第8話『現代は放課後。探偵は少女』


     2.


鎖理くさりりりりす、さん?」

 自己紹介された名前を、繰り返す。

「おやおや、先輩なのに私のことをそんなさん付けで呼ぶ必要はありませんよ。私のことは是非とも、りりすちゃん、とお呼び下さい」

「あ、ええっと……それじゃあ、りりす……ちゃん。失礼なことを言うかもしれないんだけど、きみと僕は初対面だよね?」

 僕に、彼女との面識がなかった。

 ひょっとしたら忘れているだけなのかもしれない

「はい。初対面ですよ。それに一切合切の間違いはありません。ですから挨拶は、初めましてなのです」

「それじゃあ、どうして僕のことを知っていたんだい?」

「はははー。私は全校生徒の名前を知っているだけですよ」

 まるで、それが当たり前のことのように言ってきた。クラスメイトの名前ですらまともに憶えきれていない僕からすれば、一体何を思って全校生徒の名前を憶えようとしたのか理解に苦しむ。人の名前と顔を一致させるのって難しいものだ。

 ……ん? あれ? 僕とこの少女――鎖理りりすちゃんは初対面のはずだ。少なくとも僕はそうだし、彼女もそうだと言っていた。

「それじゃあ、きみはどうやって、僕の名前と顔を一致させたんだい?」

 当然の疑問である。写真などを見て知ったというのもあるかもしれない。写真ならば、一方的に知られるだけで、初対面のままである。

「写真なんて見てませんよ。それに、定刻せんぱいは、写真とか嫌いそうな人じゃないですか」

「……言う通り写真は嫌いだよ。自分から写ろうとは絶対にしないけど、でも、うっかり写り込むことくらいはあるし」

「ええ、それはあり得ます。ですけど、私は写真で、定刻せんぱいの名前と顔を一致させたわけではありません」

「じゃあ、どうやったんだ?」

「名前と個人を一致させる方法はいろいろあります。たとえば目印です」

「目印……?」

「はい。大衆の中で待ち合わせをするときに、私はこんな服を着ているとか、そんな会い方をするじゃないですか。眼前にいる人物を見て、頭の中で候補を順番に消していきます。すると、最終的には候補を絞り込むことができます。この学校の生徒は大雑把に三百人前後います。このうちのおよそ半分ずつ男女に別れています。ですから、対面した相手の性別に応じて候補を百五十人にまで絞ることができます。加えて、私の学年にいる人物に該当しないならば、ここから大体五十人前後の人数を省くことができます。あとは、細かい情報を元に照合していけば、自然とその人物が誰なのか導き出せます」

 それが私のです、と。

 りりすちゃんは言った。

 鎖理りりすと名乗った少女は、言った。

「…………推理」

「はい。そして私はこの事件を推理しにきました」

 この事件……。

 それはやはり、一週間前に起きた中河友二の首吊りに関してのことだろう。

「私はあれから、この現場の様子を定期的に伺っていました。ですが、ここにやってきたのはあなただけです。こう言いませんか? 犯人は現場に戻る――と」

 こちらに歩み寄り、顔を突きつけた。

「定刻せんぱいは、どうしてここにきたんですか?」

「…………」

 幼い顔つきをしているりりすちゃんだが、その彼女の瞳から、並々ならぬ気迫を感じた。狙いを定めるような、値段を見極めるような――そんな力強く鋭い眼光を。

 推理。と言っていたか。

 推理、推理、推理。探偵気取りかと言いたくもなったが、さっきりりすちゃんが披露した推理からするに、探偵気取り――いや、世間で流通している探偵職のことではなく、空想上の物語で八面六臂はちめんろっぴの活躍を飾る――名探偵。

『名』探偵気取りをしているだけのことはあると思ってしまう。あの推理が本当に彼女の脳内で行われたことだなんて保証は一切ありもしないが――そんなふうに思ってしまう。

 別にさっきの僕を特定する推理も、そこまで論理的ではない。あれは、勘の領域を脱しないのだから。

 どこまで可能性を絞り込んでも限度がある。

 そこからひとつの解答を導き出すには、ほとんど僅差の感性だ。わずかで、微小な――風が吹けば変わってしまうような、感覚。まあ、そういった勘が働くところも含めて、名探偵気取りなのかもしれないが――こんなの、結果的に当たっているのだが見栄を張ろうと何でもかんでも自由に言いたい放題だ。実際は写真を見ていたかもしれない。

「――きみと同じようなものだよ」

「……私と?」

 眉をひそめるりりすちゃん。

「事件を推理しにきたわけじゃない。別に僕は名探偵になりたいわけじゃない。それでも、やっぱり、変だと思うこともあるからね。それを看破するためにここに来たんだよ」

「…………」

 少し考えるような間があったのちに、ふうっ。と、りりすちゃんは溜息を吐いた。

「さっき、定刻せんぱいがここに来たのは初めてだと言いましたけど、あれは嘘です。ここ何人かきました。その全員に鎌をかけていました。定刻せんぱいもそのひとりです」

「…………」

 うん。そりゃあまあ、そりゃそうだろ。

 教員や警察を除いていたとしても、それらの調査が終えてしばらくしてからくらいならば、ここに何人か野次馬根性でやってくるだろう。ましてや三百人も人間がいるんだ。何となくで足を運ぶ奴がいても、決して変なことではないだろう。

「それでもなお、ここに張りついているってことはかんばしい結果は得られなかったわけだ」

「まあ、そういうわけです」

 肩をすくめるりりすちゃん。

「それで、先輩。先輩は一体何が変だと思ってここにやってきたんですか?」

「中河友二の首吊りだけど、あれって気になったんだよ。周りの話を聞いてるとさ、自殺だとかどうこうって言われてたから――あんな奴が、自殺をするような人間なのかって思ったし。それに」

「それに?」

「どうしても死に方が不自然なんだ」

 中河友二の死体は――窓の外にあった。

 僕たち二年生の教室から見て丁度の高さに。

んだ」

 自殺だとしても、もっと言えば殺人だとしても――だ。

 校舎の二階の位置まで登る必要があるだろうか? いや、それはあるかもしれない。いい木の枝が見つからなかったかもしれない。

 しかしながら、吊られている姿が二階の窓から見えるように死のうとすると、およそ三階の位置まで木登りしなければならない。

 そこまでして、自殺するくらいならば――飛び降りることもできるのではないだろうか?

 自殺を決意しているなら、死に方なんて何でもいいはずだ。なのに、そこから飛び降りなかった。

 これは殺人でも同じことが言える。

 そんなところから自殺に見せた殺人を行うくらいならば、もっと自然な方法があるはずだ。

「ええ、ええ。定刻せんぱい。あなたの心中を、私は十全にご察知致します。首を吊って死んでいると言われると、イコールで自殺として考えてしまう――。殺人をするならば、首を吊るではなく、首を絞めるですからね。首を吊っていると聞くと、それが自殺であると認知してしまうのは、潜在的に思い至ってしまうのは自然なことです。ですが、現場を見れば――すぐに気づかなくとも、ふと思い至るはずです。――と。そして話を聞いている者でも、気づく人は気づくはずです。この事件の不自然さに」

 こんな見上げなければならないような場所で死ぬ必要はないし、そんな場所で人を殺す必要がない。

 自殺として考えると極めて不自然だが、殺人として考えても極めて奇妙なのである。

 その不自然さを、確認するために、僕はここにやってきた。

『意外とそんなことはないかもしれない』『現場で見れば、そんな不自然さなんてないかもしれない』――と考えていたのだけれど、そんなことはないなんてことはなかった。

 不自然だったし、かなり高い位置だった。

「あの位置で自殺をするのは簡単です。ひと苦労なのに変わりはありませんけど、木登りをすればいいだけです。ですが、そこまでして自殺する理由がありません。しかしながら、これを殺人だと考えるのも難しい話なんですよ。この殺し方をするためには、一度木の上に登らなければなりません。木の上で人を殺すためにしろ、別の場所で殺してからするにしても――です。自殺ならば、木の上にまで登って自分で首を括って吊られればいいだけの話です」

 ですが――と、りりすちゃん。

「殺人となると、木の上まで一緒に登って、そこで首を吊らせなければならない。あらかじめ準備をしていれば登っている時点で気づかれますし、木の上に登ってから準備なんてできるものではありません。ならば、別の場所で殺してから運んできて吊るしたのではないかとも考えられますが、それはもっとあり得ませんよね。校舎二階の位置――もっと言えば三階の位置にまで小太りの人間をひとり運ばなければなりません。そんなのは、不可能とまでは言わないにしても――現実的ではない。それにそこまでする意味もわかりません」

「すべてが不自然過ぎて、自然と自殺がまともに見えてきてしまう――」

 不自然だと思った自殺が、強いてまともに見えてしまうような、そんな現場。自殺にしては不自然な点が多い。だが、殺人にしても不可解な点が多い。故に――自殺が、まだ現実的に思えてしまう。

「はい。そうです。ですけど、はあり得ません」

「え?」

「この事件は――自殺ではありません」



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