01-12 引き取ったものも処分する
十五の時とは違って、婚約者の葬儀に参列した。
棺の中のディアナを目の前にして、リカルドの心を支配していたのは、悲しみと、それにも勝るほどの悔しさだった。
自らの手で守ると誓い、できるだけのことはしたつもりだ。だがそれでも彼女を死なせてしまった。
ディアナの冷たい唇に最後のキスを落としながら、リカルドは「すまない」と何度も彼女に詫びた。
誰かも判らぬ者に、棺から引き離されるかのように連れられて、リカルドはディアナと今生の別れを終えた。
椅子に座らされたリカルドの元に、いつかテニスを共に楽しんだ、ディアナの大学時代の友人らがやってきて、こぞって慰めの言葉をかけてくれたのは覚えている。
あなたが悪いわけではない。強盗犯の仕業なのだから。
そんな気休めの言葉に、リカルドを癒す力はまったくなかった。
ディアナを殺害したのは物盗り目的の強盗犯ということで、既に逮捕されている。ディアナの部屋に押し入ったが抵抗されたから殺した、と供述しているそうだが、リカルドは判っている。本当の犯人を隠匿するために差し出されたスケープゴートだ。
暴漢が押し寄せて来た時、どれほど怖かっただろう、致命傷を負わされて、どれだけ痛かっただろう、苦しかっただろう。
俺が代わりたかったと、リカルドは掌に爪が食い込むほど、力強く握りしめた。
ディアナと過ごした日々はとても幸せだった。彼女はリカルドに多くのものを与えてくれた。
だが自分が彼女に残したのは、苦痛でしかなかったのかもしれない。
そう思うと悲しくて悔しくて仕方がない。
葬儀が終わってからも、教会の椅子にリカルドはうなだれて座り、椅子の上に置かれた彫像と化していた。
「リカルド、しっかりしなさい」
ミヒャエルがやってきて、そんな言葉をかけた気がした。リカルドはほぼ反射的に、だが緩慢な動きで立ち上がる。参列者がすっかりいなくなった教会から、引きずるような足取りで外に出た。
日差しが目に痛いほど眩しい。
ろくな睡眠がとれていないせいだけではない。嫌みなほどに空は晴れ渡っている。
こんなにいい天気の日は、ディアナと散歩でもして何気ない話をしていたかった。
今は何を見ても、何を聞いても、すべてディアナにつなげてしまう。
涙があふれそうだ。だが「人前では毅然としていなさい」とミヒャエルに強く言い含められている。弱っているところを外に見せると付け込まれる、というのだ。父の強い口調を思い出し、従うべく感情を飲み込んだ。
そうしたいわけではない。反論する力がないのだ。
ディアナを失い心が死にかけているところに肉体的苦痛をさらに負いたいとは思わないだけだ。
できるだけ何も見ない、何も聞かない、何も感じないようにしなければならないと、リカルドは思考を閉ざしてディアナが埋葬される墓へと向かった。
ディアナの葬儀からひと月近くが経った。
あの頃はまだ厳しい日差しが肌を焼く日もあったが、今では随分と柔らかくなってきた。
リカルドは無気力状態が続いている。季節が進むことでさらにディアナがいないことを痛感させられるのだ。
彼女とデートしていた時はいつもとても暑く、ハンカチが手放せなかったのに今は夜ならば長袖で過ごせる。空気が涼やかになって来たのに、彼女はいない。そんなことを考えるとたまらなくなる。
ディアナと過ごした部屋には戻れず、以前のようにミヒャエルと二人暮らしをしている。
ミヒャエルの留守中、一人になるとディアナのことを想っては静かに涙を流すことが多く、食も細くなり、元々あまり頑強そうではない外見が、さらにやつれて見えるようになってきた。特に目の下の隈がひどい。
仕事は、いわれるままにこなしている。ミスもない。それが精一杯だ。
大切な人を失ったのだから無理もない、と周りは同情的だが、ミヒャエルは違っていた。
「リカルド。社内ではもう少し気を引き締めなさい」
冷たい一言が飛んでくる。
仕事はしているからいいではないか、とか、あなたには人としての感情がないのか、など、不満を爆発させてやりたい気持ちもないわけではない。が、リカルドは黙ってうなずいた。長年に亘ってしみついた絶対服従の、いわば病的な反射行動だ。
それに、どうせこの男に感情論を訴えても無駄なのだとリカルドは諦めていた。たとえば、あなたはご自分の妻が亡くなった時、平然としていられたのですか? と尋ねても即うなずかれるだけだろう。当時を知るすべがないので、真偽のほどは定かでなくとも、あっさりとうなずける神経の持ち主なのだ。聞くだけ馬鹿馬鹿しいというものだ。
この日もどうにか片付けねばならない責務を終え、リカルドは重くだるい腰をあげた。
そこへミヒャエルがやってくる。
退社時間にまで何だ、とうんざりのリカルドに、ミヒャエルは告げた。
「ディアナの部屋を、近々片付けさせる。すべてを引き取るわけにはいかないが、もしもいるものがあるなら、おまえが持っているといい」
驚いた。そんなものを手元に置いていたらいつまでもディアナから、死者から離れられないと口にする方が似合っている男が形見を持たせてくるとは思わなかった。
「女々しい思いをさっさと昇華できるかと思ってな。それでもおまえが態度を改めなければ、引き取ったものも処分する」
リカルドが不思議そうな顔をしているのを見てか、ミヒャエルはそう付け足すと、さっさと踵を返した。
喪失の痛みを女々しいと罵られて、思わず頭にかっと血が上ったが、理由はどうあれディアナの遺品を持てるのなら、とクールダウンして、リカルドは思い出の部屋に向かうことにした。
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