第25話 開錠
「んー…ん?」
何気なく目を擦りながら開けると、どこかで見覚えのある煤けたヒビ割れ放題の天井が見えた。
あぁ…久し振りに来たな。
私はやれやれと動作をゆっくりに、裸のパイプベッドの上で起き上がった。あの五畳ほどの埃っぽい部屋だ。
因みに久し振りとは言ったが、初めて来た時から実は今回で四度目になっていた。二度目の時は勿論驚いた。何せ一度目の時と寸分違わぬ夢だったからだ。他の事例は知らないが、少なくとも私史上こんな事は初めての経験だった。ただ一度目の時と違ったのは、今回もそうだが、すんなりと目を開けれたし、スクッと身軽に起き上がれた事だった。ただそれ以外は、何も進展はしなかった。あの赤錆びた扉も開かないままだった。二度目はそれで終わり、三度目も大体同じ様なものだった。もし強いて違いを取り上げるとすれば、一度、二度、三度、そして今回の四度目と、相変わらずの薄暗い明るさだったが、微妙に毎回明度が違って見えた事だ。これは何を意味するのだろう?夢判断の専門家に聞けば、もしかしたら何か面白い見解が聞けるかもしれない。でも結局まだ誰にも…義一や絵里、それに師匠に対してもまだこの夢の話をしないでいた。ただこの夢から醒めた後には、すぐにベッドから起き上がり、ノートにその時見た夢の内容を事細やかに、自分で新たに発見した些細な事まで書き込むのだった。自分でも不思議に思うが、元々目覚めのいい方ではあったが、ことこの夢を見た後は驚く程に頭がクリアになっていて、ノートに書き込みつつ、普段感じる身の回りや世の中に対する疑問や何やらに対して、全く関係が無さそうな作業をしているというのに、自分なりの筋の通った考えが浮かぶことがしょっちゅうあった。その様に浮かんだ考えを忘れない様に、新たに予備の新品のノートを取り出し、そこに書きなぐるのだった。
しかしこの時の私は前回まで以上にうんざりしていた。前にも言ったが、ただでさえ何も無い五畳ほどの室内、前回前々回と相も変わらず閉ざされたままの扉…正直なところ、この夢に飽きてきていた。当然だろうと同意してくれるものと思う。
…ただもう少し注意深く見渡して見ると、今までとは少し勝手が違っていう様だった。
私は一度正面の扉を見た後、これも習慣と化していたぐるっと部屋を見渡す事をした後にまた正面に視線を戻すと、なんと扉の脇に、さっきまで確実に無かった筈の長テーブルが置かれていた。
私は一瞬驚いたが、やっと見るからに変化が現れたという嬉しさの方が勝って、警戒しないままにテーブルまで歩いて行った。
近づいて見るとその上には、カンテラと金属製の油さしという、ファンタジーの世界に出てきそうな時代錯誤の代物が置かれていた。恐る恐るとまずカンテラを手に取って見ると、中身が空のせいか重厚な見た目の割に嘘みたいに軽かった。基本ガラス製っぽかったので、両手で慎重に持ちつつも、ひっくり返して底の部分を調べたりしたが、妙に軽い以外に特に変わった点を見つけられなかった。…とその時、光源が発せられる場所であろう透明なガラス部分をよく見ると、漢字で”義”と一文字が、薄く掠れてはいたが書いてあるのが見つかった。薄暗い中で見ていたせいか、初めはガラスについた煤などの汚れだと思い気付かなかったのだ。
「…”義”?」
私は口に出して見たが、それでその意味するところが分かりはしなかった。本当はこの時に初めて、実際に声を出してみた訳だったが、殆ど無意識でした事だったので、自分でそれには気付かずに、手に持ったカンテラをテーブルに戻し、今度は油さしを手に持った。これはカンテラとは打って変わって、中身がたんと詰まっているのか、やけにどっしりとしていた。カンテラとは別の意味で両手で持たざるを得なかった。詳しくは分からなかったが、感覚から言えば二リットルのペットボトルよりも若干重かったくらいだった。手に取るまで感じなかったが、急に灯油独特の鼻をツーンとさせる臭いが鼻腔を刺激した。これも初回と同様、五感を働かせるためのスイッチが入った為に起きた事だろうと推察した。流石にカンテラとは違ってひっくり返したりは出来なかったから、クルクルと横にスライドさせつつ側面を見ると、ある所まで回した所でまた漢字が書かれているのに気付いた。それも薄く掠れていたが、”神”と辛うじて読めた。
「”神”…?」
私はまた声に出してみたが、相変わらず何かいい考えが浮かぶことは無かった。
カンテラが”義”で、油が”神”?…うーん、ナゾナゾかしら?
私は一先ず油差しを元の位置に戻してから、その場で立ったまま腕を組みつつ考えに耽った。
どうでも良い自慢をさせて貰えば、私はナゾナゾを解くのが好きだったし、自分では得意だと思っていたが、何度考えてもそれぞれの関連性に気付くことは出来なかった。
私は一旦保留して、取り敢えずこうして新たに出現した”道具”を、早速活用してみる事にした。私自身の夢なのに他人事の様に言うようだが、こうして出てきたということは『使え』という暗示なのは明らかだった。なので私はまずカンテラの口を開けて、次に油差しを手に取り、注ぎ口を近づけて、迅速かつ慎重に灯油と思しき液体をカンテラ内に注ぎ入れてみた。
トトトト…
小気味の良い液体の溜まっていく音が室内に反響して、思ったよりも大きく感じた。と、ここで初めて私は、また新たな変化が起きているのに気付いた。それは、ここにきて初めて体の外の音が聞こえたという事だった。ベッドから起き上がったり、部屋の中を歩き回った時でさえ、今まで物音一つしていなかったからだ。そんな感想を抱きつつ、しかし手を休める事なく作業を続けた。
どれほど続けた事だろう。明らかにカンテラの大きさと油さしの大きさを比べてみるに、そんな大量の燃料が入るとは思えなかったが、いくら注ぎ入れても中々満タンになる気配が見られなかった。両手で持たざるを得なかったほどの重さがあった油さしは、今では片手で余裕に持てるほどまで中身が減っていた。色んな意味で心配になりつつ、それでも注ぎ続けた。
そしてとうとう油さしの中身が尽きかけた頃、ようやくカンテラの口付近に液体の表面が見えてきた。最後の一滴まで出すと、カンテラの方も口上部から一、二センチほどの水位で止まったのだった。
私は油差しを置くと、早速カンテラに手を伸ばした。私の予想では、油さしの中身を全部入れたのだから、入れたは良いものの気軽に持てるのかと当然の心配をした。しかし、その心配は徒労に終わった。
実際手に持ってみると、何も入ってない時と比べれば若干の重量が増えていたが、それでも悠々と片手で持てるほどの重さしかなかった。さっきも言った様に少し覚悟して力を入れつつ持ち上げたので、予想外の軽さに勢いがつきすぎた程だった。
私は自分でも分かる程に目を丸くして少しの間カンテラを見ていたが、その後すぐに『そうだ、これは夢だった』と一人合点がいって、その場でウンウンと頷いたのだった。
しかし同時に『これが夢なんだったら、もっと私に都合よくいかないものかなぁ?…油を一々自分で一から入れなきゃいけなかったり』と、自分の夢に対して心の中で愚痴ていたのも本当だ。
それはともかく、持ち運ぶ事への不安はすぐに解消されたわけだったが、直後にまた、ある意味最も重要な問題があるのに気付いた。
…あれ?これ、どうやって灯せば良いんだろう…?
そうなのだ。最初に見た時も思わないでも無かったが、改めて長テーブルの上を探して見ても、カンテラを灯すための”種火”の様なものが見当たらなかった。妙な所でリアルを追求してくる夢だからと、ひょっとしたら落ちているのかもとテーブルの下も隈なく探して見たが、結局見つからなかった。
「はぁーあ…」
と大きくため息を吐きつつまた立ち上がり大きく伸びをした。
…なーんだ、これじゃ何も意味がないじゃない…
と大きく肩を落とし諦めかけたその時、突然テーブルの上に一時的に置いていたカンテラが、何の前触れも無く突然光を発し始めたのだ。私は予期せぬ出来事に動揺しつつ、慌ててその光の元に近づいた。カンテラは、オレンジとも、薄めの黄色とも、いやそれらが混ざり合った様な柔らかな光を煌々と発し、部屋を明るく照らし出したのだった。光を発するガラス面、そこに書かれた”義”の字が、今ではハッキリと見て取れた。
…もーう、何だって言うのよぉー。
私は一人鼻からフッと小さく息を出してから苦笑いを浮かべた。
まるで自分の夢に馬鹿にされつつ振り回されてる様な感覚を覚えていたが、しかしまぁ、何はともあれカンテラが灯ったのは良い兆候だった。
その兆候を読み取ったのは合っていたらしく、私が早速カンテラを手に持つと、それと同時にすぐ脇の錆びた扉から『ガチャッ』と鍵が開いた様な音が聞こえた。今さっきに不思議な出来事を目にしたせいか、これにはそれ程驚く事もなく、左手でカンテラを持ったまま右手で扉を押してみた。
ギィーーーーー…。
何とも耳障りな、油を注したりする様な手入れをなされていない金属物特有の音が耳を劈いた。正直両手で耳を塞ぎたいくらいだったが、カンテラを持っていた事もあって何とかその場で何もしないまま我慢した。
開くと同時に、気圧の変化が起きたせいか、扉の外から空気が一気になだれ込んできて、一瞬強い空気の流れを感じた。その風からは、室内と変わらない埃っぽい臭いがした。
部屋の外も中と対して変わらない事を予感させた。
風が数秒ほどで収まったので、早速恐る恐る扉の淵まで歩み寄り外を見てみると、そこには漆黒の闇が広がっていた。音は相変わらずしなかったが、そんな様子だというのに何故か、何者かがいる気配だけが感じられた。カンテラを持った左腕だけを怯えつつ扉の外に出して、試しに周囲を照らしてみようと試みたが、空間が広がっているのかどうかは知らないが、光を反射する様なものが無かった。そんな中で何者かの気配だけが感じるなど、自分では同世代の中では男女問わず度胸が座っている方だと自負していたが、そんな見通し効かない先行き不安な出発は出来ないと、中々最初の一歩が踏み出せずにいた。かといって、いつまでもここに止まる訳にもいかない…。この時の私は、すっかりこれが夢だというのを忘れて、これからどうしようと真剣に悩み考えていた。
扉の縁に掴まり、少し俯き加減で悩んでいたその時、何故か気持ちカンテラの光度が増した様に感じたので、ふと手元を見た。
いくら夢だからとはいえカンテラが話しだしたりはしなかったが、その柔らかく暖かな光からは、何か励ましの様なものを送ってくれてる様に感じた。実際ジッとその光を見つめていると、クサイ言い方で恐縮だが”勇気”の様なものが湧いてくるのを漠然と感じたのだった。
私は手元のカンテラに言葉の代わりに一瞬微笑みかけると、顔を上げて目の前に広がる真っ暗な闇を見据えた。先程までのような恐怖は全てとは言わないがだいぶ薄れていた。
…これならイケる。
私はその場で大きく頷いて、また一度手元のカンテラに目を落とし、そして正面に目を据えると、力強く一歩を扉の外に向かって踏み出し歩いて行った。
ここまで来たところで今回は目を覚ました。
もうすっかり冬だと言うのに、薄っすらと脂汗をかいていて部屋着が軽く身体にまとわりつくのを感じた。
本来ならそのような状態は気持ち悪いはずなのだが、それには一切気を向けずに、忘れないように今回の出来事もノートに書き付けたのだった。
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