第71話 日常

 文化祭でやることは決まったがまだ期間はある。

 それまでは当然、普通の授業が行われる。


 ある日の午前の日本史の授業でのことだ。


「すー……すー……」

 

 1組の教室に寝息が響く。

 俺は授業中に眠っている生徒の前に立っていた。

 周りの生徒たちは苦笑いで俺たちの様子を見ている。

 その生徒のノートを見れば、どうやら授業の前半のほうに眠りの世界へ誘われたようだった。

 俺が気が付かなかったのは極力こいつの方を見ないようにしていたからなので、俺にも責任はある。


「歩波ちゃ~ん、授業中ですよ~」

「すー……」


 体をゆするがまったく起きる気配はない。昨日、夜更かしするからだ。

 これ以上こいつを起こすのに時間を割くと、授業に遅れが生じてしまうので授業を再開する。


 とりあえず、俺はスマホを取り出し寝顔を写メっておいた。

 これで居眠りの現場の証拠は押さえた、言い訳なんてさせない。


「!?」


 シャッター音が聞こえたのか歩波は驚いたように目を覚ました。

 うん、この方法は今後も使えそうだ。卒業アルバムとかに載せるのもいいかもしれない。ほかの生徒にもやってみよう。


「……今、撮った?」

「ああ」

「消してよっ!」


 スマホを取り上げようと手を伸ばしてつかみかかってくる歩波をひょいっと軽くかわし、再び教壇に戻って授業を再開する。


「その内な。次のページ、お前が読め」


 歩波はどこから読んでいいのかわからず、あたふたしている。隣に座っている生徒に今やっているページを教えられる。


「今日も始まったよ、兄妹のじゃれあい」

「仲いいよね~」

「あんなお兄さんがいたら嬉しいけどね」


 教室内からくすくすと笑い声が聞こえてくるが、歩波が教科書を読み始めると再び教室内は静かになった。


 ……

 ………

 …………


「あ、にいに~。あだっ!」

「先生と呼べ。っていうかその呼び方はキモイ」

「ひどっ!」

「歩ちゃん、今日は――痛い!」

「お前もだ」


 昼休み。

 教室で俺のことを先生と呼ばない不良生徒2人の頭を生徒名簿ではたく。


「叩かなくてもいいじゃん!」


 歩波は抗議する。


「口で言っても治らないからな。最終手段だ」

「最終手段っていう割には手が早くない? しかも体罰だよ!」

「そうだ! そうだ!」

「前にも言ったが、保護者から多少の体罰の許可をもらっているからな」


 だからこそ、遠慮なく叩くことができるものだ。

 ちなみにほかにもこの手の指導を許可してもらっている生徒は結構いる。特に男子に多い。さすがによく知りもしない他学年や他クラスの生徒に手を出したりはしない。

 それに、これはこの子らとコミュニケーションみたいなものだ。生徒もそれを納得している。観月にいたってはわざわざ頭を差し出してきている。


 すると今度は、カレンが俺の近くにまで寄ってくる。

 一瞬、ハグが来るかと思って身を構えるが俺の前で立ち止まり、頭を差し出してくる。いったいなんだ?


「センセ! 私のことも叩いてください!」

「は?」


 一瞬カレンが何を言ったのかがわからず、聞き返してしまった。


「私のことも叩いてください!」

「いや、聞こえたから……俺は理由もなく生徒は叩きません」

「なら、悪いことをすれば叩いてくれますか?」

「無理して悪いことしなくてもいい」


 なぜ、カレンがこんなことを言い出したのかはわからないが、ちょっとこの子を叩くのには抵抗がある。

 なんというか、何とも庇護欲漂うカレンを叩く気にはなれない。あ、そういえば、合宿の買い出しの時にデコピンはしたな。


「ちなみにカレンの言う悪いことってなんだ?」

「えっと、その……うーん……あ、センセ!」

「なんだ?」

「呼んでみただけです」


 ……なんというか、随分とかわいらしい”悪いこと”だな。どちらかといえば悪戯レベルだ。


「カレン」

「ハイ?」

「教師をからかうな」


 柔らかい頬をむにぃ~と左右へと引っ張る。


「いふぁふぁふぁ!」


 軽く伸ばしているので痛みはないはずだ。

 カレンの頬は程よく弾力があり、白い肌も合わさってマシュマロを彷彿とさせる。もうしばらく堪能していたいが、私用があるので手を放すと、さっきまで触れていた頬にわずかに赤みがさす。


「えへへ」


 折檻しているというのに、うれしそうな顔をするカレン。こんなのでいいのか。


「……先生」

「ど、どうかした? 涼香さん」


 じっと俺を見てくる涼香さん。

 その目がなんだか仄暗くて怖い。


「前にも言いましたよね。セクハラになりますよって」

「あ……」


 そういえば球技大会の日に彼女の頬をつまんだらそんなことを言われた気がする。

 女性に対してのセクハラの基準がいまいちわからない。


「い、いや、決してやましい気持ちはないぞ」

「例えなくても、不用意に女生徒の肌に触れてはいけません」

「はい……」


 生徒に注意される俺って。

 とりあえず、笑っている歩波と観月を先ほどと同じように生徒名簿で叩いておいた。


 ……

 ………

 …………


「セクハラの境界線だぁ?」


 職員室に戻った俺は座間先生に先ほどのことを尋ねてみることにした。

 俺と同じ男性教諭ということもあり、何より一番聞きやすい相手だということもある。


「そんなもん、俺にわかるわけがないだろうがぁ」

「そうですか」

「なんだぁ、セクハラって言われたのか?」

「まあ、似たようなことを」


 俺は先ほどの経緯を簡単に話す。


「別にセクハラっていう気はしないがぁ。こればっかりは男だけじゃあ、答えは出せないなぁ。おい~そこのアラサー」

「なによ。アラサー廃人ヲタク」


 座間先生がお呼びしたのは結崎先生だった。

 何で座間先生もこんな波風立てる言い方をするんだろうか。

 座間先生が結崎先生に簡単に説明した。


「なるほどね。たしかに女子の多いこの学校じゃ、男性教諭は大変かもね」

「妹がここにいる所為か、生徒にもつい同じような対応をしてしまうことがあって」

「この学校で女子に嫌われたらきついぞぉ。特に担任はストレスがたまりやすいからなぁ」


 うんうんと同意している男性教諭の方々。いつの間にか色々な先生方が集まっていた。


「今は生徒に触れる事も躊躇われますからなぁ」

「けれど、髪とかを触れられるのをいやだっていう生徒の気持ちはわからないでもないです。私は学生時代に身だしなみ検査の時に必要以上に髪に触られて嫌な気持ちになりました」

「そうです。意味のないボディタッチはセクハラです」

「男性教師が、女生徒に対するスキンシップを行うことは、控えたほうが、安全ですね」


 それぞれが、普段感じていることを一斉に議論し始め、意見は見事に男女に分かれた。


「ちなみに高城先生は、何をしたんですか」


 と、結崎先生が尋ねてくる。


「ほっぺをむにぃ~と」

「……微妙なところね。ちなみに下心は?」

「ありませんよ。犬や猫を見ると可愛くて、ついクシャクシャっと触りたくなるという気持ちに近いです」

「嫌がられたりした?」

「いえ、本人は特に」


 むしろ、折檻してほしくて仕方がないって顔してましたけどね。


「けれど、それを見ていた生徒に注意されまして」

「なら、問題はないと思うけれど。男の教師が極端に嫌いな生徒もいるから気を付けてね」

「はい」


 今回は本人が望みもあるが、今後は文字通り「触らぬ神に祟りなし」か。


「はっ、生徒に注意されるとは情けない話だな」

「まったくですね。恥ずかしくないのでしょうか」


 ここにきて剛田先生と小杉先生が議論に加わってきた。2人のおっしゃることは事実なので俺は何とも言えなかった。


「だが、お前の気持ちはわからんでもない。お前の気持ちを汲んでやる。女生徒もちょっとのことで騒ぎ過ぎなんだよ」


 俺は剛田先生みたいなことは思ってませんから。俺も同じ意見という言い方はやめてほしい。


「そのくせ、スカートとか異様に短くしますから、意味が分からないですよね」


 小杉先生の発言を聞いて、結崎先生をはじめとした女性教諭たちの空気が分かったのが肌で感じ取れた。

 剛田先生と小杉先生らの言葉は男が絶対に言ってはいけないフレーズだということは俺でもわかった。


 別に見知らぬ男のためにスカートを短くして、化粧しているわけではない。何か勘違いしているんじゃないだろうか。


 結崎先生が女性陣を代表して剛田先生と小杉先生の前に立った。


「お言葉ですが、お二人にもセクハラといいたいところがありますよ」

「な、なんだ、それは俺はセクハラなんてしていないぞ」

「ぼ、僕だってそうだ!」


 結崎先生の迫力にやや押されながら、反論する。


「自覚がないのも問題ですね。剛田先生、酒席で女性に酌を強要することも立派なセクハラですからね」

「あ、あれくらいは、新人の役目だろう!」

「水沢先生にお酒飲めないのに飲むように勧めて」


 そういえば以前、水沢先生に酌と飲酒を強要していたことがあったな。

 心当たりがあるのか、剛田先生は何も言えなくなる。


「小杉先生、以前私に「意外と年齢いっているんですね」とか「結婚はされないんですね」なんて言ってましたよね。それもセクハラですから」


 うわ、そんなこと言ってたのか。失礼すぎる。


「セ、セクハラといいますがね。あなたが結婚されていないのは事実でしょう! 女性はクリスマスケーキといいますからね。売れ残る前に結婚された方がよろしいんじゃないでしょうか! ま、相手がいればの話ですが?」


 ムキになって小杉先生が結崎先生に対して言い返す。しかも最後の言葉は明らかな挑発だ。

 結婚をする・しないは本人とそのパートナーの都合だ。赤の他人にどうこういわれることではない。

 法に携わる仕事を目指していた割にはその辺は無知だな。いや、単純にデリカシーがないだけか。


 結崎先生は小杉先生に何か言ってやろうかと大きく息を吸ったところで、座間先生が2人の間に割って入った。


「ならアンタは、今まで何人の女性と付き合ったんだ?」

「い、いきなり何を言い出すんだ!」

「ですからぁ、何人の女性と交際関係になったかを聞いてんだよ」

「そ、そんなのお前には関係ないだろ!」

「ですよねぇ。なら、こいつの結婚のこともアンタには関係ないですよね?」


 普段気だるい様子の座間先生が少し、詰め寄るように小杉先生に尋ねる。


「叶わない恋愛しているより、現実見たほうがいいですよぉ。どう見ても脈なしですからぁ」


 多分、水沢先生のことを言っているんだろうな。

 小杉先生が水沢先生に気があるのは教師間では周知の事実だ。多分、知らないのは悲しいことに水沢先生本人だけだ。


 座間先生の言い分に周りの先生たちが噴き出す。そんな先生方の視線を浴びて座間先生の顔が羞恥と憤怒で赤くなる。


「座間ぁ! 僕を馬鹿にしているのか!」

「ただ、事実を言っただけだ」


 小杉先生が先ほど言ったことだ。

 同じように返されて、完全に座間先生に軍配が上がった。

 小杉先生はもう何も言えず、職員室から足音を鳴らしながら出ていってしまう。剛田先生も先ほどの指摘から女性陣の侮蔑の視線を感じて外へと逃げていった。


 2人が完全にいなくなったのを見計らい、女性教諭が次々に座間先生を称える。


「よく言ってくれました! 座間先生!」

「スカッとしました!」

「小杉先生もあれじゃあねぇ」


 特に女性陣はスカッとしたんじゃないだろうか。

 当初との話題からだいぶそれてしまった。


「あれ? どうしてこんな話になったんでしたっけ?」

「ああ、あれですよ。高城先生のセクハラ問題」


 その言い方には少し語弊があるかと。

 再び俺の議題へと話題は戻る。


「逆にスキンシップがものすごく激しい子もいますけどね。例えばカレンとか」

「……ああ、そういえば、よく高城先生に抱き着いてますよね」

「外国の子ですから、本人の中では挨拶みたいなものでしょう」


 ――いや、あれは違う。


 そう思っているのは多分俺だけ。

 挨拶っていうが、あなた達はカレンからハグされたことがないだろう。男で俺だけにしかしないっていうことが問題なんですよ。


「高城先生の周りにはよく女生徒がいますからね」

「そうですねえ、まったくうらやましい限りですよ」


 年配の男性教諭は笑い飛ばすが、こっちは全く笑えない。


「それでセクハラといわれたら、たまったものじゃないです」

「美男子の宿命だと思って受け入れたまえ」

「間違っても手は出さないように」

「信じてますよ」


 年配の先生方は俺の肩を叩きながらそれぞれの席へと戻っていった。


 ◆

 涼香


 昼休み。

 私たちは教室で食事を摂っていた。私はお母さんが作ってくれたいつものお弁当。

 夕葵と観月はいつも自分で作っているらしいけれど、今日も美味しそうだ。

 カレンはシルビアさんの手作りかな。海苔やソーセージなんかを加工して、キャラクターの絵が描かれていてものすごく気合が入っているのが伝わってくる。

 歩波さんはいつもコンビニだけれど、学園の売店で購入したサンドイッチを食べている。2学期からは、歩波さんを加えたこの5人で昼食を食べることが多くなった。


「あのくそ兄貴、私にだけ当たり厳しくない?」




「授業中、寝ていた歩波さんが悪いと思うけれど」

「絶対、私だけに厳しいって」

「身内だからこそ余計に厳しいのではないか?」


 歩波さんは高城先生が厳しいと非難するけれど、ここには歩波さんの味方はいないようだった。


 さっきのことは私の中ではちょっと後悔もあったりする。

 なんであんな言い方しちゃったんだろう。あんな冷たい言い方以外にもほかにあったはずなのに。


――観月やカレンがしているみたいなスキンシップがうらやましかったんだよね。私にはあまりしてくれないのに。


「今度はやられる前にやってやろうか」

「また前みたいに、髪をぐしゃぐしゃにされるよ」


 前に、高城先生の昔のことを話していたら後ろから歩波さんの頭をぐしゃぐしゃにしていた。まっすぐできれいな髪が寝起きの時みたいにひどいものになった。


 私もあんなことをされてみたい。

 だって、なんだか特別な関係みたいなんだもの。

 球技大会の時に頬をつつかれた時に似たようなことを言ってしまった。今日のことも含めてあんなこと言ってしまった手前、高城先生は私に触れる事も躊躇っちゃうんだろうな。


「乙女の命を犬を撫でまわすみたいにしおって~」


「でも、いいなぁ。そういうやりとり」

「うん、私たちにはあんなことしてくれないもんね」

「うらやましいよね」


 私たちの話を聞いていたのかクラスの女の子が私たちの周りにやってきた。この子たちって……たしか、高城先生のファンの子たちだ。


「変わってあげられるのなら、変わってあげるよ」

「それ、持っている人が言うセリフだってば」

「観月とカレンだって結構、いい感じのスキンシップしてもらってるし」


 やっぱり2人への対応はみんなちょっと思うところがあったみたい。2人は少し照れたように顔を背ける。


 ――私だって、告白しているのに。


 何も特別扱いしてほしいわけじゃない。

 もうちょっと雑というか、親しくなりたい。


「まあ、高城先生ならともかく、ほかの先生は断固お断りだけど」

「あ、私は座間先生ならありかも」

「えっ、あの先生ってゲーヲタだよ」

「ちょっと社会につかれた感じのいい味が出てない?」

「それを言うなら、現国の瀬川先生だっていいとおもうけどなー」


 みんながそれぞれ推している男性教諭を挙げていく。それでも、やっぱり一番人気なのは高城先生だった。


「兄さんのどこがいいのかわからない!」


 歩波さんはそんな感想を叫ぶ。


「そりゃあ黒沢さんは妹だから、そうかもしれないけどー」

「あんな俳優みたいな人が近くにいたら、ねえ?」

「あと、スキンシップに一切の下心が感じさせないのが分かっているからかなー。自然にそういうことができる人っていうか」


 女子というのはそういう視線には敏感だ。

 時折、特定の男性教諭からそんな視線を感じることがある。

 男の人の中では自意識過剰などと鼻で笑い飛ばす人もいるけれど、気のせいじゃないことの方が多い。その点、高城はそんなことは感じない。それもみんな同じみたいだ。


 ――私たちは、それじゃいけないんだけどね。


 女性として見てほしい私たちからすれば問題だった。


「でもさぁ、先生ってそういうことに興味あるのかな」

「どういうこと?」

「その、なんというか……」

「エッチなこと?」

「そりゃあ、あるでしょ。若い男なんだから」

「だったら、ウチらのことも狙っていたりして」

「「「「ないない」」」」


 うん、まったくもって同意だ。

 もどかしいけれど、私が自分が生徒だということが今は悔しくて仕方がない。


「けど、高城先生ならいいかも~」

「「「きゃーーーー!」」」


 ――ムッ!


 クラスの女の子たちが黄色い声を挙げる、私はちょっと面白くない。夕葵たちも私と似たような気持ちなはずだ。


「私としては身内から犯罪者が出てほしくない」

「でも、高城先生って今、彼女いないんだよね?」


 みんな歩波さんの方を見る。「どうなの?」と視線が言っている。


「いないね。部屋とか見てもそんな感じはしないし。なにより、私が一緒に住んでいることがいい証拠」


 歩波さんがそう断言すると、どこかみんな安心したような表情をする。


「どんなのがタイプなのかな。前に好きな人が好みのタイプって言っていたけれど、実際はどうなのかな」


 それは私も聞きたいかも。

 歩波さんは身内だから、先生と一緒にいた期間も長いし一番信頼のおける情報源だ。


「高校の時は彼女はいたよ。初めての彼女は確か高1のとき」


 今まで知りたかった先生の過去の女性関係が明らかになっていく。


「3日で別れたけどね」

「「「はやっ!」」」

「だって、その人は、ほかにも彼氏たらしくってね。兄さんもさほど気にしていなかったから。「彼女とも言えなかった」って」


 ちょっとその時の彼女には嫉妬でもないけれど、暗い感情が芽生えた。ちょっと、ふざけてるなーその人。なんで高城先生もOKしたんだろう。


「一番長かったのは高2の時の彼女さんかなー。後輩でサッカー部のマネージャーやってた人」

「それはまたベタだね」

「小さいけど巨乳の人だった!」

「「「うわぁーー……」」」


 その「うわぁー……」には「先生もやっぱり男か」という感情が多分に含まれているね。けど、やっぱり高城先生もそう言う女の人が好みなのかな。その……巨乳の女の人。私は夕葵の胸元に目だけで見た。


「その人とも進学したら、縁も切れちゃったみたい」

「だけど、高校の時に付き合ってた人って2人……というかその人だけ? 先生ならもっと恋愛経験豊富って感じがするんだけど」

「あぁー……なんであんなのがいいか私にはよくわかんないけど。めっちゃモテたよ」


 歩波さんはその時のことを思い出したのか指を折りながらエピソードを語っていく。


「サッカーで全国大会に出て有名になった年なんて、バレンタインデーは袋で持って帰ってきたとか。サインまでねだってくる人いたとか。兄貴を見に来るために他校の生徒が高校にまで押し寄せてきたとか。高校の卒業式なんてボタン全滅とか」

「……はぁ~、さすが」


 改めて話を聞くとやっぱりすごいなぁ。

 今、先生に彼女がいないのが不思議なくらい。

 この話を聞いて男子たちは舌打ちをしていた。


「なら、大学の時は?」

「んー大学のはあまり詳しくは……あ、でも1人すごいのがいたかなー」


 歩波さんは少し顔を青くしながら、その彼女さんを思い出している。

 その反応は私も気になる。


「えっ、え? どんな女の人?」

「ヤバい系?」

「その女の人ってさ「何の話をしている?」ひっ!」


 いつの間にか歩波さんの後ろに高城先生が忍び寄っていて歩波さんの頭の上に手の平を置いた。

 先生は笑顔だけれど、ちょっと怖い。

 みんなはその危機を感じ取って、歩波さんから距離をとる。


「どうした? 答えられないか?」

「……兄さんがかっこいいって話をしていたんだよ?」

「学校では先生と呼べ。それと、嘘をつくなっ!」

「きゃあぁぁああ~~~~!! やめて~! 髪をぐちゃぐちゃにしないでぇ~」


 両手を使って歩波さんの髪をぐしゃぐしゃにする。

 綺麗な髪があっという間にもじゃもじゃに。


「お前は、俺の、大学、時代も、よく、知らない、くせに、知ったような、口を、きくなっ!」

「いひゃい! いひゃい!」


 髪から手を放すと今度はリズムよくぎゅむーっと歩波さんの頬をつまんで左右に伸ばす。歩波さんの折檻を終えると、ため息をついた。


「みんな、高城先生のことをもっとよく知りたいんですよ」

「もう少し先生と仲良くなりたいんです」

「仲良くって言われてもな……」


 教師と生徒の境界線があいまいにならないか、先生はちょっと迷っているみたいだった。

 歩波さんが来てからちょっと、学校の先生しか知らない生徒は驚いている人がいると思う。


「黒沢さんにしているみたいなスキンシップくらいはしてほしいかなーって」

「……いや、さすがにそれは……」


 先生の立場からすれば歩波さんの名前を出されると弱い。だって、良くも悪くも歩波さんだけ“不公平”だから。先生なら公平に扱うべきだと思います。


「……さっき職員室でちょっとした議論になってな。どこからがセクハラなのかって。俺のしたことで不快に思ったこととかないかな?」


 あ、多分さっき私が言ったことが原因だ。


「そういうのの何が怖いかって、人によって境界線が変わることなんだよ。男性がほめたつもりでも女性からすれば不快な気持ちになることだってあるだろ」


 確かにそのあたりはグレーゾーンなことが多い。

 でも、何でも「嫌いだから不快」といってセクハラとみなしちゃうのは、逆に女性側の美徳が失われる気がする。要は自分とその人との関係性が何より重要だ。


「私は髪をぐちゃぐちゃにされるのは超不快です!」


 歩波さんが我先に拒否する。


「わかった、なら今度から反省文にしようか。教師をなめた発言をするたびに反省文一枚な。もちろん、家でも」

「あ、それはちょっと……」


 反省文と聞いて躊躇う歩波さん。

 歩波さん、口で言うほどはスキンシップは嫌じゃないみたい。


「私も反省文を書くくらいなら、軽い説教のほうがいいかなー」

「私、頭をポンってされたい!」

「さっきのほっぺむぎゅーもいいよね」


 比較的クラスの女の子たちは先生のお仕置きには肯定的な発言が多い。私もそっちの方がうれしい。


「つまり、俺はいつも通りでいいってことか?」

「そうそう、むしろ先生から距離取られたら私たちって嫌われてるって思っちゃいますよ」

「嫌うわけがないだろ。みんな大切な教え子なんだから」


 あ、今の発言で何人かときめいた子がいる。

 そういう大人の顔を見せるとますます、先生の事を想ってしまう子が増えそう。


「なら、俺は通常営業でやらせてもらうから。貴重な時間をくれてありがとな」


 先生が教室の時計を指さす。


「へ? あっ昼休みが!」

「やっば~い!」

「まだご飯食べてないよ~」

「そんなことより着替えしないとっ! 荒田先生に怒られる~」


 時間を見ればあと数分で昼休みが終わりそうになっていた。

 次の時間は体育だから、急いで着替えないと間に合わなくなる。


 クラスのみんなは大急ぎで教室を飛び出した。

 そんな私たちを笑いながら見送る先生は、なんだがとても楽しそうだった。


 ◆


 とりあえず、悩んでいたことは解決した。

 相手が迷惑だと感じれば、同じようなことはするつもりはない。それくらいの空気は読めるつもりだ。


 一方的に付きまとわられたり、触れられるのは嫌なことは俺は十分に経験している。


『だって、あなたは私の―――』


 思い出すのは歩波が言っていた大学時代の彼女だ。

 我ながら女性を見る目がない。あの時なぜあの女とひと時でも付き合っていたのだろうか。


「自分が相手のことが好きなら、相手も同じ気持ちなはず」という都合のいいことにならないことがほとんどだ。だからこそ、俺は人からの好意には自信が持てない。


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