第32話 勉強会

「涼香ー、ここわかんなーい」

「……ああ、これは引っ掛け問題だから……」

「係助詞には「ぞ」「なむ(なん)」「や」「か」「こそ」があり……日本語が……」

「係り結びの法則はそのまま覚えるより、例文の方が覚えやすい。例えば雨降りけりは文末の「けり」は過去の助動詞で終止形で……」


 カリカリとペンを走らせる音と勉強を教え合う声が響く。


 ……俺の部屋で。


 彼女らが俺の部屋で勉強することになった。なぜかって? 


 まずは、夏野さんが約束通りに、ジャージを返しに来てくれたことが始まりだった。


 彼女の手にはジャージを入れた服とは別の荷物があった。

 今日は遊ぶのではなく、勉強をしに来たということだ。鞄の中には今日勉強する分の教科書や参考書が詰め込まれているという。


『へー、それは感心だ。分からない所があったら言ってくれ』


 俺のこの発言が原因だった。


 社交辞令として言ったつもりなのだが、「どうせならここでやった方が効率がいい」ということでこの子たちが押しかけてきた。


「観月の家でやるのは?」

「陽太の友達来てるし、うるさくて集中できないからさー」


 とは観月の談。


「なら、図書館は?」

「本の誘惑が多くて」


 とは桜咲さんの談。


「というより、誰も社会科科目やらないなら、来る意味ないだろう」


 彼女らが勉強しているのは、国語や数学だ。

 教えることができないわけではないが、責任までは持てないので、聞かれても困るのだけれど。それに教師役としては桜咲さんと夏野さんが居る。

 成績順位で上から数えた方が早い2人がいるので、ますます、俺の部屋でやる必要性はない。ホントなんで来たんだろうか。


 ――……俺に会いに来た?


 観月とカレンがこの場にいるのでそんなことを考えてしまう。

 ないない。我ながら自意識過剰だ、そんな都合のいい妄想を打ち消す。


 カレンはともかく、観月はいつも上り込んでくるじゃないか。


「歩ちゃーん、喉乾いたー」


 ほれ、いつもの調子だ。

 いつもと違うところといえば、今日は眼鏡をかけているくらいか。

 もちろん、度は入っていない伊達メガネで、眼鏡をかけると勉強ができる気になるのだとか。あくまで気だけだがな。


「冷蔵庫から、なんか適当にとって来い」


 俺は時間をつぶすために、本棚にある本を適当に一冊取りソファーに座る。


「あ、夕華」


 俺の手にある本に注目したのは桜咲さんだった。

 この本は事故に会うより以前に彼女より勧められた1冊だ。

 俺の家にある小説のほとんどが、桜咲さんから勧められたものばかりだ。

 ここ最近は、恋愛小説が主体となってきている気がするが、桜咲さんも年頃だということだろう。


「ああ、そういえば、まだ本の感想伝えてなかったかな」


 さらりと自己紹介の時に最近読んで面白かった本と答えただけで、いつもみたいに本の感想を伝えることはしなかった。

 俺が手に持っている夕華は、遊女と武士の駆け落ちの恋愛小説だ。


「どうでした?」

「面白いね。ただ、主人公が最後、生きてたってところに疑問を感じたけど」

「生きててよかったじゃないですか」

「ここは少しご都合展開かなーって」

「やっぱり、私としてはハッピーエンドで終わってくれてよかったと思います」


 こうやって、求める展開は違うけれど感想を言い合えるのは楽しい。

 そのまま、いつものように本について語っていると。


「「「…………」」」


 何やら視線を感じた。


「手が止まってるぞ」

「休憩、休憩」


 観月よ、まだ始まって30分も経ってないんだが。


「歩先生は、どういう本を読まれるんですか?」

「うーん雑食かな。面白いものだったら大抵は手を出すようにしている」


 最も本を読むようになったのは大学に上がってからだけれど。

 高校まではずっとサッカーばかりやっていた。本を読む暇があればボール蹴ってたし。


「なら、お勧めがあります!」

「うん、今は大丈夫だから」


 カレンのお勧めを回避する。

 だって勧める本、絶対にBL本だろう。文芸部に出入りした時と同じ顔してるし。

雑食って言ったけれど腐ったものは食べません!


「高城先生は、売れ筋の文庫本とか結構、買いますよね」


 桜咲さんの実家である本屋で大抵の本は買うので、彼女には俺の読書傾向が筒抜けなのだろう。いや、本当にあの本屋で『その手』の本買うのやめてよかった。まあ店長には知られてるけれど、できれば墓まで持って行ってほしい。


「あとは漫画くらいか」


 本棚には文庫本以外にも少年誌で連載している単行本が並んでいる。

 結構、有名な単行本ばかりで特に面白味もない。


「あー、これの新刊出てたんだ」


 そう言って、観月が本棚から漫画を取り出して読み始める。


「おい、勉強しに来たんだろう」

「先生を歩ちゃんにとられて勉強が進まないだけ~」


 一応、俺も先生なんだけどなー。観月にとっての先生は桜咲さんですかー。

 桜咲さんに数学を教えてもらっていた観月が、ふてくされたように頬を膨らませる。


「少しくらい自分で解けよ」


 観月は記憶力はいい。ホント、そこだけな。

 コイツのテスト対策と言えば、もっぱら一夜漬けだ。当然、それだけでフォローできるわけもない。


「だって、数学とかって意味わかんないよ~」


 だからこそ、応用が必要とされる問題となるとめっぽう弱い。暗記数学では意味がない、基礎知識を覚えていないと「思考できない」のだ。


「理解と反復を繰り返していくしかないよ」

「涼香もそうしてるの?」

「私はさぼっちゃうとすぐに落ちちゃうから、毎日3~4時間くらいで何とかなるよ」

「「「…………」」」


 絶句である。

 学校や塾以外で3~4時間も勉強しているということに観月は動揺していた。さらに彼女は家の手伝いもしているのだ。いったい何時に寝ているのやら。

 本人は大したことないと言った風に話してるけれど、テスト前日しか勉強しない、観月からしたら信じられないくらいだろう。


 かくいう俺も結構、驚いている。桜咲さんの成績の成績の良さは、地頭もあるだろうがこういう努力があるからなのだ。


「それに、夕葵に負けたくないし」


 そう言って夏野さんの方を見る。


「私か?」

「そうだよ。私は夕葵みたいに運動は得意じゃないから、勉強では勝ちたいの」


 そう言って桜咲さんは「やるぞー」と言わんばかりに、小さくガッツポーズを作る。


「そのやる気をここにいる、ギャルに分けてあげてほしいねー」

「う……涼香と同じレベルを要求されるのは……」


 だろうね。

 俺も試験前日以外では3~4時間も勉強はしたくない。俺も観月と似たような勉強のタイプだったのだ。


 そんな俺が律修館に合格できたのは一重に透のおかげだ。部活を引退してからコツコツと勉強を見てくれていた。勉強方法については割愛させてもらう。本当にアイツは教師向いてると思う。飴と鞭の使いようが絶妙だ。


「カレンはどういう風に勉強してるの?」


 ギラリとカレンの眼が光る。やべえ!


「私はこれです!」


 そう言ってカレンの鞄から取り出されたのは、かの“BL《ボーイズラブ》で分かるシリーズ”だった。


 古典から数学まで、あらゆる教科がシリーズが存在していたことに俺は戦慄を覚えた。数学とか、どうBLで理解させるの? 


 それにカレンは隠しているはずの趣味なのだが、ここでカミングアウトを図った。なんでこのタイミングでカミングアウト?


 あまり周囲が驚かないのは、桜咲さんは多分、店経由で知っているのだろう。店長も同種だし。そして夏野さんも似たような立場だろう、付き合いがあればあるほどあの店長の趣味を知らないわけがない。けど、夏野さんの顔は信じられないほどに真っ赤だ。頬を染めながらも、視線を逸らしているがそこまで嫌悪感があるわけではなさそうだ。


「うわー、これってBLって奴? 前に好きだって話してたもんね」


 平然と観月はそれらを手に取り、ぱらぱらとめくり始める、すげえな。

 やっぱり女の子としては、ハードルは低いものなんだろうか。俺からすれば女子の前でエロ本開く行為に等しいんだが。


「私はこれで勉強してまス!」


 これで勉強できるっていうのも、またすごいけどね。


「えっ! “下剋上”ってこういう意味だったんだ」


 おい、間違った知識与えてないか!? 特に日本史部分で!


 とりあえず、俺の部屋でそんなものは開いてほしくないのですぐさま片づけさせた。それを俺に見せるって立派なセクハラだと思う。


 そこから、再び勉強をすること2時間。勉強会はお開きとなった。


 この勉強会が、最低でも月に一回開かれることになることを俺はまだ知らなかった。


 ◆

 涼香


 今日は先生の家で勉強会楽しかったな~。


 別に勉強じゃなくても、先生の家に遊びに行ける口実があればよかったのだけれど。先生の立場として一番断りにくいのはやっぱり勉強だった。


 “偶然”にも夕葵がジャージを返しに行く日と、観月の家に遊びに行く日が一緒になった。そういう偶然ってある。


 今はバスに乗り、帰宅しているところだ。

 バスの中で本を開きながら、今日の出来事を思い出す。

 本を開いているのは、何かしていないと稀に私に話しかけてくる人がいるから。


 やっぱり、高城先生との本の事を話せる時間は、同じ時間を共有している気がして私にとっては何よりも楽しい時間だ。


 いつもなら、余裕のある時間帯の店頭くらいでしかできないけれど、これからはこんな機会も増えてくるのだと思うと自然に笑みがこぼれる。


 そして、今日改めて思ったことは高城先生の本棚を見てうれしくなった。

 前に行ったときは気が付かなかったけれど、私が勧めた本ばかりだったから。


 高城先生と同じ……なんてことのない事だけれど。嬉しい。


 そんな余韻に浸っている時だった。


「やあ、涼香。久しぶり!」

「………古市くん」


 読書(フリ)しているところに声をかけてきたのは、古市 圭一という私の中学まで同級生だった男子だ。どうやら部活の帰りみたいだ。おおきな鞄に学校指定のジャージ姿で乗ってきた。


 そして、当たり前のように私の隣に腰を下ろした。他に空いている席があると思うんだけど、なんでわざわざ。


「今日はサッカーの練習試合でさ。毎日、ずっとしごかれるんだけれど、何とか頑張ってるんだ。今日の練習試合だって、4-0の大勝だったしね。全国大会に行くには愛生学園に勝たないといけないれけど、僕なら大丈夫さ。それに勉強だって怠けちゃいないよ。文武両道が僕の常だからね。今年はね、生徒会にも立候補したんだ。やっぱり、上を目指さないといけないし……………」


 途中で話を聞かないことにした。


 バスの中にいる女子は数人、古市君を見て色めき立っている。

 彼は中学ころから背が高くて、少女マンガのような美男子だった。頭が良くて、運動神経もいい。ほかの女子にはまさしく完璧な男子に映る。

 事実、幼馴染ということで何度か紹介してほしいと中学の頃の同級生に頼まれたこともあった。


 ただ、小さいころからの付き合いというだけだ。幼馴染というフィクション作品のような色めき立つような関係でもない。それをいえば夕葵だって古市君とは同じような関係だ。家が近所だということもなくて結構、距離がある。


 中学では私と彼が交際しているという噂は流れたけれど、なんでそんな噂が立ったのか分からない。

 私としては結構、彼が苦手でできるだけ避けていたつもりだった。

 けれど、彼は私を見つけて声をかけてくる。


 小学校の高学年辺りから声をかけてくるようになった。それまで、男子という生き物は私をいじめる嫌な存在だった。それが年齢を重ねて女性らしい容姿になると手のひらを返したようにやさしくなった。特に古市君はなんだか慣れ慣れしくて、ボディタッチも少し多い。


「ねえ、涼香。聞いてる?」


 こういったら悪いかもしれないけれど、迷惑だ。

 今、私は傍から見れば読書しているように見えるはずだ。それなのに自分との会話を優先させようとする。

 自分語りほど聞いていて苦になる会話はない。聞き上手な夕葵でも彼との会話は辟易としていた。


 ――高城先生なら……もう少し気を使ってくれるのに。


「え、なに?」

「だから、涼香も秀逸学園にこればよかったって言ってるんだ。涼香なら大丈夫だよ。今からでもどうかな?」


 何を言ってるんだろう。そうそう簡単に転校なんてできるわけがないのに。

 冗談だと思いたいけれど、彼の言葉は冗談じゃない。事実、今まで何度も同じように転校を進めてきた。


「私は、静蘭がいいの」


 友達だっているし、不満な所なんて何もない。

 なにより、静蘭に進学したからこそ、高城先生に出会えた。


「……ふーん」


 私が断ると彼はどこか不機嫌になる。

 こうなるから、彼のとの会話は疲れる。優しげに見えて結構、短気だ。それに、彼は自分の意見をいい意味でも悪い意味でも譲らない。悪く言えば非を認めようとしない。


「なら、僕らも来年は受験だろ? どこの大学を受ける?」


 それも、あなたには関係ないことでしょ。


「……まだ決めてない」

「そうか! なら、県外になるけど、光鋭こうえい大学なんてどうかな!?」

「……そうだね、ちょっと考えておくよ」


 そう言って彼の話に適当に相づちを打つ。


 正直に言えば、私は静蘭に合格して彼と離れたことにホッとした。

 受験したのは、夕葵も行くと言っていたのもあるし、お母さんが静蘭のOGだと聞いていて学園で開かれる文化祭に行ったことがあったからだ。自由な校風の静蘭学園は昔から通いたかった。


 私は、受験校を友人の中では夕葵以外には知らせずにいた。

 色々な人に聞かれはしたけれど、私の成績を加味して、このあたりで名門と呼ばれている秀逸学園に行くと勘違いした人が多くいたみたいだった。


 古市君もそう思っていたみたいで、受験が終わって次の日に彼になぜか


『なんで、秀逸学園を受験しなかったんだ!』


 と、どこか責めるような口調で話しかけられた。

 あの時は本当に唖然としたなぁ。

 その後も「涼香のためを思って言ってるんだ」とか何とか言ってきたけれど、受験はもうすでに終わっているのでどうしようもないことだった。


「うん。それなら今度、光鋭こうえい大学のオープンキャンバスに行こう!」


 そこから、古市君のペースで一方的に話しかけられる。

 早く解放されないかなーと思いながら、バスの次の停車所に視線を送ると商店街前と出ていた。


「私、ここで降りるから」

「そうか、なら僕も降りよう」


 なんで!?

 思わずそんな言葉が出てきそうになったけれど、何とかこらえる。


「古市君、もっとさきのはずでしょう?」

「はは、女性一人をこんな時間に帰すわけにはいかないからね」


 時間はまだ17時くらいで、このバス停から家まではほとんど一本道だ。

 人通りもあって何か危険なことがあるわけがない。むしろ、商店街はこの時間帯から賑わってくるし、小さいころから知っている人ばかりで、よく挨拶をしてくれる人ばかりだ。


「別にいいよ。じゃあね」


 断ってから、すぐに料金を払ってやや急ぎ足でバスから降りる。チラッと振り返ると本当に降りてきた。


 そこから、家に着くまでの間また彼の話に付き合わなくなってしまった。せっかく今日は楽しい日だったのに……。

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