第5話 種の発芽

 ――俺は、家に帰るため、あるスラムの雑多な街中を、いつも通り歩いていた。

   犯罪が取り巻くこの街で、普通に生きていくことなどできやしない。

   一歩進めば、傍らで強盗が行われ、一歩進めば、目の前で人が殺される。

   だが、気に留める奴なんて誰もいない。

   混沌とした日常。

   俺は、分からなくなっていった。


   生きるってなんだ。

   死ぬってなんだ。

   俺ってなんだ・・・

   

   いつしか考えることをやめた。

   そこからは、曖昧だった。 

   しかし、疲れなかったし、楽だった。

   

   家にたどり着いた俺は、荷物を降ろし、いつの間にか、手が赤く染まっていることに気が付いた。


   手を洗うか。


   洗面所に向かい、手を洗った、ただ無心に。

   その時だった。

   ふと違和感を感じたのだ。

   いつもの自分とは何か違う気がする・・・

   ゆっくり顔を上げて、鏡の中をのぞきこんだ。

   そこには、自分自身の顔が映っているはずだった。

   しかし、映っていたのは、俺じゃなかった。

   いびつな仮面を被った知らない顔が、うつろな瞳で俺を見つめていた。


「はぁぁっっ!!!」


「キャーーー!!! だ、大丈夫ですか?!」


 勢いよく起き上がった体は、汗でびしょ濡れで、熱くなっていた。


「はぁはぁはぁ。ごくっ。夢か・・・。はぁーーー。」


「ダースさん、寝ているときもずっと、唸り声をあげていましたよ?私、何もしてあげられなかったですが。」


「いい、変なこと考えるな。俺に何かしようとするな。」


「はい・・・」


 目を覚ました俺は、ある部屋のベッドにいた。

 時計の針は、もうすぐ13時を指そうとしていた。


「ここは、どこだ・・・。」


「私の家です!昨日、ダースさん、瀕死の状態の時、いきなり叫び声をあげられたじゃないですか。そしたら、次の瞬間には、闇に覆われていて、何も感じなくなっていて、私、死ぬんだって思いました。でも、目の前が明るくなった時には、体が動かせるようになっていたんです。ダースさんは、意識なくしちゃって、敵の二人は、ずっと固まったままでした。だから、その隙を見て、ここまでダースさんを運んできたんです。母が残してくれた薬がなかったら、ダースさんのこと助けられなかったかもしれません。本当に良かった・・・。」


 ミナの瞳はうるんでいた。


「ありがとう。」


 彼女に一声かけた。

 すると、疲れていた中、一晩中看病してくれていたのだろう。

 ミナは、ベッドに頭を伏せながら眠ってしまった。


「俺は・・・」


 その後の言葉が出てこなかった。

 しかし、俺の瞳からは、涙が流れ落ちていた。



 その時、突如耳に響く機械音が。

 

「何だ?!」


 涙を拭きながら、目の前を見ると、どこからともなくポットが出現していた。


「何もしていないはずだ。」


 すると、ポットから例の声が聞こえ始めた。


(おめでとう、汝は、今罰を受け入れた。罰は、"種"をより強く成長させるであろう。ここからは、自分自身が決めること。無駄にするな、エデンの恵みを。)


 そして、最後に声の主はこういった。


(影から創造されしもの、虚実なり。"クリーシャ"、それが汝の果実・・・)

 

 声が消えた。


 すると突然、半透明な球状のポットが割れはじめ、中から羽をつけた妖精が現れた。

 頭の上には小さな芽がついている。


(はわぁ~、発芽。)


 あくびをしながら、だるそうに、その妖精が言った。


(私は、クリーシャ、よろしく。何か用があったら呼んで。あ、もう仮面には触れずに、クリーシャって呼んでくれれば現れるわ。暗くなったらまた起きるから。)


 そう言い放つと、クリーシャは消えた。


「待ってくれ、展開が急すぎる。」


 いきなり、能力のこと教えられるわ、妖精がポットから産まれるわ、何がどうなっているんだ。


「ふぅ~~。」


 落ち着け。

 順を追って考えてみよう。

 とりあえず、俺はエデンの果実を手にしたわけだ。

 この世界でスタートラインには立てたわけだな。


 で、クリーシャってのが能力の名前で、さっき出てきた妖精の名前でもある。

 そして、『影から創造されしもの、虚実なり。』、これがどうやら、俺の能力みたいだ。

 影から何かを創造するのか。

 でも、それは、うそであり、まことでもある。・・・


 んーーー、考えてもよく分からないな。

 とにかく使ってみるか。


 クリーシャを呼んだ。


「おい、クリーシャ。」


(どうした? 私はまだ眠いんだ。)


 まだ、昼の14時過ぎだぞ。

 こいつは夜行性なのか?


(用がないなら、寝るぞ。)


「待ってくれ! 俺が手に入れたっていう能力を使いたいんだけど。」


(なら私を取り込め。一体化すれば、使えるようになる。ほら、行くぞ。)


 クリーシャはそう言うと、光の玉に変わった。

 そして、俺の仮面の中に入ってきた。


 こ、これは、俺の全身に俺じゃないものが駆け巡ってる感覚!

 無理やり俺の中に入って来ているのか!

 くっ!! 離れろ!


 今度は光の玉が仮面から出てきて、クリーシャに変わった。


(これがお前の発動条件だ。ずっと他と干渉してこなかったお前にはきついだろうな。だが、ただで手に入るものだと思うなよ。それなりの代償が伴う。)


 分かってる、できれば使いたくないが、昨日の二人みたいなやつに襲われては、今の俺に勝ち目はない。


「もう一回頼む。」


 クリーシャが仮面の中に入ってくる。

 強烈な嫌悪感。

 我慢だ。


「おい、ここからどうすればいい!」


(もうわかっているだろ。)


 どんだけ面倒くさがるんだ、こいつは。

 えっと、影から何か創造するんだっけか。

 

 自分の影を見つめて、よく使っていたナイフを想像した。

 こんな感じか?


 しかし、何も起こらない。

 すると、"クリーシャ"が言ってきた。


(影を平面としてとらえるな。今のお前なら、立体的に影を捉えられるだろう。それから、創造しろ。)


 なるほど、立体的にか。

 視点を変え、自分の影を立体的に見てみた。

 窓から入ってくる光、壁に、ベッドに反射した光、身の回りの光の要素すべてを頭に入れ、計算し、自分の周りに存在する影を導き出した。


「これだっ。」


 すぐさまその立体的な影の空間の中に、ナイフを想像した。

 すると、突然そこに、あたかも最初からナイフが浮いていたかのように、出現したのだ!!


「やったぞっ。はぁはぁ、これが俺の能力か。」


 そろそろ限界が来ていた。

 息ができない。

 力を振り絞って、そのナイフを手に取る。


 触れた!


 最後に、ナイフを動かそうとした。

 しかし、そこから動くことはなく、俺の手はナイフをすり抜けた・・・


「かはっ!! もう無理だ!!」




 ついに能力を手にしたダース。

 だが、彼は、これから知ることになる。

 習得が困難であるにもかかわらず、その力は非力であるということに。

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