01-9 大切にするわ
九月になり、リカルドの周りはあわただしくなった。
彼が所属するファミリー「オーウェン」としばしば敵対する「アルディノ」ファミリーが、いよいよ抗争に本腰を入れてきたのが八月の末頃。もちろん「オーウェン」もこれに対抗している。
リカルドが受け持っているのは麻薬の売買に関わる部署だが、知略、戦闘力ともに組織内でトップクラスとあり、父ミヒャエルとともに暗躍することになる。
麻薬の売買は直接人の死が見えない。だが抗争となると相手、味方ともに直接命を賭けたやりとりをしなければならない。元々好きでしている仕事でもないので、リカルドは人の命が関わる仕事は避けたいと思っていた。
こんな血なまぐさい抗争よりも、ディアナとともにすごしたいのに、と心の中で婚約者を思いながら、リカルドはアルディノの動きを探っていた。
複数の情報屋を駆使して集めた情報に、リカルドは眉をひそめる。アルディノの暗殺部隊が動いているらしいのだ。低レベルだが極めし者もいると言われる暗殺部隊を動かしてまで、誰を殺そうとしているのだろうか。
極めし者を戦闘や暗殺に使うとなると、そのターゲットは極めし者であると見ていい。暗殺部隊のターゲットがオーウェンならば、極めし者はミヒャエルとリカルド、あとは、組織間の抗争を受け持つ部署にいる“ジャック”という若者だけだ。
暗殺部隊に属する極めし者よりも、リカルドの方が能力は長けている。好きで身につけたわけではないが、ミヒャエルに仕込まれた格闘術と、それより勝る闘気の才は、若輩でありながらすでにおいそれと手を出せないとうわさされるほどだ。
当然、彼にそれを叩き込んだミヒャエルは抜群の能力の持ち主である。
となると、ターゲットは“ジャック”であろうか。
リカルドはそう推察した。
彼に警告をしておいた方がいいのかもしれない。彼にもしものことがあれば、ミヒャエルに抗争部隊の指揮を任されることになるかもしれないのだ。そうなると直属の部下のリカルドにも血なまぐさい仕事がたくさん回ってくる。これ以上、望まぬ殺し合いに関わらされたくはない。
リカルドが“ジャック”に電話をかけると、意外だと驚いているような声が返ってきた。
『君がかけてくるとは珍しいな。……何か気になることでもあるのか?』
“ジャック”はリカルドより少し若い、二十歳を越えたばかりの若者だ。だが組織間の抗争を全面的に受け持つ部署のトップに立っている。組織の中枢にいる自負が、彼に堂々とした物言いを身につけさせている。
精悍な若者の、そこはかとなく危機感の漂う声に、リカルドはぞくりとするものを感じた。嫌な予感、とはこういう感覚を言うのだろう。
「アルディノの暗殺部隊が動いているという情報が入りました。ターゲットが誰かは判りませんが、一応あなたの耳に入れておいた方がいいと思いましたのでご連絡させていただきました」
リカルドが務めて淡々と言うと、ジャックはひとつ息をついた。
『あぁ、その情報ならこちらにも入ってきた。今詳しいことを調べているが、なにやらカモフラージュと思わせる動きが多くてね。それほどまでに警戒しなければならない相手となると、……君も注意しておいた方がいいな』
「判りました。ありがとうございます」
『詳しいことが判ったらこちらからも連絡をしよう。それでは』
ジャックが電話を切ったのでリカルドも倣う。
受話器を置き、リカルドはその手を放すことすら忘れて思案する。暗殺者の狙いは誰なのかを。
電話をかける前は“ジャック”の可能性が高いと考えていたが、相手の反応から察するに彼は自分がターゲットにされている可能性は低いと考えているようだ。
むしろリカルドに気を付けるようにと忠告を残している。
自分も暗殺のターゲットにされている危険があるのか、と思うとリカルドの心臓が跳ねた。ディアナに会うまでは楽に死ねるのであればいつ死んでもいいと思っていたのに、今は生きなければならないと思う。
婚約者のことにまで思考が及び、リカルドは思い至った。
暗殺者が狙っているのはディアナである可能性もあるのだ、と。
リカルドとディアナが結婚することによりオーウェンの麻薬取引がアルディノより有利になる。ならばそのコネを崩そうとする動きがあってもおかしくはない。ディアナを殺害までいかなくとも拉致監禁し、父親のレインフォード氏を脅すこともありうる。
ディアナを守らねば。もう二度と愛する人を失いたくない。
リカルドは居ても立ってもいられないとばかりに部屋を飛び出し、ミヒャエルの執務室を訪れた。
「何だ、慌てて」
ミヒャエルは世にも珍しいものを見たと言わんばかりの顔だ。仕事で呼び出す時以外でリカルドが自室に来るということが今までなかったからだろう。
「今夜から、私はディアナの部屋に泊まります」
きっぱりと言い切ると、元に戻りかけたミヒャエルの表情がまた崩れた。
「急だな。なぜだ」
リカルドは突き止めた情報とそこから推測されるディアナの暗殺の可能性について説明した。
「なるほど。極めし者を狙うよりは無力な女を、か。考えられなくはないな。いいだろう」
ミヒャエルの返事にリカルドはほっと胸をなでおろす。
「あと一週間ほどで婚約披露パーティだ。まずはそれまでディアナのそばにいるといい。暗殺者などの動きはそのうち“ジャック”が探り当てるだろう」
リカルドは一礼して部屋を持そうとした。
「おまえが仕事に絡むことで自ら提案してきたのは、初めてだな。その点ではディアナに感謝せねばならないな」
ミヒャエルの声を背に受け、リカルドは立ち止まる。
「だが、間違っても女の言いなりになるな。おまえが妻となる女を御するのだ」
父の声に剣呑なものが混じる。
リカルドは振り向いた。
「それは、どういう意味でしょうか」
「言葉通りだ。私や組織への反発をあおられてその気になるな」
ディアナがミヒャエルに対して何か言及したということはない。だがよく思っていないのはリカルドにも感じ取れる。ミヒャエルも同じように察して釘を刺してきているのだろう。
「彼女はそのようなことを口にする
じっとミヒャエルの目を見て応える。
ミヒャエルが笑みを浮かべた。
「今はその言葉を信じておこう」
父の言葉に引っかかるものを覚えたが、これ以上この男と会話を交わす意味はない、とリカルドは再び踵を返す。
今度こそ父の執務室を出たリカルドは早速ディアナに電話をかけた。
リカルドがディアナと新居で生活を始めて三日が経った。
幸いにも二人を狙ってくる気配はなく、穏やかな同棲生活となっている。
今日はディアナに渡す婚約指輪を宝飾店に受け取りに行く日だ。
華やかできらびやかな店内でリカルドは少しだけ居心地の悪さを覚える。指輪を注文に来た時は婚約者も一緒だったのであまり気にならなかったが、自分が浮いた存在だと感じる。
店員に要件を告げ、彼女が戻ってくるまでリカルドは視線をさまよわせた。
ふと、ネックレスコーナーに陳列されてある一品に目が留まった。
細めのシルバーチェーンに小さなサファイヤがペンダントトップのネックレスだ。
これを着けたディアナの笑顔が簡単に想像できる。
指輪とは別に、これをプレゼントしようと、リカルドは店員を呼び寄せた。
新居に帰るとディアナが笑顔で迎えてくれた。
これだけでリカルドの疲れが飛ぶ。
「今日、指輪を受け取ってきたよ」
食事の席で報告するとディアナは嬉しそうに笑んだ。
「パーティの時に着けるのよね。すごく楽しみ」
ネックレスをプレゼントしたらもっと喜んでもらえるだろうか。
リカルドは期待しながら、食事の後に片付けをする彼女の後ろにそっと回った。
「指輪とは別に、これを買ってきた」
言いながら、プレゼントを彼女の首に着けた。
後ろから顔を覗くとディアナは何が起こったのか判らないようできょとんとしていた。
彼女の手がサファイアのペンダントトップに触れて、小さく「あっ」と言葉を漏らす。
驚き顔のディアナの胸元に光るサファイアは、彼女の美しさをとても引き立てているとリカルドは満足してうなずいた。
ディアナはすぐにドレッサーの前に走って、自分の首にかけられたネックレスを確認した。
「まぁ、綺麗……。でもどうして?」
「似合いそうだなと思ったから」
「ありがとう、すごく嬉しい」
サファイアを手に取って眺めたり、鏡を前ににこやかにポーズをとっている姿を見て、彼女が本当に喜んでいると実感できる。
「気に入ってもらえたならよかった。女性にプレゼントなんてしないから実はちょっと反応が怖かった」
リカルドがはにかんで笑う。
「大切にするわ。あ、パーティの時にもつけたいわね」
ディアナはペンダントを両手で包みこみながら、リカルドを見上げて嬉しそうに言った。
胸の温かさが急に熱を帯びた。まるでその熱に体を動かされたようにリカルドはディアナをぎゅっと抱きしめる。
「俺の方こそ、ありがとう。こんな満たされた気持ちにさせてもらって。……大事にするよ、君のこと」
腕の中でもぞもぞと動いたディアナはリカルドと視線をあわせて、微笑している。彼女の腕がリカルドの頬にそっと触れて、グリーンの瞳が恥ずかしそうにそっと伏せられた。
鼓動の高鳴りを体の中に感じながら、リカルドは軽く身をかがめて婚約者にキスをした。
愛していると、大切にすると、思いを込めて。
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