第89話 文化祭 ②

 涼香


 私は本部に戻ることもできずにいた。

 私が今いるところは展示スペースは全くない部分で生徒も先生も誰もいない。

 屋上に続く階段だった。


 誰もいない階段に腰を下ろして一息つく。


「はぁ……」


 階段に私のため息が響く。

 今まで一緒に頑張ってきた仲間にあんなことを言われるなんて思ってもみなかった。


『その辺の誰かと付き合って私たちを安心させてほしいよね』


 片思いの相手がいるから他のだれかとくっついてほしい。

 要はそういうことだ。なんでそんな風に思われなきゃならないんだろ。


 ――じゃあ、私はあなたたちに好きな人ができるたびに、その辺の男子と付き合わなきゃいけないの?


 そんなの絶対に嫌だ。ありえない。


 今、戻ればみんなはいつもと変わらない様子で私と接すると思う。

 けれど、それは仮面だ。

 その仮面の下ではいったいどんな顔が隠れているかわからない。

 嫉妬か嫌悪か嘲笑か。


 他の顔かもしれないが、どれもいい顔ではない。

 でも、それが人付き合いというものだ。悪い事とは言わない。

 人間関係を潤滑にすべく、誰もがそれぞれ仮面を被る。お世辞と一緒だ。


 けれど、その仮面の下の素顔を一度見てしまえば、その人が考えているところを知ってしまえば、私はその人を心の底から信じることはできなくなる。


「はぁ……」


 今日、二回目のため息。

 こんな日に付きたくないけれど。どうしても出てくる。


「はぁ……はぁ……」


 いや、これは私の息じゃない。

 男の人のものだ。

 ため息というより一生懸命に走った後の息切れのようだった。


「くっそ、被服部の存在を忘れてた……」


 階段の下から声が聞こえてくる。

 上からそっとのぞき込んでみると、高城先生が息を切らしながら階段を上ってきていた。


『高城先生いた!?』

『捕まえるのよ! 夏と冬のイベント、ハロウィンなら公衆でのコスプレが認められるわ!』

『怖くないですよー』

『一度すれば後が楽ですよー』

『楽しいですよー』


 さらにその下から被服部の子たちの声が聞こえてくる。よくウチの店にBLを買いにくる子が多いから覚えている。

 状況から察するに被服部の子たちから先生は逃げているようだった。


「くそっ!」


 小さな声で悪態をつくながら先生は私のいる階にまで階段を昇ってくる。

 足音を立てないように昇ってくる先生の上り方は何だがちょっとおかしかった。


「ふふっ……」


 思わず笑ってしまった私の声が聞こえたのか、見上げた先生と私は視線が合った。

 先生は階段を昇ってくると――、


「……何やってるんだ、こんなところで?」


 展示スペースもないところに1人でいたら理由を聞かれるよね。


『逃がさなくてよ!!』

『こっちは夏から衣装の準備してんだよ!!』


 口調の変わった被服部の子たちの階段を昇ってくる。


「やべっ、俺がここに居ることは言わないでくれ」


 そのまま先生は掃除ロッカーの裏側に姿を隠す。

 私からは丸見えだけど、下からは見えない位置だ。


「あ、桜咲さん。ここに高城先生来なかった?」

「……ううん」

「チッ! 逃がしたか!」


 慌ただしく階段を下りていく被服部の子たち。


 ――いったい、先生にどんな格好をさせる気だったんだろう。ちょっと気になる。


「……行ったか?」

「あ、はい」


 被服部の子たちが立ち去ったのを確認すると安心したように大きく息を吐く。


「いやあ、参った……俺はあの子らの同級生じゃないんだぞ、何で俺があんな装飾過多な軍服着ないといけないんだよ」

「あはは……」

「……それで、話を戻すけど。どうしてこんなところにいたんだ?」


 う……さっきの騒動で話をそらせたかと思ったのに。


「……ちょっと疲れて休憩です」

「ふーん」


 あ、なんかちょっと怪しまれてるかな。サボってるって思われてるかも。


「疲れたのなら。ちょっと、気分転換でもしようか?」

「え?」

「ついてきて」


 先生はポケットから鍵を取り出すと、屋上の扉に近づく。

 屋上は基本的には解放されない。理由としては「危ない」から。

 もし屋上がいつでも入れる状態だったら、いつ飛び降りが起こっても不思議じゃあないから。

 通っている生徒が心理的に受けるショックも大きいし、学校の評判も悪くなる。うわさはすぐに広まうから、受験が必要な学校だったら志願者が減ってしまうのは目に見えてわかる。それに、テレビドラマやマンガの世界では、学校の屋上で生徒が集まって学園生活を送っている様子が描かれていたりする、けれど学校の屋上は先生の目が届きにくく非行の温床となる危険もある。


 だから、普段は鍵がかかっているし立ち入り禁止なのだけれど、生徒としては屋上からの景色を見てみたい。

 私はちょっとした罪悪感と好奇心の入り混じった複雑な気持ちで先生の後についていった。


「たまにここで時間をつぶしてたりするんだよね」

「え、それっていいんですか?」

「見回りだよ。見回り」


 しれっと言い切る先生は何度もここにきているみたいだった。

 教師の特権というものだろうか。

 扉を開けるとちょっと強めの風が吹き抜ける。

 扉をくぐると大きな貯水槽のある屋上に立った。屋上自体は結構な広さがあって空を遮る建造物も何もなくて、いつもより空が近い。


「あんまりフェンスに寄りかからないようにね」

「大丈夫です」


 言葉ではそんなことを言うけれど私は逸る好奇心を抑えきれずに街を一望できる南側のへと小走りで向かった。


「わあ……」


 小高い丘にある静蘭学園は周囲に高いビルもないので町全体を一望できる。

 いつもより高い位置で見渡せる街の景色は特別だった。


「夕焼けの景色はもっと綺麗なんだけどね」

「今でも十分ですよ」


 眼下にあるグラウンドには昨日みんなで建てたテントがある。生徒はみんな楽しそうに出店を見回っている。

 学園の敷地外に目を向ければ白、灰色、黒、青、オレンジなどと色々な屋根の家が目に入る。ちょっと視線を遠くに移動させると私の家である書店を見つける。遠くには私たちがよく利用する駅やショッピングモールが目に入る。


「先生は誰かと来たことがあるんですか?」

「んー……座間先生は良くここでタバコを吸いに来るから一緒に雑談してるかな」

「そうですか。なら、生徒を連れてきたのは私が初めてですか?」

「あまり言わないでくれよ。怒られるし、他の生徒も「連れていけー」ってうるさそうだ」

「そうですね。秘密にしておきます」


 だんだんと先生との共通の秘密が増えていく。なんだか嬉しい。


「実行委員会の調子はどうかな?」

「今のところ特に問題は起きていません」


 先生は私の隣に来ると近況を尋ねる。

 まあ、私も先生とこんなところでプライベートな話ができるなんて思ってない。私は聞かれたことを応えていく。

 先生に言われて今日した仕事のリストを見せる。


「え? これ全部一人でやったの?」

「ええ、まあ」

「もう一人は?」


 谷本さんとのことは触れないでおく。

 人の恋愛事情はあまり触れ回ることじゃないのは嫌というほどわかっているから。

 けれど、先生もペアで文化祭を見回るということを知っているから訝しげな顔をする。


「……ちょっと所用で」

「しょうがないな……」


 呆れたように先生は言う。


「残りは1人で終わらないだろ。俺も手伝うよ」

「い、いえ! 申し訳ないですよ!」

「一人でやる方が気が楽かもしれないけれど、この量はとてもじゃないけど無理だ。それにこんなことばっかやってたらせっかくの文化祭も楽しめないだろ」


 図星だった。

 とても終わるものではないと思っていたし、実行委員会になったときから一般の生徒と同じように文化祭を回れないことは覚悟していた。


「先生にも仕事があります」

「これと一緒にできるから」


 な、なんだがいつもより先生が強引な気がする。

 私のことを心配してくれているのが伝わってくる。


「俺としては涼香にも文化祭をたのしんでほしいんだよ」

「うう……」


 ひ、卑怯です。

 そんな言い方をされた断れないじゃないですか!


「それじゃあ、行こうか」

「は、はい……」


 結局折れた私は先生の後についていくことしかできなかった。

 けど、嬉しさも私の中にはあった。

 先生と二人で文化祭を見て回る事情ができたから。


 ◆


 ちょっと強引だったか。

 だが、涼香1人にすべての仕事を任せるなんてできるわけもなかった。

 もう一人のペアは谷本さんだったか、明日のこともあるし見つけたら何か言ってやらないと。


 実をいえば俺の仕事だってまだ残ってはいる。それは今日の文化祭が終わってからやればいい。


 屋上から階段を下りて展示スペースのある所に戻ってくる。

 明日とかはこ展示スペースのない部分は立ち入り禁止にした方がよさそうだ。

 涼香のペアの女子が何をしているかは知らないが、涼香はそこにはあまり触れてほしくなさそうだ。


 俺が廊下を歩くと涼香は俺の後についてくる。

 人通りの多いところに戻ってくるとさっそく声をかけられた。


「あ、高城先生。さっき被服部の子たちが探してましたよ」

「仕事中だ」


 うん、こうやって仕事をしていればあの子らも無茶を言い出さないだろう。


「……もしかして、私を隠れ蓑にしました?」

「それもある」

「申し訳なく思った気持ちを返してほしいです」

「悪い悪い」


 ちょっと不貞腐れている涼香はそれでも俺の後をついてくる。


 生徒たちの質問や頼み事などを引き受けながら文化祭を回っていく。もちろん、実行委員会の見回りも忘れない。

 俺たちは昼食もまだだったのでクラスで催している出店で適当に買うことにした。

 さすがに他の生徒たちの前で奢るわけにもいかなかったので食べたいものを各自に買い涼香と一緒に食べる。


 俺はアメリカンドッグを涼香はクレープをそれぞれ購入し、文化祭のために用意された簡易ベンチに座る。

 今は講堂でバンド演奏をしているためか生徒の姿はまばらだった。


 俺は買ったアメリカンドッグを一口。

 俺が買いに来たと知った生徒がサービスをしてくれたおかけでちょっと大きめ、ケッチャプも多めに渡してくれたのだが、ケッチャプの量が明らかに多い、アメリカンドック真っ赤じゃん。


 苦心しながら食べているのを涼香がなんだか微笑ましいものを見るような目を向ける。


「先生、唇の下にケチャップついてますよ」

「え?」


 触れてみるが指には何もついていない。


「反対ですよ」


 涼香はハンカチを取り出すと俺の唇をさっとぬぐう。

 ハンカチ越しだが、涼香の細い指が俺の唇をなぞるのでちょっとドキッとした。彼女は何事もなかったかのようにハンカチをしまう。


「先生ってたまに子供みたいな時ありますよね」

「教師を子ども扱いしない」


 友人たちにもよく言われることがあるのは生徒には秘密だ。


「歩波さんがよく言ってます」

「あの野郎……」


 そろそろ、こっち側から何か仕掛けてやろうか。

 あいつへの復讐を本格的に考え始める。このままでは俺が積み上げてきたイメージをつぶされかねない。


「歩波さんも今日参加できればよかったんですけどね」

「今日の仕事はどうしても外せないらしくて。あいつも涙を呑んで仕事に向かったよ」

「……すごいですよね。私と同じ年でもう大人と同じように働いて」

「まあ職業がちょっと特殊だけど」

「でも、声優になれるのなんてほんと一握りだけなんですよ」


 涼香はどこか羨ましそうにここにはいない歩波のこと思う。


 ――夢を叶えたか……。


「まあ、その夢に反対してたのは俺なんだけどな」

「……え?」


 驚いたのか涼香は意外な様子で俺を見る。


「最初、あいつが声優を目指すって聞いて俺は反対したんだ」

「ど、どうしてですか?」


 元々が狭き門だからだということもある。

 ほとんどの者はデビューを叶えることなく去って行く。デビュー出来たとしても、新人声優は声優業のギャラだけでは生計を立てられず。選ばれたその中から後に声優として第一線で活躍できる者はほんの一握りといういばらの道を進むといわれて手放しに応援できるわけがない。競争に次ぐ競争の世界だと聞いている。

 現に、歩波の仕事は今は波に乗っているが次はないかもしれない。継続して仕事をしていくのも厳しい世界だ。


「成恵さんはやるだけやらせてみればって言ってくれたけどさ」

「……先生は、「夢」のような職業に就くことに反対でしょうか?」


 涼香が少し悲しそうな目で俺を見る。


「……いや、いいことだと思うよ。俺だって高校の時は本気でプロサッカー選手になる気でいたんだからさ」

「あ、すいません」


 足を軽く動かすと涼香はつらい過去を思い出させたと思ったのか申し訳なさそうにする。


「……あいつが声優になるっていった時に何もしていないのを知っていたからかな。漠然となりたいっていう感情が優先していて具体的な計画が何もなかったんだよ。だから止めた」

「……」

「そうしたら今度は自分で仕事のことを調べて、養成所にも通わせてほしいって俺たちに頭まで下げて、本気が伝わってきたからいくつか条件を出して応援することにした」


 これは俺だけではなくて成恵さんや景士さん、渉と相談した結果だ。


「夢は追ってもいいと思うんだ。俺は夢を追う覚悟があるというのなら、応援するし、力になりたいと思う。けれど……」


「夢は諦めなければ必ず叶うっ!!」なんて無責任なことを言う気はない。

 夢のために頑張れるというのはすごいことだ。

 夢を叶えられた人は最後まであきらめなかった人だが、あきらめなければ夢は叶うほど、夢は簡単なものじゃない。

 

 だが、自分で積み上げてきた可能性をゼロにするのは本当につらい。声を挙げて泣いても足りないくらいに。


 俺は挫折してしまったが、こうして教師になった。だから――、


「俺と同じように、たとえ今の夢が破れても次の道が必ず見つかる日が来ると信じたい」

「……」


 俺の話を涼香は黙って聞いていた。

 なんだか、説教みたいなことをしてしまった。


「もちろん、これは俺の持論だから。話半分程度に聞いてくれればいいから」

「いえ……なんだか、勇気がもらえた気がします」

「勇気?」

「私もやってみたいことがあるんです。けれど、それが成功する保障なんてどこにもありませんから」


 それはどんな仕事にも言えることなんだけどな。

 そのことを知っていないあたりはまだ子供なのだろう。


「……そのやってみたいことって聞いてもいい?」

「笑いませんか?」

「笑わない」


 生徒の夢を笑うほど教師として終わっているつもりはない。


「……私、小説家になりたいんです」


 一拍、間を置いてから涼香は少し緊張した口調で俺に告げる。


「私が本が好きなのは知っていると思います。何時からか、自分でも小説を書いてみたいと思うようになって……そんな夢みたいなことを言っているのに、私は変なところで現実的で思っているだけで終わっていました」


 涼香は頭がいい。

 だから、自分の夢がほんの一握りの人間にしかなれないことを早い段階で知ってしまったのだろう。


「けれど、歩波さんと違って私は何もしていなかったんですね……昔、小説を書いてみたこともあるんですけど、何やっているんだろうって急に恥ずかしくなってしまって消してしまいました」


 なんとなく涼香の気持ちはわかる。


「でも、消した小説と違って私の中ではまだ未練があったんです。それでずっともやもやしていて」


 三者面談で「これといった夢はない」といっていたが、ちゃんとやりたいことがあるのか。


「先生は応援してくれますか?」

「この話の流れで応援しないっていうのはさすがにズルいだろう」

「ええ、先生がそう言ってくれるようにと誘導しましたから」

「ははは……」


 店長さんとかに怒られないかな。

 あの人なら娘の夢を後押ししそうな気もするけれど。


「あ、それなら私がもし小説家になれなかったときには責任取ってくれませんか?」

「責任?」


 言葉は重いが、彼女の顔は明るい。

 というより、この顔は歩波に似ている。

 あれだ……悪戯を思いついた時のような顔だ。


「もし、私が小説家になれなかったら、私をお嫁さんにもらってください」

「おい」

「な~んて、冗談ですよ」


 少なくとも彼女からラブレターをもらっている俺からすれば冗談には聞こえない。


「すいません。ちょっと用事のある部署を思い出したのでそちらに顔を出してきますね」

「ああ……」


 急な不意打ちに内心すごく動揺している。

 今、彼女が席を離れてくれるのであればこっちも願ったり叶ったりだ。


 ◆

 涼香


 私は少し早歩きで先生から見えない位置に隠れる。

 周囲に誰もいないことを確認すると――、


「――っ――!!」


 声にならない叫びっていうものを自分がすることになるなんて思わなかった。


 ――責め過ぎたっ!!


 なんだか付き合うを軽く飛ばして、とんでもないことを言ってしまった。


 なに調子乗ってんのよ私!!

 しかも責任なんて重い言葉使っちゃって!!


 けれど、小説家のことを話したのはこれが初めてだった。

 夕葵にもお母さんにも誰にも話したことのない私の夢。


「恥ずかしいなぁ……」


 頬が熱を持っているのが分かる。

 もうちょっと、落ち着いてから先生のところに戻ろう。


 ◆


 10分くらい経ってから涼香が戻ってきた。どうやら用事というものは終わったようだった。


 その後も二人で見回りを続けながら文化祭を見て回った。


 報告書をもって職員室に戻ろうとする。

 本部に行くよりもそのまま職員室に持ってきてくれる方が楽なので一緒に付いてきてもらう。


 職員室の扉を開けると――、


「困りますよ! そんな急に言われても、もうこっちだって準備できてるんですから!」


 小杉先生がなにやら電話に向かって大きな声を挙げていた。俺たちが入ってきたことにも気が付いた様子はない。


 俺と涼香は顔を見合わせて、互いに首をかしげる。

 とりあえず、報告書を俺のデスクに置くべく近づくと小杉先生がようやく俺たちに気が付いた。


「な!? ちょ、ちょっとすいません。おい、今は大事な電話の途中だ。出ていけ」


 小さな声だが、威嚇するように俺たちに職員室から出ていくようにと唸る。

 固定電話だから動けないのはわかりますが、なぜに出ていく必要まであるのだろうか。だが、これ以上は居座っても互いにいいことはないだろう。

 軽く頭を下げると足早に職員室から出ていった。


「小杉先生、どうしたんでしょうね」

「わからん」


 いつも機嫌が悪い印象はあるが、何か焦ってたな。

 ああいう場合は近寄らない方がいい。性格的にもめんどくさい事になることは目に見えてている。


「あ、そういえば、4組のアンケート調査はご存知ですか?」

「ああ、あの人気投票か」

「そうです。先生方の人気投票も行われていて、ちょっと見に行きませんか?」


 教師としてはちょっと見るのが怖かったりするのだが。

 それを理由に断るのも悪い気がした。

 今は途中経過の時間帯だ。アンケート投票も匿名式なので生徒たちのリアルな意見も聞ける。

 基本的な仕事は一応は終わっている。俺の仕事もやりたいがいまは職員室には近寄らない方がいいだろう。


「なら、行ってみようか」


 ……

 ………

 …………


 文化祭初日も終わりに近づいている時間帯。

 各模擬店では値引きなどを行っている。


 4組ではすでに集計が始まっている。

 教室には多くの生徒たちの姿が見えた。

 掲示されているアンケート表にはすでに集計が終わったものもあり、それらは廊下に張り出されている。


「静蘭学園最強」というなんとも中二心をくすぐるものもあるが、満場一致で荒田先生となっている。俺もその人しかいないと思うけどさ。同じ体育教師である剛田先生、愕然としてるよ。


 他にも「中学時代に頑張っておけばよかった教科ランキング」や「商店街スウィーツランキング」などいろいろな順位付けをやっているようだ。

 特に何か賞がもらえるというわけではないが、それでも自分が投票したものが選ばれればそれだけでも嬉しい様子だ。


「高城先生。あれ、見てください」


 涼香に促され視線を送ると「静蘭学園教師人気ランキング」とでかでかと表題された模造紙が目に入る。


 1位 高城先生


 ちなみに俺が1位に選ばれた理由としては『やさしい』『顔がいい』『声がいい』『理想のお兄さんみたい』『家で飼いたい』『イケメン死すべし by相沢』などなど、後半二つ以外はなんだか照れ臭い。あとで相沢は叩く。


 ランクインすらしていなかった剛田先生がめちゃくちゃこっちを睨んできているがそちらには視線を向けないでおこう。


「あ、高城先生-! 私先生に一票入れたよー!!」

「私も私もー!!」

「はいはい。ありがとうね」


 愛想笑いを受けべてお礼を言うと、キャーと黄色い声を挙げながら女子生徒たちは立ち去っていく。なんなんだろうか。

 あまり騒ぎになると嫌なので俺と涼香は教室の隅へと移動した。


「あ、ちなみに私も先生に一票入れちゃいました」

「あー、ありがと……」


 涼香がこそっと小さな声で俺に伝える。


 俺は去年の文化祭に参加していない。

 去年は水沢先生が1位だったと聞いている。水沢先生も似たような思いをしたんだろうか。


「おお! きたぞ!」


 4組の生徒が持ってきた模造紙に男子生徒が目ざとく反応する。


「それではお待ちかねの、今年のミス静蘭を発表したいと思います!」


 生徒が模造紙を広げてると皆の視線が一気にそちらに集中した。

 広げられた模造紙を見る。


 1位 桜咲 涼香

 2位 夏野 夕葵

 3位 黒沢 歩波


 書かれていた名前に皆が各々の反応をする。特に男子たちは異様にに盛り上がる。というより、なんであのバカ妹が涼香、夕葵に続いての3位なんだよ。外面に騙されているのではないだろうか。


「やっぱ桜咲さんだよな!」

「どこかのお嬢様みたいだし」

「彼氏いないって本当かなー」

「身の程知らずの夢みんなよ」


 男子たちは皆、声を挙げて素直に感嘆した。だが、涼香はどこか暗い表情をする。

 その理由がすぐにわかった。


「また、桜咲さん?」

「あー、はいはい、わかってましたよー」

「出来レースかってーの」


 素直に称賛するものもいればケチをつける人間もいる。

 涼香がこの場にいるのを知っていて、言っているのだろう。

 正直、ただの僻みにしか聞こえないのだが、涼香を傷つけるには十分だろう。


「……ちょっと、離れようか」

「……はい」


 涼香は俺の言うことに素直に聞き入れ。

 盛り上がっている4組の教室から足早に立ち去った。


 ……

 ………

 …………


 涼香を連れて誰もいない空き教室へと入った。


「……」


 今日落ち込んだ彼女を見るのは2度目である。

 何と声を掛けたらいいのかわからない。


「私って、あまり同性からいいように思われていないんです」


 涼香が無理をして作った笑顔でぽつぽつといいたくないであろうことを話してくれる。


 中学の時に仲の良かった友達たちがいた。

 ある日、涼香は中学で人気の高かった男子と付き合っているという噂が流れ始めた。

 もちろん、そんなこともなかったから否定したが、その男子は涼香の友達の1人が好きだった男子だった。

 そこから、涼香を無視するようになったという。直接何かされたわけではないが、立派ないじめだろう。結局その友達たちとは卒業式になっても口を利くことはなかったという。


「すいません。なんか今日はずっと重い話をしちゃって」

「いや、けれど女子からあまりよく思われていないっていうのは違うんじゃないのか?」

「でも……」

「だって、静蘭って女子率の方が圧倒的に多いだろ。男子のすべての投票を集めたって1位になるなんてありえない。ちゃんと涼香のことを見ている人がいるんだよ」


 涼香の魅力というものは別に外見だけではない。

 表面的には人当たりが良く穏やかな雰囲気の持ち主の優等生だが、夕葵たちほど親しい中になると時に小悪魔的な性格で振る舞う。それはそれでかわいらしいと思う。

 学習面はいまさら言うほどもなく優秀だし、家の手伝いもしている。ほかの生徒の勉強も見てあげるほど面倒見もいい。涼香に憧れている女子だっているんじゃないだろうか。努力家なところや何事にも一生懸命なところには、非常に好感が持てる。だから――、


「俺だって……」


 はっ気が付いて今自分が言おうとした言葉をぎりぎりのところで飲み込んだ。


「……先生、「俺だって」なんですか?」


 だが、ばっちり涼香には聞こえていたみたいだ。


「……なんでもない」

「言ってください!」


 ズイッと距離を縮めて俺の言葉を待つ。


 ――これは、言わないと解放してもらえないんだろうなぁ……


 俺は心の中で白旗を挙げた。

 その心情を現すかのように両手をホールドアップする。

 手を挙げたのは距離感が普段より近いので彼女に触れないようにする意味もある。


「……魅力的な女性だと思ってる」

「―――ッ――!!」


 遅れて、自分の発言にすごく後悔した。

 俺なんで女性って言った!? 「生徒「」っていえばいい良かったのに。いや、でも「魅力的な生徒」ってそれはそれでヤバい単語の気がする。


「……そ、そうですか……わたしちょっと用事を思い出したので失礼します」


 涼香もこの場にいられなくなったのか。

 小走りで俺の前から立ち去った。


 結局その後、涼香とは会うことはなく文化祭初日は終了した。


 文化祭は明日が本番といってもいい。

 今日以上に気を引き締めないと。

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