01-2 このまま、でいいのね?
ディアナとのデートはその後、滞りなく終わりを迎えた。
踏み込んだ話をしたいから、ということでリカルドの車であてもなくドライブをしながら、互いの話をした。
父親が裏家業に就いているのに彼女はごく普通に育ったらしい。友人は比較的多く、今でも高校や大学の友人とは交流が続いているのだとか。学友と呼べる者がほとんどいなかったリカルドとは対照的だ。
母親はディアナが中学生の頃に事件に巻き込まれて亡くなり、その時に父親の仕事を知ったのだそうだ。直接聞かされたわけではないが、思春期の多感さゆえに気付いたのだと言う。母を奪った父の職に嫌悪もしたが、父親の稼ぎに育ててもらったのも事実。まだ金銭的に父の庇護下にあるディアナは、とにかく学を身につけ、父のもとから離れようと思ったそうだ。
大学を卒業したディアナは大手の会社に就職して、家を出て平穏に暮らしていた。
「久しぶりに連絡してきたと思ったら、まさか結婚の話だったなんて」
ディアナは軽く肩をすくめて微笑していた。
彼女自身の話を終えると、ディアナはリカルドの話を求めてきた。
さすがに結婚するかもしれない相手だとしても、ファミリーや仕事の内情を話してしまうわけにはいかない。当たり障りのない話をしながら、結局リカルドはこの話を反故にすることを切り出せずにいたのだった。
数時間のデート中で、父親を納得させるだけの「結婚に反対の要素」をディアナに見出すことができなかった。むしろ好印象だった。
だが、このまますんなりと結婚ということになっていいのだろうか、とも思っていた。
相手が誰であろうと、人付き合いというものをほとんどしてこなかった自分と結婚となると、絶対に長続きしないだろう。それが、自分に対して好意的な人間であればあるほど、罪悪感を覚えてしまう。
いっそディアナが性格の悪い女なら、形だけの結婚だと納得できたかもしれない。
「結局、あの男の強要だから相手が誰だろうと気乗りしていないということだな」
溜息とともに吐かれたのは、普段口にすることの許されない本音だった。
ディアナと会った日の翌日からは、リカルドはとても忙しく、彼女に連絡を取る時間がなかった。電話をかけるにはいささか失礼な時間帯まで仕事をしている日が多く、たまに早く帰ると、何をおいても休息をとりたかったのだ。
このまま連絡を取らずに話が立ち消えにならないか、と期待していなくもなかった。ディアナが好みにあわないというわけではない。父が推す結婚というものに嫌悪に近い感情を抱いているのを自覚してしまったのだ。
幸い、父も仕事の忙しさは理解しているので結婚の話をせかすことはない。
現在、ミヒャエルとリカルドが所属しているファミリー「オーウェン」としばし敵対関係となる「アルディノ」との抗争が表面化しつつある。
抗争そのものも予断を許さない状況だが、それと同様に厄介なのは警察などの捜査機関の動きだ。特に今はオリンピックを控え、犯罪を抑制しようという動きが活発なのだ。活動は慎重に、しかも成果を得られなければならないので、ミヒャエルの意識は自然とそちらに向いている。
リカルドが取り扱うのは麻薬の類。組織の勢力のバランスが揺らぐ時は、自組織の販売ルートを広げるチャンスでもあった。
あぁ、とリカルドはそこで納得する。ディアナとの縁談がこのタイミングで持ってこられたのもそのためか、と。
レインフォードの掌握する薬品の販売ルートは広範囲にわたる。今この時期にレインフォードと親戚となればアルディノの取引を減らすことができるだろう。抗争の動揺に付け込んで打撃を与えるにはうってつけだ。
となると、縁談を反故にするのはかなり難しい。
リカルドは何かあきらめに近いものを覚えつつ、それでも父に対しての不満を消すことはできなかった。むしろ増幅したと言ってもいい。
「リカルド、入るぞ」
思考をさえぎる父の声とドアをノックする音。
いつもこの男は俺の邪魔をする。
リカルドは心の中の不満が外に漏れないように大きく息を吸って、そっと吐き出してから返事をした。
部屋に入ってきたミヒャエルは口元に笑みを浮かべている。なにやら機嫌がいいようだ。こんな表情は珍しいと思いながら、リカルドはミヒャエルの言葉を待った。
「おまえに葉書が届いたぞ」
ミヒャエルは言葉通り、一枚の絵葉書を差し出してきた。
リカルドは受け取って、表と裏をちらちらと見る。差出人はディアナだった。
写真は、ロサンゼルスの南の湾岸都市を海側から移した、とてもすがすがしいものであった。ディアナの清楚なイメージと重なって、とても彼女らしい選択だとリカルドは思った。
「電話がなかなかできないから葉書か。もしや忙しさを理由に婚姻話をうやむやにしたいと考えているのではないかと思っていたが。おまえにしては上出来だな」
リカルドの心の奥底のほんのわずかな希望を言い当てられて心臓が跳ねたが、幸い、ミヒャエルはそれ以上言及することなく部屋を出ていった。
冷や汗が流れる。
ミヒャエルの気配が離れていくと、リカルドは改めて、ディアナが書いて寄越した文を黙読する。
『リカルドさん。この前は楽しい時間をありがとうございました。
最近お忙しいと伺っておりますがお元気でしょうか。
ふと立ち寄った店でこの絵葉書を見つけて、少しでもお疲れが癒されればと思い、ペンを取りました。
また時間ができましたら、ぜひご連絡ください』
やや小さめの字で書かれたディアナのメッセージを読み終える頃には、リカルドの表情は緩んでいた。
もう一度写真を見てみる。青い空と海がビル群をはさんで、普段そこで行われる犯罪行為すら綺麗に隠してしまっているかのようだ。
時間ができれば、連絡を取ってみようか。彼女との縁談をどうするかも、話し合わねばならないし。
リカルドはそう考えながらも、否定的ではない自分になんとなく気付いていた。
次の休みに、リカルドはディアナを呼び出した。
前日の夜に電話をかけて「明日、お時間をいただけますか?」と急に呼び出したにも関わらず、ディアナは二つ返事をくれた。
ディアナを自宅のマンションまで迎えに行くと、おとなしめの笑みを浮かべてリカルドを見上げた。
「今日はどこに連れて行ってくれるの?」
問われて、リカルドは無計画に誘ってしまったと今更ながらに気づく。
ディアナは淡いブルーのワンピースに身を包んでいて、あの絵葉書のさわやかさを思い起こさせた。
「海辺を散策するのはいかがですか?」
「いいわ」
彼女がうなずいたことにリカルドはほっとした。
車を走らせながら話題を探すが、これというものが浮かばない。今までの、プライベートでの対人関係の乏しさをリカルドは恨めしく思った。
前回はディアナがあれこれと話をしてくれたし、リカルドに質問もしてくれたが、今日は外を見つめるばかりで話しかけてこない。
何か思うところがあるのだろうか、と感じるとますますリカルドは話しかけることがためらわれた。
無言のドライブは、海が見え始めたことで終わりを迎える。
「人がいっぱいね」
浜辺を見てディアナがつぶやいた。
うなずきながら彼女の顔をちらと見やると、うらやましそうに思えた。
車を浜辺近くの駐車スペースにおさめた。
外はとてつもなく暑く、まぶしい日差しに視界が白く焼かれる。リカルドは思わず一瞬、手で目元を覆った。
すぐに目が慣れ、落ち着くと、助手席側へとまわってドアを開ける。
ディアナが柔らかな物腰で車から出てくる。リカルドの差し出した手を取って体を起こすと、彼女もまぶしそうに目を眇めた。
二人は並んで浜のそばの小道を歩く。
海には色とりどりのヨットやサーフボードが浮かび、浜辺は寝転びながら惜しげもなく肌を太陽にさらしている人達や、走り回る子供達でにぎわっている。
それにしても暑い。ソフトクリームを売っている店で思わず二つ購入して、一つをディアナに差し出した。
彼女はうれしそうに受け取って礼を述べると、白く柔らかそうな先端をおいしそうに舐めた。
「それで、何かお話があるの?」
ソフトクリームを半分ほど食べたころ、ディアナがそっと尋ねてきた。
「いえ、特に何も……」
なぜそんなことを聞かれるのか判らずに、リカルドは小首をかしげた。
「そう。てっきり婚約は解消したいって言われるんじゃないかって思ってたんだけど」
違うの? とディアナが見上げてくる。
突然のことで驚くリカルドに、ディアナも首を傾けた。
「嫌だから放っておいたんじゃないの?」
どきりとした。
そんな考えがなかったとは言い切れなかったから。
しかし、あの絵葉書を見てリカルドの考えは少し違う方向へと変わってきているのだ。
「正直に申し上げて、そのように考えていた時もありました。しかし今は、無理に婚約解消などしなくてもよいのではないかと思っています」
自分でも回りくどいと感じながらリカルドが本音を打ち明ける。
「ビジネス上で不利になるかもしれないから? それともお父様に逆らいたくないから?」
ディアナは微笑を浮かべている。だが彼女の質問はリカルドの心変わりをただの損得勘定の結果だと非難している。
リカルドは慌ててかぶりを振った。
「違います。その……、あなたのことをもう少し、知りたいと思ったので……」
こんな理由は失礼だろうかと思いながらも、これ以外の理由は考えつかなかった。
ディアナはリカルドを見上げて、くすりと笑う。
「そうね、わたしもあなたのことをもっと知りたいわ。前はほとんど話してくれなかったし」
言って、ディアナは「あっ」とリカルドの手元を見た。
つられてリカルドも視線をやると、ソフトクリームが溶け落ちかかっている。
慌ててぱくりとやると、ディアナが笑った。
彼女のクリームも溶けてきている。リカルドも目でディアナにそれを教えた。
笑っていた彼女も、かわいらしい悲鳴を小さくあげてから、ぺろり。
二人は目を見合わせて、笑った。
「話をする前にソフトクリームは失敗でしたね」
「でも暑かったから、うれしかったわ」
「それはよかったです」
「……このまま、でいいのね?」
ディアナが尋ねてくる。婚約の話だろう。
リカルドを見上げる表情からは、彼女の本心が見えない。婚約を継続することを喜んでいるのか、それとも本当は疎んでいるのか。
しかしリカルドは、今それを考えるのはやめよう、と思った。
「はい。よろしくお願いします」
リカルドが差し出した手を、ディアナはそっと握って微笑を返した。
彼女はまぶしい日差しに負けぬほどの、輝きを持った人だと思った。
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