第37話『雪を踏み砕く音』


     7.


「殺人現場は体育館内じゃありません」

 体育館までの移動中、りりすちゃんはそう言った。

「……どうしてそんなことが言えるんだ?」

「死亡推定時刻は午前十時から十二時なんですよ。その間なら先生だって大勢学校内にいます。その翌日に体育館の鍵が閉まっていました。それからの発見でしたので、正規の方法を用いて体育館で殺人行為に及んだのだとすれば、見回りで戸締りする先生が気づくでしょう」

「その先生が扉を開けたとは限らないだろ? 戸締りでやってきたのはいいけど、扉を全開したとは限らないわけじゃない」

「その辺は心配いりませんよ。見回りを担当した大西拓海先生は扉を開けて確かめたみたいです。そのとき、体育館の床には死体なんてなかったと――大西先生が見回ったのは、大体午後三時頃だったと言います」

「ふうん……」

 大西拓海、先生ねえ。

 そいつの証言が信用に足るものはどうか極めて怪しいが、仮定しなければ話も進まない

「もちろんですが、その日の朝、鍵を開けに行った三ツ木先生の扉を開け放っています。そのときには死体はなかったそうです――時間は大体午前七時頃です」

 午前七時の時点、死体は体育館になかった。

 午後三時の時点、死体は体育館になかった。

「開け放ったのはいいものの、降る雪の量も増えてきて閉めに向かった辻井教頭も死体なんてなかったと言っています――時間は大体午後十二時頃です」

 三ツ木先生、辻井教頭、大西先生の三名が各々別々に現場を訪れて確かめている。これらが共犯であるケースも考えられる。三人とも男性だ。風水が援助交際を行っていたとすれば、そのうちのひとりが――援助していた人物が、この三人の中にいると考えることはできるし、先日の文化祭で風水がここに訪れた。そこで思わぬ形で発覚したなんて考えも十分に考えられる。

 こんなことを話すと。

「その線で調査もしてるらしい」

 と返答が返ってきた。

 っと、その前に聞いておくべきことがある。

「ねえ、りりすちゃん。その三者が証言で――死体はなかったって言ったみたいだけど、これって生きている人間は死体に含まれないとか、死体はあったけど、床にはなかったみたいな叙述トリックじゃないよね?」

 叙述トリック。

 読者の先入観をトリックの一つとして用いるミステリ小説における手法。

「大丈夫ですよ、先生方は何もなかったと証言しています。証言を信じる限りにおいては叙述トリックなんてことはあり得ません」

「そっか。ならいいんだ」

 だとすれば午前七時から午後三時の間に、体育館で殺されたことはない。死亡推定時刻は遅れることがあっても、早まることはない。

 だから体育館に死体が移動したのは昨日の午後三時以降ということになる。

 一限目の開始時刻が大体九時なので、三日火曜日の午後三時から四日水曜日の午前九時の間に死体が体育館に運び込まれたことを意味している。でも……。

「鍵の閉まった体育館にどうやって運び込んだんだ?」

「そこです」

 階段を降りて、一階にやってきた。体育館に向かって僕らは歩く。

「私が先輩の手を煩わせてまで調べたいことはそれなんですよ。頭で考えるのもいいですが、やっぱり現場に行ってあれこれ考えるに越したことはありません」

 思わぬ発見があるかもしれませんからね――と、りりすちゃん。

 体育館にやってきた。鍵が閉まっている扉をりりすちゃんは開ける。

「前もって借りておきました」

 と言って、扉が開けて這入る。

 体育館の真ん中辺り。死体が転がっていた場所。僕らは死体が転がっていたであろう場所の前に立った。

「……ねえ、りりすちゃん」

「なんですか?」

「これも、何か七不思議がモチーフになっているんだよね?」

 体育館が関係する七不思議がひとつあったと思うんだけど。

「はい。その通りです――七不思議のひとつにあります。『体育館の人体模型』」

 わざわざ聞くまでもなく、遂によっつ目の七不思議が起きたぞと騒ぎになっていたので、多少は知っている。

「体育で怪我をした生徒が、保険医によって改造され人体模型になってしまい、夜な夜な身体を無理やり動かして、保険医の犯行を知らせようとしているっていうものです」

「だから、裸で放置されていたのか……」

 まあ、解体されていなかっただけマシか。

 いや、死んでいるのだから、どっちにしても同じではある。

「さてさて」

 ぱんぱん、と手を叩くりりすちゃん。

「この広々とした体育館を調べて行こうじゃありませんか」

「そうだね。まず、この入口から運び込まれたってことは考えなくていいんだね?」

「はい。監視カメラにもちゃんと録画されていました。なので、先生方が戸締りしたのも、扉を開けてチェックしたのも確実です。ただ体育館の中までは映っていないので、虚実を保証する術はありませんけど」

「体育館周りが確認できるカメラとかないの?」

「残念なことにありませんでした。校舎内のカメラからうっかり映り込んでいないかと確かめたみたいですけど、どれにも映り込んでいませんでした――ああ、映り込んでいなかったのは犯人ではなく、体育館が、です。建物自体は窓越しくらいには見えたみたいですけど、精々体育館とわかる程度でしか映っていませんでした」

 ということは体育館に対する入口を除いた侵入経路はどれでも使用可能ということか。

「それじゃ順番に処理していきましょうか、先輩。こういうときは可能性を片っ端から潰して行くに限ります。まず、あの高い位置にある多くの窓、あれを使って侵入はできるでしょうか?」

「無理だろ。風とかで開かないように鍵が閉められているし、何よりも二階の位置――下手すると三階の位置だ。流石にあの高さまで登って侵入するのは割に合わないし、非現実的だ。それに、そんな手間のかかることをすれば証拠も残るだろ」

「はい。その通りです。あらゆる条件が重なってあの高い位置にある窓からでは侵入不可能です。では、あの扉ならどうでしょう」

 体育館の隅にある扉を指差した。体育館の隅に設けられている扉。外と繋がっている。

「……妥当に侵入口はここじゃないの?」

「そう思うじゃないですか」

「? そう言うからには違うのか?」

 僕は扉に近づいて行く。扉のドアノブに回すタイプの鍵がついている。回して鍵を開けて扉を開けようとするが、開かなかった。

「劣悪環境ですからねえ、錆びついちゃって開かないみたいなんですよ」

「え、これ非常用の扉だよね?」

 駄目じゃん、この学校。

「こうなってくると随分と限られてくるなあ」

「ええ。私はある二ヶ所を怪しいと思っています」

「二ヶ所?」

「厳密に言えば三ヶ所になるのかもしれませんけど、こっちです」

 人を答え合わせの相手みたいに使いやがって。

 まあ、客観的な意見と自分の考えを照らし合わせて、自分の思考に問題がないかを確かめるのが、りりすちゃんのスタイルと言えばスタイルなのだろう。

 りりすちゃんのあとを追って体育館を横断する。

 舞台のすぐ横にある扉を開ける。外に繋がっていることはなく、いわゆる舞台裏。控えとも言える空間。

 数段の階段がある。

 舞台のほうに上がれるようになっている。

 その控えの傍に梯子があって、高所にある窓の手前にある足場へと登る術もある。

 そしてよくよく見てみると舞台に上がる階段のすぐ傍に舞台の下に降りる階段もある。ちょっと覗き込んでみると、真っ暗でよく見えなかった。

「その下は折り畳みの椅子が収納されているんですよ」

 りりすちゃんが教えてくれた。こんなところに収納してあったのか。卒業式で使うあの椅子、一体どこから引っ張ってきているのかと思っていたけど、こんなところに。

「こっちです」

 そう言って案内されたのは、舞台に上がる階段より少し奥に這入ったところにあるトイレだった。男子トイレと女子トイレ。ふたつの扉がある。

「この両方のトイレには窓がひとつあります」

「……その窓から体育館内に引き摺り込んだと?」

「はい。ですが、体育館裏と、トイレから見える窓の高さには一メートル五十センチほどの高さがあります。一苦労ではありますが、可能な手段だと考えられます」

「……あらかじめトイレの窓さえ開けておけば、いつでも犯行に及ぶことができるわけだからね。さっき言った三ヶ所ってのは男女を各々別々として数えた場合だね? それで、もう一ヶ所は?」

「こっちです」

 そう言って舞台裏から出て、すぐ隣にある左右両方に開く扉に施されている南京錠を、りりすちゃんは鍵で開けた。舞台裏に這入ったのは初めてだが、今開けた場所は知っている。

 りりすちゃんのあとに続いて僕も這入る。跳び箱やバスケットボールなど、体育の授業で使われる道具が至るところに置いてある。そりゃここが体育倉庫だからだ。

「あそこの窓、あの窓を使ってもここまで体育館内に死体を持ち込むことも可能です」

「候補は二ヶ所――三ヶ所。でも、ここだと鍵が閉まっているわけだから、鍵がいつあって、いつなかったのか調べればわかるんじゃない?」

「ええ、体育館の鍵と体育倉庫の鍵は一緒になっています。いつ借り出されたのか調べればわかることです」

 そう言って現物の鍵を見せてきた。

「それに一連の事件で、我が校の防犯に関する意識は高まってますからね。持ち出される心配はありません。それに監視カメラもちゃんと機能していますから、その辺りの下調べも完璧です。精々考えられるとすれば体育担当の三ツ木先生か藤宮先生が体育倉庫の鍵を閉め忘れていたくらいですけど――順当に考えれば、トイレを使って侵入したと考えるべきでしょうね」

「ふうむ……。建物だけじゃなくて、体育館の周りとかも一度見てみたほうがいいかな」

「それじゃ見に行きましょうか」

 りりすちゃんと僕は体育館から出た。靴を履き替える。

「じゃあ先輩は体育倉庫付近とトイレ付近を見てみてください。一度私はほかに不審な場所がないのか調べますので」

 そう言って僕は体育館の周りを歩く。

 雪が積もっていて、雪を踏み歩く感覚がいい。傍らには池がある。寒さのあまりに表面が凍っている。この時間帯だから氷も薄くなっていることだろう。

 目測で一メートルほどの深さがあるこの池には、昔、鯉を飼っていたらしい。今では放置されっ放しで荒れ果てている。

 そういえば、この池に関する学校の七不思議もあった。

 そんなことを考えながら体育倉庫の窓に視線を向ける。位置の高さ的には、大体一メートル五十センチほど、小柄な人なら丁度頭の位置になりそうな高さだ。体育館内に運び込むのは一苦労だろう。

 りりすちゃんの言う通りなら、トイレのほうも同じくらいの高さだろうから、同じくらいの苦労を強いられることになるだろう。

 でも、体育館の周りには足場となりそうな道具が至るところに積まれている。

 邪魔な物をまとめて置いているだけだろうけど――それを使えば高さを多少は補うことができるだろう。

 どっちでも可能だろうけど。

 それにしても、犯人は一体どうやって風水を呼び出したというのだろうか?

 と、考え始めたときだった。


 ざく、ざく。

 ざく、ざく。

 と、雪を踏む音が聞こえてきたので振り返る。

 特に不審な点もなくりりすちゃんが、体育館を見終えて外に出てきたのだろう。

 そう思いながら振り返ると、そこにいた人物はりりすちゃんではなかった。

「あれ? どうして――」


 ――ここに?


 僕の言葉が最後まで発せられることはなかった。

 元より無効は会話をする気がなかったのだから当然である。

 握られていた金属バットを振り被って僕の胴体に打ち込んできた。

「――――っ」

 一瞬の呻き声みたいなものが僕の口から漏れた。

 いや、殴られた衝撃で体内の酸素がまとめて吐き出されただけかもしれない。

 バットで殴られた僕の身体は、後方にあった池に叩き込まれた。寒さのあまりに表面に張ってあった氷に全身を強打した。

 思った以上に氷は張ってあった。

 そのまま、真冬の真水へと。

 僕の身体は、極寒の池に沈む。

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