第9話『首吊りの死因。見方の転換』
3.
自殺ではない?
そりゃあ、そう思っていた。僕も最初は思っていた。でも、こうして現場に来て、いろいろと考えているうちに、むしろ自殺のほうが可能性としては高いように思えてきた。
でも……違う?
確固たる強い意志を持って答えるりりすちゃん。この子は、何かを知った上で言っているのだろうか。
「どうしてそんなことを言い切れるんだ? りりすちゃん。何だか話し方が――まるで、ひとつの結論に辿り着いているみたいなんだけど……」
「おやおや、私としたことが、ついつい喋り過ぎちゃいましたね。そうですね、私にはひとつの結論があります。見てくださいよ、先輩。死体はあの位置にありましたけど、それを結んでいるお縄はもう少し上です。三階くらいの位置です。そんなところで自殺をするにしても、殺されるにしても極めて困難だと思いませんか? この場合、自殺が最も考え得るものですけれども、ここでは自殺を考えないものとしてください」
そんな数学の問題みたいな……。
まあ、数学か。謎――問に対して、解答を求めるのだから、数学みたいなものか。数学と言えば、友達の
「たとえば、一緒に木登りをしたとします。ですが、そこから、この縄を首に巻いてくれっていうのもおかしな話ですよね。ならば意識を奪いますか? いえいえ、そんなそんな。人間の意識なんて簡単には奪えません。よっぽどのことをしない限りは――よっぽど、それこそ人を殺すくらいのことをしなければなりません。ですが、木の上です。そんなことをすれば、うっかり反撃を受けて犯人のほうが転落しかねませんよね。それは中河友二にも言えることです。木の上でそんなことをしていて、うっかり中河友二が下に落下してしまっては二度手間になってしまいます。下手すると、雑木林の崖から転がり落ちてどっかに行ってしまうかもしれません」
「別にそれでもよかったんじゃないのか? どうせ殺すんだから、自殺に見せかけようとも――失踪しようとも同じことじゃないのか? むしろそっちのほうが……あ」
「そうです。むしろそっちのほうがいいんですよ。木登りをして、雑木林の向こうに突き落として行方不明にさせれば、死体は出てきません。殺人において――自殺に見せかけるのは、殺人ではないと誤認してもらうことにあります。殺されたのではなく、自殺であると。それならば、こんな手間をかけずに、転落死させ行方不明にさせたほうが、合理的じゃないですか?」
「それじゃあ……、首吊りに見せかけたことに何か意味があるというわけか?」
「少なくとも、私はそう考えています。ちなみに、先ほどから挙がっている縄に関する補足ですけれども、あれは縄ではなく、縄跳びが用いられました。学校から体育の授業で使うからと言って買わされたあのゴム製の縄跳びです」
「……それだったら、木の上から行う殺人もそんなに難しいものじゃなくなるんじゃないのか? ゴム製の縄跳びなんだろう? ゴム製ってことは、フィットしやすくて――喰い込みやすいんじゃないのか? 木の上に来たところで、輪っかを大きく作っておいて首にかけて、突き落とせば、もう助からないだろう?」
あ、いや。これは違うな。
これは、りりすちゃんに誘導させられている。
「ええ。それがもっとも考えられる可能性で、高い可能性のものです。ですが、それもあり得ません。この事件は、自殺ではないのと同時に――どこか別の場所で殺されてから、木に吊るされたんですよ」
「…………そう言い切れる理由を、もうそろそろ教えてくれてもいいんじゃないのか? どうして、りりすちゃんはそう言い切れるんだ?」
「それはですね」
鎖理りりすちゃんは言う。
「中河友二の死因は、
「…………は?」
きっと、僕は今、きょとんとした顔をしていることだろう。窒息死と縊死。
首を吊った際に起きる死因だ。その両方が否定された。
「死因は頭部打撲による
なるほど。これを踏まえて考えると、りりすちゃんの言っていたことが納得できる。言われて振り返ると、中河友二の意識を奪うことを重点に考えて発言していた。
撲殺事件。撲殺、いわゆる鈍器などで殴り殺す行為を指す。首吊りで頸髄骨折はあり得ないことではない。
首に全体重がかかるのだから起こり得ることである。しかし、頭蓋骨陥没は、首吊りではまず起こり得ない外傷である。
しかも、頸髄骨折は、撲殺時と首吊りで起こったものと考えられる。
ふたつをひっくるめて撲殺と言っているのだろう。
……問題は、りりすちゃんがどうやってこの情報を仕入れたのか、である。
もしかしたら、りりすちゃんが犯人で、真実に気づこうとした人物を殺そうとしているとか?
いいや、それはないか。
犯人しか知り得ない情報ということはないだろう。むしろこんな情報こそ、犯人の知らない情報だろう。知っていたら、こんな小細工はしないはず……いや、そうとも言えないのか。
僕は自殺に見せかけた殺人をイコールで殺人事件であることを隠蔽する行為と認識しているから、そう感じるのであって、りりすちゃんは殺人事件の隠蔽なんて枠組みではなく、何か別に意味があると考えているみたいだ。
「りりすちゃんは、その情報をどこで仕入れたの?」
「警察です」
「警察……それはどういう意味?」
まさか、ハッキングをして情報を?
なんて。そんなのはドラマや漫画の中だけだ。
だったら、両親が警察官とか親戚が警察官とか。そういう情報経路だろうか? 身内に警察官がいるといった感じのものだろうか?
「いろいろあるんですよ。いろいろと」
はぐらかされた。
別に、追求するほど気になる情報でもないので構わない。
「…………。中河友二は撲殺で殺されたとするなら、木の上で揉めたわけでも、まして自分から首を括ったわけでもない」
しかし。
それはつまり。
「別の場所で殺した中河友二の死体を、木の上まで運んだってことか?」
「ええ、そういうことになります。なっちゃいますね」
考えられる中で、最も難易度が高く重労働な方法。
そんなの、とてもひとりじゃ無理だ。
「…………あ」
「? どうしました、定刻せんぱい」
「ひとりで無理でも、複数人でなら決して不可能ってことはないんじゃないのか?」
「その可能性は十分に……いえ、それどころか、むしろそれだと私は思います。ひとりではなく複数人でこの殺人は行われたのです。いやはや、それでも、定刻せんぱい。定刻せんぱいが気にしている点の問題は解決していませんよ?」
ああ、そうだ。それには何の解答も用意できていない。
ひとりであろうとふたりであろうと――十人であろうと、木の上にひとつの死体を運ぶのは、分散しても苦労することに変わりはない。
じゃんけんで負けた子がランドセルを持たされるのとはわけが違う。
順番に運べばいいというわけではない。
「ですが、共犯者がいるというのはいい着目点です。自殺ではなく殺人であり、そして複数人によって殺害されている。ここまで辿り着いていただければ、私が話したい本題へ移るには十分です」
この口ぶり……やはり、りりすちゃんにはこの事件がわかっているのだろう。この事件が、どんなふうによって引き起こされたのか。
「フーダニット。ハウダニット。ホワイダニット」
りりすちゃんは脈略もなく、片仮名を並べた。
「ご存じですか、定刻せんぱい」
「ええっと、何だっけ? 動機とか方法とか。そういうのだっけ?」
ミステリ小説で使われている専門用語だったと思う。意外と、そういう専門用語というのは多いみたいだ。
一般的になっているダイイングメッセージや、最近では多くの人が知っているクローズドサークルも、ミステリ小説の用語だ。そんな中のひとつだったのは憶えている。どれがどれだかまで、はっきりとは憶えていないけど。
「それが――フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットです」
「5W1Hみたいだね」
「『誰が(Who)』『いつ(When)』『どこで(Where)』『何を(What)』『なぜ(Why)』『どのように(How)』――ですか。残りみっつも考えられますね。5W1H。それぞれ順番に言えば――フーダニット、ウェンダニット、ウェアダニット、ワットダニット、ハウダニット、ホワイダニット、ですか。なかなか聞きませんけどね」
「りりすちゃんは、その中のうち、どれがわかっているんだい?」
「私がわかっているのは、ハウダニット――『方法』ですね。さっきの5W1Hのも含めれば、ウェンダニットもウェアダニットもワットダニットもわかっていますけど、わかりづらくなるので、普通に話をしますね」
言い出しておいて何だが、元々聞き慣れていない言葉に加えて、更に知らない言葉がみっつも増えたわけで、どれがどれだかもうわかっていなかった。
「犯人も、動機も不明のままですけれども、ですが、少なくとも方法はわかっています。犯人は複数人いて、殺人で、木の上から吊るしたという点……少しアプローチの方法を変えるだけなんです」
「アプローチの、方法……」
改めて情報を整理する。
中河友二の死因は、頸髄骨折と頭蓋骨陥没。
殺害方法は撲殺。
犯人は複数人いて、自殺に偽装した殺人。
しかし、偽装するためには危険な雑木林に足を踏み入れて木を登らなければならない。中河友二の体格上、背負って登るような真似は極めて困難である。
これが順当に考えた方法だが、りりすちゃんは、アプローチの方法を変えると言った。アプローチの方法を変える。
もう一度、殺害現場になったその木を眺める。随分と成長していて、フェンスで遮っている範囲からこちらにまで、校舎に接触するほどに…………あ。
「ああ。そういうことか」
「気づきましたか?」
「アプローチを変えろっていうのはそういうことか」
「はい。そういうことです。ほら、言うじゃないですか」
パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない、って。
押して駄目なら引いてみろ、って。
つまりは。
「下が無理なら――」
りりすちゃんは言う。
「上から行けばいいんですよ」
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