第86話 お弁当

「ん……んあ……」


 目覚ましの音で目が覚める。

 いつもなら、アラームが鳴る前には目を覚ますのだが、今日はギリギリまで寝ていたみたいだった。


「やっぱり、疲れたまってんのかな……」


 ここ数日、ロクに寝ていない日が続いている。

 文化祭の事前準備というのは思った以上に時間を削られる。

 文化祭企画や出し物の確認などでや閉門ギリギリまで学園にいても終わりが見えない。デスクワークは自宅にまで仕事を持ち帰り、睡眠時間を削って仕事をしている。どんだけブラックなんだよこの文化祭。


「寝たの、1時間ちょっとか……」


 重い瞼をこすりながら怠い身体をベッドから無理やり起こした。

 歩波が黒沢家に引き取られてからは朝食も簡単なもので済ませている。昨日は、ゼリー飲料だったから、今日はコーンフレークでいいか。


 簡単な朝食を済ませ、俺は家を後にした。


 ……

 ………

 …………


 朝礼が始まる前に眠気覚ましに珈琲でも買おうかと、弓道場の自動販売機に向かう。だがそこには先客がいた。


「うわ、すごい顔してますよ、高城先生」


 俺と七宮はお互いの顔を見るなりそんな挨拶を交わす。

 教育実習は文化祭と同時期に終了する。実習の方もそろそろ佳境なのか七宮の顔もメイクで誤魔化せていないほど疲労の色が濃い。


「そりゃお前もだ」

「あとちょっとですし、気張ります」


 七宮は教師になるのは昔からの夢だったと聞いている。人一倍この実習にかける思いは強いはずだ。


「高城先生はどうしてそんなに?」

「文化祭実行委員会……」

「ああ……あれ? 小杉先生もそうじゃありませんでした?」


 あの人いつも定時で帰ってるもんな。疑問に思うのは当然だ。


「教育実習の担当になったから、細かいことは全部、俺任せ」

「あー、なんかすいません」


 別に七宮が謝ることではない。

 けど、こんなこと言う必要もなかったな。七宮に余計な気を使わせた。


「そろそろ、戻るか朝礼が始まる」


 俺と七宮はそろって、職員室に戻っていった。

 職員室に戻るとすでに多くの先生が出勤されていた。

 俺のデスク近くまで行くと水沢先生がそっと俺たちに耳打ちをする。


「七宮先生、すぐに小杉先生のところへ。「前の資料を早く出せ」って」

「あっ、ありがとうございます。すぐに持っていきます」


 そういえば前に水沢先生に相談しながら資料を作っていたな。

 七宮をそれらしき資料をカバンから取り出すと小杉先生の元へと小走りで向かった。


「七宮先生、大丈夫でしょうか?」

「ええ……」

「本来、あの資料って小杉先生の校務なんですよ」

「は? そうなんですか?」

「はい、私が確認したから間違いありません。文化祭の備品の項目もありましたし」


 要は本来、自分がやるべき校務を七宮にさせているということか。

 それに気が付いてやれないとか、今の俺はどれだけ余裕がないのだろうか。


「七宮に気を使ってくださってありがとうございます」

「いえ、ところで……高城先生も大丈夫ですか? 目の隈、すごいですよ?」

「大丈夫ですよ。さっき珈琲飲んできましたし」

「でも……」


 水沢先生は何か言いたげだが、朝礼が始まる時間となり結局、話は流れてしまった。



 朝のSHRへ向かうため水沢先生と一緒に廊下を歩いている間にも何度もあくびを繰り返す。あとちょっとの我慢だ。文化祭が終わったら思いっきり寝てやる。


 2年生の教室のある3階へと上がると、各クラスの展示であるポスターが一か所にまとめられて貼られていた。


「アナログゲーム展示か……小さな子供とかが喜びそうだ」


 座間先生のクラスだ、何ともあの先生らしい。


「結崎先生の8組は合唱をみたいですね。よく綺麗な声が聞こえてきます」

「7組はド定番にお化け屋敷……文化祭でやるのってあんまり怖くないんですよね」

「そ、そうですね」


 正しくは“恐怖の館”なんて表題にはなっているが、知っている顔がお化けの格好になってもやはり怖くはない。まあ、隣で青い顔をしている人には効果は十分だと思うが。


「江上先生の3組はチュロス販売か」

「あ、美味しそうですね」


 やはり文化祭で何かを作って販売するというのは一度はやってみたいことなのだろうか。


「5組は……Coffeehouse?」

「コーヒーハウス?」


 水沢先生も首をかしげている。

 5組は小杉先生の担任のクラスだ。昔、イギリスで流行したタイプの喫茶店だ。しかし、まだ火器の扱いについての許可証をもらっていないので提出を急かさなくては。


「4組はアンケート調査ですか」

「ああ、今年は4組がやるんですね」


 どうやらこのアンケート調査は毎年の2年生が行うことらしい。


「生徒たちが教師の人気投票とかいろいろな調査をしてランキングをするんです。私たちのころからありましたよ」

「……もしかして、ミスコンとかもこれで決めてます?」

「はい」


 ◆

 涼香


 文化祭まで残り1週間となった。

 文化祭実行委員会は目を回す忙しさだ。

 お母さんには店の手伝いはしばらくはいいと言ってもらえて、こっちの仕事に集中できている。


 一般の生徒は忙しい人から暇な人と2つに分かれている。

 観月は「部活動で飲食店を出す部が多くて料理部の活動ができない!」と嘆いているのを前に聞いた。夕葵も弓道部で的あてなどのレクリエーション企画をやるということで、忙しそうだ。カレンも文化祭で文集を出すからと最近は部活中心。歩波さんは、ちょっと仕事が増えてきたからということで放課後はすぐに帰宅してしまっている。


 忙しい毎日が続いているけれど、学園からは楽しそうな声が聞こえてくる。充実した毎日が学園にはあった。


「今日は小テストを行う。文化祭前だからって手を抜くなよ」


 ええー……とクラス中から不満を含んだ声が上がった。

 4時間目の英語の授業の後半に小杉先生がいきなりテストを行うと言い出した。

 しかも、テストの結果を成績に反映させるということで、みんなが頭を悩ませながら、長文問題と格闘していた。


「解けないからってカンニングはするなよ」


 冗談にも聞こえない声音でそんなことを言う。

 誰に言っているのかはわからないけれど、みんなは先生に一瞥もくれずにテストに取り組んだ。


 テストが終わり、回収し終わると同時にチャイムが鳴る。

 夕葵が先生に挨拶をすると、教室内は蜂の巣をつついたように騒がしくなり始めた。話題はやっぱりさっきのテストのことだった。


 私はお弁当を手に取ると、いつものメンバーで集まった。


「テストは大丈夫だった?」


 私は食堂へ向かう道すがら観月と歩波さんに小テストの出来を確認した。なぜこの2人に聞いたのかというと一番心配だったから。


「なんとかぁ……」

「ギリギリ―……」


 二人ともいつもよりちょっと早めにテスト勉強を始めていたからか、何とかなったようだった。


「でも、この忙しい時期にテストなんて小杉先生も大変だと思うよ。テストって採点もしないといけないし、ましてや今回のは成績に反映させるって言ってたし」


 あの先生も文化祭の実行委員の顧問の1人だから忙しいはずなんだけど。たしか、今回の文化祭のゲストを迎えるはずだ。


「あ、センセです」


 カレンの声に思わず私たちは反応した。

 食堂への道のりの中で、中庭のベンチでパンを頬張りながら、書類に目を通している先生が見えた。


「あ、また欠伸してる」


 人目を意識しているからか欠伸をかみ殺しているのが見える。

 今日も朝のSHRの前と後に欠伸をしているのをみかけた。あまり寝てないかもしれない。


 私たちは、中庭に出ると高城先生の元へと向かった。

 今日は天気も良くて、風もない。外で昼食を摂っている生徒も何人か見られた。

 先生は私たちの気配に気が付いたのか、資料から顔を挙げる。


「兄さん。一緒に食べてもいい?」

「ああ、その辺に座れよ」


 先生の許可をもらうと、私たちは芝生の上にハンカチを敷いてその上に座るとそれぞれお弁当を広げた。


「……先生、それが昼食ですか?」


 私は先生の持っているスティックパンと缶コーヒーを見て尋ねる。なんだか、いつも食べている量と比べて少ない気がする。


「ああ、朝コンビニで買ってきた」

「それじゃ足りないでしょ。お母さんにお弁当頼んでみようか?」

「え、マジで?」


 先生がちょっと嬉しそうに歩波さんを見る。


「あ、私の分のお弁当箱しかないわ」

「おい」

「ごめ~ん」


 テヘッと舌を出し謝る歩波さんを高城先生は呆れたように見る。


「あ、なら私のお弁当箱を貸してあげよう」

「……何が目的だ」


 兄妹だからか、先生は歩波さんが何かを企んでいるのを察したようだった。


「私が作ってきてあげよう!」

「……まだ荒田先生の昼食生卵の方がいいな」

「おい」


 話の内容はどうであれ、先生はお腹はすいているけれど食堂に並んでまでは面倒に思っているみたい。ここ最近はずっとコンビニで済ましているようだった。


「歩ちゃんは夜はきちんと食べてる?」

「牛丼とか、モック、インスタントだな」

「そんなのだったら体壊すよ……ウチに食べにくる?」


 なっ! 観月っ! 何、羨ましいこと言ってるの!

 私が観月を見るとさっと視線を逸らす。ちなみに夕葵もカレンも観月の方を見ていた。


「大学時代はよく食べに来てたじゃん」

「今は拙いだろ……」

「いいのかな~……今日の夕飯はママ特製の餃子だよ」

「……ゴクッ……」


 先生がつばを飲み込んだのが分かった。

 観月のお母さんはすっかり先生の胃袋を掴んでいるみたい。


「……いや、やっぱり遠慮しておくよ。今は帰るの遅いし、大家さんにも迷惑がかかる」

「そっか……」


 よっし!

 残念そうな観月には申し訳ないけれど、私は無意識に拳を握っていた。


「兄やん。今日も遅いの?」

「だな。文化祭が終わったら思いっきり寝る……」


 先生の顔はちょっとお疲れ気味だった。


 ――あ、それなら……


 私はあることを思いついた。明日にちょっと実行してみよう。


「じゃあ、俺は戻るから、授業には遅れるなよ」


 私たちも昼食を摂り終えると次の授業のために教室へ戻った。

 途中で夕葵と歩波さんがトイレへ行くために途中で分かれる。


 途中で観月が次の授業で使う資料を運ぶようにと先生に頼まれて別れて、カレンも文芸部の女の子に呼ばれて別れて私は1人になる。


 教室に戻ると空になったお弁当箱をカバンの中にしまう。

 久しぶりに図書館で本でも借りても見ようかと思って久しぶりに図書館に顔を出そうと足を動かした。


 図書館で目的の本を手早く借りると、私はスマホを取り出して歩波さんにメッセを送った。


『先生の好きな食べ物ってなに?』


 ◆

 夕葵


「え? 兄さんの好きな食べ物?」

「……できれば教えてほしい」


 私は歩波さんとトイレへ向かう道すがらそんなことを聞いていた。

 今日の先生の食事を見て何か自分にできることはないかと思い至った結果が先生にお弁当を作るということだった。

 どうせなら喜んでほしいし、先生の好きな食べ物を歩波さんに聞いてみた。


「ふ~ん」


 にやにやする歩波さんの視線に耐えながら私は答えを待つ。


「……基本的に肉系かな。唐揚げとか生姜焼きとかそういうのは昔から好きだったよ」

「唐揚げに生姜焼き……」


 どちらもお弁当に入れるにはメインを飾る品だ。

 ほかのおかずとの組み合わせも考えて両方入っているより片方にした方がいいだろう。


「ちなみに私もエビがなければ何でも食べられます!」

「……わかった。歩波さんの分もつくろう」

「やった!」


 明日の内容を考えていると歩波さんのスマホが鳴る。


「あ~……」


 歩波さんがちょっと困ったような顔をする。


「どうした?」

「ううん。とりあえず、兄さんには明日の昼食は買わなくてもいいってこと伝えておくね」

「ああ、ありがとう」


 ◆

 カレン


「シルビアさん! お料理を教えてください!」


 私は家に帰ると厨房で夕飯の支度をしているシルビアさんに料理を教えてほしいとお願いしました。


「……構いませんが、一体どうしたのですか?」

「あの、センセが……」

「あの野郎が「作って来い」とでもほざきましたか。いいでしょう、今から昔撮った写真をネットにさらします」

「ち、違います!」

「……冗談です。何をおつくりになりたいのですか?」


 シルビアさんは普段私が料理しないのを知っているので、私が作れる範囲の簡単な料理を3つほど教えてくれました。


「ムゥ……」

「卵焼きは甘い、辛いなど応用がききますし、彩りもいいです。何よりあの子供舌な先輩は好きだと思いますよ」

「なら、それにします。シルビアさん味見役をお願いしてもいいですか」

「私より、先ほどから厨房を覗き見ている旦那様にあげてください。きっとたべてくださいますから」


 ◆

 観月


「んーと、おにぎりはちょっと大きめに具は、梅干しは外せないよねー」


 アタシは夕飯の後片付けを済ませると明日のお弁当の献立を考えていた。

 冷蔵庫の中身と相談して、お弁当に入れられそうなメニューをメモに記載していく。


「あら、観月。明日のお弁当はあなたの当番だったかしら?」

「違うよー。アタシが作りたいだけ」

「けど、随分な気合の入れようじゃない」


 お風呂上がりのママはアタシのメモをのぞき込んでそんなことを聞く。

 陽太はご飯を食べ終わってお腹いっぱいなったからかもう寝ている。今日はアタシがお風呂に入れる日だったの忘れてた。


「歩ちゃんがさー、最近まともな食事してないみたいだから作ってあげようかなーって」


 アタシは雑誌をめくってほかの料理を探してみる。


「あら、そうなの……ウチで食べてもいいのに」

「アタシもそう言ったけど断られちゃった」


 けれど、あらかじめ用意しておけば断る人じゃないことを知っている。

 驚くかな。喜んでくれるかな。迷惑がられはしないよね。


「私もパパを捕まえたときは胃袋から捕まえたものよ。あれは私が高校生の時だったわ……」

「陽太ー、ママののろけが始まると長いからお風呂入るよ」


 ◆

 涼香


「よしっ!」


 私は朝早く、昨日のうちに買い物に出かけてそろえた食材を広げる。

 エプロンを装着して、目の前の食材とメモしておいたレシピに目を通した。


「なにあれ?」


 部活の朝練のために早く起きた美香が私の方を見てお母さんに状況を尋ねる。


「お弁当を作るんだって」

「? 何で急に?」

「決まってるじゃない~……大好きな人に食べてほしいからよ~」

「へー……ところで朝ごはんはどうなるの?」

「台所は今日はつかえないわね」

「……つまり? 私のご飯は?」

「外で何か食べていらっしゃい。私はもう済ませたから、ちなみに食べられそうなものはないわよ」

「お姉ちゃんのばかぁああああ!!」


 外野がごちゃごちゃうるさい。

 夕葵ほど慣れた手つきとはいかないけれど包丁で野菜の皮をむいていく。料理はお母さんの手伝いをするからそれなりにはできるつもりだ。

 歩波さんに先生の好きな食べ物を聞いてもらい、お昼は先生に何も持ってこないようにと歩波さんに頼んでおいた。


「……メインは昨日聞いた唐揚げにするとして」


 ……

 ………

 …………


 後片付けに思ったより時間がかかってしまった。

 いつもより家を出るのが遅れたせいで、静蘭の学生で込み合うバス。こういう時は女の子が多い静蘭でよかったと思う。この状況を知った男子は自転車で通っている。

 お弁当が崩れないように腕の中で大事に抱える。


 学園に着くと、昇降口で観月の後姿を見つけた。


「おはよ、観月」

「おはよ……なんかいつもより荷物多くない?」

「あ、うん。ちょっとね……」


 先生と一緒に食べるためのお弁当の入った紙袋を背中に隠す。


「観月もなんか多いよ? 今日、体育とかなかったよね?」

「あ、うん。部活関係かな?」

「そっか……」


 ――まさかね……。


 観月と2人で教室まで歩いていくとその途中で夕葵を見つける。

 朝練の後みたいで夕葵からは制汗スプレーのいい香りがした。


「「おはよ、夕葵」」

「ああ、おはよう。どうしたんだ、観月はともかく涼香にしてはちょっと遅い気がするのだが……」

「ちょっと、家から出るのを送れちゃって」

「そうか、委員会の仕事もあるから、無理はしないようにね」

「ありがと」


 夕葵の手には部活のカバンと別の紙袋があった。


「ああ、これは……」


 夕葵の手にある紙袋を見ていたのに気が付いて、見えないように体の後ろ側に隠した。何かを尋ねようかと思っていたところで後ろから声がかかる。


「おはようございます!」


 尋ねる前にカレンが私たちの間に顔を出した。うん、今日もかわいい。


「遅刻するかと思っちゃいました」

「……何かあったの?」


 私はカレンの手にぶら下がっている鞄……いや、ランチボックスに視線が行く。


 ――まさか……


「ハイ! センセと食べるランチを作ってました!」


 やっぱり……。


 ◆


「腹減ったな……」


 今日の朝食はゼリー飲料を2つほど。

 体重もだいぶ減ってきている気がする。ここのところまともに食事を摂れていない。腹は減るのだが、食事を摂る時間よりも睡眠を優先してしまっている。


 ――ああ、手の込んだ手料理が食べたい……。


 それさえあれば残りの日数を乗り切れそうな気がする。

 だから、今日の昼食は期待してもいいはずだ。


「高城先生。お昼はどうされたんですか?」


 と、水沢先生が自分のお弁当を手にしながら尋ねてくる。

 この頃、授業が終わると教員室で仕事か、コンビニのパンを食べてるから、昼食も取らずにここに居るのを不思議に思ったのだろう。


「昨日、歩波が弁当を持ってきてくれると聞いたので」

「へー、歩波さんの手作りですか?」

「それだけはないです」


 もし食べようものなら午後は欠勤だ。この時期に倒れるわけにはいかない。

 妹という存在が料理ができるというのはフィクションの中だけだということを身をもって知っている。今日の弁当を作るのは歩波ではないことは確認済み。成恵さんの安全、安心、美味の3拍子揃った食事にありつける。


「あら。歩波さん料理できないの?」

「結崎先生……ええ、あいつの技量でできるのは、せいぜいゆで卵かちくわの穴にキュウリを通したあれくらいのものです」

「ああ、嵐と同レベルなのね」


 そう言いながら荒田先生の方を向く。

 いつものようにビールジョッキに生卵を投入するかと思ったのだが、鞄から小さな弁当箱を取り出した。


 ――なんだと!?


 俺たちの心の中の声が一致した気がした。


「あ、珍しいですね」

「ん? あー、これかー気が付いちゃったかー」

「何? 微妙にイラっとするんだけど」


 結崎先生がイラつくのがわかる。

 俺たちにこれ見よがしに弁当を振りかざしている。しかも、荒田先生らしくないウサギ印の弁当箱だ。


「これはぁ、ちいちゃんがアタシのために作ってくれたお弁当なんですぅ」

「……誰だぁ?」

「荒田先生の彼氏ですよ。俺の大学時代の友人で」


 いつの間にか話に入ってきていた座間先生に百瀬のことを簡単に説明する。

 嬉しそうに百瀬の作った弁当箱を開ける。


 弁当の中にはでかでかと何かのキャラクターの描かれたご飯をはじめ、焦げ目無く丁寧に作られている肉料理、栄養と彩もよくするために野菜も入れてあり、その野菜が1つ1つ綺麗に星形やハート形に切られている。


「うわ……美味しそう」

「だろー、海優には1口食べさせてやろう」


 まるで自分がほめられたかのように嬉しそうに水沢先生の口に星形のニンジンを食べさせた。


「あ、とても丁寧に作られてて、美味しいです」


 実際、プロのパティシエをしているだけあって百瀬の腕は並みの料理人よりは上だ。

 しかし、なんというか相変わらずというか、かわいらしい弁当だな。


 俺が荒田先生の弁当を見ていると、荒田先生は覆いかぶさるように俺から弁当を隠した。


「高城! お前にはやらないからな!」

「いや、大丈夫ですよ」


 プールで出会ってから俺と百瀬の中を何かと疑ってくる荒田先生。

 正直、結構……いや、かなりめんどくさい。百瀬がかかわると本当に壊れるからなこの人。


 職員室でほかの先生方もちらほら弁当を広げ始め、いい匂いが漂い始める。

 すると、スマホが俺のポケットの中で振動する。


 スマホを開くと昨日いた中庭に来るようにと歩波からメッセが届いた。


「俺も昼食に行ってきます」


 ちょっと授業が終わってから時間がかかっていたことに疑問に思ったが、それよりも今日の昼食だ。俺は走りだしたい衝動を抑えて中庭へと向かった。


 中庭に着くと、すでに歩波はビニールシートの上に座っていた。

 というより、そんなものを持ってくるとは何をそんなに張り切っているのかと思ったが、

 ……なぜ、あの子らもここに居るんだろうか。


 そこに座っているのはいつものメンバー。

 涼香、夕葵、観月、カレンだ。

 全員が持ってきたであろう弁当を膝の上に置き、何かを待っているようで食べようとはしない。

 それに何か妙な威圧感を感じる。近寄らないほうがいいだろうか。


「あ! 兄やん! こっち! こっち!」


 俺を見つけた歩波がわざとらしく大きな声で俺を呼ぶ。

 あのバカ、ここで無駄な職業スキルを使いおって!


 観念した俺は彼女らの圧の中心へと行かざるを得なかった。弁当だけもらって退散しようか。


「来たぞ。俺の弁当は?」

「ああ、うん……ちょっと手違いがあって……」

「おい、まさか無いとか言わないよな」

「いやいや、ちゃんとあるよ」


 とりあえず、座るようにと歩波が促すので俺はビニールシートの上に腰を下ろした。


「まず、兄さんに確認事項があるの」

「学校では先生と呼べ。で、なんだ?」

「私はお昼は買わないでって伝えたよね」

「ああ、成恵さんが弁当を作ってきてくれるんだろ? だから、何も準備はしてない」

「私はお母さんが作るなんて一言も言ってなかったことをご存知か?」

「……で、お前が作ってきたとは言わないだろうな」


 ならば、一刻もここから離れなくては。

 倒れててもいい週末の夕飯であれば食べてやってもいいが、今は勘弁してくれ。


「ううん、みんながお弁当を作ってきてくれたんだよ……」


 歩波がそういうと、みんなが膝の上に置いていた弁当箱を広げだす。

 目の前に広がる唐揚げや卵焼きにおにぎり、めちゃくちゃうまそうだ。


「差し入れみたいなものかな」

「差し入れ?」

「歩ちゃん……ここ最近、まともな食事が摂れてないって言ってたから」


 観月が自分の弁当箱を差し出してくる。その気持ちだけ十分嬉しい。嬉しいんだ。


 けどな、量は尋常ではない。6人で食べるといっても結構な量だぞ。

 全員が全員2人分を作ってきているからか10人前は超えているんじゃないだろうか。そして、どの子の弁当にも必ず入っているといってもいいのが唐揚げだ。


 色々といいたいことはあったが、ありがたく弁当をもらうことにした。


「ありがとうな。それじゃ、いただきます」


 俺はまず進めてくれた観月の弁当の唐揚げに手を伸ばした。

 食べやすいように櫛が差してあるのでそれをつまんで唐揚げを食べる。


「ハグ……うん、旨いな」


 ちょっとピリッとした辛さがあって、それがうまい。

 柔らかい食感からのジュワーとした肉汁がたまらない。


「でっしょ~、ちょっとうちの秘伝のたれ使ってみたんだ~」

「ああ、通りで大家さんと同じ味がすると思った」


 家庭の味はこうやって受け継がれていくものなのだろうか。そんなことをしみじみと思う。

 ただ、これを食べると酒も欲しくなるのが難点だ。晩酌とかでも食いたい。


「センセ! 私のも食べてください!」


 俺が観月の作った唐揚げを食べたのを確認すると今度はカレンが俺に弁当を差し出してくる。

 この中では唯一唐揚げは入っていないが、みんながおにぎりなのに対してサンドイッチやちょっと不格好な卵焼きが目を引いた。


「卵焼き、頑張って作りました!」


 そう勧められ、卵焼きを1つつまみ口の中に入れる。


「お、旨いぞ」

「ホントですか!?」


 ちょっと甘めの卵焼き、形はちょっと崩れているけれど、カレンが頑張ったという努力が感じられた。初めてにしても結構上手な方がと思う。


「あ、それと、シルビアさんがこれを、と」 


 カレンが水筒からお茶を注ぎ俺に渡す。


「これは?」

「うちの家で取れたカモミールで作った特製です。気分をリラックスさせる効果がありますから」


 ハーブティーなんてものを飲むのは初めてだ。

 それに、俺の体調に気を使って選んでくれたのは嬉しい。


 一口飲むと、リンゴのような香りで、甘くやさしい味が口に広がる。あっさりした味で、心が落ち着くようだ。そういえばシルビアのやつがよく自分で作ってたな。ファミレスとかでもよく飲んでるし。一応、あいつなりに気を使ってくれたんだろうか。


「その、歩先生。私のもよろしければ召し上がってください」


 夕葵の弁当には観月と同じように唐揚げが入っており、食べやすいように爪楊枝がすでにさしてあったので1つつまみ口に入れる。食べやすい大きさにカットしてあったので一口で食べることができた。


「……これも旨いな」


 ちょっと香ばしい味付けだ。隠し味でも入れてあるのだろうか。


「本当はニンニクを使おうかと思ったのですけど、午後からの授業もありますし、風味を出すためにゴマ油を入れました」

「あ、この香ばしさは胡麻か」


 いつも市販の素を使って作る俺は作ることのできない味付けだ。


「高城先生、私のも味見お願いします」

「さんきゅ」


 食べようかと思ったのだが涼香は自分の箸で唐揚げをつまむと俺の前に差し出した。

 ん? ナニコレ?


「それじゃあ、あーんしてください」


 何言ってんだこの子!?


「いや、さすがに、な?」

「私は自分のお弁当に素手で触られるのは嫌です」


 いや、その気持ちはすごくわかるんだけどな。

 あ、そういえばさっき夕葵の唐揚げをつまんだ時に使った爪楊枝があった。

 それはさっき、夕葵に渡したはずなので返してもらおうかと思い、夕葵の方を見るが――、


「あ、すいません。捨ててしまいました」


 すでにほかのごみと一緒にまとめてしまったようでごみ袋の中にあるようだ。それを取り出す気は起きない。観月の時に使った串も同様だった。


「おい、歩波。箸を貸してくれ」

「兄貴と間接キスなんていやっ!」


 お前は中学生か。

 いつも人の飲み物かけだろうが勝手に飲むやつが何をいまさら言ってんだか、友達の前だからってそんなこといちいち言うなよ。


「観念して食べさせてもらえばいいじゃん」

「くっ……」


 歩波と同じことをほかの子に頼むわけにはいかない。

 周りに人がいないことを確認すると、涼香が差し出している箸を俺は口を開けた。


「あ……」


 涼香は一瞬驚いた顔をしたけれど、俺が箸から口を離すとほころんだ笑みを浮かべる。ほかの子たちはちょっとジトッとした目を俺たちに向ける。


「……ん、旨いな」

「ありがとうございます。まだたくさんあるので食べてくださいね」

「あ、ああ……」


 その後、夕葵が持ってきた箸があるのを思い出して俺に渡すのだが、もっと早く渡してほしかったかな。


 ……

 ………

 …………


「うん、ありがとうな。すごくおいしかったよ」

「どういたしまして」


 軽く人数分を超えていた量だったがすべて食べきることができた。胃袋的にも味覚的にもかなり満足のいく品ばかりだった。胃袋的には満足どころかリミットブレイクしそうだけれど。


 ――なんか、俺の好物ばっかりだったな。


 唐揚げに始まり、俺の好物ばかりといってもいい品が弁当には入っていた。


 ――もしかして、俺のために作ってきてくれたのだろうか。


 ◆

 涼香


「何であの時、アタシはグーを出したのか!」


 昼ご飯を食べ終えて、教室に戻る時に観月が悔しそうに私に言う。


「仕方がないだろう。負けたほうが悪い」

「ムゥ、じゃんけんは苦手です」


 今日のお昼ご飯、先生に食べさせることができたのはじゃんけんをした結果だった。


 ――それに、先生に美味しいって言ってもらえたし。


 みんながお弁当を作ってきたのには驚いたけれど、ちょっと私だけが得をした気分だった。


「まあ、でも今後こんな機会がある時はもうちょっと量を考えないとね」


 多分、先生は最後の方は無理をして食べてくれた。ちょっと申し訳なかったな。


「そうだな。それに、もう少し先生の味付けの好みを練習したい。観月のお弁当はいい参考になった」

「アタシからそう簡単に味を盗めるなんて思わないでよー」


 そんな話をしながら私たちは今日のお昼休みを過ごしたのだった。



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