第3話『翁系さんと本はお友達』


     3.


 翁系おきなけい沖名おきなは落ち着いた小柄な女の子である。

 彼女とは高校生になってからの一年生の秋に図書室で出会った。司書の先生と話しているうちに、それとなく話をするようになった。彼女とは一年生のときも二年生の今も、クラスが違うので話す機会はもっぱら図書室で出会ったときである。お昼休みになると、僕は図書室に足を運んでいる。翁系さんも、いつも図書室にいる。

 僕自身、翁系さんと話をするのが好きというのもあるけど、趣味の読書に浸れる空間は、この学校という建物では図書室を除いてほかにない。

 …………。いいや、流石にそれは言い過ぎだ。静かな場所であれば、読書はできる。まあ、その静かな場所が図書室くらいしかないのだから、別に間違ったことは言っていない。

「こんにちは、翁系さん」

「こんにちは、定刻さん」

 開いている本から、視線だけをこちらに向けて、軽く会釈をする翁系さん。僕は翁系さんの斜交はすかいの位置の座って、持ってきた文庫本を机に置いた。

「今日は何を読んでいるんですか?」

「…………」

 無言のまま、本をぐいっと持ち上げた。僕の位置からでも見えるように。目を細めて、題を確認する。

「ええっと、学校の……怖い話? ホラー小説ですか?」

「いえ、フィクションじゃないです。あー、ええっと、こういう本はなんて言うんでしたっけ? 忘れましたけど、学校の七不思議とか、そういうのが沢山載ってます。起源がどうとか、発祥がどこだとか。そういう歴史的考察も」

「珍しいのを読んでいますね。いつもはハードカバーの小説が多いのに」

「あはは。まあ、そんなときもありますよ。だって気になるじゃないですか、私たちの通うこの学校にも――」

 ほかの七不思議だって気になるじゃないですか。と続ける翁系さん。

 桜庭谷川高校七不思議。最近になって、生徒間で囁かれている話題のひとつである。もう少し、七不思議の話をしようと思ったが、翁系さんが先に話し始め、話題を変えた。

「そういえば、定刻さんは疋田ひきたさんと仲がいいんですか?」

「疋田くんですか?」どうだろうか、と少しだけ首を傾げた。遊びに行くと言えば遊びにも行くし。「仲は悪くはないですよ」

「そうですか……」

 一体どういう問いかけだったのだろうか。

「あまりこういうことを言うと、定刻さんによく思われないと思いますけど、疋田さんのこと。私はあまり得意ではありません」

 …………。まあ、そうだろう。あまりいい人柄であるとは言えない。悪い人ではないけど、いい人というわけでもない。

「この前だって騒いでいたじゃないですか」

「この前? ああ――」一瞬どれのことかわからなかったが、すぐに察した。「中河なかがわ友二ゆうじとの件ですか」

 彼らには彼らのコミュニティがある。疋田くんこと疋田ひきた広志ひろしとはいいコミュニティを築けているが、彼のコミュニティに混ざったつもりはない。

 日々学校に通っているだけでわかる範囲で言えば、疋田広志や中河友二を含めた五名のコミュニティが目につく。悪目立ちしている。

 その五人で、揉め事があった。

 喧嘩と言ってもいいだろう。悪目立ちしている連中ということもあって、そういった騒ぎはあっという間に広まる。

「別に、大して興味があるわけじゃないですけど……あの騒ぎは何だったんですか?」

「僕も詳しくは知らないんだけど、騒ぎの前くらいに疋田くんが言っていたのは、中河友二に対する不満ですね」

 中河友二。極めて非常識な人間である。関われば、相応には楽しい相手なのかもしれないけど、あんな非常識な人間と一緒の括りにされたくないと思ってしまうような、そんな人間だ。学年は三年生。三年生だというのに、二年生や一年生を相手に突っかかっていくなど、とにかくひとりで悪目立ちをしている。誰からも、決してよく思われていない。そんな人物と仲がいいのが、疋田広志である。

「でも、疋田さんって、中河さんと仲がいいのでしょう? それなのに不満を言うんですか?」

「反りが合う仲でも、やっぱり思うところはあるみたいですよ。たぶん、その関連じゃないかって思ってます」

「そういうのもあるんですね――」

 そのときだった。

 図書室――別館三階にある図書室の窓に何かがぶつかったようだった。その音にびっくりして、僕たちは窓のほうを見る。窓には何もいなかった。きっと、鳥やカブトムシくらいの昆虫がぶつかってきたのだろおう。立地条件が立地条件だけに仕方がない。

 桜庭谷川高校の校舎の周りは雑木林ぞうきばやしになっている。

 学校全体をフェンスで囲っているものの、その先からは一切合切手入れされていない。

 夏場に窓を開けていれば、ありったけの虫が室内に入ってくる。既に夏場のピークは過ぎた九月とは言っても、まだまだ九月だ。

 残暑が猛威を振るい、虫たちも跳梁跋扈ちょうりょうばっこしている時期である。カナブンやカブトムシが、飛来して窓に衝突することもよくある。

「…………あの、定刻さん」

「ん? はい?」

 開いていた本を閉じる翁系さん。

「定刻さんは、大人って何だと思いますか?」

「大人、ですか?」

「はい。私たちって、来年で十八歳になるじゃないですか。二十歳までは、まだまだですけど……でも、たぶん、あっという間に二十歳になっちゃうと思うんですよ。私は思うんですよ、二十歳になった私は、ちゃんと大人になれているのかなって」

「どうなんでしょうね……。大人みたいな子供もいますし、子供みたいな大人もいますからね」

「でも、いつまでも子供でいるわけにはいきませんし、いつまでも子供の人なんていませんよね」

「気づいたら、誰でも大人になっているものなんじゃないですか?」

 少なくとも、自分が大人だとか子供だとか言っているうちは、まだまだ子供なのだろう。大人とか子供とか、そういうことを意識しなくなったら、それはもう大人みたいなものなのではないだろうか。

「それじゃあ――」

 翁系さんは、窓の外に視線を向ける。

 窓の外にある雑木林の新緑は緋色に染まりつつある。別に窓の外に用があったというわけではないだろう。

 ただただ遠くを見つめる。遥か先の自分の未来を見つめるように。それはひょっとしたら目前に迫っているものなのかもしれない。

 でも、一寸先は闇で、先のものの距離がつかめない。

「あんな人たちも、いつかは大人になるんですかね」

 あんな人たち。

 それは中河友二や疋田広志のことを言っているのだろうか。

 僕たちの個性は、削がれ、打たれ、磨かれ――丸められていくのだろう。

 誰でもない、ただの没個性になり果てる。そこらへんに転がっている歯車や、その歯車を構成する鉄のように、特徴は磨き落されてしまうのだろう。

 それが大人になるということではないだろうか。



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