第49話 疑い ②

 観月


「いったいなぁ……まだぶつかったところが痛いよ」


 小杉がパイプ椅子に座りながら、お尻を押さえてアタシを睨みつける。


「……すいません」

「謝ればいいってもんじゃないだろ……」


 謝罪以外に言葉が見つからないアタシは項垂れるしかなかった。

 英語の授業が終わってから、アタシは小杉に生徒指導室に連れてこられた。3限目の授業は始まっている。


「……お前を呼びだしたのはこれだよ」


 そう言ってアタシの前に出したのは数字の並べられた一枚のシートだった。

 シートの名前の部分にはアタシの名前が記されていて、各教科の項目の下にテストの点数がずらりと並べられている。その内、日本史と英語の点数が返却されたテストの点数と同じだったから、これは今期のアタシのテストの点数みたい。


 一番下の段に記してあるのは1年の学年末の点数が記してある。

 全部のテストが返ってくる前にこんなもの生徒に見せてもいいのかと首をかしげる。

 けれども、なんでこんなものを渡されたのかは分からない。


「この点数を見て何か不思議に思うことはないか?」

「……点数上がってるなぁ……としか」


 うん、1年の時と比べると点数はすっごく上がってる。

 ほとんどが平均ギリギリやわずかに下だけど、今年は赤点は1つもない。うん、結構頑張った。


「とぼけるな! お前カンニングしただろう!」

「……え?」


 一瞬、何を言っているのかが理解できなかった。


「前回と比較して、数カ月でお前がここまで点数が上がるわけがないっ! カンニング以外ありえないんだよ!」


 いつもは小さくて聞き取りづらい小杉の声が、ここぞとばかりにアタシを怒鳴り散らす。


 ――いつもより点数がいいからっていう理由で、アタシはカンニングを疑われてるの? 証拠もないのに?


 意味が分からない。


「……してません」

「犯人はそう言うんだよ」


 ああ、ダメだ。

 もうアタシがカンニングをしたと決めつけているような言い方だ。


「してないし」


 アタシは少しイラついて思わず敬語も忘れて強く言い返した。


「じゃあ、この点数は何なんだんだよ。いつも下から数える方が早かったおバカなお前がなんでこんなに点数が伸びたんだ」


 なんで一生懸命頑張ったことを否定されないといけないんだろう。


「……涼……桜咲さんに勉強を教えてもらいました」

「……はぁ……沢詩。お前と桜咲は違うんだよ。桜咲を出して彼女に迷惑をかけるな」


 なんでアンタにそんなこと言われなきゃならないんだろう。


「だから、カンニングなんてしてません」


 これは事実だ。

 事実だから嘘なんて言えるわけがない。


 けれども小杉はアタシを見てはっと鼻で笑う。

 

「お前がカンニングをしていたという匿名の電話がかかってきたんだよ。これが決定的な証拠だ」


 ……なにそれ? いったい誰がそんな電話かけたの?

 テスト中のアタシの事を知っているのなんてクラスメイトくらいだ。じゃあ、クラスメイト誰かがアタシをそんな風に貶めたの?


 どんどん、暗いものがアタシの中に溜まっているのが分かる。クラスメイト達を疑いたくないのに疑ってしまう。


「……………」

「だんまりか……ほかの先生方もお呼びしてある。今日はお前のだらしのない髪から生活態度まできっちり指導してやるからな。黙っていれば帰れるなんて思うなよ」


 小杉が促すと、次々とほかの先生たちが入ってきた。

 生徒指導の顧問や一度は注意を受けたことがある先生たちばかりだった。中にはゴリ田の姿もある。


 そこから1人1人何か話しをするけれど、先生たちの話はよく覚えていない。

「生徒はこうあるべきだ」「こんなことをするのは生徒としてはあるまじき」などと同じような話を永遠と聞かされ続けた。


 アタシは何も言い返すことはせず、ただ黙ってその話を聞いていた。

 言い返してもきっと聞いてもらえないだろうし。言い返して納得させるだけの証拠もなかった。


 黙っていることが了承と取られたのか、言い返してこないことに気をよくしたのか次々にアタシに言いたいことを言ってくる。


「それで僕の事を突き飛ばしたんですよ」

「暴力はよくないぞ。ましてや女の子が」

「ま、いつかはやると思ってましたがね」

「聞けば、中学の時も何度か補導されたことがあるというじゃないですか」

「真面目に勉強するということも知らないのか」


 ――……何なのかな。一生懸命頑張っても、こうなるんだ。


「高城も何をやっているのか」

「やっぱり若いだけの教師は……」

「ちょっと生徒に人気があるだけで人望があると勘違いしてるんだな」

「今だけですよ、今だけ」


 ゴリ田と小杉が今度は歩ちゃんの事を罵り始める。

 やめてよ、歩ちゃんは関係ないでしょ。


「高城先生は何と言っているんですか?」

「……今は話をしているのは僕たちだ。あいつは関係ない」


 小杉は顔をしかめて、話を逸らす。

 会わせてもくれないか。


 ――歩ちゃんもアタシがカンニングしただなんて思うかな。……してない、してないよ。信じて。


 あの人にそんな風に思われるのは嫌だ。


「そもそも、髪を染めるのは校則違反ではないが、モラルの問題だよモラルの。教育委員会の方や外部の人が見たらなんて思われるか」


 そう言って、小杉が近寄ってきてアタシの髪を一房手に取り、さらりと撫でる。


「――ッ――」


 当たり前だけど、髪に神経は通っていない。

 けれど、何とも言えない気持ち悪さが髪を伝ってアタシに迫ってきた。


「やめてよっ!」


 髪を触っている手を思いっきり振り払った。


 髪に触ってほしい男性ヒトはあの人だけ。絶っ対にアンタじゃない!


 小杉は払いのけられた手を痛そうに大げさに押さえて、信じられないものを見るかのように周囲は騒ぎ立てる。


「見てください! 舌の根の乾かぬ内にこれですよ!」

「沢詩。なんだその態度は!」


 アタシの行動はどうやら、暴力として捉えられたみたいだ。

 だったらあんた達のはセクハラでしょ。


「触らないで……」


「何、清純ぶってるんだか」


 小杉がつぶやいた一言はアタシには聞こえた。ここにいる全員に聞こえた。

 明らかな侮辱なはずなのにほかの先生方もそれに合わせ始める。


「だったら、スカートをもっと長くしろ」

「あれじゃあ見てくださいって言ってるような物じゃないですか」

「それでいて、見ていたら「セクハラ」ですよ。意味が分からない」


 女の子がオシャレと言われるような格好をするのは断じて、アンタらに見てほしいんじゃない。


 スカートの話をしていると男性教諭たちは視線をアタシの下半身に落としてくる。


 ゾワリとその視線から守るように身を固める。


 ――気持ち悪い。


 さっき触られた時の感触をが蘇ってきてアタシは昔の事をを思い出した。


 ◆


 アタシは教師であったパパが死んでから、しばらく勉強から離れていた。


 母子家庭になったアタシにかけられる同情や憐みの視線――所謂、可哀そうな子を見る目に耐えられなくなった。周りと自分が全く違う気がして、学校にも行かなくなった。


 中学生にもなると学校どころか家にも居づらくなって、昼間は漫画喫茶とかに隠れて、夜になると不良と知られている年上のメンバーと一緒に遊ぶことが多くなった。その人たちに合わせて髪を染めたりして大人になったフリをした。


 楽しくないのに、ゲームセンターやクラブに付いて行ったりして無理矢理テンションを合わせた。


 何回も警察に声をかけられて、警察署に来るとママが迎えに来た。

 他の人たちは迎えに来ないのに対してアタシのママはわざわざやってくる。こういうのが恥ずかしくてまずます嫌になった。


 ママは泣きながらアタシの事を叱るけど、ちっとも怖くなんてなかったし心にも響かなかった。「父親を亡くしたばかりのアタシの方が不幸でしょ」なんて本気で思っていた。


 目の前に当時に自分が現れたら思いっきりブン殴ってやりたい。


 1年近くもそんな生活を続けていたら、必然的にお金がもっと必要になるのは当然だった。中学生でバイトなんてできないし、ママに頼むのも情けなくて財布から盗んでいた。

 ある日、その日に限って財布の中は空だった。


 友達に借りようかと集合場所に行ったら、簡単にお金が稼げる方法があると言い、馬鹿なアタシはその誘いに何の疑いもなく付いて行った。


 歩いていくと人のいない所へ連れて行かれた。

 そして、少し開けた路地裏にたどり着くと3人の男がいた。


 全員、似たような背格好だった。

 小太りで、べったりとした脂じみた髪を肩まで伸ばした人だった。その人たちの前にアタシは背中を突き出される。男たちのナメクジのようなじっとりとした視線は誤魔化しもきかないくらいに気持ち悪かった。



「じゃー、あとはよろしく」

「観月ーしっかり頑張ってねー紹介料で半分もらっていくからー」


 その男たちからお金をもらってから、みんなアタシだけを残して行ってしまった。


 その代わりに近づいてきたのはお金を渡した男たちだった。


 妙に鼻息を荒くして、こちらに手を伸ばす。ジトッと汗で湿った手がアタシの腕を掴む。


「いやっ!!」


 怖い。

 怖い怖い怖い。


「なにそれ、そう言うプレイ?」

「ふひひ、遊んでんでしょ。だったら僕らともいいじゃないか」

「そうそう、お金だって払ったし。コスはこれで……」


 必死になって逃げようとする。けれども男の脂ぎったぬるぬるする手はアタシを決して離さなかった。

 これからどうなるか想像がついた、考えただけで気持ち悪くて吐き気がこみあげてくる。


「車まで行こっか」

「いやっ! いやっ!!」


 抵抗するけど、じれったく思った男たちはアタシの身体を掴みにかかられた。

 手や足を押さえつけてアタシを抵抗できなくする。


「うほっ軟らか~」

「は、早く行こうぜ……」


――気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!!


 叫ぼうとするけど、次の瞬間に口元に布を巻きつけられる。

 声がくぐもって響かなくなると本当にもう駄目だと思った。


「何してるっ!!!」


 その声と同時に目の前の男の1人が吹っ飛んだ。いや、殴り飛ばされたんだ。

 殴った人に目線を送れば……


「た、高城さん」


 そうそう、この時はまだ歩ちゃんの名前すら知らなかったんだよね。

 歩ちゃんはまだ引っ越してきたばかりで他人も当然だった。

 教師を目指している大学生で教師だったパパとは話が合うみたいだった。引っ越してきたばかりのときはパパが楽しそうに話していた。


 「かっこいい人が引っ越してきた」と思ったくらいで特に声をかけることもしなかったし、関わる気もなかった。


 なんでこんなところにとか、なんで助けたのとか、そんな理由はもうどうでもよかった。


「た、助けて!!」


 アタシは必死に助けを求めた。

 この言葉を合図に歩ちゃんが動き出した。

 殴り倒された男が気絶して、歩ちゃんの迫力に押されたのか相手の男たちはあっという間に叩きのめされた。


「……いくぞ」

「う、うん……」


 男たちが気を失ったのを確認するとアタシの手を引いて、裏路地からすぐに出た。

 なんでも近くの店でバイトしていて、その帰りにアタシがいつも一緒にいた人たちの中にアタシがいないことに疑問を覚えて、あの人たちが通ってきた道を引き返してきてくれた。


 歩ちゃんに手を引かれたまま、自宅近くの公園にまで連れて行ってくれた。

 家の近くにある少し大きめの公園にはアタシ達以外には誰にもいないみたいだった。


 同じように手を掴まれたはずなのに、この人の手は全然嫌じゃなかった。


「ほれ、これでも飲め」


 歩ちゃんはアタシに公園の自販機で買ったあったかいココアを渡してくれた。

 この時はまだ冬で、じんわりと温かいココアが身体の芯から温めてくれた。その温かさを実感できると今後は涙が溢れてきた。怖くて押さえていた感情が一気に溢れてきたんだと思う。


「ふぐっ……う、うぅ~~」


 嗚咽を聞かれたくなくて必死に隠そうとするけど、涙は溢れて声も自然に出てきた。

 落ち着くのに15分くらいかかった。


「ありがと……」


 ビシッ!!


「いたっ」


 歩ちゃんは無言でアタシの額にデコピンをかました。

 そんなことされるいわれはなくて、思わず歩ちゃんを睨みつけた。

 けれど、その時の歩ちゃんはもっとすごい迫力でアタシを睨みつけていた。その迫力に負けてアタシは何も言えなくなる。


 ココアを飲み終わると歩ちゃんが立ち上がって手を差し伸ばしてくれた。


「大家さんが心配してる、帰るぞ」


 歩ちゃんの手をしっかり握ったのは今でも覚えている。


「……怒られるかな」

「当たり前だ。今日の事は俺からも話す」

「……」

「母親だから心配してくれるのが当たり前だなんて思うな。あの人は本当にお前の事大切なんだよ」

「……」

「お前を見限っちゃいないから」

「そうかなぁ……」


 バカばっかりやってのアタシだった。

 この時の歩ちゃんの言葉は半分以上信じられなかった。


「今までもちゃんと迎えに来てくれただろ?」

「知ってたの?」

「お前の迎えに行くとき陽太を必ず俺の所に預けていくからな。俺がそうしてくれって提案したんだけど」

「それは……ゴメン」

「大家さんに謝れ」


 その後は何の会話もせず、黙って家までたどり着いた。

 時間は今はもう午前の2時を回ってる。


 周囲の家はもう電気は消えて寝静まっているというのに、アタシの家だけにはまだ電気が付いていた。


 アタシの家だけが、まだ起きていた。


 ドアノブに手を伸ばすと当たり前みたいに鍵は開いていた。

 今だからこそ気が付いたけど、いつでもアタシが帰ってきてもいいように玄関を開けて待っててくれたんだ。


「……ただいま」


 ポツリとつぶやくと家から急いだ様子のママが顔を出した。

 お風呂にもまだ入っていないみたいで手には携帯電話が握りしめられていた。


「おかえり、今日は迎えに行くことが無くてよかったわ。お腹すいてない? 夕飯すぐに温めるから」


 本当に待っててくれた。

 歩ちゃんの言っていたことは本当だったんだ。


「ママ、ゴメン……ごめんなさい」


 そこから、今日起きたことを一通り話すと当たり前だけど思いっきり叩かれた。

 間違いなく人生で一番痛かった。

 けれど、同時に嬉しかったんだ。


「歩ちゃんもごめんね。この子の馬鹿につき合わせちゃって」

「いえ、俺が見つけてラッキーでしたよ……生徒指導のいい経験になりました」

「そういえば、夫からそんな話聞いてたわね。あとご飯は大丈夫? お腹すいていたらよかったら一緒に」

「ありがとうございます。けれど、今日はもう寝ますよ。明日も講義があるんで」

「そう、じゃあまた誘うから、その時は一緒に食べてね?」

「ええ、ぜひご相伴に預からさせていただきます」

「あ、あの高城さん、ありがと」


 この時、ちょっと照れくさそうな顔をして、歩ちゃんをちょっとかわいいと思った。


「ま、これからは真面目に学校通うように。勉強が付いて行けないっていうなら、多少は教えてやれるから。俺も観月を見限ったりしないからさ」


 次の日にはすぐにあの連中とは縁を切った。

 切ったというよりこっちから連絡を入れなくなると、誰も反応しなくなった。

 小学校を卒業したての子どもの分際で年上の人と対等な付き合いができているなんて思っていた自分が本当に馬鹿だった。



 静蘭に合格したのだって歩ちゃんが静蘭に就職することを知ったから、歩ちゃんと一緒にいたかったから。


 アタシは滑り込みで入学したくらいの学力で付いて行くのにも必死だけど、カンニングなんてするわけがない。歩ちゃんを裏切るような真似だけはしないって決めている。


 ――けど、これはあんまりじゃないかな。


 涼香の中学の同級生にも見た目で遊んでいる軽い女だと思われて、先生からも勉強を頑張ったって信じてもらえないんだ。


 悔しくて、目に涙が溜まってきた。


「ほら、先生方もカンニングことは謝れば許してくれるよ」


 1人の先生が諭すように言うけれど、それはアタシがやったと言っているみたいなものだ。だから何の慰めにもならない。


 ――助けて……。


 そう思った瞬間に生徒指導室の扉が大きな音を立てて開かれた。

 部屋に入ってきたその人は少し急いできたのか、肩で息をしながらアタシの名前を呼ぶ。


「観月……」


「歩ちゃん……」


 アタシにとっての本当の先生が来てくれた。

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