第88話 文化祭
全校生徒が講堂に集められており、文化祭の始まりを今か今かと待ちわびていた。
『――これより、静蘭学園文化祭を開催します』
スピーカーを通した右井教頭の挨拶が講堂に響き渡ると歓喜の声が講堂に木霊する。ダムにせき止められていた水が一気に放出されたようだ。
生徒たちが待ちに待った文化祭の始まりである。
生徒たちは大きな歓声を上げて各自自分たちの仕事に向かったり、見に行きたい展示などを見にいく。
今日は生徒だけだが地域の有志団体の好意により外にある屋台のいくつかを開けてくれるとうことだ。あとであいさつに向かわないと。
あっという間に校内やグラウンドは賑やかになる。
明日は一般客も入るということもあってもっと賑わいを見せることになるだろう。
俺は自分の仕事を全うすべく校内の見回りを始める。
まずは自分のクラスである1組へ向かうことにした。
◆
涼香
文化祭が始まった。
店の看板を表に出して、メニューを机の上に並べていく。着替えは男子に外に出てもらって教室で済ませる。
私と夕葵は午前中の接客を担当することになっていたのだけれど、ここで1つ問題が起きた。
「む、無理だ……やっぱりこんな格好で……」
「今更隠れても仕方がないでしょ」
私は教室のカーテンで体を隠してしまっている夕葵をなんとか引っ張り出そうと苦労していた。
「せっかく着替えたのに」
「似合ってない! 接客も無理だ! せめて裏方の調理班に……」
「もう決まったことなの。外に夕葵のファンが押し寄せてきてるんだから」
「もっと出ていきたくなくなった!」
まるで天照大御神の岩戸隠れの伝説みたい。
「そもそも、なんでこんな格好なんだ! 私は和服を希望したのに!」
「もう袖を通してるのに何言ってるのよ」
何とか夕葵をカーテンから引っ張り出す。
午前中は私と夕葵は和装で接客をすることになっていた。けれども、和久井さんの家でちょっとしたアクシデントが起こり夕葵を含む数名の和服はお店へ返却、その代わりとして渡されたのが――、
「こ、こんな短いスカートで……」
ぎゅっとミニスカートの
短すぎるスカートを抑えるには心もとないけれど、姿勢が前屈みになるから夕葵の最大の
「ぶっは!」
「相沢! しっかりしろ!」
「メディーッッック!!!」
「医療――班!!」
相沢くんは夕葵を見て何かを吹き出しながら倒れる。残念だけど、医療班なんて係の人はここにはいません。男子だけが彼を起こして声をかける。女子は血を流している相沢君を誰も助けようとはしない。むしろ、冷たい目で見ている。
「夏野さーん、今日なんて練習みたいなものだよー」
「そうだよ。明日なんて一般の人も来るんだし」
一般客と聞いて夕葵が思い浮かべるのは近所のお爺さんやお婆さんという近所の顔なじみなはずだ。
今日は1年生のファンが来るという。というより、もう来てる。
そんな人たちに今の自分の姿を見られるかと想像した夕葵は――、
「やっぱり無理だ!」
ああ、余計に隠れちゃった。
「だ、大体私にメイド服なんて女性らしい服が似合うわけがないんだ……」
あ、だめだ。ネガティブモードに入っちゃった。
夕葵はかわいい洋服やアクセサリーが自分には似合わないと思っている。小さいころから“可愛い”というより“美人”寄りの顔立ちをしていた。
男の子に果敢に立ち向かって意見を言う夕葵は女の子からすれば理想のかっこいい女性に映る。
「十分可愛いから」
「お世辞なんて……」
「私が夕葵にお世辞なんていうわけないでしょ。何年の付き合いだと思ってるのよ」
「みんな準備できたか、もうそろそろ始まるぞ」
「あ、高城先生」
「――ッ――!!」
高城先生が入ってきて夕葵の動揺が乗り移ったみたいにカーテンが揺れる、揺れる。
「ん? なんだか衣装が変わっている子もいないか?」
「そーなんですよ。ちょっとうちの方でトラブってしまいまして。すいません。」
「いや、貸してもらえるだけでも十分助かってると思うよ」
和久井さんが一部の子の衣装が違う理由を申し訳なさそうに説明するけど、高城先生は笑いながら仕方ないと和久井さんを励ます。もともと、私たちが無理言っていたこともあるから誰も和久井さんを責める人はいない。
「……何であそこのカーテンだけ膨れているんだ?」
夕葵が隠れているカーテンがビクッと動いた。
夕葵、もう諦めようよ。
「実は夕葵がメイド服を恥ずかしがって」
「ああ、夕葵の服も変わったのか」
「自分には女の子らしい服なんて似合わない―って」
「……とりあえず、夕葵は出てくるように。せっかく準備した店が始められない」
高城先生に言われたからかすんなりとカーテンから出てくる夕葵。
ただその顔は真っ赤で、手で胸や足を一生懸命隠そうとしている。
もちろん、手の面積で体を隠せるわけもなくほとんど見えてる。
「わ、笑うのであれば笑ってください……ははは……」
自虐的に笑う夕葵。
口は笑ってるけど目が死んでるよ。
「夕葵、どうしたんだ?」
「昔っからメイド服とかみたいな女の子らしい服に苦手意識があるんですよ。すごく似合っているのに」
原因としては、小学生の学芸会の時に、お姫様の衣装を着ることがあってそれを男の子たちが揶揄ったから。
男の子に果敢に立ち向かう姿は女子からすれば憧れかもしれないけれど、男子からすれば自分たちに逆らう目の上のタンコブだ。
お姫様の格好をした夕葵に話し方や身長が高いのをネタにからかい、夕葵を否定した。その中には小学生でもリーダー的な立ち位置の古市君が主導で行われていたからなおのこと彼には嫌悪感しかない。
あの時の夕葵の顔は私は忘れられない。
それから夕葵は女の子らしい格好にコンプレックスを覚えるようになった。
どれだけ夕葵を傷つけたのかも知らずに、中学生になると手のひらを返したかのように夕葵に接するようになった男子を私はますます腹を立てた。
っと、こんな昔のことを思い出している場合じゃない。
ちょっと、塩を送るみたいな形になるけれど――、
「先生。夕葵に可愛いって言ってあげてくれませんか?」
「え?」
「要は自信がないんですよ」
あの時みたいに人前に出て笑われることを恐れてるんだろうな。教室の時計を見ればもう開店まで時間もない。
私たちが言ってもダメだけれど高城先生の言葉なら夕葵は信じるはず。
「さあ、先生。はやくはやく」
「……わかった」
私は夕葵が先生に告白したことを知っている。だから、ちょっと変な気持ちだ。
先生がちょっと悩んだように見えたのは、先生も夕葵の気持ちを知っているからだと思う。
「夕葵」
「はい……」
「とても可愛い」
「か、可愛い!? う、嘘です! せ、先生、からかわないでください!」
「……月並みな言葉しか思い浮かいけれど、よく似合ってる。もし笑う人がそいつはきっと人を見る目がまるでないんだよ」
気障な男性ようにさらりと言うわけでもなく、ちょっと照れながら先生は言う。
まぎれもなく本心であるということが私にも伝わってくる。
それに夕葵に向けられた劣情や懸想の念がこもった視線もなくて、実に紳士的で下心的なものがまったく感じとれない。
「――ッ――‼」
さっきまで羞恥心しかなかった顔に徐々に別に意味の赤みが頬に差す。
好きな人にそんな風に言ってもらえれば嬉しいよね。
「じゃあそろそろ開店します!」
夕葵が立ち直ったと同時にお店が開店した。
「「「「夕葵センパーイッ!!!!」」」」
教室のドアを開けるといきなり1年生の女子が突入してきた。私の記憶が正しければ全員弓道部の1年生だ。
「あ……」
夕葵は気まずそうに視線を泳がせて言い訳をしようとする。
けれども1年の女子たちは、そんな言い訳を聞くまでもなく――、
「「「「きゃあああぁあああああ!! かわいいーーーー!!」」」」
「素敵です! 弓道着の凛々しい先輩もいいですけど」
「こっちにはこっちにも魅力があって素敵です!」
可愛いという黄色い声が教室内に響く。
あっという間に夕葵は囲まれてその場から動けなくなった。その中心にいる夕葵は恥ずかしそうなながら、すこし嬉しそうだった。
けれど、あの輪の中に夕葵を「お姉さま」と慕っていた1年生の美幸さんはいない。夕葵のファンをやめたのか、距離を置くようにしたのかはわからない。けど、今はまだ夕葵の傍にいない方がいい。また暴走して夕葵を傷つけてほしくない。
「俺が言うまでもなかったな……」
目の前の光景を見て先生は苦笑する。
――本当にそう思います? 先生は、夕葵の気持ちは知ってますよね?
好きな人に言われる言葉はほかの誰よりも特別だ。
先生だって、それくらいは知っているはず。先生の言葉は何よりも夕葵にとって勇気になった。
――今回だけだからね、夕葵。
◆
俺はクラスを離れて水沢先生と一緒に校内を見回っていた。
「1組のコスプレ喫茶……面白そうですね」
「衣装を着て写真も撮ることができるようにしたみたいです。実際に調理もするんですけど、ケーキだけは外部発注しているんです。時間があれば一緒に行ってみませんか?」
「ぜひ!」
水沢先生は今回の文化祭の準備期間には別の仕事を任されていたので関わっていないので自分の担当するクラスを見に行けるのは嬉しそうだ。
なかでもケーキという単語に反応したのは言うまでもない。
「これを全部学生たちの力でやったっていうんだからすごいですよね」
俺は校内の楽しそうな雰囲気を見てそんなことを呟いた。
自分たちで企画し、準備して1つのイベントを作り上げるのはなかなかできることではない。
「そうですね。私も似たようなことをしていた立場なのに今はとてもできる気がしませんよ」
「こういうのができるのって若さですかね。青春パワーって」
「うふふ。なんですかそれ」
水沢先生は楽しそうに笑ってくれる。
校内を見回っているといたるところから生徒たちの楽しそうな声や忙しそうな声が聞こえてくる。
『きゃあああぁああああああああああ!!!』
7組の前を通ると絹を引き裂かんばかりの女性の悲鳴が聞こえてくる。
まあ、あれは初見ではビビるよな。
教室から聞こえてくる悲鳴が功をしているのか7組の恐怖の館は興味本位の客で長蛇の列をなしていた。
「7組にもいってみますか?」
「……私がああいうの苦手って知っていて誘うんですか? イジワルはめっ、です」
「冗談です」
以前、俺に恥かしいところを見られたと思っている水沢先生は軽くしかる。
ここにに出てくるのはお化けじゃないんですけどね。
「そういえば1組に行く前にちょっと見に行きたいところがあるんですけど、付き合ってもらってもいいですか?」
「はい。どこに行かれるんですか」
「5組です」
俺の担当クラスではないのだが、七宮に発破をかけた身としては行かないわけにはいかなかった。
5組の教室に入ると数は疎らながらも客は入っているようだった。まあ、コーヒーの味を知っている高校生なんてそんなに多いわけがない。その分、明日の一般公開の日は忙しくなるかもしれないな。
「どうだ? うまくいってるか?」
俺は生徒と一緒にコーヒーの準備をしている七宮に声をかけた。
「高城先生と水沢先生」
「七宮先生。なんだか大変だったみたいですね」
「ええ。でも高城先生のおかげでなんとかなりました」
俺じゃなくて七宮自身と生徒が頑張った結果だろう。
席に着くとウェイトレスの5組の生徒がメニューを差し出す。
アイスコーヒーをはじめアイス・カフェ・オ・レやウィンナ・コーヒーなど俺が見たときよりもメニューは増えていた。
当初は様々なコーヒーの飲み方ができるようなカフェの予定だったみたいだが、小杉先生の書類の忘れの所為でメニューにもかなりの制限が付いていた。だが、それぞれ工夫してできる限りのことはしているようだった。
「生クリームとかはどうしたんだ?」
「今朝、準備したんです。七宮先生ができそうなことをやってみようって言ってくれて」
嬉しそうに七宮のことを話す。
人は自分のために時間を割いてくれる人に好印象を抱きやすい。
七宮が生徒たちからも好かれているのはそれが素でできる人間だからだろう。この文化祭を最後に七宮の教育実習は終了となる。もうすぐいなくなってしまう七宮には生徒たちも協力的だった。
「あ、注文を聞くのを忘れてました。何か飲まれますか?」
「俺はアイスコーヒー」
「私はウィンナーコーヒーを」
「かしこまりました」
メニューを聞いた生徒はカウンターでコーヒーを注ぐ生徒に注文を伝える。準備してあるコーヒーを注ぐだけだから時間もかからない分、店の回転も速い。すぐに注文したが品が運ばれてきた。
……
………
…………
「すいません。俺の都合に付き合わさせてしまって」
「大丈夫です。美味しかったですから、高城先生は後輩思いですね」
「そんなんじゃないですよ」
5組でコーヒーを味わい教室を出ると今度は1組のコスプレ喫茶へと足を運ぶ。
教室では涼香の給仕姿に鼻の下を伸ばして見ている男子や夕葵のメイド姿に1年生の女子たちが黄色い声を挙げていた。
教室の前でコーヒーチケットを購入し店の中に入る。
「あ、高城先生のご来店でーす!!」
「しかも、ミズちゃんとのデートでーす!」
皆口さん、和久井さんが大きな声を出して俺たちが入室したのを知らせる。
――皆口さん、和久井さん。デートとかいうのやめようか、水沢先生がフリーズしちゃったから。
ついでに、ゾクッとした冷たい視線が俺に2人ほどから向けられた。今度は俺がフリーズしそうな視線だ。
動けない水沢先生の背中を押し席に座らせる。
「ハッ!! あれ? いつの間に座ったのでしょうか?」
「ついさっきです」
席に着いたところで水沢先生ははっと状況に気が付いた。
「……お帰りなさいませ、ご主人様。ご注文は如何なさいますか?」
夕葵がマニュアル通りの接客をする。
ただ冷ややかな声なのは俺の気のせいではないはずだ。
「ケーキセットを2つ。飲み物は紅茶とコーヒーで」
本日、二杯目の珈琲だが、客としてきたのなら何か注文しないと。
「当店では衣装に着替えていただくと割引をすることができますが。如何なさいますか?」
夕葵が見ている方に視線を送ると、教室に作った簡易更衣室から衣装に着替えた女子生徒が楽しそうに友達のところへと戻ってきた。
どうやら、団体で来ても誰か一人が着替えるだけでも割引の対象になるようだ。ハロウィンも近いので簡単なゾンビメイクなどをしている生徒も中に入る。
「ここは俺が支払いますので、水沢先生で」
「え!?」
そこからのみんなの行動は速かった。
1組のウェイトレスたちが水沢先生の肩を掴むと簡易更衣室に引っ張っていく。拒否権はない。
『えー、どれにする?』
『これなんかどう? レースクイーン!』
『メイド服は?』
『ね、お願い、離して!』
『ここに来た以上は綺麗になってもらいます。あ、これなんて似合うと思わない?』
『そ、それはさすがに! あ、あぁあああ~~~~……』
いったいどんな衣装に着替えさせられているんだろうか。
――レースクイーンにメイド服か……レースクイーンの方が……
「エッチなのはいけないと思います」
俺の内心を当てたようなツッコミをされる。
涼香だった。
「いや。考えてないよ?」
嘘です。今も脳裏にを横切りました。
「人間って考えちゃいけないって指示を受けると余計に考えてしまうんですよ?」
……皮肉過程理論ってやつですか。
さすが静蘭の誇る才媛、博識なことで。
俺の内心を見事に的中させてみた涼香はジトッとした目を俺に向けてくる。
「やっぱり男の人って露出が多い方が好きなんですか?」
「それが男というものだ」
「きっぱり言わないでください!」
俺だって男だからね。
年の近い女性の色話には興味ある。
「涼香もよく似合ってる」
「このタイミングで言われても嬉しくありません! 誤魔化しで言ってるのが丸わかりです」
「誤魔化しではないけどね。前に見たときも言ったけど、すごく綺麗だ」
「――ッ――」
世辞ではないので称賛の言葉がすんなりと出てくる。
俺の言葉を聞くと「コーヒーと紅茶を持ってきます」と涼香は俺の傍を離れた。
正直、前に一緒に商店街に行った時なんて一緒に歩くだけでも少し誇らしかったくらいだ。
「あら、高城先生。おひとりですか?」
名前を呼ばれたので振り返ると結崎先生とあくびをしながら怠そうにしている座間先生がいた。
「いえ、水沢先生と一緒ですよ」
「あら、デート?」
「……見回りの休憩ですよ」
担任と副担任が一緒に見回るのは同じ教師である結崎先生も知っているでしょう。
それならば、担任と副担任の関係ではない結崎先生と座間先生はどうして一緒に回っているのかが気になるところですよ。
『いやあぁああああ~~……それだけはぁ……』
『もう下着姿なんですから、おとなしくしてください』
『ちょっとそっちの腕縛っちゃって』
『あいよー』
「今あっちで水沢先生がお着換え中です」
「あら試着もできるのね?」
壁に掛けられているセーラー服やブレザーをみて結崎先生がちょっと興味を示す。
それにしても水沢先生の悲鳴はスルーしましたね。
下着姿という言葉に反応して更衣室を向いた座間先生に笑顔で見事な肘鉄を食らわせる方を優先していた。
「先生方もご一緒にどうですか? 1人がコスプレをしていると割引があるんですよ」
「あら、それならご一緒させてもらおうかしら」
座間先生と結崎先生が席に座ると同時に、更衣室から水沢先生が姿を現した。
「た、高城先生。あまり見ないでください」
水沢先生が来ていたのは静蘭学園のブレザーだった。
高校卒業して以来の静蘭の学生服姿に恥ずかしそうに身をよじる。
静蘭のOGではあるが、またこの服に袖を通すことになるとは思ってもみなかっただろうな。
着替えを手伝った女子たちは満足そうに額の汗をぬぐうしぐさをしている。
「……似合ってますね」
「お世辞は結構です」
なんだか、朝の夕葵との会話を思い出すな。
「海優ちゃんかわいい~」
「写メとろ! 写ーメ!」
女子たちがはしゃぐのもわかる。
本当によく似合ってる。
水沢先生は童顔だし、現役といっても通用するだろうな。完全に生徒の中に溶け込んでる。
「お待たせしました(ぎゅむ~~~~)」
夕葵が注文していた品を持ってくるときに俺の足を踏んだ。
しかも踏んでいるのに気が付いているのに足を踏むのをやめない。
「夕葵、踏んでる」
「すいません。お怪我はございませんか?」
ちっとも申し訳なさそうじゃない。絶対わざとだ。
まるでどこかの家にいるメイドのような目で俺を見てるよ。
先生、君だけはそういう目で俺を見ないと思っていたんだけどな。
「水沢先生にあまり見惚れないでください」
俺にしか聞こえないような小さな声で俺を咎める。
嫉妬を含んだその声色に何とも言えないむず痒さを覚える。
水沢先生が静蘭の制服姿でいるという噂は瞬く間に広がり、興味本位で訪れる生徒や先生方であっという間に満員となってしまった。
席に着くことも許されず、せっかく水沢先生の好きなラ・パルフェのケーキが目の前にあるというのに頼んだ品を食べる暇もない。
「ほぉ~懐かしいですな~」
「ええ、彼女が学生だった頃を思い出します」
水沢先生が静蘭にいたときから教師をしていた年配の先生方が懐かしそうに制服姿の水沢先生をみる。
「くっそ! なんで俺は10年前に生まれなかったんだ!」
「あの水沢先生に先輩って呼ばれたい!」
自身の生まれを本気で悔しそうに歯を食いしばり、机をたたく
そして、女子たちに囲まれる水沢先生はしばらく解放されそうにない。
店も混んできたのでそろそろ出ていこうかと思っていたのだが、今の水沢先生を連れ出そうとすれば非難の目を向けられかねない。
「すげぇ人気だなぁ」
「もともと人気のある先生ですからね」
「あなたもだけどね」
いやいや、俺なんてただ若いっていうだけで、生徒からすれば友達に近い感覚なんだと思いますよ。
――明日だって、あの子らのおもちゃになることが決まっているんですから……。
あー、嫌だな。明日は何のコスプレさせられるんだろうか。
「水沢先生、見回りは俺一人で行きますね。ここで休憩しててください」
「ち、ちょっと待ってください。私を一人にしないで!」
「行かないでよ~」
「水沢先生、もうちょっとここでゆっくりしていきましょうよ」
「今度は巫女服なんてどうです?」
いい客寄せになると思った女子たちに囲まれて強制的に座らさせられる。
俺は涙目の水沢先生から目をそらして校内の見回りを再開する。
――すいません。今日食べられなかったケーキはいつか奢らさせていただきます。
だから、今日は人身御供になってくださいっ!!
◆
涼香
私は文化祭の午前部が終わると今度は文化祭実行委員会の仕事となった。
午前中は思っていたよりも忙しくて、休憩を取る暇もなかった。
女子更衣室は同じように着飾った女子でいっぱいで、着替えが終わると時間はお昼を過ぎていた。
昼食を摂っていたら実行委員会の仕事に遅刻してしまうので食べずに集合場所に向かう。
集合場所にはすでに実行委員会のメンバーが集まっていた。
実行委員会の生徒は腕に黄色い腕章をつけているからすぐに見分けがついた。
「それなら午後の見回りの担当の人は頑張ってください」
3年生の委員長の指示で私たちはペアに分かれて校内を見回る。
見回る対象としては羽目を外しすぎている生徒への警告やごみの回収、体育館の担当の人はステージのスケジュール管理や備品確認など多々ある。
私は校内の見回りということで、もう一人と一緒に回ることになっている。
「ね、桜咲さん。ちょっといいかな?」
谷本さんが私に声をかける。
私と一緒に文化祭を見回る人だ。
「見回りには一人で行ってくれない?」
「えぇ!?」
「ほらぁ、昨日言ったでしょ。原君とのこと協力してくれるって」
ああ、そういえば昨日の話を合わせてそんなことを言った気がする。
「でも、1人って……」
「いいじゃん、見回りなんてどうせ建前だし、テキトーで。文化祭を原君と一緒に過ごせるチャンスなの!」
多分、彼女の視線の先にいる男子が原君なんだろう。
そういえば同じ委員会で面識はあった。
「じゃ~あ! よろしくぅ!」
「あっ!」
私が止めるまでもなく、谷本さんは原君の元へと向かっていった。
大胆にも原君とやらに腕に抱き着くと、まるでデートに向かうかのように2人で校舎の中へと消えていった。私の場合は相手の立場ということもあるから、あそこまで大胆になれるのは少し羨ましい。
私は文化祭での任されているチェックリストの量を見るとちょっとげんなりとした。これ全部一人でやれっていうの?
私は一人で文化祭を見回ることになった。
文化祭が最もにぎわうのは明日だけれど、この学生だけの空間は静蘭学生にしか経験できない。
『なら、それが涼香の小さいころの夢だったんだ』
高城先生にこの文化祭に携わるのが夢だといわれた時に、何かに気が付けたような気がした。
やってみたいことはある、けれども、それが許されることだとは思えない。いや、誰かの許しなんていらない。
――結局、怖いんだよね。
今まで積み重ね来たものがなくなってしまうのが怖い。
奇異の目で見られるのが怖い。
臆病な自分が嫌になる。
この文化祭に携わろうと思ったのは、この学園の生徒たちがやりたいことを思いっきりやっていたからだ。自分も勇気をもらえる気がしたから。
……
………
…………
「ここのスピーカーもよしっと」
確認を終えたチェック項目にサインを記していく。
チェックリストの半分がようやく終わった。
やっぱり一人で2人分の担当量は多い。きっと谷本さんは原君という人と一緒に文化祭を回っているんだろうな。
――私も先生と一緒に……。
そんな妄想をしたことは今までに何度だってある。
けれど、学園で教師と生徒が仲良さげに歩いているところなんて見られたら、先生にいったいどれくらいの迷惑がかかるのか。パレードの事前説明は僥倖といってもよかった。
ないものねだりをしても仕方がないと思い。私は次の仕事場である体育館へと足を向けた。
体育館に入るために角を曲がると私の身体は強い衝撃を受ける。
受け身も取ることができずに私はおしりを強く打ち付けると遅れて痛みがやってくる。誰かとぶつかったみたいだ。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
私はまだ下を向いて蹲っている女生徒に声をかける。
けれども、私の声に気が付いた女生徒はバッと顔を挙げる。
「谷本さん?」
私がぶつかった生徒は谷本さんだった。
けれども、彼女の顔は私の顔を見るなり、目を尖らせて体を震わす。私を見る彼女の眼は赤かった。
「……なんで、いつもアンタなのよ……」
「え?」
怨み言のような言葉を私に向けると、谷本さんは勢いよく立ち上がり走り去ってしまった。
少し前まで好きな人と一緒に文化祭を回っていた。
けれど、そんな彼女があんな風になるということは、なんとなく想像ができた。
実行委員会の仕事を経過を伝えるために文化祭実行委員会の本部となっている教室に入ろうとする。
「聞いた? 谷っちフラれちゃったんだって」
「マジ? 結構いい雰囲気だったのに?」
「カワイソー、原君と一緒に頑張りたいからって文化祭実行委員会になったんでしょ~」
「谷っちは?」
「保健室で休んでるって、失恋だもん。しょうがないよ」
フラれた直後であろう谷本さんを見た私としてはどうにも加わりにくい話をしている。
「でね、フラれた理由聞いたんだけどさ」
「あんたそんなこと聞いたの?」
「違うよ~、谷っちが恨めし気に話したんだよ~」
「なになに?」
やめておけばいいのに耳を澄ませてしまう。
「原君、桜咲さんのことが好きなんだって」
不意に私の名前が出てきて驚いた。
「えー! また桜咲さん!?」
「勘弁してよー……」
驚きもあれば呆れの声もある。
「桜咲さんも思わせぶり態度だすのやめてくんないかなー」
「ある意味、男子も被害者だよね」
また似たようなことを言われてる。
私は原君っていう人とほとんど話したこともないし、好かれるようなこともした記憶はない。
「いい加減にさ、その辺の誰かと付き合って私たちを安心させてほしいよね」
「美人だからハードル高いんじゃないの」
「だね。告って『俺、桜咲さんが好きなんだよね』って言われたらマジでへこむ」
ここから先はいつものパターンで私の悪口に話が変わっていくのだろう。
そんなものは聞きたくない。
私は踵を返して本部から離れた。
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