第120話 忘年会

 大晦日。

 今日は静蘭学園教師陣の忘年会が商店街の居酒屋で行われていた。

 忘年会を大晦日にオールでやって年明けて新年会に突入などというハードなものではなく、終電のことも考えて比較的早い時間帯には解散となる予定だ。教職という身分であるのでどこで誰か見ているかはわからないからな。それでも二次会も予定されているらしい。俺はそちらには参加する気はなかった。


 今年の忘年会はスケジュール的に大晦日しか予定が空いていなかったからということで家庭がある先生方は不参加となっている。

 なので今日の忘年会は全員参加というわけではない。

 俺をはじめとした独身の教員や江上先生のようなお子さんが大学生でほとんど自立している先生方が参加している。


「高城先生、どうぞぉ一杯」

「お腹空いていませんか? これ美味しかったですよ」

「あ、グラスを空にしちゃだめですよ」


 独身といってもそれは年若い人に使う言葉ではない。

 20代、30代、40代、50代でも独身は独身だ。


 俺は今、結構ご年配な女性教員たちに囲まれて動くことができないでいた。

 グラスがほんの少し減れば追加でビールを注がれ、食べ物を食べようとすれば酔ってふざけた先生にあーんで食べさせられようとされる。その先生らが必要以上に身体を押し寄せてくるので動こうにも動けない。


 ――苦手なんだよな、香水の匂いって……。


 甘ったるい香水の匂いはあまり気分のいい物ではない。


「あーん、私酔っちゃったぁ。高城先生ぇ介抱してくださ~い」


 俺を解放してください!!

 そう言いながら俺にもたれかかり、太ももをなでてくる先生(45歳の独身女性)。

 ひい! どこ触ってんですか!!


 水沢先生はハラハラとした様子で俺を見ている。

 結崎先生は我関せずとコップを傾けている。

 荒田先生は俺を見て膝を叩きながら爆笑(おっさん化)している。

 座間先生に視線で助けを請うが視線を逸らされる。


 完全に孤立無縁だった。


「高城先生、ちょっとよろしいですか?」

「あ、はい!」


 俺は呼ばれるとすぐに立ち上がり俺を呼んだ先生のもとへとグラスをもって移動する。俺を呼んだのは江上先生だった。

 たとえこれが説教でも俺は喜んでいきます!


 江上先生はビール瓶を持つと俺に酌をしてくれるので俺も返杯。

 乾杯をした後、お互いに一口飲んでから話を始める。

 さすがに学年主任であり古参の江上先生に声をかけられれば、他の先生たちも押し黙るしかなかったようだ。


「……大丈夫でしたか?」

「ええ、おかげさまで助かりました」


 俺を助けるために呼んでくれたようだった。


「今年1年お疲れさまでした」

「こちらこそありがとうございました」


 落ち着いた声で俺のことをねぎらってくれるので、恐縮してしまう。


「今年は終わりますが、まだ3月まで残っていますので気を抜かないように頼みますよ」

「はい」

「このままいけば引き続き今の2年生たちが3年生になっても受け持ってもらいますので」

「ありがとうございます」


 受け持ってる子たちの卒業を間近で見守ることができる。

 俺の初めての生徒。

 多分、教師を続けている中でもこの子たちは特別印象に残る生徒になるはずだ。別の意味合いで忘れることのできない子たちもいるけどな。


「……せっかくの忘年会なのに仕事の話をして申し訳ありません。年を取ると仕事のことしかすることがなくなってしまっていけない。いやはや、若い人と話すとなると共通の話題が思いつかなくて。生徒が何考えているのかなんて余計にですね」

「それは俺も同じです」

「少し世代が変われば完全に違う生き物ですからね。この前、MD(ミニディスク)の存在を知らなかったのは驚かされましたよ」

「ハハハ」


 俺も存在は知っていますけど、使ったことはないです。

 だが、俺も生徒と7つばかり離れているだけだがジェネレーションギャップを感じることは少なくない。相手が女子となると特にそうだ。何を言ってるのわからないことがある。


「そんな生徒の相手をするんです。ストレスがたまることはないでしょうか?」

「今のところはそれほど。うまい具合に発散できてると思います」

「なら、大丈夫ですね。これからも体調に気をつけて頑張ってください」

「はい」


 江上先生の話は俺を気遣うような内容ばかりだった。

 色々と心配してくれるのは嬉しい。


 正月三箇日が終われば3年生の受験対策として学園が生徒に開放される。

 年が明ければすぐにセンター試験。それが終われば3年生は1月末で自由登校となるがその間も勉強だ。受験生にとってはめまぐるしい年明けになるだろう。かく言う俺も経験した口なのでその大変さは身にしみてわかっている。


 江上先生の話が終わると俺は座間先生たちのいる席へと移動した。


「大変だったなぁ」

「見てたんなら助けてくださいよ」


 俺のことを見て見ぬふりをしていた人からの同情なんて意味ないでしょう。


 グラスが空になったので店員を呼び新しい飲み物を注文する。酒はもういいとのことで俺は烏龍茶、座間先生はジンジャーエールを注文した。


 ほどなくしてドリンクが運ばれてくると互いにグラスを合わせ乾杯すると小気味いい音が響く。


「とりあえず、今年はお疲れさまでした」

「お前もなぁ」


 他の先生方は酒ばかりに意識がいき、あまり料理には手が付けられていない。

 俺は手前に置いてある焼き鳥を1つとると烏龍茶と一緒に食べていく。


「うまいですね」

「ん、悪くないなぁ。今度、改めて来てみるかぁ」

「そうですね」


 俺と座間先生は月に数度の頻度ではあるが色々な飲み屋で過ごすことがある。

 今日はあくまで忘年会としての参加だがプライベートとしてくるのとではまた違った気分になれる。座間先生もさほど礼儀にうるさいわけではないし。なにより、必要以上に気を使わなくてもいいのが楽だ。


 同じ教科担任ということでそれなりに仲はいい方だ。なんどか座間先生のアパートに遊びに行ったこともある。基本この人と過ごすときはゲームをしていることが多い。だが、遊びに行ったときに結崎先生が当たり前のように座間先生の部屋にいたときはさすがに驚いた。


「けど、年明けは飲みに行く機会も減るかもなぁ」

「江上先生も言っていましたけど受験対策とか入学式とかでいそがしくなりますもんね」


 教師にとっての修羅場は間違いなく1月、2月、3月だ。

 3年生の受験対策はもちろんのこと、静蘭学園の入学試験や卒業式、入学式、諸々の会議などで色々と忙しい。

 今年はその忙しい時期に事故に遭い修羅場には参加していないので本当に申し訳なかった。


「今日はこの後どうするぅ?」


 座間先生はこっそりと俺に話しかける。

 この後とは忘年会が終わってからの二次会のことだろう。


 お付き合いできますけど……。

 ちらりと結崎先生の方へと視線を送る。

 結崎先生は年越しを一緒に過ごしたいんじゃないだろうか。

 そう思うと俺という存在はおじゃま虫だ。


「今日はやめておきます」


 景士さんに頼まれて黒澤家へ向かわなければならない。

 正月も挨拶やイベントなどで忙しい景士さんに成恵さんも付いていくので正月は黒澤家に歩波1人だけになってしまうようだ。

 友達とお泊り会といっているらしいが景士さんに「男だったらどうするんだ!!」と鬼気迫る電話をもらった。そんな心配はないと思うのだが、成恵さんからも様子見を頼まれているのだ。料理をしていたら全力で止めるようにといわれている。俺としてもこっちの方が懸念事項だ。火事怖い。


「2年生はスキー研修もありますからね」

「苦手なんだよなぁ。寒いのも運動するのも、ホテルでゲームしててぇ」

「俺は楽しみですけどね」

「遊びに行くんじゃねえんだぞぉ」

「それはもちろん」


 話が一区切りつくと、酔いが回った結崎先生のところに男性教員が酒を片手に近くに寄り始めたのでそれに気が付いた座間先生は無言で結崎先生の隣に移動した。自分の彼女に他の男が近づけば気分のいいものではないか。


「あ、あの高城先生」


 座間先生が離れて一人で飲んでいると水沢先生が俺の隣に座る。

 そう言えばクリスマス以降は水沢先生の出張などで不在だったから久々に顔を見た気がする。


「この前はすいませんでした!」

「はい?」


 突然頭を下げられて俺は面を食らう。

 事情が分からない。水沢先生から謝罪されるような出来事は特になかったと思うのだが。


「あの、何のことでしょうか?」

「イルミネーションイベントのことです。私の都合で振り回してしまいまして、あまつさえ、私が一方的に帰ってしまいまして」

「……ああ、お気になさらないでください」


 水沢先生と早々と別れたためカレンを保護できたのだ。

 もしあのまま三日月荘に帰っていたらカレンがどうなっていたかわからない。

 水沢先生は申し訳なさそうに謝るがその所為で他の先生方から訝しげに見られていた。


「あの、またお誘いさせていただいてもいいでしょうか?」

「もちろんです。その時もまた美味しそうな店を教えてください」

「は、はい!」


 とりあえず、水沢先生の謝罪の件は一息ついた。

 この空間で水沢先生に頭を下げさせ続けるわけにはいかないしな。

 水沢先生の方を見るとグラスが空になっていることに気が付いた。


「水沢先生は何か飲まれますか?」

「あ、それでしたらオレンジジュースを」

「なら、俺も」


 2人でオレンジジュースを注文する。


「高城先生はもうお酒は飲まれないんですか?」

「さすがにこの場で酔いつぶれるわけにはいかないので」

「でも、高城先生って結構お酒強いですよね?」


 静蘭学園での酒の強い人は圧倒的に荒田先生だ。

 酒が入るとすぐ酔うが、そこから一向に潰れない。

 この前の飲み会にも付き合ったが正直途中からの記憶が怪しい。俺は酒の強さは普通くらいだ。飲めない水沢先生からしたら俺は飲めるように見えるんだろう。


「私は全然飲めないので羨ましいです。どうしたらお酒が飲めるようになるのでしょうか?」


 酒は好き嫌い以前に体質的なこともある。

 徐々に体に慣らしていくことも可能だが、無理に飲むこともないだろう。今の時代、アルコールハラスメントとかもある。


「人並みに嗜めるようになりたいです」

「水沢先生はお酒の何が苦手ですか?」


 酒の苦手というものにはいろいろ種類がある。

 それは味であったり、酒の独特な香りなど理由は様々だ。


「……酒癖の悪い人が身近にいまして……あと、ビールは苦いので……」


 水沢先生が誰を思い浮かべたのかはわからない。

 酒で迷惑をかける人に遭遇し嫌な一面を見てしまうことで酒が苦手になってしまうということはある。ちなみに俺が思い浮かべたのは酔ったら脱ぎ癖のある大桐だ。部屋の中で脱ぐのはいいが飲み屋で脱ぐのはやめろ。


「でも、それなら水沢先生も飲めるようになるかもしれませんよ」

「本当ですか?」


 典型的に味やにおいがダメというわけではないのなら水沢先生も飲めるようになるかもしれない。アルコールといってもビールだけではないしカクテルという飲み方もある。


「それなら今から……」

「それはやめておいた方がいいです」


 始めて来た居酒屋で酒を飲むのは初心者はやめておいた方がいい。酔いつぶれてしまったら何が起きるかわからないし、起きたことも忘れているかもしれない。

 ましてや水沢先生は女性、身の危険は十分にある。

 特にこちらをじっと見ている小杉先生や剛田先生は気を付けたほうがいいと思う。

 剛田先生は過去に無理矢理飲ませようとしたこともあるし。水沢先生は飲まないからこういう事はあまりよくわからないのだろうか。


「今回はノンアルコールカクテルにしてみませんか」


 俺はノンアルコールのドリンクがかかれたメニュー表を水沢先生に見せる。

 ノンアルコールのドリンクの味付けはアルコールの独特な匂いや味を再現をしているから慣れるにはいい。


「わ、分かりました……」

「苦いのが苦手なら梅酒がお勧めです」

「ならそれにしてみます!」


 何やら決意した様子でメニューを見るとオレンジジュースを飲み干し、新しくドリンクを注文した。俺は先ほどのオレンジジュースを少しずつ飲んでいく。久しぶりに飲んだから美味しい。


「すいません。この梅酒ソーダをノンアルコールで」

「はい、少々お待ちください」


 店員さんに注文を終えると水沢先生はほっと息を吐く。


「は、はじめて、自分からお酒を注文してしまいました」

「いや、酒ではないですけどね」


 というより、ソフトドリンク以外は飲んだことはないのだろうか。


「高城先生は最初からお酒は飲めたんですか?」

「いや……友人の父親に酒の飲み方は教わりました。そこからはちょくちょくと自分で飲むようになって」


 友人というのは透でその父親に二十歳の誕生日に透と一緒に酒を奢ってもらったのだが……その酒を飲んだところが銀座の高級キャバクラだったのは言わないでおこう。


 メニューに値段がかかれていなかったのは怖かった。

 透の母親に銀座のキャバクラで遊んでいたことがばれたときも怖かった。

 透の父親がしばらく行方が分からなくなっていたのも怖かった。

 行方不明の間、透の母親のずっと笑顔だったという話を透から聞いた時も怖かった。


 いろんな意味で怖い。


「お待たせしました。ノンアルコールの梅酒ソーダです」


 ちょうどいいタイミングで水沢先生のもとに店員さんが飲み物を持ってきてくれた。この店のノンアルコールの飲み物のグラスは取っ手が付いていないのでわかりやすい、


「い、いただきます」


 水沢先生は意を決して梅酒ソーダを飲む。

 目を瞑って飲む当たり必死さが伝わってきた。そこまで意を決して飲むものでもないと思うのだが。


「どうですか?」

「……………あ、美味しいです。炭酸ジュースみたいで」

「まあ、ノンアルコールですし」


 水沢先生は美味しそうにグラスを傾けていく。

 その後もいくつかのノンアルコールカクテルを注文していった。





 俺はソフトドリンク、水沢先生はノンアルコールカクテルを楽しんでいると締めの時間となってきた。


「はい、それでは皆さん今日は参加していただいてありがとうございました。よいお年をお迎えください」


 右井教頭の短い締めの挨拶で静蘭学園教師陣の忘年会は終わった。


 駅まで水沢先生たちを見送り、タクシーで帰宅する先生方と別れた後、俺は近くの神社へと向かい、深夜零時をまたいで参拝を終えると黒澤家のマンションへと向かった。


 ……

 ………

 …………


「先生~ッ!」

「兄さ~ん……な~にすました顔してんのよ~」

「あはは~きてくれたんれしゅねぇ。会いたいときに会えるなんて幸せれす」

「うふ、うふふふふふ」

「スンスン、あ~お酒臭い~……どこで飲んでたのよ~………この浮気者っ!」


 俺の部屋よりはるかに広いリビング。ソファーが移動させてあり布団が5つ並べてある。

 そこにはお菓子やジュースが広げられており、楽しくおしゃべりでもしていたのだろう。


 いつものメンバーが可愛らしいパジャマを着ており、年末年始でお泊り会としていたのだろう。男が来るかもしれないという景士さんの心配は杞憂に終わったわけだ。


 ただ、涼香たちが異様に俺にベタベタしてくる。

 一体ここで何が起きたんだよ。

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