第18件目 別れはいつだって突然に

 今日も回収任務控室に入る。昨日は一昨日のアンの対応で一日潰れてしまった。しかもことこと故に代休をとるのは少し先になりそうだ。


 何にせよ、まずは挨拶から。


「おはよう。」

「おはようございます。ベルウッド様。」

「おはようっ、先輩。」

「うーっす。」


 既に部屋にいたのはムーンランド、スィトゥー、それと……。


「今日もその御威光を記憶に刻む事が出来、光栄でございます。」

「……うむ。」

「先輩、ロッタちゃんから聞いたんですけど、どういう事なんですか? アプリコットちゃんが暫くお休みって。」

「そうそう。あのツンケン娘、なんだかんだウチじゃかなり有能なブレーキだったぜ?」

「……。」


 俺が知りたいくらいだ。アン……。



*****



 花の爽やかさと果実の甘さをかけ合わせた様な女性らしい香りが鼻を擽る。しなやかで細い腕が俺の腰の後ろにまで回され、腹部にはアンの顔が押し付けられている。シャツにはうっすらと口紅が付いていた。


「香水より、あの甘い匂いの方が好きだったな。」

「……アン?」


 俺がそう問いかけると野生動物の如き俊敏さで俺から離れるアン。


「す、すす、すみません! 大変不敬な事を……?」


 首を傾げるアン。いや、ロッタか。ここは観覧車だしロッタが出てきても問題無いだろう。


「……え?」

「どうした、ロッタ……だよな?」

「は、はい。ロッタで間違いございません。ですが、その……何がなんだか……。」

「何があったんだ。アンと変わってくれ。」

「で、出来ません!」

「何? 何故だ?」

「アンが……アンがいないんです!」

「何だと!? そんな事があるのか!?」

「わかりません……! 私もこんな事は初めてで……!」

「クソッ!」


 震えながら虚空を抱きしめる様に自身の肩を抱くロッタ。彼女が此処まで狼狽える事は珍しい。


「アン……返事をして……?」


 どういう動機かはそれまでの言動からある程度予測出来る。彼奴はロッタに”席を譲る”つもりだ……!


「待って、今消える練習してんの!」

「は?」


 ん? 今のはロッタなのか? アンの言葉にも……。


「アン! なんで!? 何処にいるのかわからない! アンを感じ取れない!」

「え? ホント!? やった! やっぱり上手くいくかも!」

「フザケないで!」

「そうだ! お前が消えてもロッタは喜ばない! お前の親父さんだって――。」

「うるさい!!」


 アンは何を血迷ったのか俺の両乳首を的確に親指の腹と人差し指の第二関節部分で挟んで落とす様に引っ張った。


 ビリッという音はセロハンテープ……じゃなくシャツが千切れる音だった。そんな力で引っ張られたのは生涯初である。学生時代、”う”と”え”と”い”しか発音出来ない様な奴等が教室の端で上裸になり乳首を洗濯バサミで挟み遊んでいた事があったが、今なら断言できる。狂気だ。


「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛?゛」


 絶叫しながら両乳首を優しく掌で保護する。涙が止まらない。


 芥見、乳首を浮かせるなとはこういう事だったのだな。それならせめてもう少し理由を詳しく教えて貰いたかった。


「私の許可無く消えるなんて許さないから! ……アン? アン!」



*****



 それを最後にアンは何も返してくれなくなった。それから久留屋さんに文句を言いに行ったり、アンの検査に一日付き添ったりと……。因みに言うと久留屋さんは留守だった。


「はぁ……。」

「先輩?」

「いや、悪い。気にするな。彼奴はすぐに帰ってくる。」

「その通りです。それまでは私がしっかりとベルウッド様の片腕として働きますので、これから宜しくお願い致します。」

「そっか。わかった。改めて宜しくね。ロッタちゃん。」

「ロッタちゃんはロッタちゃんでアプリコットちゃんとは違った魅力があるからな。」

「ロッタ、スィトゥーは敵だ。」

「はっ! マイロード!」

「おいぃ!?」

「排除致しますか。」

「いや、利用だけしていずれ捨てる予定だ。余計な事をしたと思った時は命を奪わない程度に嬲っていいぞ。」

「しゃ、洒落になってねーぞ! パワハラだー!」

「いや、ただの暴力だが。」

「尚更悪いわッ! 魔王か!」

「その通りよ!」

「ややこしいんだよ!」


 騒がしさでほんの少し緊張が和らぐ。久々だな。今日は、俺が”通り魔”になる日だ。


「何を騒いでいる。」


 俺の影から声がした。隊長ゴッドも来たらしい。全員で挨拶をして今日も任務の説明が始まる。


 相手は空手師範の男性。この現代において遺跡の如く寂れた道場を一人背負う……一応講師になるのか? 自営業って言った方がいいな。俺はそいつに今日挑む事となる。理想は倒す事。だが、俺は筋肉が好きなだけの一般人。プロと比べたら幼子みたいなもんだ。しかし、演出班プランナー曰くしっかり倒されたという認識が無いと異世界転移出来たと思えないらしい。それだけ自分に自信がありながら、なお強敵を求めているとの事だろう。


 つまり、この”通り魔”は誰でもいいという訳ではない。任務を達成出来るポテンシャルが必要な訳だ。しかし、この地球に戻ってきてまで身体を鍛える奴は大勢いる。まず、健康の維持はしているが、肉体を動かすのが覚束ない者が多いのでリハビリは必須である。そして、異世界での異常な力を忘れられず筋力を手に入れようとする者は私だけじゃないのだ。そんな連中が多く勤めるここで我が抜擢された。ここまで説明すればこれがどれだけの名誉かわかるだろうか。


 我の筋肉は認められたのだよ。頂点と。


「フッフッフッフッ……。」

「ベルウッド、不敵な笑みを浮かべるんじゃない。」

「はっ……!? すみません。」

「まぁ、やる気があるのはいい事だ。」


 作戦はこう。対象者ターゲットはどうやら正義感の強い男らしい。だから、男の近くで俺が軟派な男を演じつつムーンランドを口説く。嫌がるムーンランド。弾ける正義。唸る筋肉。……そうだ。この作戦はチャラ男が屈強な男を倒すというシナリオを支援とドーピングで演じきる物だが、俺はそれを極力減らして臨む気でいる。対象者ターゲットはその方がより満足して転生する事が出来るだろう。……悔しいだろうがな。


「説明は以上だ!」

「ヒューッ! ナンパだってよ。良かったなムーンランド。」

「何がですか。」

「”オトされる”なよ?」

「言ってる意味がわかんないですね!」

「おい、ベルウッド! ちゃんと真面目にやれよぉ?」

「俺が真面目にやらないとでも?」

「この低能、殺しても構わないでしょうか。」

「よせロッタ。こんなのでも生きているらしいのだ。」

「らしいってなんだよ! ぁーあ! お前みたいな堅物にチャラ男なんか出来んのかもう不安で仕方ないぜ!」

「それなら心配ない。手本があるからな。」

「手本? お前の知り合いにチャラい奴なんているのかよ?」


 スィトゥーの心底不思議そうな疑問に隊長を含めた全員が視線で答える。


「…………ん?」

「スィトゥー、今日はお前がベルウッドの補佐だ。ロッタはムーンランドの補佐につけ。」

「……まさかチャラ男って――。」



*****



今日日きょうび『ヘイ彼女!』なんて言わねえんだよ。寿司屋かっつーの。眉間に薄っすらと皺寄せて眉毛を下げて、所謂困り顔だ。んでもって、少し申し訳無さそうに『あの、すみません……』ってな感じで話しかけんのよ。」


 助手席に乗るのは久々だ。運転はスィトゥーが担当している。


「そんな控えめでいいのか?」

「……いや、駄目か。逆だな。そんな自然なやり方じゃ成功しちまう。」

「ムーンランドは何があっても断るだろう。」

「んな事ねえわ。ってそれはまた別の話でだな。この優男スタイルはお前に合わねえし、紳士的過ぎるんだよ。そんなイケメンをぶちのめしたくなるのは男の性でもあるんだが…………おい、これよく考えたら教えるまでもないんじゃないか?」

「どういう事だ?」

「どういう事ってお前はヘッタクソなナンパをしなきゃいけないのよ。そんな魅力が微塵も無い男に女性が襲われているーッ! これは腕によりを掛けて料理してやらなきゃなッ! って思わせなきゃなんねえじゃん?」

「そうだな。」

「じゃあ、お前がお前で考えるヘッタクソな口説き方をすりゃいい。」

「それがわからないから教わってるんだろう。」

「じゃあお前、上手い口説き方なんて知ってんのかよ?」

「それは……。」

「だろ? そんなお前に助言なんて出来るかよ。」

「しかし、俺が思い浮かべる下手な方法と言ったら強引なやり方ばかりだ。」

「あ? まぁ、確かに強引なのは嫌われやすいな。だからそれでいいんじゃねえの?」

「いや、思うがままにやるとコンプライアンスに触れてしまう。」

「そこ気にすんのかよ!」


 何を言っているんだ。当然だろう。強引なナンパをするという任務でもキスや胸を触ってみろ。アウトに決まっている。抱きつくのだって問題になるんじゃないだろうか。


「触れずに吠えるだけというのも変じゃないか?」

「肩くらい抱いたって良いだろ。」

「それはまずくないか?」

「なら本人に聞け。今な。」


 それもそうだ。何のための通信器具なんだかな。俺は直様すぐさま通信をチームチャンネルに繋ぐ。


「ムーンランド、今、いいか?」

「ベルウッド様! やっぱり便利ね、この道具!」


 真っ先にはしゃぎ始めるロッタ。彼奴には必要最低限の使用を命じたからな。俺から繋がれれば問題無いと思ったんだろう。だが、今は作戦の話だ。ロッタもそれはわかってるはず。


「私ですか?」

「あぁ、任務でお前を口説く件についてなんだが。」

「はい。」

「抱くのは許されるか?」

「……へ?」

何故なにゆえ!゛!゛」


 音が割れるくらいの音量でロッタが絶叫する。突然の事に俺の肩も跳ねた。


「す、すみません! しかし、ベルウッド様! どうか私にも意見を!!」

「ろ、ロッタちゃん。落ち着いて! た、多分勘違いだよ!」

「勘違い?」

「えっと、ナンパしながら抱きついてもいいかって事ですよね?」

「あぁ、すまん。言葉足らずだったな。」

「で、ですよねー! 今度雑な説明したら指の関節を端から一つずつ逆に曲げていきますからね?」

「はははっ! やけに物騒な冗談だな。」

「ベルウッド、ふざけるんじゃない。ちゃんと謝れ。」

「ん? 謝るには謝るが……。」


 スィトゥーの様子が少しおかしい。何故そこまで表情筋を痙攣させているのだ。


「いいから謝れ! 真摯にだ! ムーンランド! 俺はこれ関係ないからな!」

「何? お前が本人に聞けと言ったんだろう。」

「バッ!? ムーンランド! 違う! ここで蹴り落とすぞテメェ!」


「――擦り下ろされたいの?」


 異様に慌てるスィトゥーを心身が凍り付く様な声で恫喝するロッタ。その言葉にはアンの数倍はある凄味が含まれている。


「あああああああああああああ!!」


 急に錯乱したかの様に叫びだすスィトゥー。だが、交通ルールを守ってるからにはちゃんと正気は残っているみたいだ。俺にはよくわからないが、これも一般的な”ノリ”ってヤツなんだろう。

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