゥーと音が鳴った。樹自身の腹の音ではない。音が鳴った方を見ると、御木本と岡元が入口の柱に手を付きながら、こっちを見ていた。その口からは、うっすらと涎が垂れている。


「ま、まだですか、片岡さん……!!」

「仕事場にまで、旨そうな匂いがして、もう、腹が鳴りっぱなしなんだよっ。」


 言っている傍から、グゥーグゥーと鳴り出す二人の腹の虫。すると、樹の腹も、つられる様に鳴り出した。涎も、溢れんばかりに湧き出てくる。


「す、すぐ出来ますんで……!!」


 これ以上待たせる訳にもいかず、樹は肩ロースを投入した。さっと火を通したら皿に移し、タレを煮立たせたら、肉に回し掛ける。


「完成です……っ。」

「「ヨッシャーッ!!」」


 手渡すよりも速く、二人はしょうが焼きが乗った皿を持っていってしまった。取り残された樹は、その素早さに唖然としていたが、気を取り戻し、レンジに大盛りのご飯パックを入れておき、温めてる間に、サラダを作る。


「レタスは、手で一口大に千切って水にさらす。キュウリは、塩を振ってからまな板で擦ってイボを取り、軽く塩を洗い流してから斜めに切る。トマトは、お尻にある筋より少しずらして切っていくっと。」


 小鉢にレタスを敷き、そこにキュウリとトマトを乗せる。ドレッシングも、手作りだ。デザートのつもりで買ってきたのだろうヨーグルトと、冷蔵庫に入っていたマヨネーズ、そして、何故か置いてあった、お握り用ゆかりを混ぜ合わせた、簡単さっぱりドレッシングの完成だ。それと、マヨネーズとケチャップのオーロラソースも作る。それぞれのソースを小鉢に入れ、スプーンを添えてお盆に乗せておく。


「あとは、ご飯……。」


 丁度良い具合に、レンジが鳴った。扉を開けると、ぶわっと蒸気が顔に掛かった。熱々になったご飯パックを取りだし、使い捨てのプラスチックのお椀によそう。陶器の茶碗だったら、雰囲気が出て良かったのだが、残念ながら茶碗だけは無かった。今度、先輩に頼んで、茶碗を買おうと樹は決めた。お盆に、ご飯を乗せ、二人が待つ仕事場に向かった。


「すみません、お待たせしましたっ。」

「遅いですよーっ。もう、摘まんじゃおうかと思ってたんですからーっ。」

「うおっ、白いご飯にサラダかぁ。良いね、良いね。」


 手際よく器を並べ、ペットボトルのお茶を置き、三人でそれを囲む。少し冷めてしまっていたが、十分食欲をそそる香りだ。そして、全員で手を合わせた。


「いただきますっ。」

「「いただきますっ!!」」


 たっぷりとタレが乗ったしょうが焼きでご飯を巻き、一口で食べる。女性の御木本でさえ、恥じらわずに、大きな口を開けて頬張る。三人共、口の端からタレが溢れた。更に、ご飯を掻き込む。口いっぱいに生姜焼きの旨味とご飯の甘味が広がり、三人の胃を更に刺激する。


「うんまーっ。」

「生姜が良い仕事してますねっ。」


 その言葉を聞き、樹はホッと胸を撫で下ろす。自分の味付けが、二人に評価されたのが、嬉しかった。にやける顔を隠す様に、ご飯を掻き込んだ。そして、あっという間に豚肩ロースのしょうが焼きは無くなり、サラダもご飯も無くなった。満足そうな二人は、大きくなったお腹を擦る。


「いやぁ、樹ちゃんは良い主夫だわ。」

「こんなに美味しい料理作ってもらえる奥さんは、幸せ者ですねー。」


 御木本の言葉に、身体が反応する。奥さんが居る訳じゃないし、第一、お付き合いした事だってない。つまり、年齢イコール独り身の時間という事になる。だが、これといって、樹は気にしていない。一人の時間を有意義に過ごしているのだ。友達だっているし、寂しくはない。


「よーしっ、残業頑張るかーっ。」

「じゃあ、私お皿とか片付けておきますんで、残りの仕事、引き継いでくれますか?あと、少しなんで。」

「分かりました。」


 こうして、夜中の三人飯は無事に終わり、残業を進めた。次の日に来た社員が、部屋中に広がる香ばしい香りに首を傾げ、腹を鳴らしたのは、また後日知る事になる――……。


――本日のメニュー――

・白米(大盛りパック)

・豚肩ロースのしょうが焼き

・サラダ(レタス・キュウリ・トマト・さっぱりドレッシングorオーロラソース)

・お茶(ペットボトルの緑茶)






End

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