01-10 いつも無理ばかりするのね

 婚約披露パーティを二日後に控えた夜、リカルドは軽い頭痛を覚えた。

 アルディノの暗殺者達のことを“ジャック”がまだ掴めていない、という状況がストレスになっているのだろうと自己分析した。


 いつだれが襲われるのか、それがディアナかもしれないという重圧の影響が体調に表れ始めている。

 相手を暗殺者と言っているが、もしかするとパーティを襲撃してくるようなこともあるかもしれないのだ。


「具合が悪いのなら早く休んだ方がいいわ」


 ディアナに勧められるままに、リカルドは早々にベッドに横たわった。

 考えすぎるのもよくないことだ。リカルドは自分に言い聞かせ、目を閉じた。


 入眠は問題なかった。しかし、真夜中に跳ね起きていた。

 ディアナが暗殺される夢を見たのだ。

 額や首に浮き出た汗をぬぐい、荒く息を吐き出す。


 真っ暗な部屋の中で、隣にディアナが眠っているのを確かめて、こわばった顔にようやく笑みが浮かんだ。


 水でも飲んで落ち着こうと、リカルドはベッドを降りてキッチンへ向かう。

 ミネラルウォーターをコップに注ぎ、一気に喉の奥へと流し込んだ。


 大きくため息をついた時に、部屋の入口に人の気配を感じてそちらに目を向ける。

 ディアナが立っていた。


「起こしてしまったか。ごめん」

「いいのよ。具合はどう? 大丈夫?」


 悪い夢を見て起きてしまったことに気づかれたのか、と一瞬驚いたが、就寝前に頭痛がすると話してあったことを思い出す。


「うん、大丈夫だよ」

「本当に?」

「あぁ」


 まだ夢の影響は心に残ったままだが、余計な心配をかけたくなくてリカルドは笑って見せる。

 ディアナはリカルドをじっと見上げて、ため息に似た息を一つ落とす。


「何か、気にしてるのね。パーティのこと? 何か心配な要素があるの?」


 どきりとする。


「あなたはそうやっていつも無理ばかりするのね。わたしに心配かけないようにって思ってるんだろうけれど、自分のことをもっと気遣って」


 ディアナがリカルドに近づき、胸に体を預けてそっと背中に手をまわしてきた。


「当たり前だけど、背中、広いわね。なんだかこうしていると安心するわ。わたしはそれで十分よ」


 彼女の体温が、服を通して胸に沁み込んでくる。とても居心地がいい。体だけでなく心も温められているようだ。


「俺も、こうしていると安心する」

 愛しい女性を抱きしめて、リカルドはささやいた。


「……悪い夢を見るなら起こしてあげるわ。さ、休みましょう」


 ディアナと二人で寝室に戻る。

 もう夢も見ずにぐっすりと眠れそうな気がした。




 翌日、執務室で仕事をしているとミヒャエルが厳しい表情でやってきた。


「リカルド、ディアナは無事か」


 一瞬、ミヒャエルの質問の意味が判らずにリカルドは「えっ」とつぶやいた。


「レインフォードと連絡が取れない。彼の身に何かあったのやもしれん」


 父の次の言葉で、硬直したリカルドの思考が一気に動き出す。

 受話器に飛びつき、電話をかける。

 呼び出し音がもどかしい。ディアナ、早く電話を取ってくれ。


『もしもし』


 ディアナのいつもと変わらない声を聞いてようやく、リカルドは呼吸を忘れていたことを自覚した。


「俺だよ」

『リカルド? どうしたの?』


 のんきとも感じられる彼女の声に、安堵と共に笑いが漏れてきた。


「あぁ、いや、どうしてるかなと思って」

『ふふっ、お仕事ヒマなの?』

「そんなことはないけれど」

『私用電話叱られないようにね。帰りはいつも通り?』

「多分ね」

『それじゃ、夕食作って待ってるわ』


 別れの挨拶をかわして受話器を置く。

 ほっと一息ついて、すぐそばに上司がいることを今更ながらに思い出して表情を引き締めた。


「変わりはないようです」


 ミヒャエルが何かを言いかけたが、今先ほどまで使用していた電話が鳴ったのに息をのみ込んだ。

 父の顔をちらと見やった後、リカルドが受話器を上げる。

 相手は“ジャック”だった。


『敵の狙いがつかめた。レインフォードだ。殺すのではなく脅迫してアルディノに有利な動きをするようにと画策しているようだが、レインフォードは拒否しているようだ』


 “ジャック”が言うには、レインフォードはアルディノに限らず、この度娘が結婚する相手の組織、つまりオーウェンも特別扱いはしない、と言っているらしい。


『アルディノはあきらめていないようだ。下手をすると君の婚約者を盾に取るような真似をするかもしれない。気をつけろ』


 ここで、リカルドは先ほどのミヒャエルの言葉を思いだす。


「父の話によるとレインフォード氏と連絡が取れないそうです。まさか拉致されたのでは?」

『まさか? いや、ゴットフリート氏がそうおっしゃるなら、こちらでも早急に調べてみよう』


 受話器を置き、父を見る。

 無言で促す上司にうなずいて、“ジャック”との電話の内容を話した。


「レインフォードがアルディノに捕まった、とみていいのかもしれないな」


 ミヒャエルは腕組みをしながら思案顔だ。これからのこと、明日の婚約パーティのことを考えているのだろうか。


「明日の」


 リカルドが声を発する。思っていたよりも震え声で自分でも驚いた。


「明日のパーティは予定通り行うということで、よいのではないでしょうか」


 気を取り直し、しっかりとした声でリカルドは理由を述べる。

 アルディノの狙いはレインフォードが持つクスリの売買ルートだ。彼を捕らえたとしても簡単に殺したりしないだろう。

 娘が結婚をしても商談に影響はないという彼にあわせて、この度の結婚は私的なものであることを明日のパーティで主張すればよいのでは、とリカルドは締めくくった。


「なるほど。……アルディノがそれを信じてくれるなら、よい手だな」


 ミヒャエルは皮肉めいた笑いを浮かべた。


「“ジャック”はディアナを盾に取るかもしれない、と言ったのだな。ならばおまえが明日まで守れ」


 父の言葉にリカルドは驚いた。まさかディアナのそばにいることを許可されるとは思わなかった。

 だがそれは父としての恩情ではなく、あくまでも仕事の命令なのだ。


 一瞬で浮き沈みした心に、いつものことだろうと言い聞かせて、リカルドは執務室を足早に出た。

 今は父の考えよりもディアナの安全を優先せねばならない。


 車でマンションに向かう。

 いつもより速く景色が後ろへと飛び去っているのに、リカルドにはとてもゆっくりに感じた。赤信号などなくなればいいのにと気がはやる。


 別に彼女の命が脅かされていると決まったわけでもないのに、どうしたというのだろう、このあせりは。


 リカルド自身にも感情は計りしれないし御しきれない。ただ理由をつけてディアナのそばにいたいだけなのかもしれない。

 それならばそれでいい。だがマンションに近づくにつれ、得体のしれない不安は膨らむ一方だった。


 いつもの帰宅よりかなり早く到着し、足早に建物に向かう。妙に生ぬるい風が頬を撫でるのを振り払ってエントランスを突っ切り、エレベータに乗り込む。


 エレベータホールから部屋の前に向かう間、すぐに異変を感じた。


 空気がざわめいている、と心の中でリカルドはつぶやく。何か大きな動きがあった余韻のような雰囲気をリカルドは察した。

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