第32話『大雪警報』
2.
「見てよ、兄ちゃん」
「めっちゃ雪降ってる」
窓の外を指差す妙火に言われるがまま、庭のほうを見る。
かなり雪が積もっていた。
深々と雪が降っていて、現在進行形で積もりつつある。庭といっても狭い庭だが、植木鉢の植物は雪に埋もれて見えないし、コンクリートの塀にだって分厚く雪が積もっている。
僕の住むこの地域では珍しい大雪だった。
朝食を摂り終えたあと、登校することにした。流石に大雪の中、自転車で登校するのは自殺行為なので徒歩で登校する。可能な限り厚着をして僕らは家を出た。
ほとんど学校近辺まで歩いたところで、ポケットに入れてあるスマートフォンがメッセージの受信を知らせてきた。確認してみると妹からだった。
『電車が止まっているなう』
という報告だった。
妙火のほうは、この様子だと休校になるんじゃないだろうか。電車で通えない以上は登校しようがないのだから。だとすれば、桜庭谷高校も休校になると十分に考えられるが、もう既に半分近く登校してしまっている。折角ここまで歩いたんだし、登校しよう。
学校まで向かう階段を登る。
結構足跡があるから、登校して来ている生徒は少なからずいるみたいだ。ただ、雪が一度踏まれたこともあって、少し凍っている節があるので、うっかり足を滑らせて――疋田くんみたいにならないように気をつけないといけない。
難なく階段を登り終えて、校舎に這入った。校舎内には人がほとんどいない。ところどころで人が見受けられるくらいだ。やはり登校して来ていない生徒も多いみたいだ。
教室の扉を開けて這入ると、片手で数えられるくらいしか人がいなかった。
僕は自分の席に移動して荷物を置いたところに、宝籤甲斐がやってきた。
「よっす、定刻」
「おはよう。そろそろ一限目だけど、どうなるんだ?」
「それは秋冬が職員室に訊きに言ってる。なーんか、教員もほとんど来てねえだし、事故もあったみてえなんだよ」
「事故?」
「ほら、他県とか、ちょっとした都市部からここに来ようと思うとさ。距離あるじゃん。山道とか走らねえといけねえし。その道中で事故があって、来れねえって奴も教員もいるみたいなんだ」
「ふうん、なるほどな」
扉を開けて春子さんが教室に這入ってきた。
「聞いてきたよ。今日は休校だって。あとで先生が説明しに来るから待機しておいてって」
それから宝籤と雑談している間に担任の
これ以上、ひどくなる前に帰れとのお達しを受けた。とはいえ、さっき歩いてきたばかりなので、少しだけ温まってから帰ることにした。
「そんじゃあなー、ばいばばーい!」
宝籤は意気揚々を帰宅した。
ほかの生徒も次々と帰宅していく。自分の席に座ってそれらを見送り、随分と人数が減った教室には、僕ともうひとり――ふたりだけになった。
「あー、駄目だ」
教室の隅でスマートフォンを片手にどこかに電話していた春子さん。
春子さんはそう言ってスマートフォンを机の上に置いた。
「……どうしたよ?」
「迎えに来てもらえないみたい」
顔をしかめながら言った。
「あー……、春子さんところ、共働きだったね」
「そうなのよ。それに家のある場所が中途半端だから途中までバスで通ってるんだけど、バスが時間通りに来なかったら送ってもらったんだよ」
「バスで帰れないの?」
「調べたら運行が停止してるらしいんだ。お父さんにしてもお母さんにしても仕事が終わる五時以降だし……、流石にそれまで学校にいるのもね。暗くなっちゃったら階段危ないし」
「どこかで時間を潰すにも何もないですからね」
「うーん……。あ、そうだ。定刻くんの家にこれから遊びにいってもいい?」
「うち? いいですけど」
「やった。中学校の頃に遊びに行って以来だよね。いいならお邪魔するけど、いいの?」
「僕は別にいいですよ。春子さんがいいのなら」
「それならお邪魔させてもらうね。あ、お母さんに一応連絡しておくね。定刻くんの家にお邪魔するって」
「わかった」
机の上に置いたスマートフォンを手に取って、春子さんは連絡した。一分とかからない軽い通話だったので、すぐにスマートフォンを置いた。
「また仕事が終わる頃になったら連絡するからってさ」
時計を見る。もうそろそろ九時半だ。
学校に到着して早々に脱いだ防寒具を再度身に着けて、僕たちは鞄を持って学校から出る。
「うー、寒っ!」
肩を抱き、身震いした春子さん。
「まあ、歩いてるうちに温もってくるでしょ」
そう言って僕らは階段を降りた。普段なら階段を降り終えたところにある駐車場に寄って自分の自転車を回収するが、自転車に乗ってきていないので立ち寄らない。
塀などの上に積もっている雪が根こそぎ抉られているし、地面の隅には雪塊が砕けた状態で転がっている。小学生か中学生辺りが遊びながら登校した跡だろう。
「ダイエットって冬のほうが向いてるって知ってる?」
春子さんは突然話題を切り出した。
「いや、知らない」
まず、ダイエット自体に興味がない。必要以上に食べず、間食も控えているので、太らない。太る要因として大きいのは間食だという話を聞いたことはある。
「一般的には夏とか言われてるけど、違うの?」
「違うらしいよ。ほら、夏って暑くて勝手に汗をかくじゃない。あれ、大して効果がないんだって」
「そうなの? 汗かけば痩せるみたいな話は聞くけど」
「その通りらしいんだけど、夏に汗かくのって暑いからじゃない。暑くて勝手に汗かいてるって感じじゃない。それじゃ駄目で、冬だったら寒いから汗かくには相応のエネルギーを消費するじゃない。寒さから身体を守ろうってすることに意味があるんだって」
「ふうん」
言われてみれば、その通りではある。
軽く雑談をしながら、無事帰宅した。
ポケットから鍵を取り出して玄関を開ける。
「あれ? ご両親はお留守?」
「うん、留守だよ」
「お母さん、専業主婦じゃなかったっけ?」
「去年くらいから駅前のドラッグストアにパートで行ってるんですよ」
「ふうん……」
「…………?」
よくわからない反応だった。
とりあえず家に上がる。玄関で靴を脱ごうとしたところで、
「ねえ、足濡れちゃってるんだけど、このまま上がっちゃ駄目だよね」
「ああ、そっか」
濡れた雪が靴下を貫通して染み込んできているのを失念していた。
「ちょっと待ってて。タオル取ってくるから」
一旦靴を脱いで、家に上がる。上がるといってもそのまま足をついてしまったら結局は同じことなので、両手と膝を使って、這う這うの体で洗面所に這入った。洗面所にあるタオルを取り出した。靴下を脱ぎ、洗濯機に放り込んで、足を拭いた。これで床に足をつけることが許される。
這う這うの体から、立ち上がる。
自分の足を拭いたタオルを洗濯機の中に放り込み、新しいタオルを取り出して、玄関で待機している春子さんのところに持って行く。
「はい。どうぞ」
「ありがと」
タオルを受け取った春子さんは玄関に座った。そこで靴を脱いで、靴下を脱いでしっかりタオルで足を拭いていく。前々から思っていたことではあるが、春子さん。結構な美脚である。
「ん、ありがと」
足を拭き終わったタオルを手渡してきた。
それを受け取るついでに。
「そうだ、嫌じゃなけりゃ靴下洗っておくけど、どうする?」
「うーん、そこまで甘えるのも悪いから、袋もらえないかな? それに入れて持って帰るよ」
「わかった。取ってくるから待ってて」
「あ、じゃあ、定刻くんの部屋に行ってていい?」
「いいですよ。あ、部屋に這入ったら暖房点けておいて」
洗面所に再び這入って、タオルを洗濯機に放り込んだ。それからキッチンのほうに行って、袋を持って僕は二階に向かう。
「……何してんの?」
階段を登ってみると、部屋の前で春子さんは立ち止まっていた。
「いやー、このまま部屋に這入っちゃっても大丈夫なのかなって」
「どういうこと?」
「見られて困るものとか転がってない? 大丈夫? 私が部屋に這入る前に片づけなくても」
「僕を何だと思ってるんだ」
部屋は、特別広くも狭くもなく、北枕になるようにベッドがあり、中央には炬燵を備えた机、窓側に勉強机がある。
ほかにあるのはタンスと小型のテレビ、それと本棚がふたつ。部屋の隅には通販で頼んだ際に来る必要以上に大きい段ボールが積まれている。その中にはゲームなどを詰め込んで仕舞っている。
「意外と部屋、片付いてるんだね」
「散らかってると落ち着かないんだよ」
僕は鞄を壁にもたれさせるように置いた。春子さんも同じように鞄を置いた。部屋にある暖房の電源を入れる。
「それ」
春子さんが、顎で暖房を指す。
「暖房なんて言い方したけど、ストーブじゃないそれ」
暖房――改め、電気ストーブ。
「なんですか、暖房器具であることに間違いはないでしょ」
「そうだけど、あの言い方じゃエアコンをイメージするじゃない」
僕はタンスから靴下を取り出して穿いた。裸足ってどうも落ち着かない。
「それにしても、やっぱり定刻くん、漫画とか本、いっぱい持ってるねー」
「そりゃまあ、死ぬんだったら本に押し潰されて死にたいって思ってるからね」
「なにそれ、きもっ」
「…………」
そういう些細で無情な言葉が、どんな言葉よりも人を傷つけるんだ。
「それにしても見かけない漫画が揃ってるよね――あ、これ、小学校のとき読んで面白かったやつだ!」
本棚の前に移動して手に取ったのは岡田あーみん著作の『お父さんは心配症』だった。父親と母親が漫画収拾の趣味色が強かったこともあって、妙に漫画が揃っている。『行け!稲中卓球部』『おぼっちゃまくん』『あさりちゃん』『金田一少年の事件簿』『かってに改蔵』――未だに父親は『北斗の拳』と『ジョジョの奇妙な冒険』を譲ってくれない。
両親の影響もあって、漫画を読む傾向は強かったが、なにぶん両親から譲り受けたのは漫画だけではなく、小説も多かった。片方の本棚には煉瓦ブロックのような小説が並んでいる。『姑獲鳥の夏』から続く京極夏彦著作の『百鬼夜行シリーズ』だ。現在の読書嗜好は幼い頃から根づいている。
「なんていうかさ、定刻くんの本棚って、知らない漫画ばっかりだよね」
字ばかりの本は読めないと嘆く春子さんは本棚にある漫画を見ながら言う。
「ほら有名どころの『ワンピース』とか『ナルト』とか『ドラゴンボール』ってないじゃない」
「何言ってるんだ、そこにあるだろ。『デスノート』が」
「なんか違うじゃない」
言いたいことはわかる。
愚直というか、シンプルなこれぞ少年漫画という漫画がないと言いたいのだろう。
「ねえ、知ってる? 靴下って下着の一種なんだよ」
くるくる――と、靴下を入れたナイロン袋を振り回す春子さん。
「へえ、そうなんですか。それは知らなった」
「そう考えると、裸足ってなかなかあれよね。えっちよね」
「…………」
どうコメントすりゃいいんだ、それ。
そんな雑談をしていると、
「あれー? 兄ちゃん帰ってんのー?」
と、一階から妙火の大声が聞こえた。
「妙火も帰ってきたか」
「そっか、妙火ちゃん、電車で通学してるんだね。止まってるみたいだもんね、電車」
「兄ちゃーん? いないのー?」
「はいはーい!」
返事をする。扉を閉めていて、声が聞こえにくいだろうから僕も声を張った。
なにぶん僕も本棚の前に移動しているのもある。
「誰か友達来てるのー?」
階段を登ってくる音が聞こえる。
「ひょっとして彼女とかだったり? へっへー、だとしたら隠そうったって無駄だよ。どんな面した奴なのか顔を拝んでやるんだから」
そう言って勢いよく扉を開け放って這入ってきた。
「ってなんだ、春子さんじゃない。お久しぶりです」
「久しぶりだね、妙火ちゃん」
ぺこり、と妙火は頭を下げた。
「ひょっとして兄ちゃん。春子さんが彼女だったり? って、そんなわけないか。兄ちゃんに彼女なんてできるわけないもんな」
「おいおい。いくら何でも言っていいことと悪いことがあるぞ。兄ちゃんにだって彼女くらいできる」
「え? まじで? 彼女いんの?」
「いないけど」
「できてねえじゃん」
このあと、一度一階に降りて、リビングにあるヒーターを起動させた。僕の部屋にある小さなストーブでは暖を取るには限界だ。かなりの熱気を放つが、それは近くにいた場合に限っての効力である。
「あ、そろそろお昼だ」
テレビを点けて、こたつに入っていると、妙火が時計を見たのだろう。時計を見ると、確かにお昼前で、あと数分で十二時になる。
「兄ちゃん、お昼ご飯」
「兄ちゃんはお昼ご飯ではありません」
「お腹すいたよー。ぺっこぺこだよ。肋骨剥き出しになっちゃうよー」
「勝手になってろ。空腹なら自分で作ればいいだろ」
「私はそんな料理スキルを持ち合わせていません」
「普段やってるお菓子作りは何だよ」
「それはそれ。これはこれ。だよ」
「全然納得できるか。っていうか、僕に言われても困るんだよ。料理できないんだから」
「電子レンジは使えるでしょ?」
「それくらいは」
「じゃあ、できる。任せた」
「…………はいはい」
こたつから出る。料理はできないけど、冷凍食品くらいならなんとかできる。炊飯器の中に母が朝炊いてくれたご飯が残っているわけだし、三人分くらいなら――あ、そうだ。一応確認しておかなきゃ。
「春子さん何か嫌いなものある?」
「別にないけど……。え、私の分も作ってくれるの?」
「春子さんの前で僕らふたりだけが食べるみたいな、そんな酷なことはしないよ」
「ありがとう。せめて何か手伝わせてよ」
そう言ってこたつから出てきた。
春子さんは裸足だ。キッチンのほうはフローリングなので、かなり冷たいだろう。こんなことならスリッパでも出せばよかったと思ったが、定刻家には来客自体が極めて少ないため、スリッパを出す習慣がない。
よってスリッパがどこにあるかわからない。
両親の来客があっても、すぐに和室のほうに招くのでスリッパが意味をなさない。春子さんには悪いが我慢してもらうしかない。
キッチンのほうに移動した僕は冷凍食品を片っ端から取り出していき、春子さんに作業を分担してもらい、電子レンジに放り込んだ。炊飯器のご飯と、ご飯と同じくして今朝作られた味噌汁を温める。
ぶぉーん、と電子レンジが稼働する。
「兄ちゃーん。電子レンジ使わないでよ、スマフォ繋がらないじゃない」
リビングから妙火の喚き声が聞こえたが、無視した。
ご飯と味噌汁を、それぞれお茶碗とお椀によそった。
リビングの机には複数の冷凍食品と、お味噌汁にご飯。飲み物のお茶が並んだ。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
テレビでやっているお昼番組を見ながら昼食を摂った。
ニュース番組では最近騒ぎになっている霧崎家一家惨殺事件について取り上げられていた。未だに犯人は見つかっておらず、金銭が盗難されていたことから強盗目的の犯行だとされているとのことだ。
「ごちそうさま」
「ごちそうさま」
「ごちそうさま」
片づけを行った。用意はしたのだから後片付けくらいはやってくれと、妙火に押しつけた。渋々立ち上がって洗って食洗機に入れて乾燥させる。食洗機は壊れてしまっていて、乾燥させる機能くらいしかまともに作用してくれないとのことだ。
昼食も食べたので、こたつに入ってひと息吐いていると春子さんの携帯電話が鳴った。部屋を出て話して戻ってきた。
「五時半頃に液まで迎えに来れるって。それまでお邪魔してても大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「じゃあじゃあ!」
妙火は言う。
「折角だし、なんかして遊ぼうよ!」
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