帰り際に、男性社員が圭司を呼び止めた。


「どうして事故物件だと思ったの?」


 圭司は喉元まで出掛けた「お化け」のことをグッと堪えて、「夏休みの自由課題」と嘘をついた。

 男性社員もそれ以上は突っ込まなかった。きっと圭司が何かを隠していることくらい、気づいてるに違いない。だから、「何かあったら連絡して」と最後に名刺を渡してきた。


 滝川ホームズ営業部 

 服部はっとり雅司まさし――


 その下には、会社の代表番号と、彼の携帯番号とメールアドレスも書かれている。


 圭司は深く頭を下げて、バス停へと向かったのだ。



 家に帰ると、案の定冷房はつきっぱなしになっていて、肌寒いくらいだった。


 汗をぬぐい、再び冷蔵庫からジュースを取り出すと、今度は直接口につけて豪快に飲み込んだ。


「はぁ」


 炭酸が喉から落ちる。

 まだ四時過ぎだ。夏の日はようやく傾き始めたところだろう。大窓からは照りつくベランダが見えるけれど、部屋の中には薄暗い影がポツポツと落ちていた。


 さて、光明と見えたお化け探しの秘密路も、気がつけば行き止まりだ。

 圭司は机に肘をついて、頭を抱えた。


 家族ではなく、前の住人(そもそも居ないのだが)でもない。残すはしょうちゃんが調べてくれている友人たち。何かの手掛かりでも分かったのなら、一番に知らせてくれるはず。


「まだかな……?」


 ちょうどそんなことを考えていたら、机の上に置いてあった圭司のスマホが震えた。ハッと顔をあげて手を伸ばしてみたものの、画面に表示されたのは、母からのメッセージだった。


「今晩も遅くなります。夕食は冷蔵庫に」


 スマホを放り投げ、圭司はゴロンと横になった。母が恋しい訳じゃない。遅いのは毎度のことだ。


 居間の影が濃くなった。

 夏休みの夕方は、まだまだ子どもである圭司の心を容赦なく握り締める。勉強もしなくては。それに来週は最後の大会だ。でも、お化けの正体も……。

 考えなくても良いことが、順番抜かしで押し寄せる。到底捌ききれない少年は、何もかもを投げ出して逃げたくなって、そして――。


 気がつけばもうすぐ七時となる。どうやら居眠りをしていたらしい。硬いフローリングとつけっぱなしの冷房のせいで、体が痛い。本当に夏風邪を拗らせてしまいそうだ。


 まだ誰も帰って来ていない。日も落ちた暗い部屋の中で、圭司は冷蔵庫にあったブリ大根をひとりで食べた。


 聞こえてくるのはテレビの音だけ。

 お笑い芸人がオーバーなリアクションで出演者たちの笑いを誘っている。その笑い声が遠くに感じながらも、すぐそこにいて、自分を指差して笑っているような気がした。


――お化けなんていないよ!

――自分で書いただけなんでしょう!


 洗い物を終えると、圭司はテレビを消して自室へ籠ることにした。

 開いたままの数学のノートには、変わらずお化けからの文字があった。


――ぼくはころされた。


「誰に殺されたんだよ!?」


 何かを吐き出したくて、放り投げたくてつい大声で叫んでしまった。

 でも返事はない。

 結局、圭司は勉強も、お化け探しもストップさせて、なにも考えずにベッドに潜り込んだのだ。

 

 玄関が開く。父の智則とものりが帰って来たらしい。ドアをノックされたから、圭司は布団を被ったまま、「勉強中」とだけ答えた。


 それからしばらくして、母も帰って来た。

 家族が揃った。実家に残った祖母をのぞいて。


 初めに声を荒げたのは、順子だった。


「ちゃんとご飯は用意しているのに!」


 二人が帰って来て半時間ほど経った時だった。居間からでも、圭司の部屋にはちゃんと届くくらいの声で、二人の喧嘩は始まった。


「良いじゃないか! 自分で稼いだ金で何を買っても!」

「私の料理がマズいってこと!?」


 いつものことだ。

 このアパート「サニーハイム」に越してきてから、些細なことで半田夫婦は喧嘩をするようになった。


 「パートを止めろ」「なら、もっも稼ぎなさい」と始まり、「アパートに越してきたからだ」「お義母さんがイケないのよ」と続く。

 お決まりのパターン。圭司はベッドからでるのも億劫で、机の上にあるイヤホンめがけて腕だけを伸ばした。


 音量をマックスにして動画を見たり音楽を聴いて蓋をする。しかし、曲と曲の繋ぎ目のところで、父である智則の声が微かに届いてしまった。


――いつまでサッカーなんてやらせてるんだ。




「第二章」へつづく――


 

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