第四章『人の心』

第31話『病床での回想』


     1.


 その日、極めて自然に目が覚めた。気分がいいときの、頭の中がすっきりとした冴え渡る目覚めだった。

 どういうわけか、随分と長い間、眠っていた気がする――瞼を開いた眼球に差し込む光が強く思えた。

 思わず眩み、次第に目が慣れて辺りが見えてくる。僕の眼前に映り込んだ景色は天井だった。しかし、見えた天井は見たこともないような天井で、思えば寝心地もいつも寝ている自室のベッドとは感覚が違う。

 白色を重点に置いて、明るめの薄い茶色で彩られている天井。辺りを見回すと、見たことのない一室だった。

 いや、知っている。

 この一室を知っている。いわゆる病院の一室だ。どうやら僕はひとり、個室にいるみたいだ。

 眠っている感覚が違ったのは、普段自分の使っていないベッドなんだから当然と言えば当然だ。

 それはともかく。

 どうして僕は病院で眠っているのだろうか?

 病院で眠っていた以上、何かしらのことがあったからなのだろう。点滴が繋がれている以上、何かしらの異常状態が僕の身体にある――あるいは、あったということなのだろう。

 あるいは現在進行形で何かの病気を患っているのかもしれない。

「…………」

 記憶を探る。眠る前の記憶を探る。

 どうにも曖昧だ。上手く思い出せない。

 思うように動かない身体を動かして、掛布団を捲って、身体を調べてみる。見た限り外傷らしい外傷もない。

 ずぎり、と。

 身体痛む。身体の至る所に湿布やら包帯やらで治療が施されていることに気がついた。

「…………」

 もう一度辺りを見渡した。

 前までの病院は灰色寄りの白を強調していて、もっと無機質で寂しい印象を抱く場所だったが、最近では薄めの明るい茶色が色合いに加わっているため、無機質で寂しいあの病院に対する印象を受けない。

 何だかんだで、こうやって入院するのは初めてだ。

 どうして入院しているのか、看護師さんやらがやってきたときに訊ねることにしよう。ボタンみたいなのを押して呼び出すのもありだが、異常事態ではないし、看護師さんも忙しい身だ。いちいち呼び出して仕事を増やすわけにはいかない。

 なんてことを思っていると――病室の扉が開いた。

 看護師さんが扉を開けて這入ってきた。

「さ――定刻さん!?」

 起きている僕を見て驚いた看護師は検査用か何かで持ってきていた道具とクリップボードみたいなものを病室に置いて出て行った。それから白衣を着た中年くらいと思われる医師がやってきた。

 しばらく身体を調べられながら、話を聞かれる間に、母親も駆けつけてきた。

 病院から自宅に連絡が伝わったのだとすれば、僕の住むこの地域では大きめのあの病院に入院しているのだろう。

 いろいろと医者から話を聞いたり、母から話を聞いたりしているうちに内情を把握してきた。

 曖昧だった記憶も自然と蘇ってきて、どうしてこうしているのかもわかってきた。

 しばらくすると、病室の扉が開いてふたりの人物が這入ってきた。

「初めまして、定刻刻樹くん」

 眼鏡をかけているオールバックの身体つきのいい男性だ。温厚そうな印象を受ける。

「私は桜庭谷署の時暦ときれき十司としだ」

「同じく桜庭署の飛魚とびうお紀六きろくです」

 若くて細い男性だ。

 とはいえ、流石に三十代くらいだろう。ん? 飛魚? どこかで聞いた名前だ。

「三日前に起きたことを聞かせてもらいたいんだけど、いいかな?」

「…………」

 三日前。

 それは現在の日付であるところの十二月八日日曜日から見て、三日前の十二月五日木曜日のことでいいのだろうか? この日の出来事を話すためには、更に二日前の十二月三日火曜日の出来事まで遡らなければならない。

 おおよそ一週間前に起きた出来事を、僕は振り返る。

 思い返して、振り返る。


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