第3話 第一章 出会い②

(こんな所に人が?)

 恐る恐る少女に問いかけた。

「君は?」

「あ、私はレア・アルシェと言う者です。フラデンにある宿屋で働いています」

 フラデンの単語を聞いて、黒羽は固く拳を握りしめる。

「フラデンだって! ちょうどその街に行きたいと思っていたところなんですよ。ここからは近いんですか?」

「ええ。街道に出て、道に沿って歩けばすぐに到着します。良かったら、案内しますよ。あ、でも……」

 口ごもるレア。彼女は、眉根を寄せてしばらく黙りこんでいたが、やがて申し訳なそうな口調で言った。

「あの、実は宿のお客様が森に行くって言ったきり戻ってこないんです。探しているんですけど、まだ見つかってなくて。だから、その……」

 数分で人を判断するのは早計だが、裏表のない素直そうな彼女の様子は、非常に好感が持てた。

 猿が落としていった鍵を拾い上げつつ、黒羽は言った。

「あ、なるほどそういうことですか。道を教えてくれれば一人で行きますよ。……んーでもな。もう暗くなっているし、君みたいな若い子をこんな森に一人で置いてくのはちょっと」

 目の前の少女は、フランス人形のような美貌を誇っている。スレンダーな体型に、金色のロングヘア。異世界の事情は知らないが、常識的に考えてこんなに美人な女の子が薄暗い場所で一人いるのは、大変に危険だ。黒羽は、

「良かったら僕も手伝いますよ」と提案した。

 レアはそれを受けて、嬉しそうに笑う。

「良いんですか! 良かった。二人がかりでならきっと早く見つかりますよね。まだ、探していない所はこっちです。付いてきてください」

 頷いた黒羽は、ピタリと表情が固まる。この少女の手には、当然ライトが握られているものだとばかり思っていた。ところが、手には明かりとなる道具の代わりに、光の玉が浮かんでいるのだ。

(もしかして、これが魔法? じゃあ、さっき猿を追い払ったのも魔法か)

 初めて目にする”常識を超えた力”は、黒羽にとってかなりの衝撃だった。それはもう、あんぐりと口を開けてしまうほどに。

「それで、黒羽さんはどうしてフラデンに行きたいんですか?」

「え? あ、ああ。僕は飲食店を経営するのが夢でして、もう間もなく開店する予定なんです。それで、食材の仕入れにフラデンにやってきたんですよ」

「へえ、なるほど。フラデンは世界中の食材が集まる場所だから、きっと満足のいくものが見つかりますよ。あ、ちなみに敬語じゃなくて良いですよ。先は長そうですし、フレンドリーに接してください」

 凸凹の地面を苦も無く進むレアを追いかけながら、黒羽はちょっとだけ安心する。話は通じるし、今のところ魔法以外、価値観のずれを感じるところはない。

「そう? じゃあ、普段通りの口調で話すよ。君も敬語じゃなくて良いよ」

 後ろを振り向いたレアは、黒羽をじっくりと見つめると、首を振った。

「私は敬語で話しますね。何か、黒羽さんって異国からやってきた親切なお兄さんって感じですし、私は敬語の方が接しやすいです」

 距離を置かれた気がして、苦笑いになる黒羽。しかし、そんなものかと肩をすくめた。

「アハハ、そうかい。まあ、好きなように話しかけてくれ。ところで、君の服は派手だね」

 膝丈くらいのスカートとブラウスに似たトップスには、花を模した細やかな刺繍が施され、色彩豊かに表現されている。日の光に照らされている時に見れば、より鮮やかに感じるだろう。

「そうですか? まあ、なんたってフラデンは商人の町ですからね。お客さんの目に留まるように、多少派手な服を着た人が多いかもです。あと、この服はフラデンの特産品である花をイメージしているんですよ。えへへ、お気に入りなんです。可愛いでしょう」

「ああ、君に良く似合っているよ。フラデンではそういった恰好の人がほとんど?」

「うーん、どうでしょう。フラデンで商売している人は、私みたいなデザインの服を着ている人が多いですね。でも、旅人や行商人も沢山訪れる町ですので、見たこともない恰好の人もいますよ」

 そうなんだ、と返事をしつつ黒羽は内心ホッとしていた。ジャージ姿でも、フラデンならきっと目立たないだろう。

「あ、それでですね。これから探すお客さんは、全体的に茶色っぽい服を着てて、いかにも学者さんって感じの男性です。薬草の研究をしているって言ってましたね」

「へえ、薬草か。随分熱心な人なんだね。こんなに暗くなるまで探すなんて」

 垂れ下がった枝を横切った彼女は、後ろを振り向くと困ったような顔をした。

「夢中になって帰りが遅いならまだしも、黒羽さんみたいに獣や魔物に襲われていたら大変です。私の魔力はここに来るまでに結構使っちゃったし、あなたもその様子だとあまりないんでしょう? うーん、まずいです」

 気をより引き締めた方が良さそうだと思い、黒羽は、

「急ごう。これ以上遅くなると、その人も俺達もあぶない」

「ええ、急ぎましょう。探していないのはこの先です。……嘘、あれは!」

 レアが鋭く空を指差す。釣られてその場所を見ると、鮮烈な光が夜空を照らしていた。

「魔法……誰かの救難サインかもしれません」

「行くぞ」

 二人は駆け出した。光は数秒ほどで消えたが、距離にすれば百メートルほどだ。迷わずに、すぐに目的地に到着する。

「助けてくれ。誰か! 誰か」

 手の平から魔法を放ちながら後退している男は、怪我をしているのか足を引きずっている。前方には、低い唸り声を上げる狼が三匹。攻撃を躱しつつ男へにじり寄っていた。

「〈水よ穿て〉」

 レアが水弾を放ったことで当たりこそしなかったが、狼達は大きく後退した。

「大丈夫ですか」

 駆け寄った黒羽の声に反応した男は、酷く青ざめた顔を縦に振った。

「な、なんとか。でも、このままじゃ」

「落ち着いてください。何か武器になりそうなものはありませんか?」

「武器って言っても、薬草を採取する時のナイフしかないけど」

 お借りします、と言ってナイフを受け取ると、黒羽は男を庇う形で前に出る。

「黒羽さん! 下がってください。猿を追い払えないほど魔力が残ってないんでしょう」

 魔力など、この世に生を受けてからずっと閑古鳥が鳴いている。だが、説明するつもりはないし、余裕もない。彼はナイフを油断なく構えると、狼達の出方をうかがった。

(ここは……あまり良い場所じゃないな)

 夜が深まり、雲を纏っていた月が姿を現す。月光が降り注ぐ森の中はひどく不気味だ。雷でも落ちたのだろうか。この辺り一帯には木があまり生えておらず、見渡しは良い。しかし、右手は急な斜面であり、落ちればまず助からないだろう。

「グゥゥゥゥ」

 鼻に付く獣臭をまき散らしながら、一歩ずつ距離を詰める狼の群れ。緊張でのどが渇き、握ったナイフが汗で濡れて今にも滑り落ちそうだ。

「ハ、ハ、ハ、グゥルルル」

 手を伸ばせが触れられそうな距離に先頭の一匹がいる。黒羽の目がその一匹と視線を交わす。狼は、愉快そうに笑った……そんな気がした瞬間、

「ヴウワウ」

 一斉に獣達が宙を舞って迫る。黒羽は、恐怖を感じる己を律しながら前進した。

「フン」

 先頭の一匹が振るった爪を躱しざま、下からすくうように腹を切る。続けて二匹目の額にナイフを深々と突き刺した。三匹目は一瞬の隙をつき、黒羽に襲い掛かり、地面へと押し倒されてしまった。

「ガウ、ガウ」

 噛みつこうとする狼の首を両手で掴み、必死になって抵抗する黒羽。細い体のどこにこんな力があるのか。岩のように重く、剥がすことができない。

「離れて! 〈土よ吹き飛ばせ〉」

 響くレアの声。

 直後、黒羽の両手に感じていた負荷が消えた。狼は大きく弧を描きながら、急な斜面が続く場所へ転げ落ちていった。

「ハア、ハア、危なかった。レア、助かったよ」

「いいえ。無事で何よりです。それにしてもビックリです。魔法を使わずにあんなに戦える人初めてみました」

「ほ、本当に凄い。ナイフで二匹も倒すとは」

 話しかけてきた男は、軽快な足取りで黒羽に近寄ってきた。

「ん? 足を怪我していたはずでは?」

「ああ、魔法で治しました。さっきは咄嗟のことで治療する時間がなかったものですから」

「あ……なるほど。と、とにかく無事でよかった。この森は危険です。……ッゥ、早く町へ行きましょう」

 まくしたてるように言われて、男は面食らったようだが、気にしている余裕が黒羽にはなかった。この森は危険です、と口にした時、本当に恐ろしいのはあなた達だと口走りそうになった。

(攻撃だけでなく、治療もできるとは……それに、狼を吹き飛ばしたあの威力は砲弾かよ)

 魔法は黒羽が思っていた以上に万能な力だった。御伽噺では胸躍る力も、目の前にある”現実”として見れば、少なからず恐怖を感じるものだ。

(気が動転しているんだ。どうして恐ろしい力だと決めつける)

 必死に言い聞かせるが、心の奥底に一度住みついた冷たい不安を払い除けず、黒羽は舌を鳴らす。

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