第10話『秘匿の内緒話。殺人の現場』
4.
「登るのが困難ならば、登らなければいいんです」
まるでマリー・アントワネットみたいなふうに言う。まあ、あのマニー・アントワネットが『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』なんて実際は言っていないというのも、今更、わざわざ取り上げる必要もないほどに浸透した話である。
「木を登って死体を吊るすのはただならぬ重労働ですが、それは重力とは逆の方向に進もうとするから起きる問題であって、逆らわなければいいんですよ。まあ、より厳密に言えば、横からですけどね。定刻せんぱいの考えを聞かせてくださいよ。ひょっとしたら私の考えと相違があるかもしれません。こういうのはちゃんと確認しておかないと――です」
僕はもう一度、見上げる。
死体のあった場所を――その木を。
「死体を持って登れないなら、直接渡せばいい。前もってひとりを木に登らせておいて、もうひとりは校舎から死体を受け渡す」
雑木林と化した木々たちは、まったくもって手入れされていない。手が加えられていない。フェンスを越えて、校舎にまで近接してきている。
「ん……、でも、厳しくないか?」
「どうしてですか?」
ほとんど条件反射で答えたようなものなので、考えが練り込まれているわけではない。
いろいろと考えてはいたものの、りりすちゃんに聞いて気づいたことのほうが多いくらいだ。
「確かに校舎付近まで木は――枝は伸びてきているけど、それは細々とした枝であって、とてもじゃないけど、人間ひとつの受け渡しができる環境じゃない」
「定刻せんぱい。必ずしも、受け渡しである必要はないんですよ。気づくべきだったのは木を登る以外のアクセス方法であって、ほかのアクセス方法が確立したのならば、いろいろなことができます。そもそも、これを複数犯として話を進めていますけど、ぶっちゃけひとりでも可能と言えば可能なんですよ。ただひとりでやろうとすると、重労働なので不向きでして、順当に考えると犯人は複数人いるということになります」
ひとりでも、可能?
りりすちゃんは人差し指を立てた。
「①まずは既に殺した死体を校舎側にある教室の窓際に移動させます。死体に近くに犯人Aを配置して、気を登らせて同じ高さの位置に犯人Bを配置します」
りりすちゃんは、中指を立てる。
「②太い枝に縄を括りつけて、その余ったほうを教室の窓に向けて放り投げます。このとき、既に枝に結んでいるので、届かなくても何度かトライすることができます」
りりすちゃんは薬指を立てる。
「③そして、窓から教室内に入った縄を、中河せんぱいの首に結び付けて、そのまま窓の外に突き落とします。結んでいる支点を軸にぶら下がると、死体は振り子のように揺れるでしょう。細々とした木の枝は折ることになると思いますが、手入れなんてされていない場所ですから、そんな変異に気づくわけもありませんし、犯人の目的が、殺人事件を自殺であると認識させることにあるのならば――それを第一印象だけでいいというのならば、これで十分に可能です」
手と手を合わせて、ぱんっと叩いた。
「こうすることで、一見不可能にも見える自殺偽装殺人は完遂できます」
なるほど。そういう手もあるわけか。ここまで、りりすちゃんは推理できているというわけか。この殺人事件の謎を、既に彼女は看破しているわけか。
……これは、りりすちゃんの推理だけなのだろうか?
ふと思ったことだ。
一連のりりすちゃんの推理だが、これは果たして、どこまでりりすちゃんの見解なのだろうか? さっき、りりすちゃんは警察という言葉を使って話していた。
縊死じゃないことを伝えるときに。
この情報をどの筋から入手したかわからないが、ひょっとしたら――警察と繋がっているというのだろうか? もし、警察と関わった上で、今の推理を述べているのだとすれば、警察側の見解として考えてもいいのだろうか?
「ねえ、りりすちゃん。ひとつだけ質問してもいいかな?」
「質問ですか。私に答えられる範囲のものでしたらどうぞ」
「きみは、一体どうして僕にこんな話をするんだい?」
「愚問ですよ、定刻せんぱい。私はただ気になっているから調べているだけですよ」
「その気になっていることも、りりすちゃんなら見破れるんじゃないの? 実際に、ほとんど解明しているじゃないか。それともりりすちゃんは、僕みたいに現場に来た奴らに、毎回こんな話をしているのかい?」
「まさか。そんなことはしませんよ。この話をしたのは定刻せんぱいが初めてですよ。それには、深くない浅い事情があります」
「事情?」
「はい。定刻せんぱいのことですから、既にお気づきなことだと思いますけど、私は警察と繋がりがあります。その一環で、学校内部の調査を頼まれているんですよ。警察としての立場で学校内を調査しようにも、なかなか難しいみたいなんですよね。生徒から事情を聞きたくても、聞くに聞けないんです。警察に話を聞かれていたところを見られて、あらぬ誤解を受けるかもしれません。それを考慮すると、なかなか学校という極めて社会から隔離されて隔絶されている――ひとつの人間社会は手出しし辛いみたいなんです。だからこその私です」
りりすちゃんと警察機関にどんな繋がりがあるのかはわからない。でも、警察がりりすちゃんに調査を頼む――つまりは依頼した理由は十全に把握できた。
「外部からじゃわからないことを、内部の人間に調べてもらおうという試みか」
「はい。そういうことです。だから、私なんです」
ですが。と続ける。
「私にも限界があります。どうやらこの事件の容疑者は生徒に絞られるみたいですけど、容疑者を誰なのか定めることすらできていない状態です。あちらこちらに聞いて回ってみたんですけど、どうにも限界がありましてね。違う角度からのアプローチをしたいと思っていたんですよ。だから、定刻せんぱいにお話しました」
「それで、なんで僕になるんだよ」
「クイボノです」
「食い物?」
「違います。クイボノです。『誰の利益になるか?』という意味のラテン語です。さっき定刻せんぱいに言ったフーダニット、ハウダニット、ホワイダニットの一種だと考えてください」
フーダニット、犯人。
ハウダニット、動機。
ホワイダニット、手段。
そして、クイボノ――利益。
さっきの5W1Hを含めると、ななつもあるのか。
「そのクイボノが、どうしたっていうんだ?」
「中河友二が死んで、もっとも利益を得る者が誰かを考えたところ、最近になってもめていた
「…………つまり、りりすちゃん。僕はきみの探偵ごっこに巻き込まれたってわけか?」
「そういうことです。
一方的に、それも勝手に情報を開示しておいて何を言っているんだ。
「まあいいよ。僕も気にならないと言えば嘘になるし、いい機会だ。一体誰が殺したのか一緒に特定しようじゃないか」
「意外と乗ってきましたね。説得するのに骨が折れそうとは思っていたんですけど、ラッキーです」
そこでくるり、と踵を返すりりすちゃん。
「どこにいくの? りりすちゃん」
「そんなの決まってるじゃないですか」
現場ですよ。
捜査の基本ですよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます