01-15 たった一人で

 次の休日に、久しぶりにリカルドは外に出てみることにした。

 鬱屈とした気分をどうにかせねば、このままでは駄目だと車を走らせた。


 ドライブはリカルドにとって、思っていたよりも気晴らしになった。青い空の下、ハイウェイを飛ばしていると気分も軽くなってくる。後部座席の窓を少しだけ開けると車内に流れる風が肌をなでるのも気持ちがいい。


 特に目的もなく走らせていたが、ふと景色を見て気づく。

 ここからだと、ディアナがくれた絵葉書と同じ光景が見られる場所が近いのでは、と。

 車を走らせ、目的の場所を探す。青空の下に広がる沿岸都市を一望できるポイントを。


 きっとあの絵葉書のように心を晴れさせてくれるに違いない。ディアナを失った痛みを和らげるほどに綺麗な景色に違いない、とリカルドは心を逸らせた。

 だが、リカルドの期待はあっけなく裏切られた。


 青空の下に広がる摩天楼のところどころに工事用クレーンが陣取り、武骨な鉄骨がむき出しになっている建物もたくさんある。

 翌年に迫ったオリンピックの準備だ。ディアナがくれた思い出の景色は、少しでも景観をよくしようという、今さらな悪あがきの犠牲になったのだ。


 馬鹿馬鹿しい、とリカルドは顔をしかめて吐き捨てた。そんなことのために大切な思い出が汚されていら立ちを覚える。

 つぎはぎの景色にリカルドは早々に背を向けて車を走らせた。


 怒りに高ぶった気持ちは、車がスピードを上げると落ち着いてくる。

 しかし、冷静さを取り戻すと今度は言いようもない寂しさに胸をわしづかみにされた。


 ディアナはいなくなってしまったがリカルドは生きている。季節はめぐり景色は変わっていくのだ。二人で過ごした思い出の場所もやがて次々と姿を替えてゆく。二人の知る場所が、リカルドしか知らない場所になる。


 幸せに、と彼女は言った。

 無理だ、とリカルドの心は悲鳴を上げる。


 景色一つ変わっただけでこんなにも寂しく苦しいのに、これからあとどれだけ過ごさねばならないのか。ディアナの代わりなど見つけられるはずもないのに。


 やがて時が過ぎれば喪失の痛みも薄れる、という希望はリカルドには思いつかない。今、この感情が彼のすべてだ。


 いっそ死にたい。しかし自ら命を絶たないでと願った彼女の最後の願いを裏切ることもできない。


 それならせめて、ディアナを死に追いやったといわれる連中を地獄に叩き落としてやればいいのではないか。


 あの情報は罠だろう。

 だがそれでもいい。それで命を奪われるなら、仕方のないことだ。


 身勝手な行動は組織からとがめられることになる。

 だが自分が殺しに行くのはアルディノの連中ではなくフリーの暗殺者だ。組織同士の抗争には発展すまい。


 次々に浮かぶ懸念材料にリカルドは否を突きつける。


 ディアナの寂しそうな顔が彼の心に残る最後の冷静な部分に働きかける。


「これは自殺ではない。復讐だ」


 リカルドは無理やり自分を納得させた。

 寂しさの中で無理矢理見出した、生きるための最後の意義だった。




 夜になり、リカルドは情報屋から提示された邸宅へと向かっていた。


 夕方に情報屋と連絡を取り、あの手紙のまま暗殺者達は身を潜めているのかと確認を取ってある。

 情報屋は、このタイミングでリカルドが動いたことに驚いていたが引き留めることはなかった。彼がどのように感じているのか一瞬勘ぐったが、もうどうでもいいことだとリカルドは言及しなかった。


 黒に近いグレーのシャツとスラックスを身につけ、同系色の帽子でライトブロンドを隠し、夜闇にまぎれて邸宅の裏手に近づく。


 少し離れたところから見ても大きな家屋は、一階に四室ほど、二階にも数室、部屋がありそうだ。隠し部屋や地下室があっても不思議ではない。細かな間取りは判らないが、中にいるのは五人だという情報は得ている。


 ディアナの仇を討つ高揚感にせかされるまま、リカルドは足早に庭を横切った。

 中から洩れる室内の明かりから遠い部屋の窓際に体を張り付ける。


 息をひそめて中の気配を探る。この窓のすぐ向こうには誰もいないようだ。

 窓枠に手を伸ばしてそっと押してみる。鍵がかかっていることを確認するつもりであったが、窓は押されるままにかすかな音を立ててするりと開いた。思わぬことにリカルドは驚いたが、構うものかと室内に身を躍らせた。


 腰のホルダーの小銃と、その隣のナイフのありかを指先で確認しながら部屋の中を観察する。


 薄暗い部屋の中にはベッドとサイドテーブルがあるのみ。ベッドの上に脱ぎ散らかされた服が乗っかっているので、ここに誰かが寝泊まりしていることは確かだ。

 そっと部屋の入り口に近づき息をひそめてドアの向こうの気配を窺うと、誰かが近づいてくる足音が聞こえてくる。ひとりのようだ。


 この部屋に来るならば好都合だ。不意打ちで仕留められる。いや、それよりも本当にここが暗殺者達の根城なのかじかに確認するのも必要だ。最悪にもガセネタで、何の関係もない一般人の邸宅に忍び込んで手にかけたとなるさすがにまずい。的を外したとなると次に本当の仇を討つチャンスはない。ミヒャエルが許さないだろう。


 リカルドは身をかがめ、息を殺して相手の動きを待つ。

 足音がドアの前で止まり、ノブが回った。


 一瞬後にドアが開かれ、廊下の明かりが部屋に差し込んでくる。それを遮るように立つ人影は男だ。彼はリカルドに気づくことなく部屋のライトをつけようと壁のスイッチに手を伸ばした。


 すかさず後ろから男の首に右腕をからめ、左手で口をふさぐ。

 男はかなり驚いたようで、体がびくりと撥ねた。拘束する腕を外そうと手をかけてくるが、強く締めつけるとくぐもった悲鳴とともに男の手は苦しみのあまりに宙を掻いた。


「ディアナを殺した報いを受けろ」


 男の耳元でリカルドが囁くように言うと、男は息を呑み、大きく目を見開いた。その目を必死にリカルドに向けてくる。


 暗がりの中、男と目があった。


 納得したかのような、何かを覚悟したかの男の顔にリカルドは確信した。この男がディアナを殺したのだと。


 殺してやる。


 強い殺意がリカルドの胸に湧き上がる。男の口にあてがっていた右手を離し、首を絞める左腕に添えて力を込めて締めあげた。


 男の口から声とも音ともつかぬものが漏れ、最期のあがきとばかりに腕を振りまわしてどうにか束縛を逃れようとする。だがリカルドの腕はきっちりと男の首に食い込んでおり、長身の有利さも手伝って少々のことでは外れない。それどころか男が暴れることで却って喉への負荷が増して行く。


 声も力も弱まり、やがて男の首の内部から致命的な破壊の音が鳴る。獲物を仕留めた感触がリカルドの腕を伝うと、つい、哄笑しそうになった。


 リカルドは、すでに動かなくなった男を放り出す。

 まずはひとり。あと四人だ。


 次のターゲットを探しに廊下へ出ようとしたリカルドだったが、思わぬ事態が彼を迎えていた。


 背後に人の気配を、殺気を感じた。

 その正体を確かめるよりも早く、リカルドはとっさにベッドの後ろへと跳ぶ。


 彼を追いかけるようにおびただしい銃弾を吐き出す銃声が耳をつんざいた。一瞬でも行動が遅れていれば背中が一面、鉛玉に覆い尽くされていただろう。


 すかさず闘気を解放する。リカルドの体を空色の闘気が包み込んだ。

 上目遣いにドアの方を確認する。今は壁の後ろに隠れているらしく人影は見えない。

 だが相変わらず殺気はビシビシと空気を固く叩いている。隠れているのは二、三人ほどだろうか。


 廊下に出てしまえばマシンガンを撃たれることはないが挟撃される危険が出てくる。部屋に誘いこんだ方が得策か、とリカルドが考えた時。


 背後の窓ガラスが耳障りな音を響かせて砕け散る。

 外からか、と振り返る頃にはリカルドめがけて無数の銃弾とガラスのかけらが襲いかかって来ていた。


 とっさに掲げた腕と、かばいきれない体に銃弾が食い込む。熱い痛みが脳へと駆け上がるがかまっていられない。

 部屋の隅へと転がり、すぐさま体勢を整える。


 廊下も、窓枠の外にも人影はない。また身をひそめたようだ。今度は気配もわずかにしか感じられない。


 ドア側の暗殺者達があからさまに気配をあらわにしたのは、窓側の襲撃者の気配を消すためだったのか、とリカルドは相手の作戦を推した。


 リカルドが乗り込んでくることを想定しての動きだ。侵入に気づき、偵察をよこして様子をうかがい、彼を捨て駒にして武器をそろえて配置についたのだ。


 やはり罠だった。

 いや、今は相手の意図などどうでもいい。罠であろうが何であろうが、この場にいる全員の息の根を止めてしまえばいいのだ。ただそれだけのことだ。


 さあ、闘気を最大に解放して一気に片をつけよう、とリカルドは強く息を吸い込んだ。


 違和感を覚える。本来あふれ出るはずの力が体の中に押しとどめられている不快感だ。

 闘気が、思うように操れていない。完全に封じられたわけではないがかなり弱体化させられている。


 近頃、闇市場に出回り始めた対極めし者用の薬。

 リカルドは違和感の正体をいち早く察し、荒い息を吐いた。


 まるでそれが合図のように、再び廊下側の敵が姿を見せる。二人だ。


 銃口が火を噴き鉛の嵐が襲い来る中、リカルドは窓へと跳ぶ。ガラスのなくなった窓枠から身を躍らせて庭に転がった。


 すかさず外で待ちかまえていた男二人が撃ってくる。

 再びあちこちに銃弾を受け、帽子がはじけ飛び、服が裂ける。傷口から赤い飛沫が飛び散り、さしものリカルドも呻き声をあげた。


 熱い、痛い。


 闘気が十分に操れなければ超人的な肉体能力も失われる。痛みに対する耐性も人並みに落ちる。

 これ以上銃弾を受けるわけにはいかない。


「たった一人で乗り込んでくるとはな」


 暗殺者の侮蔑の言葉に強気の返事を返す余裕はない。

 何より、建物の中から彼らの仲間が出てくるまでの時間稼ぎに付き合ってやるつもりもない。


 早々に目の前の二人を片付けてしまうべく戦略を練った。

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