第2話 第一章 出会い①

(おかしい。迷子になっただと……)

 黒羽は、額にへばりついている汗をぬぐった。右を見ても左を見ても木々が生い茂る景色ばかりで、代わり映えしない。

 幼い頃は、祖父と一緒に何度も沖縄のやんばるで、キャンプをしたり、虫取りをしたりした経験もあったので、”森を歩くくらい大丈夫だろう”と安易に思っていたが、どうやら驕りだったらしい。

 夕闇が迫り、薄い闇が徐々に濃度を増していく森の中は不気味で、動物が揺らした枝の音さえ、どこか不吉を示すメッセージのような気がする。

 (どうする……このまま森の中にいても危険だしな。一度帰ろうか)

 黒羽はポケットから緑色の鍵を取り出し、地下室に戻ろうとした。しかし、唐突に飛び出してきた影にぶつかり、鍵をどこかに落としてしまう。

「あ! 何だ一体」

 わけが分からず辺りを見渡すと、何かが近くで動く気配がした。

「……もしかして猿か?」

 暗くて判別しづらいが、猿らしき生き物がジッと黒羽を見つめている。大きさはバスケットボールほどで、よく動く目が可愛らしい。

「腹でも空かせているのか。食べ物をやるから襲ってくるなよ」

 バックパックに保存食を入れておいたはずだ。黒羽は、背負っていた鞄を下ろし、中からビスケットを取り出そうとしたが、動きが止まる。

 ――なぜなら、黒羽が落とした鍵を、目の前の猿ががっしりと握りしめていたからだ。

「お前、いつの間に拾ったんだ。返せ」

 伸ばした手を振り切り、猿は走り出す。黒羽は慌てて、全力疾走した。

 流石というべきか、猿は人間ではあり得ない身軽さで遠ざかっていく。加えて、闇が濃くなりかけている森の中は視界がきかない。焦る黒羽を嘲笑うように木々が邪魔をして、とうとう猿の姿を見失う。

「ハア、ハア、嘘だろう」

 この世界から帰還する唯一の手段が奪われた。走って熱いはずの体からは、冷たく感じる汗が流れて背中が粟立った。

「キキィ」

 首がねじ切れるほどの速度で、鳴き声が聞こえた場所を見ると、先ほどの猿が楽しげに手を叩いて飛び跳ねている。

「良かった……おい、こっちに渡してくれないか」

 近づいて右手を伸ばそうとしたが、殺気を感じて身構えた。

「キキィ」

「キィィィィィ」

「ウキ、ウキィィィィィ」

 ――いつの間にか、大勢の猿達に囲まれていた。

 大小様々な猿達が、歯をむき出しにして敵意を黒羽に向けてくる。笛や熊撃退用のスプレーを入れておいたバックパックは、さっきの場所に置いてきてしまった。

「クソ。どうすればいい」

 じりじりと後じさりしつつ、彼は悩む。

 一、帰還できないのを覚悟して逃げるべきか。

 二、命がけで鍵を取り戻して逃げるべきか。

 すぐに決断するには、あまりにも難題だ。けれども、包囲網を確実に狭めてくる猿達が、考える時間を与えてくれない。

「キキィ、ウキィィィィィ」

 タイミングを見計らい、一斉に踊りかかってきた。

「こ、こんな所で死ねるかよ」

 黒羽は雄たけびを上げつつ、拳を繰り出そうとした。だが、轟音と共に光が、彼の周りを駆け巡った。

「ウキィィィィィ」

 鮮烈な光の残光から背を背け、一目散に逃げていく猿達。先ほどまでの危機が嘘だったかのように、呼吸が荒い黒羽だけを残して、辺りは再び静寂を取り戻した。

「だ、大丈夫ですか?」

 驚いた黒羽は、反射的に「ウォ」と情けない声を上げてしまう。

「ごめんなさい、驚かせてしまって。こっちです」

 声が聞こえた方を向くと、ライトを手に持った少女が、青空のような瞳に思いやりの色を滲ませ、こちらを見つめていた。

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